静岡の服喪のこと
長期の出張から帰宅し、資格試験をこなしているうちに日記が10年目を迎えて――と、非日常が日常と化していた2017年上期。
ようやく一息つくかと思ったのも束の間、今度は2日土曜の未明に祖母が息を引き取ってしまいました。
時間の問題だろうという話自体は、先週の半ばには告げられていたのですが、よもやの急転直下です。
もう少しは持つだろうと見込んでいた今週末。それでも、生きてるうちにひと目見ておこうと親族が集まっていたのは不幸中の幸いといったところでしょうか。
親族が集まったのですから、土曜の夜は当然のように飲み会でした。
普段よりは控えめながらも相応に飲んで寝入ったこの夜半に、異変に気付いた叔母が家中を起こして、そこからはあれよあれよと事態が進んでいきました。
大慌てで関係各所に連絡し、夜明けを待って諸々の手続きや打ち合わせが動き出します。
祖母宅で通夜を行うことになり、日曜の昼過ぎからは家の片付けが始まりました。祭壇を儲けるため、がらんどうになっていく祖母宅の居間。合間合間には事態を知った血縁者やご近所さんも弔問に訪れるので、対応が必要です。
ドタバタと慌ただしく過ごす間に日曜は終わってしまいました。
月曜には急を知った残りの親戚も集まり始めて、葬儀屋による設営も行われます。
夕方には準備は一段落つき、抜け目なく飲み会をする辺りには「血は争えない」という言葉も思い出されますが……。
火曜から水曜は通夜と葬儀の本番。水曜の昼頃に棺は祖母宅を出て、葬式はお寺で執り行われました。
静岡式の葬送儀礼に、時々驚かされる機会もありましたが、それでも式は恙無く進んでいきます。
齢94での老衰だけあり、悲壮というよりは大往生を見送る雰囲気がありましたが、それでもお骨になってしまったときには、だいぶしんみりくるものがあります。
幸いにも天気には恵まれ、穏やかな春の陽気のもとで葬送儀礼も済んだら、祖母宅に戻って軽く後片付け。
本格的な片付けは木曜以降になるのでしょうが、仕事の都合もあって私はこの日の夜に静岡を発って内房に戻りました。
今日からは平常運転の体制ですが、気分はまだまだ浮足立ったもの。
今週いっぱいは落ち着かない日々が続きそうです。
ようやく一息つくかと思ったのも束の間、今度は2日土曜の未明に祖母が息を引き取ってしまいました。
時間の問題だろうという話自体は、先週の半ばには告げられていたのですが、よもやの急転直下です。
もう少しは持つだろうと見込んでいた今週末。それでも、生きてるうちにひと目見ておこうと親族が集まっていたのは不幸中の幸いといったところでしょうか。
親族が集まったのですから、土曜の夜は当然のように飲み会でした。
普段よりは控えめながらも相応に飲んで寝入ったこの夜半に、異変に気付いた叔母が家中を起こして、そこからはあれよあれよと事態が進んでいきました。
大慌てで関係各所に連絡し、夜明けを待って諸々の手続きや打ち合わせが動き出します。
祖母宅で通夜を行うことになり、日曜の昼過ぎからは家の片付けが始まりました。祭壇を儲けるため、がらんどうになっていく祖母宅の居間。合間合間には事態を知った血縁者やご近所さんも弔問に訪れるので、対応が必要です。
ドタバタと慌ただしく過ごす間に日曜は終わってしまいました。
月曜には急を知った残りの親戚も集まり始めて、葬儀屋による設営も行われます。
夕方には準備は一段落つき、抜け目なく飲み会をする辺りには「血は争えない」という言葉も思い出されますが……。
火曜から水曜は通夜と葬儀の本番。水曜の昼頃に棺は祖母宅を出て、葬式はお寺で執り行われました。
静岡式の葬送儀礼に、時々驚かされる機会もありましたが、それでも式は恙無く進んでいきます。
齢94での老衰だけあり、悲壮というよりは大往生を見送る雰囲気がありましたが、それでもお骨になってしまったときには、だいぶしんみりくるものがあります。
幸いにも天気には恵まれ、穏やかな春の陽気のもとで葬送儀礼も済んだら、祖母宅に戻って軽く後片付け。
本格的な片付けは木曜以降になるのでしょうが、仕事の都合もあって私はこの日の夜に静岡を発って内房に戻りました。
今日からは平常運転の体制ですが、気分はまだまだ浮足立ったもの。
今週いっぱいは落ち着かない日々が続きそうです。