月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


寒波の秩父散策の話

今冬一番の大寒波が日本を襲ったこの週末。日本中そこかしこで雪が降ったとか、電車が止まったとか、そんなニュースで持ちきりでした。
先週は雪見が半分空振りとなってしまった会津若松も、今週は真っ白になったと言うのですから……因果な話です。

ところが、これまた何の因果か、どこで雪が降ってもなぜか降らなかったのが南関東。
多少の小雪は舞ったようですが、積もる積もらないの次元にはおよそ程遠いまま終わってしまい、ただただ寒いだけ。
如何に気持ちのよい冬晴れと言えども、そんな寒さでは出掛ける気も削がれるというものです。
今週末はお家で大人しくしてましょうか――なんて、問屋はもちろん卸しません。


土曜日の午前中こそ、どうにか寝不足を取り戻すため惰眠を貪って引き篭もりを堅持しましたが、午後には気も変わって千葉方面へふらりとお出かけ。
“総統代行”と幕張のイオンモールで買い出しなどして過ごし、夜には実家に戻り日曜に備えます。
そんな日曜日は、暇を持て余した元寮生の要望が土曜の午前中に入ったせいで、適当な出先を選定して北西に足を伸ばすことになりました。

西武線を乗り継いで、行ってきたのは埼玉の小独立国、秩父盆地です。
西武秩父駅から秩父鉄道に乗り換えて、さらに数駅。荒川沿いに列車に揺られれば、夏には舟下りや渓谷散策で名高い長瀞駅に到着です。

長瀞駅は秩父三社の一つに数えられる宝登山神社の門前駅でもあります。
駅舎もどことなく神社を意識した和風の趣あるデザイン。ここから神社までは真っ直ぐな参道で10分ほどの距離です。
ほんの少しだけ雪の残る凍りついた歩道を歩いて、初詣シーズンの終りを迎えた神社に参拝しました。
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宝登山神社は名前の通り、宝登山を神名備とする古社。大山祇神を祭神とし、秩父神社、三峯神社と並び称される秩父を代表する神社です。
またヤマトタケルノミコトの東征にも縁があり、神使が炎を鎮めたとかで火伏せの神威も持ち合わせているとかなんとか。
社殿も立派に彩られ、風格を強く感じる神社でありました。
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そして、この手の山を祀った神社のお約束、山頂の奥宮も当然あります。
神社のすぐ裏手に位置する宝登山は、程よい標高と眺望から南関東では比較的すぐに名の挙がるハイキングスポットでもあります。
ここまで来たら、登らない手はないでしょう。
登山道は半ば車道と化した非舗装道を2kmちょっとの距離。麓の地図によれば標準的な時間では、片道1時間ほどです。
若干の雪や路面凍結は見られましたが、危険を感じるほどではないので、サクサクと登ってしまいましょう。
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道中にはさほど見るべきものありませんでしたが……雑談しながら、自然の中を歩いていれば相応に楽しいですよね。
頂上には奥宮と社務所を兼ねた売店、茶店があります。
この茶店の前では焚き火が焚かれ、辿り着いた人たちに暖を提供してくれます。
併せて、甘酒やコーヒー、熱燗なんかも販売しているので、つい手が出てしまうのは仕方のないことでしょう。

寒い山頂で焚き火に当たりながら飲んだ熱燗、最高に美味しい一杯でありました。
また、一緒に食べたの“焼きみかん”なるあまり馴染みのない代物です。焚き火の横の七輪で、こんがりと皮を黒く焼かれていたのが、つい気になってしまいました。
茶店のおばちゃん曰く、皮まで食べれるということで、言われるままに丸ごと食べてしまいましたが、思った以上に甘くて美味しく驚きました。
焼くだけの簡単レシピなので、今度は家で試してみても良いかもしれません。

ちなみに本題の奥社は、山を祀った神社の例に漏れず小さな祠と行った風情。安心感がありますね。
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他方、鎮守の森かのような山頂の林を抜けて西側斜面。秩父盆地を見渡す展望台に出れば、正面に武甲山を見据える抜群の眺望が姿を表します。
新緑の春、空の濃い夏、紅葉の秋、きっといつ来ても綺麗なのでしょうが、空気が澄んだ冬も殺風景ながら悪くないものです。

