月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


東総文化紀行

気付けば立冬、暦上の冬の到来と軌を一にするかのように寒波が押し寄せてきた11月2週目。
週明けから寒いし、上長面談では辛さを感じるしと……限りないモチベーションの低下を感じます。

一方で振り返ればこの週末は抜けるような秋晴れの空と、穏やかな気候に恵まれた理想のお出かけ日より。
急遽、出張案件から解放されてポッカリと予定の空いてしまった土日を活かして、ちょっとばかり近場で観光することにいたしました。


そんな土曜日は朝は少し余裕を持って10時頃から行動を開始。
起き抜けに見上げた空は雲一つない晩秋のそれ。太陽光も心なしか透き通り、影も境界がはっきりしているかのように感じられる天気でした。
この日は先週に拝借した実家の車がまだあったので、それを有効活用して巡ります。
まずは房総横断道路をよしなに東方へ向かい、最初に向かったのは茂原市の辺り。上総の二宮、橘樹神社です。
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祭神はヤマトタケルの妃、オトタチバナヒメ。浦賀水道で身を投げたオトタチバナヒメの櫛が流れ着いた地に、彼女を偲んで祀ったのが創始と伝えられます。
同様の由緒を持つ神社は房総の方々にあるのですが、この社に関する神話ではヤマトタケルは内房側ではなく、そのまま外房側を航海して九十九里の辺りで上陸したと伝えられています。
真実は神話の霧の向こうでしょうが……全くない話でもないのかもしれません。
秋晴れの季節は七五三の季節。境内も晴れ着姿の親子連れなど居て、陽光指す雰囲気と合わせ、晴れ晴れとした雰囲気でありました。

続いて九十九里の平坦な大地を少しだけ東に進み、2社目は茂原の隣町、白子町の白子神社です。
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こちらの祭神は今でこそオオクニヌシですが、由緒書を見ると元々は妙見様だった様子。
北斗星を神格化した仏教、ないしは道教に近い神様ですが……中世、千葉氏の勢力圏だった房総地域は妙見信仰の社も多いような気がします。
何はさておき綺麗で清々とした神社、規模の割によく管理されているのが印象的でした。

白子神社からは進路を南東に向けて、九十九里浜沿いの道をひたすらドライブ。
この一帯は驚くべき程に平坦で、車で走っていても起伏をほとんど感じないほど。地質学的には“最近”になってから海から砂が流れ着いてできた地形だけに、有力な河川も頑丈な丘もなく、本当にただ平坦で……空が広いのが印象的でした。
ほとんど運転しっぱなしで、道中の写真が撮れなかったのはご愛嬌でしょう。
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途中、五所神社や横芝駅近くの金刀比羅神社に参拝しながら、目指したのは一気にはるか東方。
九十九里の平坦地から、一転して古い岩塊の名残で起伏が多くなる銚子市一帯、その丘陵地の中央付近にあるのが猿田神社です。
この猿田神社、もうかなり昔、御朱印を集め始める前に一度来たことがあるのですが、当時は参道に据えられた線路を跨ぐレンガ造りの跨線橋が印象的だった記憶があります。
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久々に訪れた今回も当然ながら参道は健在、銚子では屈指の神社だけに七五三の参拝客も多く参道の前には出店が並んでいるのには驚かされました。
ところが、さらに驚いたことには社務所は少々早めの15時には受付を終了してしまう由。たどり着いたときにはなんとギリギリ15時15分過ぎ……。
タッチの差で御朱印を逃してしまい、この日は参拝だけ済まして撤退となってしまいました。

その後は来た道を引き返すように総武本線に沿って進路を再び西向きへ。
猿田神社を目指す途中、県道の交差点で「雷神社」の看板を見かけたのですが、往路では反応が間に合わず過ぎ去ってしまったので、再確認に向かった次第です。
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無事に交差点で看板を再確認し、今度はちゃんと曲がって畑の中の小道を進めば、目指す神社はありました。
全く知らなかったのですが、あとで調べたところでは、この一帯では比較的規模も大きく由緒も古い部類に入る神社なのだとか。
地図を見たところ、現地では気付きませんでしたが、まさにその社は丘陵地の西端、九十九里の平野――かつては椿湖という湖だか潟湖だかを、見下ろす然るべき位置に建っています。
知らなかったのであまり期待してなかったのですが、行ってみれば宮司さんもちゃんと居られ、丁寧な対応で御朱印も頂くことができてよかった次第。
何事も先入観を持たず、気になったら行くべきだとよくわかる経験でした。

