月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


皐月の東奔西走

2週間以上、日記を放置してしまう痛恨事となってしまった5月の上・中旬の回想録。
もう半月以上前のことで、半分くらい忘れかけていますが……西へ東へ南へ北へ、自宅に泊まる晩の方が少ない日々が続いていました。


しかして話は遡り4月の29日、世に言うゴールデンウィークの頃から。
ゴールデンウィークのど真ん中に山口県への出張が入ってしまい、ただの3連休とかしてしまいましたが、そうなったらただでは起きないのが反骨精神。出張の出頭日まで、ゆらりゆらりと西への旅をすることにしました。

一応、休みだった金曜祝日29日は実家を経由し車で静岡へ。道中、須走や須口に鎮座する浅間神社に参拝しつつ親の実家へ向かいます。
この辺りの浅間神社の鎮座地は富士山への登山道の入口に位置しています。もちろん、主な登山道は富士吉田や富士宮になるのですが、これらの裏道も相応に栄えていたとか何とか。往時には宿坊が並び、神事仏事が執り行われていたそうです。
今でも富士山と合わせて世界遺産に設定されていて、往時の様子を垣間見ることが出来ました。


翌日は進路を西へ取り、列車を乗り継いで降り立ったのは近鉄御所駅。ここで自転車を借りて、奈良盆地の南西部、葛城の郷一帯を観光しました。
葛城の郷は記紀神話にも名を残す古代氏族、葛城氏の本拠地と言われた地域。今も“西の山の辺の道”とも称される葛城古道の道筋が現存し、周囲には式内社や古刹が点在します。
この日は好天にも恵まれたので、自転車での移動も気持ち良い日でした。
御所から西ヘ向かい、鴨山口神社に参拝。ここから古道に沿って南下し、延喜式にも名を残す長柄神社や住吉神社を経て、高鴨神社へ。
高鴨神社は奈良盆地の南西の果て、盆地が谷間めいて狭まった辺りの高台に位置し金剛山を背にして鎮座しています。
かの有名な京都の上賀茂・下鴨神社を始めとする各地の“カモ”神社の源流となった神社なのだとか何とか。
曰く、この一体が古代鴨氏の本拠地であり山城に社を建てた賀茂氏も彼らの末裔だったのだとか……神話の時代のことであり、真偽は知りませんが、往古から祭祀が行われていた跡は遺っているそうです。

高鴨神社の次は金剛山の斜面を盆地の底へ下り、風の杜の辻から谷底を走る下街道こと国道24号へ。
ここから街道を北上して葛木御歳神社に参拝です。名前の通り、祭神は一年の豊穣を祈願する御歳神。かつては田植えから収穫の頃まで、田に降りてくる神として祭祀されていたのが、次第に年始めに迎える神へと性格を変えていったのだとか。
それはそれとして、またこの神社も鴨系統の神社だとか。高鴨神社の「上鴨」に対して「中鴨」を称し、更に南にある鴨都波神社を「下鴨」としていたそうです。
余談ながら、ここの御朱印は隣接する宮司さん経営のカフェで貰うことが出来ます。森のなかの閑静な社と隣り合う洋風な雰囲気、神社の付帯施設としては一種変わった趣がありました。

最後はさらに北、御所駅から5分ほどの下鴨の社、鴨都波神社。山際の社から一転して、盆地の中央部に位置する平坦な神社です。
開拓の歴史を反映しているのかもしれないですね……よく知りませんが。

そんなこんなでぐるりと葛城の郷を回ったら、自転車を返して近鉄に乗り込み大阪難波へ。
この晩は久しぶりに大学院時代の友人と会って一杯。久しぶりに二次会は外飲みをやらかして、ふらふらになりながら梅田の宿に宿泊しました。


一夜明けた5月の初日は、更に西へと進路をとって出張先に近い徳山駅で下車。
この日も好天に恵まれたので、ここから渡し船に乗って対岸の大津島へと行きました。
この島は特攻兵器回天の訓練基地として名を残している島、基地だった地には資料館や見学できる遺構が整備されています。
ひとしきり見学して歴史の重みに思いを馳せたら、帰りの船便まで近くの売店でビールを買い込みぐったりとした昼下がりを満喫。晴天のもとに吹き渡る瀬戸内の風と最高のシチュエーション、忙しく歩きまわるのが常ですが特に何をするでもなくのんびりするのも、たまにはありですよね。


週末が過ぎれば、一転して出張仕事の一週間。色々ありますが……守秘義務ですね。
最終日は少しだけ仕事が早く終わったので、帰りがけに北前船の寄港地として名を馳せた室積の港町を見物。
生憎の雨天で思うように見て回る事はできませんでしたが、資料館の方に随分と丁寧に対応いただいたのは特筆に値すべき経験でありました。
見物後は新幹線で一気に東京へ。台湾から来た友人と会って実家へ戻りました。

出張明けの土曜日は一転して関東にて活動。フォロワーの朔さんと川越を散策して、その足のまま分島花音の埼玉公演に。
セトリはいつも通り割愛してしまいますが、チェロやテルミンの演奏もあり、とっても気持ち良いライブでした。
会場が狭く立錐の余地もないほどの混雑具合だけが難点でしたが……仕方ないですよね、また行きたいです。