また山頂近傍には蝋梅園も併設されています。名前こそ知っているものの、あまりイメージの湧かない花でしたが、何でも強い芳香を放つ黄色い小さな花だとか。
道中に幟まで立てて開花を宣伝していましたが、実際に登ってみると花開いてる木もあるものの、見頃はもう少し先といった様子。
無いよりマシ程度ではありましたが、それでも年明け一番の花見になりました。
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暫く山頂界隈を散策したら、帰路は凍結路面を恐れてロープウェイで。

下山後は麓の食堂で“おっきりこみうどん”なる上州から秩父にかけての名物料理を食べて一息。
その後、参道途中にあった重要文化財の旧家を見学です。
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秩父の豪農の家だそうですが、厩が一体化してるのが特徴なのだとか。
南部の曲家にも通じる寒い地域の特色なのでしょうか。間仕切りが少なく、寒い割に風通しが良さそうなのが印象的な建物でした。

文化財の見学後は長瀞駅に戻り、秩父鉄道を引き返して西武秩父駅の最寄りお花畑駅まで。
ここで下車して、秩父三社の3つ目、秩父神社を目指します。本当は一駅手前、秩父駅の方が近かったのですが……降りてから気付いたので処置なしですね。
駅から神社までは参道のような真っ直ぐな道が続き、周囲には風格ある建物が続きます。
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古い街なので、町並みに趣があるのは期待通りなのですが……何よりここで驚きなのは、圧倒的な重要文化財指定の建物の多さ。
ある辻など、4つ角のうち3つまで重文なのですから驚かされます。
明治大正から昭和初期のレトロで剛健な都市建築が残り、明治以前の古い町並みともまた一味違った時代の重みを感じさせます。
今回は時間の都合もあったので、神社メインに通り過ぎただけですが、いずれは建築のわかる人と行ってみたくも思います。

そんなこんなで15分ほど街を巡って着いたのが、知恵の神様、八意思兼命を祀る秩父国造の祖神、秩父神社です。
秩父一帯は律令制でこそ武蔵国ですが、古く独立した地域として発展していた土地。その土着の豪族が祭祀し、今も崇敬を集めるのがこの古社です。
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今も街の中心部に鎮座し、12月の夜祭はそれはそれは盛大で華やかなものなのだと言います。
祭りの季節が過ぎ初詣も一段落した今週末でも、流石に終始参拝客がおり、観光地の強さと崇敬の厚さを感じさせました。

秩父神社での参拝も済ませたら、ここから30分ほど南の方、秩父盆地の玄関口の町、横瀬まで歩いて移動。
お出かけの最後は、この横瀬の日帰り温泉、武甲温泉で締めといたしました。
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武甲温泉、初めてきたところでしたが、広々とした露天風呂と庶民的な休憩スペースが居心地の良い穴場。
ビールも飲めますし、駅からも近いと至れり尽くせりです。
入湯料も手頃で、実にいいところを見つけたとご満悦ながらも、帰路の都合もあったので19時過ぎには撤収となったのが惜しいところでありました。


斯様な次第で、存外楽しかった寒波の外出から一転して、じわりじわりと現実に引き戻されて、今に至ります。
来週は何をしましょうか。

歳末の高原野営の話

あけましておめでとうございます。
本年もできるだけ飛び回るような生き方を目指していきたく存じますので、どうかよろしくお願い申し上げます。


さて、話は遡り年末以来の趣味的な意味での繁忙進行の話。
久しぶりに羽根を伸ばした気分で動き回っていたら、あっという間に年明けですから声が出ませんよね。

一週間ほど時を遡って、クリスマスが3連休になっていた昨年12月23日頃の行動から。

この日は朝から実家の車を拝借して、大学時代の友人、元寮生を拾い上げて一路静岡に向かっていました。
富士のインターチェンジで下道に入ったら、ぐいっと富士山麓の西側へ。
朝霧ジャンボリーオートキャンプ場にてテントを展開し、なんとこの度はついに……念願の冬キャンプを達成です!