さらにここで下総の二宮、玉崎神社も近くに有ることが判明して、折角ですから時間的に最後ですが寄ってみることに。
こちらは丘陵地帯を下って九十九里の平野側の縁、刑部岬のすぐ下にある飯岡の漁港の一角に鎮座しています。
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かつての二宮と言えど、今の雰囲気は漁師町の少し大きな神社程度。それでも漁港ならではの細い路地のなかにある雰囲気は、夕暮れとも相まって静かで懐かしい雰囲気を湛えておりました。


さて、ここまで丸一日かけて九十九里沿いの主だった神社を巡ったのですが、ここに来て夕暮れの境内で思うのは手放しで気持ちのよい好天と言い知れぬ旅の感傷。
すっかりテンションが上ってしまい、サッとネットで宿を調べて確保し、この飯岡の町に泊まることに急遽決めてしまいました。
土壇場で宿を決めるなんて久しぶりですね……やっぱり楽しいです。

そうと決まれば帰ることを考慮しなくていいのですから、実質的に時間は無制限。
とりあえず漁港のすぐ東側、屏風ヶ浦の西端でもある刑部岬に昇って夕陽を拝みに行きましょう。
この日は天気が良いこともあって岬の展望台はギャラリーが多数来ています。
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こんな僻地までよくもまぁ……と思いましたが、望んで納得の絶景がそこには待っていました。
見渡す限りの海と、九十九里浜の弓なりの海岸線、地平線に沈む太陽と七色の空。これを絶景と言わずして何というのでしょう。
南を見やれば、三日月と宵の明星も輝いています。
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そして日没後、段々とギャラリーも減り始める中で、星も観たいなと少し粘っていたところ姿を見せたのは地平線にぼんやりと影を現す富士山です。
近くにいたベテランの撮影家曰く、ここは夕陽が沈んでからが本番だとのこと。本当はもう少し雲が多いくらいの方が、太陽光が散乱しより綺麗に富士山が見えるのだとも。
日没から夜の帳が降りきるまでの黄昏時の一瞬だけ、地平線の先に姿を現す見慣れた山陰は言葉を失う神々しさがありました。

この後は一旦、飯岡に戻って夕食を摂り、宿のチェックインも済ませてから夜景を拝みに再度刑部岬に。
満天の星空と九十九里の夜景、これもまた佳景です。
入れ代わり立ち代わり訪れる、夜景を見に来たカップルの圧迫がなければ、もう少し落ち着けたのですが……それは言っても詮無きことですね。
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代わりに宿に戻ってから温泉で体を温めて、岬を望む漁港のの突堤へ。
夜釣りに興じる人々に紛れて、お酒を舐めながら星空と岬を撮って、このいまだかつてないほどの絶景ラッシュを堪能した一日の締めとしました。


翌朝も爆睡して起きたら9時頃、最近は旅先でも早起きが出来なくなってしまったのに、気の緩みを感じます。
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朝一はとりあえず、すっかりお気に入りと化した刑部岬に登って、日中の風景を確認。昼でも十分に良い景色です。

景色を堪能したら、前日の夜に地図で見つけた旭市街の鎌数伊勢大神宮へ。
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かつて椿湖と呼ばれたこの一帯。農地の拡大のため、江戸時代に干拓した人々が居たそうですが、その頃に勧進した天照大神を祀るのがこの神社だそうです。
正直、あまり地味が豊かとは思えない土地ですが……それでも歴史はあるものですね。

鎌数伊勢大神宮を後にしたら、再び車は銚子方面へ。前日は時間切れとなってしまった猿田神社を再度訪れて、今度こそ御朱印をいただき、そのまま“ここまで来ていかない手はない”と犬吠埼まで。
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実際には突端まで行かず、北側の君ヶ浜から波と強風に翻弄されつつ灯台を眺めて、満足します。
灯台は近くで見るのもいいですが、少し離れてその荒波に抗いながら屹立するさまを眺めるのもいいですよね。