日曜を特に中身の無い休憩に当てて、月火水と普通に出勤して……日常が戻ってきたと見せかけて、急転直下の木曜日。

早朝から高速バスと新幹線を乗り継いで、朝の10時過ぎには盛岡に到着です。
ここでフォロワーのアリソンと合流、とりあえずは盛岡城址を見物し、盛岡八幡宮を経てアリソンの車で進路を北へ向けました。
盛岡から東北道を八戸へ抜け、三沢から六ケ所村、東通村と恐ろしいほど走りやすい道を抜けて、辿り着いたのは東通村の北涯の地、尻屋崎です。
寒立馬で名高い秘境の地はまた、津軽海峡と太平洋を隔てる海の難所でもあります。突端には灯台とともに海難事故の犠牲者を慰める地蔵も建立されていたのが印象的でした。
また、寒立馬の放牧はまさに“放たれている”状態、車道の真ん中すら好き放題に歩きまわり、人の背丈ほどもある巨躯で間近を闊歩する様は、草食獣とわかっていても若干恐怖する程でありました。
こんなのが大挙して押し迫る騎兵の突撃に突破力があるのも思わず納得してしまう迫力でありました。

この日の晩はアリソンとむつ市の中心街、田名部地区に一泊。下北の地酒を軽く飲んで一夜明けました。
翌朝はのんびり目に起床して田名部神社に参拝後、大湊地区へ。
大湊は陸奥湾の更に内湾に当たる天然の良港、海軍の要港部創設以来、北方と津軽海峡を管轄する海軍の町であります。
観光地と言っても、訪れるのはやっぱり海自・海軍関係。北洋館なる海軍水交社であった石造りの建物を流用した資料館を見学です。
所狭しと並べられた収蔵品の数々は、大湊港の創設から現在までの種々の資料に解説が加わり、見かけの建物規模に比べて非常に見応えがありました。

北洋館を後にしたら、釜臥山の山腹の展望台を経由して陸奥横浜の菜の花畑を見物。クラナドのOPのモデルとなった一面の菜の花畑です。
実在することを知って6年来、機会をうかがって見てみたいと思っていましたが、ようやく機会が巡ってきた感があります。
アニメに劣らない目の痛くなるほどの一面の黄色、天候にも恵まれて言葉にならない絶景を味わうことができました。

八戸でアリソンと別れたあとは八戸市街を軽く散策し、中心街の飲み屋で地酒を3杯傾けて苫小牧行きのフェリーへ乗船。
寝て起きたら……北海道でした!!
北海道では流石に列車の本数も限られているので特急を大いに活用しましょう。
釧路まで特急列車を次々と乗り継いで一路東へ。日高山脈の天剣振りに帯広平野の広大さと、道東の日本とは思えない風景に一睡する間もないほど車窓に釘付けです。
町と町の距離も遠く、古い旅行小説に出てくるような山越えの脅威、街明かりの安堵感、野垂れ死にの恐怖が何となくわかるような気持ちになりました。
釧路からは特急がないので鈍行に乗り換え。上陸から都合10時間、夕方の16時に本土最東端の有人駅根室駅に到着しました。
この日の晩は久しぶりのゲストハウス泊、同宿の方々と家主オススメの飲み屋で盛り上がったのは非常に面白い経験でありました。
自転車トラベラーやヒッチハイカーなど、なかなか実見する機会のない方々と、ほやの刺し身のような中々食べる機会のない代物。貴重な経験のできた夜でした。

旅行4日目の日曜日はバスで野寒布岬を見物し、根室の金毘羅さんに参拝してから進路を翻して帰路の方向へ。
この日も鈍行と特急を乗り合わせて、午後はひたすら本土を目指しましたが……ギリギリいっぱいで札幌まで。北海道は本当に広いです。
適当にすすきので一泊して、翌日も函館本線を経由して北海道新幹線を活用、新青森から鈍行に乗り換えて弘前まで至りました。
この日もほとんど列車に乗ってるだけでしたが、夕飯代わりに入った飲み屋で隣席した方と盛り上がったのが特筆すべき点でしょうか。
弘前出身の二人組にこの辺の美味しい魚や料理、昔日の旅の思い出を話しながら小一時間ほど飲んで閉店に合わせて宿に移動する、平和で健全な夜を過ごして翌朝を迎えました。

旅も6日目、残金が心許なくなって来たこの日は、1年ぶりの“ふらいんぐうぃっち”の聖地巡礼です。
アニメ化されて急速に情報が吹き出し、下湯口のバス停はじめ登場する背景の尽くが実在することを知り再挑戦となった次第です。
前回は雪で閉ざされて、弘前城や武家屋敷の見学もままならなかった面もありましたしね。
自転車を借りて、ふらりと下湯口界隈や弘前城の周辺を散策。昼食は作中に登場した魔女の喫茶店のモデルとなった藤田記念庭園内の喫茶店です。
青森名産のアップルパイを弘前コーヒーと合わせていただく、私らしくない上品で文化的な昼食をへて、弘前駅へ帰還。
ここからは弘南鉄道に乗り物を切り替えて、隣の平川市にある津軽尾上駅まで。津軽近隣では岩木山神社と並ぶ大きな社、猿賀神社に参拝してきました。
祭神は記紀の時代に東北を転戦したと伝わる上毛野 田道とやら。あまり知らない神ですが、Wikipedia曰く上野国の出身の武将で新羅や蝦夷を相手に転戦し東北の地で戦死したとされているそうです。
大和朝廷の北限に近い土地、祭神としてはさもありなんと言ったところでしょうか。平板な土地に堂々と広がる立派な社でありました。

そんなこんなで流石に帰路へ。新青森から新幹線に乗り、一気に家へと舞い戻り……何もしない水曜日を過ごして今に至ります。


明日からまた社会復帰ですね、大変だ。

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社会的圧力に負けて働き始めた巫女好き提督。2年かけて回復したSAN値を瞬く間に失い、工場街のおんぼろアパートでサバイバルなう。

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