憧れの閑散とした広大なキャンプ場――と言うには、安全を見込んで電源付きサイトを選んでしまったので、人も多く見晴らしも一歩譲るところですが、初挑戦としては上等でしょう。
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一応、ほんの少しだけ歩けば富士山も望めるので、問題ありません。
放射冷却が怖いほどの快晴ぶりにテンションを上げながら、焚き火を始めて鍋と熱燗で夜を過ごしました。
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夜も夜とて、目の前に広がるのは満天の星空。流石に肉眼では確認できなかったものの、写真で撮れば天の川さえ映り込む快晴ぶりには大いに感動してしまいました。
ただ、その代償に寒さもまた強烈な次第。21時を過ぎた頃には外遊びに耐えかねて部屋に引っ込んでしまう有様でした。

翌朝も方々に霜が降り、外に置いた荷物は文字通り凍りつく寒さ。
ピリッと刺すような朝の空気に、外へ出るのも一苦労でしたが、それでも日の出見たさにテントから這い出てカメラを構えます。
早起き勢の炊事の煙が立ち上る向こうに見えた富士山は、なかなかどうして鮮烈な姿を見せてくれたようでした。
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そんな訳で、今回は珍しく夜の雨に襲われなかったので、朝も炭火を起こしてベーコンなど焼いてみたり。

日が昇りきって周囲が温まるまでは、テントの中と外を行ったり来たりしながら過ごしつつ撤収の準備をして、チェックアウトギリギリの10時頃に最終的な撤収となりました。
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帰路は温泉など寄りつつ、富士山の南麓を巡って御殿場から東名に乗るルートで撤収といたしました。


そんな訳で24日のクリスマスは神奈川に戻ってから、フォロワーのみかん氏、朔氏とワイン会を過ごして終りを迎えました。

東総文化紀行

気付けば立冬、暦上の冬の到来と軌を一にするかのように寒波が押し寄せてきた11月2週目。
週明けから寒いし、上長面談では辛さを感じるしと……限りないモチベーションの低下を感じます。

一方で振り返ればこの週末は抜けるような秋晴れの空と、穏やかな気候に恵まれた理想のお出かけ日より。
急遽、出張案件から解放されてポッカリと予定の空いてしまった土日を活かして、ちょっとばかり近場で観光することにいたしました。


そんな土曜日は朝は少し余裕を持って10時頃から行動を開始。
起き抜けに見上げた空は雲一つない晩秋のそれ。太陽光も心なしか透き通り、影も境界がはっきりしているかのように感じられる天気でした。
この日は先週に拝借した実家の車がまだあったので、それを有効活用して巡ります。
まずは房総横断道路をよしなに東方へ向かい、最初に向かったのは茂原市の辺り。上総の二宮、橘樹神社です。
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祭神はヤマトタケルの妃、オトタチバナヒメ。浦賀水道で身を投げたオトタチバナヒメの櫛が流れ着いた地に、彼女を偲んで祀ったのが創始と伝えられます。
同様の由緒を持つ神社は房総の方々にあるのですが、この社に関する神話ではヤマトタケルは内房側ではなく、そのまま外房側を航海して九十九里の辺りで上陸したと伝えられています。
真実は神話の霧の向こうでしょうが……全くない話でもないのかもしれません。
秋晴れの季節は七五三の季節。境内も晴れ着姿の親子連れなど居て、陽光指す雰囲気と合わせ、晴れ晴れとした雰囲気でありました。

続いて九十九里の平坦な大地を少しだけ東に進み、2社目は茂原の隣町、白子町の白子神社です。
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こちらの祭神は今でこそオオクニヌシですが、由緒書を見ると元々は妙見様だった様子。
北斗星を神格化した仏教、ないしは道教に近い神様ですが……中世、千葉氏の勢力圏だった房総地域は妙見信仰の社も多いような気がします。
何はさておき綺麗で清々とした神社、規模の割によく管理されているのが印象的でした。