そしてその流れのまま、細い外川の路地を車ですり抜けって銚子電鉄の終点、外川駅にも寄り道。
もう5年前になるでしょうか……前回来たときは確か朝一の電車に乗って降りた気がします。
外川の界隈は坂沿いに細い路地が碁盤の目のように張られた、独特な景観の街並みです。
初めて訪れたとき、年中吹き付ける強い風に耐えながら、逞しく生きる漁師町の風情が印象に残り……いつかまた来ようと思ってはいたのですが、実現までに随分な時間が経ってしまいました。
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そんな久々の外川駅は相変わらず風情はあるものの、日曜の日中なせいか目を疑うほどの人手が。
こうも賑やかな印象があると、ちょっと寂しいような、でも鉄道のためには喜ばしいような複雑な気分になりますね。

外川の一帯まで来たら、半ば思い出巡りに近く近辺を車でフラフラ。
前回はお祭りに遭遇した渡海神社も、今回はすっかり静かな無人の神社です。
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裏の宮司宅で御朱印をもらえる……らしいのですが、宮司宅の場所がわからず、気付かなかったことにしたのはご愛嬌でしょう。

地球の丸く見える丘展望館で昼食を摂ったら、外川の東側の長崎地区もぐるりと巡ってこの界隈を後にします。
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この長崎地区、突端の長崎鼻も然ることながら、集落自体が何度見ても呆れるほど厳しい吹きさらしの環境にあります。
特段の漁港があるでもなし、なぜ年中塩水噴霧試験をしているような箇所に相応の数の家があるのか、正直不思議なところはありますが、なぜだかとても魅力的にも感じます。
次こそはこの辺りに宿を取って、もう少しのんびりと周囲を巡ってみたいものです。

外川からは銚子の中心街を抜けて、呆れるほど大きな河口域の利根川を渡る銚子大橋を超えて、茨城県の神栖市波崎地区へ。
大橋の橋の袂、恐らくは近くに渡し場でもあったのかと思われる場所に鎮座する手子后神社に参拝。ちなみに“てごさき”と読むそうです。
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祭神は手子比売命。あまり聞き慣れない女神ですが、常陸国風土記に記載される「童子女松原」の逸話の娘のことだとも言われているそうです。
ちなみにこの逸話、端的にいうと「夜な夜な逢引していた美男美女が、気付かず夜明けまで逢瀬を続けてしまい、明るみに出るのを恥じて松になった」という、今ひとつ個人的な感覚的ではよくわからない話です。
なぜそこで松なのか……。
それはそれとしても、風土記にも名を残すほどの由緒ある古き土地ではあるのでしょう。件の松原の名を冠した公園が、この社の少しきたの方にありました。

そして、ここから国道沿いに鹿島方面へ一気に北西へ進んで最後に参ったのは東国三社の一つ、息栖神社です。
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古く東国で最も重要視されていたという香取・鹿島の両神宮と並び称され、歴史的にも長く鹿島神宮との関係が続いた国史見在社です。
古名をおきつ神社とも言い、かつては香取海とも呼ばれた霞ヶ浦の沖洲だった土地に鎮座していたとも考察される――とWikipediaには書いてあります。
祭神も交通を司る岐神であり、海上交通の要衝を抑えていたのでしょう。
実際、地図で見ても霞ヶ浦の首元を挟んで丘陵地に鎮座し向かい合う両神宮に対して、少し下流側の低地に位置するこの神社。中洲でも何でも、きっと河口に睨みを利かす立地だったのは容易に想像できます。
厳密には、本来はもう少し東南の方に鎮座していたそうですが……中洲なんていっぱいありそうですしね。

また江戸から昭和にかけてはこの神社の目の前は船着き場でもあり、渡し船が通っていたそうです。
利根川水運の要衝、水郷地域でもあっただけに比較的近い時代まで舟が日常交通の足として機能していたのは少しロマンを感じました。


そんなこんなで好き放題に巡った二日間。息栖神社からは高速道路を使って一気に神奈川に車を返しに向かいます。
1日半かけた道程以上の距離を、一息に駆け抜けられる高速道路って本当に文明を感じますね。

斯様な次第で、日曜の夜は実家で夕飯を食べてから電車で内房に帰り……テンション下がり目な冒頭の月曜日に至りました。

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