白子神社からは進路を南東に向けて、九十九里浜沿いの道をひたすらドライブ。
この一帯は驚くべき程に平坦で、車で走っていても起伏をほとんど感じないほど。地質学的には“最近”になってから海から砂が流れ着いてできた地形だけに、有力な河川も頑丈な丘もなく、本当にただ平坦で……空が広いのが印象的でした。
ほとんど運転しっぱなしで、道中の写真が撮れなかったのはご愛嬌でしょう。
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途中、五所神社や横芝駅近くの金刀比羅神社に参拝しながら、目指したのは一気にはるか東方。
九十九里の平坦地から、一転して古い岩塊の名残で起伏が多くなる銚子市一帯、その丘陵地の中央付近にあるのが猿田神社です。
この猿田神社、もうかなり昔、御朱印を集め始める前に一度来たことがあるのですが、当時は参道に据えられた線路を跨ぐレンガ造りの跨線橋が印象的だった記憶があります。
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久々に訪れた今回も当然ながら参道は健在、銚子では屈指の神社だけに七五三の参拝客も多く参道の前には出店が並んでいるのには驚かされました。
ところが、さらに驚いたことには社務所は少々早めの15時には受付を終了してしまう由。たどり着いたときにはなんとギリギリ15時15分過ぎ……。
タッチの差で御朱印を逃してしまい、この日は参拝だけ済まして撤退となってしまいました。

その後は来た道を引き返すように総武本線に沿って進路を再び西向きへ。
猿田神社を目指す途中、県道の交差点で「雷神社」の看板を見かけたのですが、往路では反応が間に合わず過ぎ去ってしまったので、再確認に向かった次第です。
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無事に交差点で看板を再確認し、今度はちゃんと曲がって畑の中の小道を進めば、目指す神社はありました。
全く知らなかったのですが、あとで調べたところでは、この一帯では比較的規模も大きく由緒も古い部類に入る神社なのだとか。
地図を見たところ、現地では気付きませんでしたが、まさにその社は丘陵地の西端、九十九里の平野――かつては椿湖という湖だか潟湖だかを、見下ろす然るべき位置に建っています。
知らなかったのであまり期待してなかったのですが、行ってみれば宮司さんもちゃんと居られ、丁寧な対応で御朱印も頂くことができてよかった次第。
何事も先入観を持たず、気になったら行くべきだとよくわかる経験でした。

さらにここで下総の二宮、玉崎神社も近くに有ることが判明して、折角ですから時間的に最後ですが寄ってみることに。
こちらは丘陵地帯を下って九十九里の平野側の縁、刑部岬のすぐ下にある飯岡の漁港の一角に鎮座しています。
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かつての二宮と言えど、今の雰囲気は漁師町の少し大きな神社程度。それでも漁港ならではの細い路地のなかにある雰囲気は、夕暮れとも相まって静かで懐かしい雰囲気を湛えておりました。


さて、ここまで丸一日かけて九十九里沿いの主だった神社を巡ったのですが、ここに来て夕暮れの境内で思うのは手放しで気持ちのよい好天と言い知れぬ旅の感傷。
すっかりテンションが上ってしまい、サッとネットで宿を調べて確保し、この飯岡の町に泊まることに急遽決めてしまいました。
土壇場で宿を決めるなんて久しぶりですね……やっぱり楽しいです。

そうと決まれば帰ることを考慮しなくていいのですから、実質的に時間は無制限。
とりあえず漁港のすぐ東側、屏風ヶ浦の西端でもある刑部岬に昇って夕陽を拝みに行きましょう。
この日は天気が良いこともあって岬の展望台はギャラリーが多数来ています。
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こんな僻地までよくもまぁ……と思いましたが、望んで納得の絶景がそこには待っていました。
見渡す限りの海と、九十九里浜の弓なりの海岸線、地平線に沈む太陽と七色の空。これを絶景と言わずして何というのでしょう。
南を見やれば、三日月と宵の明星も輝いています。
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そして日没後、段々とギャラリーも減り始める中で、星も観たいなと少し粘っていたところ姿を見せたのは地平線にぼんやりと影を現す富士山です。
近くにいたベテランの撮影家曰く、ここは夕陽が沈んでからが本番だとのこと。本当はもう少し雲が多いくらいの方が、太陽光が散乱しより綺麗に富士山が見えるのだとも。
日没から夜の帳が降りきるまでの黄昏時の一瞬だけ、地平線の先に姿を現す見慣れた山陰は言葉を失う神々しさがありました。

この後は一旦、飯岡に戻って夕食を摂り、宿のチェックインも済ませてから夜景を拝みに再度刑部岬に。
満天の星空と九十九里の夜景、これもまた佳景です。
入れ代わり立ち代わり訪れる、夜景を見に来たカップルの圧迫がなければ、もう少し落ち着けたのですが……それは言っても詮無きことですね。
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代わりに宿に戻ってから温泉で体を温めて、岬を望む漁港のの突堤へ。
夜釣りに興じる人々に紛れて、お酒を舐めながら星空と岬を撮って、このいまだかつてないほどの絶景ラッシュを堪能した一日の締めとしました。


翌朝も爆睡して起きたら9時頃、最近は旅先でも早起きが出来なくなってしまったのに、気の緩みを感じます。
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朝一はとりあえず、すっかりお気に入りと化した刑部岬に登って、日中の風景を確認。昼でも十分に良い景色です。

景色を堪能したら、前日の夜に地図で見つけた旭市街の鎌数伊勢大神宮へ。
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かつて椿湖と呼ばれたこの一帯。農地の拡大のため、江戸時代に干拓した人々が居たそうですが、その頃に勧進した天照大神を祀るのがこの神社だそうです。
正直、あまり地味が豊かとは思えない土地ですが……それでも歴史はあるものですね。

鎌数伊勢大神宮を後にしたら、再び車は銚子方面へ。前日は時間切れとなってしまった猿田神社を再度訪れて、今度こそ御朱印をいただき、そのまま“ここまで来ていかない手はない”と犬吠埼まで。
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実際には突端まで行かず、北側の君ヶ浜から波と強風に翻弄されつつ灯台を眺めて、満足します。
灯台は近くで見るのもいいですが、少し離れてその荒波に抗いながら屹立するさまを眺めるのもいいですよね。

そしてその流れのまま、細い外川の路地を車ですり抜けって銚子電鉄の終点、外川駅にも寄り道。
もう5年前になるでしょうか……前回来たときは確か朝一の電車に乗って降りた気がします。
外川の界隈は坂沿いに細い路地が碁盤の目のように張られた、独特な景観の街並みです。
初めて訪れたとき、年中吹き付ける強い風に耐えながら、逞しく生きる漁師町の風情が印象に残り……いつかまた来ようと思ってはいたのですが、実現までに随分な時間が経ってしまいました。
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そんな久々の外川駅は相変わらず風情はあるものの、日曜の日中なせいか目を疑うほどの人手が。
こうも賑やかな印象があると、ちょっと寂しいような、でも鉄道のためには喜ばしいような複雑な気分になりますね。

外川の一帯まで来たら、半ば思い出巡りに近く近辺を車でフラフラ。
前回はお祭りに遭遇した渡海神社も、今回はすっかり静かな無人の神社です。
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裏の宮司宅で御朱印をもらえる……らしいのですが、宮司宅の場所がわからず、気付かなかったことにしたのはご愛嬌でしょう。

地球の丸く見える丘展望館で昼食を摂ったら、外川の東側の長崎地区もぐるりと巡ってこの界隈を後にします。
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この長崎地区、突端の長崎鼻も然ることながら、集落自体が何度見ても呆れるほど厳しい吹きさらしの環境にあります。
特段の漁港があるでもなし、なぜ年中塩水噴霧試験をしているような箇所に相応の数の家があるのか、正直不思議なところはありますが、なぜだかとても魅力的にも感じます。
次こそはこの辺りに宿を取って、もう少しのんびりと周囲を巡ってみたいものです。

外川からは銚子の中心街を抜けて、呆れるほど大きな河口域の利根川を渡る銚子大橋を超えて、茨城県の神栖市波崎地区へ。
大橋の橋の袂、恐らくは近くに渡し場でもあったのかと思われる場所に鎮座する手子后神社に参拝。ちなみに“てごさき”と読むそうです。
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祭神は手子比売命。あまり聞き慣れない女神ですが、常陸国風土記に記載される「童子女松原」の逸話の娘のことだとも言われているそうです。
ちなみにこの逸話、端的にいうと「夜な夜な逢引していた美男美女が、気付かず夜明けまで逢瀬を続けてしまい、明るみに出るのを恥じて松になった」という、今ひとつ個人的な感覚的ではよくわからない話です。
なぜそこで松なのか……。
それはそれとしても、風土記にも名を残すほどの由緒ある古き土地ではあるのでしょう。件の松原の名を冠した公園が、この社の少しきたの方にありました。

そして、ここから国道沿いに鹿島方面へ一気に北西へ進んで最後に参ったのは東国三社の一つ、息栖神社です。
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古く東国で最も重要視されていたという香取・鹿島の両神宮と並び称され、歴史的にも長く鹿島神宮との関係が続いた国史見在社です。
古名をおきつ神社とも言い、かつては香取海とも呼ばれた霞ヶ浦の沖洲だった土地に鎮座していたとも考察される――とWikipediaには書いてあります。
祭神も交通を司る岐神であり、海上交通の要衝を抑えていたのでしょう。
実際、地図で見ても霞ヶ浦の首元を挟んで丘陵地に鎮座し向かい合う両神宮に対して、少し下流側の低地に位置するこの神社。中洲でも何でも、きっと河口に睨みを利かす立地だったのは容易に想像できます。
厳密には、本来はもう少し東南の方に鎮座していたそうですが……中洲なんていっぱいありそうですしね。

また江戸から昭和にかけてはこの神社の目の前は船着き場でもあり、渡し船が通っていたそうです。
利根川水運の要衝、水郷地域でもあっただけに比較的近い時代まで舟が日常交通の足として機能していたのは少しロマンを感じました。


そんなこんなで好き放題に巡った二日間。息栖神社からは高速道路を使って一気に神奈川に車を返しに向かいます。
1日半かけた道程以上の距離を、一息に駆け抜けられる高速道路って本当に文明を感じますね。

斯様な次第で、日曜の夜は実家で夕飯を食べてから電車で内房に帰り……テンション下がり目な冒頭の月曜日に至りました。

文化の日の文化的房総

諸事諸用と大人の事情が複雑に絡み合って、出勤の予定だった11月3日が前日になって唐突に放免となった2016年。
まさに文化の日の朝方に、内房で解放されたと言えど、毎年恒例の入間の航空ショーを観に行くには少しばかり遅い有様……。

仕方ないので、素直に開き直り房総界隈をドライブすることにしました。
七五三の季節も近いので、御朱印集めも捗ることと期待します。


下道限定で房総の丘陵を縫って、初めに向かったのは小湊鉄道沿線にあるダム湖、高滝湖の湖畔にある高瀧神社です。
高瀧神社は由緒書きに曰く、平安時代の歴史書「日本三代実録」にも記載がある古い社なのだとか。
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湖畔の丘に鎮座する開放感のある神社ですが、高滝湖自体は近代にできたもの。ダム湖以前はいかなる地形だったことか……。
なだらかな斜面の続く丘陵地帯にあって、一際小高い丘の上に鎮座して周囲を睥睨していた――と言ったところでしょうか。
古地図を見ても、現在湖となった一帯が元から湿地だったことくらいしか、わかりません。
もう少し地理の勉強をしないとですね。

続いて向かったのは内陸を一気に南下して外房の海べりまで。鴨川市の天津地区にある天津神明宮に参拝です。
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神明宮の名の通りお伊勢様を勧進した社ですが、歴史ははるか平安時代まで遡ることができるのだとか。
さらには由緒によると(外房一帯の古い神社の由緒の定形として)創始を“神代に出雲から新天地を求めた事代主が上陸し鎮座した土地”としています。
四国や紀伊半島から遙か黒潮に乗って来訪した開拓者たちの遠い記憶があるのでしょう。
外房の抜けるような青空とあいまって、こちらも非常に開放的な空気を感じる神社でありました。
また余談ながら、裏手の山にも奥宮に当たる小さな社があったりします。
非常に滑りやすい石段を登った先の小さな社殿。風情はあるのですが……木々が生い茂り、眺望が限られていたのが唯一の難点だったかもしれません。

天津神明宮からは外房を海沿いに北進して数十分、勝浦の漁港で車を停めて、3社目の参拝に遠見岬神社です。
こちらも例によって開拓のため海をわたってきたという忌部氏の祖神を祀る古い社。この一帯を指す勝浦の地名自体が「勝占」という占いに関する言葉に由来すると程、往古から人々が移住していた土地だそうです。
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鎮座地自体は本来の社殿を津波により喪失した後、少し内陸側の丘に移転したものだそうですが……。
勝浦の漁港を守るように聳える丘の斜面に、貼り付くように参道を拵えた様は、なるほど神の鎮座地として相応しいエキセントリックさがありました。
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エキセントリックと言えば、その斜面の参道はこの時絶賛工事中で、外側半分が工事柵などで覆われ、下側に法面工事用の足場が張り巡らしてありました。
そして、それだけなら珍しくもないのですが……社務所で応対していただいた神職さんも、格好良くツナギでキメていたのは特筆に値するかと思います。
失礼ながら、最初は工事関係者かと勘違いしたほどの馴染みぶり。妙に親切に対応していただき、御朱印欲しいかと聞かれたので欲しいと答えたところ、そのまま朱印帳を持って社務所に入っていったのは、一瞬呆気にとられてしまう経験でありました。
閑話休題。
勝浦の市街地は古くからの漁港らしく路地の細い趣ある町並み。つまり車では長居がしづらい場所でもあります。

そんな訳で次の目的地は一転して、来た道を少しばかり戻り勝浦の隣の漁港、鵜原地区にある勝浦海中公園に行ってみました。
ここ、海中公園の一帯には千葉県立中央博物館の分館海の博物館など、海に関した文化的な施設が幾つか集中しています。
以前から気にはなっていたのですが、なかなか足が向かず先延ばしになっていたのですが、折角の好天に近くまで来たのですから、行かない手はまさにないでしょう。
まずは件の分館や、海中公園の海の資料館を見学して、外房の海を予習します。
そして満を持してから「海中公園」の名の如く、海中見学ができる展望塔へ行きました。
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この岩礁から海に伸びた歩道橋と屹立する展望塔だけでテンションが上ってしまいます。
既に十分な絶景、千円近くする入場料のこともさくっと忘れてしまいます。
そして中に入れば更なる独特な空間です。海面下8m程度の海中に小窓が並び、房総の海底の様子を丸腰で間近に観察できます。
天然の水族館と言った風情。魚を寄せるために餌を入れた籠が設置してあったりと、完全に自然のままとは言いませんが、その本物の海流に揺蕩う魚の有様は水槽では拝めない光景でありました。
彼ら、意外と明後日な体勢で泳いでるんですね……お行儀よく重力方向を守って泳いでない無いのは衝撃的でした。
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こういう光景を見ると、いずれはダイビングなども体験してみたいと思いました。

しかして、海中公園を満喫したら、来た道を更に南下して、時間的に最後の目的地へ。
行川アイランド駅前の空き地に車を置き、モーテル脇の入って良いのか不安になるような小道から切通を抜けると、既に傾きかけた陽に照らされた石碑に行き当たります。
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鴨川と勝浦の市境近く、かつて苛政を敷いた豪族の1人娘がこの辺りから投げ落とされたという伝承の残る“おせんころがし”です。
行き当たったのはその娘お仙を供養したもの。もっとも、本来の“おせんころがし”と呼ばれる地帯は、この石碑がある地点から鴨川方面へとかつて続いていた急斜面一帯のことだとか。
海に沈み込むような急角度の崖が数kmに渡って続き、その崖面に貼り付けたような車一台分程度の細い道が明治以後の一時期、国道として開通し交通の難所として名を馳せていたのだそうです。
昭和期にはトンネルを抜ける新道が開削され、旧道はすっかり忘れ去られてバリケードの向こう側。ただ件の伝承と昭和に起きた殺人事件に尾鰭がついてオカルトスポットと化しているとか何とか。
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この日もすっかり逆行で道程自体は目視では確認できませんでした。
しかしながら、冬であればぎりぎり海面に日が沈むであろう景勝地。お化けも魑魅魍魎が跋扈しても何するものぞと思える素晴らしい眺望を拝むことができました。
特に雲一つない快晴の黄昏時は最高の一言、根室で見て以来と思えるほど手放しで透き通った夕焼けを、今度は落ち着いてシャッターに収めることができました。



そんなこんなで、すっかり冷え込んできたので帰りがけに勝浦式タンタンメンを食べて、この日は内房へ帰還することに。
ときに散々なことを言う房総半島ですが……南から外にかけての光景は絶景揃いで本当に良いものです。
また折を見て、探索に出かけたい次第です。

南総野営徒然

秋も深まり、木々によっては徐々に色づき始めた10月末の週末。
絵に描いたような秋空が気持ち良い……と、旅情が募る平日から一転して、どうにもどんより曇り空となってしまった土日ですが、それでも寒い時期には寒い時期の遊びがしたいなと思う次第。
昨冬から買い集め始めた“ゆるキャン”なるマンガに誘われて、防寒を整えてまたキャンプに行きました。


出発は内房から友人の合流を待って、実家から拝借した車を転がし南の方へ。
向かったのは南房総市の富浦町、大房岬の自然公園です。

大房岬は館山のすぐ北に位置する起伏の大きな岬、南側の洲崎から大きく弧を描いて館山湾を形作る東京湾の要衝です。
かつては陸軍の東京湾要塞の一部に組み込まれ、地図からも存在が消されたとか。今も往時の要塞遺構が残っているのですが、その海上に切り立った岩場と洞窟の織りなす風情は、遺構を抜きにしても「天然の要塞」という言葉を想起させるものがあります。
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そんな岬の一帯も、今は風光明媚で自然豊かな公園に。“自然の家”やキャンプ場もあり、家族連れが自然と触れ合うにはもってこいの場所になっています。
また遺構の一部、探照灯の格納庫などは今でも見学することができるので、歴史好きとしても興味深い代物でしょう。
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一転して、海辺によれば館山湾を一望することもできます。洲の崎も目と鼻の先に見え、天気の良い夜など星空もさぞ綺麗なことでしょう。
この日はまた、海保の大型巡視船「あきつしま」が館山に寄港していたようで、その勇姿を遠望ながら拝めることもできました。
そんな訳で、僻遠ながらも比較的整備された公園地で、寒い時期のキャンプを練習です。
到着早々の公園探索を終えたら、キャンプ地に戻り粛々と食料の生産に励みます。
具体的にはカマドに火を起こして、鍋で野菜を煮込んでシチューづくり。
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出来上がった頃にはすっかり周囲に夜の帳が下りていましたが、涼しい秋の夜に美味しそうな夕飯ができました。
残り火は焚き火台に移して、もう一回盛大に炊き上げ、熱燗や焼き物の熱源に。
もうこの時期なら空いているだろうと思っていましたが、意外と人出のあったキャンプ場の片隅。家族連れの賑やかな声を背に、野郎2人でのんびりと火遊びしながら酒を飲む夜を過ごしました。


明け方の雨にだいぶやられながらも、起きた頃には幸いに天候が回復した翌日曜日。
強風に難儀しながらも朝食を拵えて、キャンプ場をチェックアウトしたら、せっかくここまで来たのだからと南房総観光です。
前日の買い出し時に目について気になっていた“崖の観音”なるお寺に行ってみることにしました。
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崖の観音は文字通り崖にある観音。投入堂を近代化したようなお堂には崖に掘り込まれた観音様が安置されています。
一帯、いつ誰がこのようなものを作り上げたのか、由緒書を見てもWikipediaを見ても今ひとつ判然としないのですが、唯一わかるのは江戸時代にはこのお寺があったらしいということ。
相応に由緒あるお寺なのでしょう。
崖の観音堂からは那古船形の港町が一望できます。
IMGP3254.jpg IMGP3257_201610312122592f2.jpg
隣接する諏訪神社も崖を彫り込んだような形跡があり、きっと江戸時代には神仏混淆してたのかなと想像させられます。
綺麗に掘り込まれた様は鋸山一帯の石切場も思い出す風情ですが……わからないものは知りません。


そんなこんなで、この後は軽く洲崎の辺りまでドライブしてから、日帰り湯で一息入れて帰路へ。
出張等々の都合で夜まで居れなかったのが恨めしい限りですが、こればかりはどうしようもない事態です。
晴天にこそ恵まれませんでしたが、総じて涼しい季節のキャンプも存分に満喫した次第。次こそは天気の良いときに! と心に決めて、週末は終りを迎えて……今は一転、出張先で外泊中です。
家で寝てない今日このごろ。

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