郷愁の阪奈巡り
研修も佳境に差し掛かり、飲み会が増えてきた6月上旬。
関西は既に梅雨入りだとかで、軌を一にするかのように雨が降り始めた今日このごろです。
水木金と会社の飲み会が連なり、へべれけの後遺症で朝を迎えてしまった土曜日。
流石に朝から身動きは取れず、青息吐息のまま昼過ぎまでお家で大人しくです。
再起動を果たしたのは14時を過ぎた頃合い。ここから腹癒せにと海遊館までジンベイザメ見物に向かい、返す刀で後回しになっていた“境界の彼方”の劇場版未来篇を観に行きました。
境界の彼方、TV版は全体的に面白かったのですが終盤がよくわからなかったというのが正直な感想。
未来篇はその続編ということで、TV版終盤のよくわからないは解消されないものの、良い具合に物語の続きが描かれて、なんとなくもやもやは解消されたかなという印象です。
そして何より、久しぶりに観た奈良の風景をえらく懐かしく感じてしまった次第です。
この土曜日は、このまま銭湯に入ってるうちにいい時間となり、就寝と相成ったのですが……思い立ったが吉日とは古人の格言。
あくる日曜日は、突き動かされるように関西本線に揺られて奈良盆地に再来です。
行って来たるは桜井線の小さな長柄駅です。ちなみに「ながら」と読みます。最初「ながえ」と読んでちょっと恥ずかしかったのはご愛嬌です。

長柄駅の周囲は古い街道沿いの集落です。良く言えば風情のある―-言ってしまえば、少しばかり辛気臭い雰囲気。
今にも降り出しそうな梅雨時の曇天と相まって、境界の彼方の劇中なら妖魔に包囲されてしまいそうなイイ感じが出ています。
そんなこの界隈を通り抜けて向かったのは、いつかも来た大和神社です。
天神たる天照大御神に対して地祇たる倭大国魂を祀り、記紀にも名を残す由緒正しき古社です。
前回は土砂降りなこともあって、殆どロクに参拝も出来ずに見て帰ってしまいましたから、今度はちゃんと参拝します。

Wikipediaに曰く、往古は伊勢神宮に匹敵する勢力を誇ったのだそうですが、真偽の程は計り知れません。
今は艦内神社として勧進した縁のある戦艦大和が推しといった様子でしょうか。
古い集落の古い神社、規模こそ大きくも小さくもない、この近辺では普通な規模でしたが知名度以上に風情のある神社でありました。
風情のある神社といえど、周囲にこれしかないのではどうしようもないのもまた現実。
1kmほど東側に山の辺の道が通っているので、そちらに行ってみるのも一興でしたが、今回は桜井線に乗車しもう一つ古い集落を訪れてみることにしました。
折よく来た奈良行きの桜井線に乗り込んで、長柄から天理を挟んで一駅、櫟本駅で下車です。ちなみにこちらは「いちのもと」と読みます。私は読めませんでした。
さらに余談としてと、この駅舎もかなり古いものなのだとか。
かつては古くから開けていた奈良盆地を、奈良から桜井、八木と抜けて大阪に至る重要路線であったという桜井線。
はたまた櫟本の集落も、街道の要衝として神話の時代から人が住んでいたと言い、戦前まではその駅前には相応の市街が形成されていたそうです。

往年の反映は狭い街路や古い商店に面影を残すばかりの駅前周辺ですが、神社がいくつか点在しちょっとした散策にはうってつけの雰囲気です。
はじめに寄ったのは櫟本駅から北に少し行った楢神社なる神社。あまり由来はわかりませんが街場の小さな社といった風情でありました。
次に向かったのは駅の東方に鎮座する和爾下神社。古墳の上に建ち、古代氏族の氏神であったと伝えられる式内社です。

古い神社らしく境内地と民間地の境が曖昧な参道を少し東に進み、古墳と思われる小高い丘を登った先に社殿はあります。
曇天のもと、薄暗い鎮守の森は一種独特な雰囲気を放ち、久しぶりに少し怖いと思ってしまったこの神社。周囲に人影は無く、樹状ではぐるりとカラスが鳴き叫び、オカルト話なら間違いなく何か出てくる空気でしたが、幸いに何事も無く参拝です。

朽ちかけたベンチもいい味出してますが、境内は綺麗に掃き清められており崇敬の篤さも伺えます。
惜しむらくは社務所が空いて無く、御朱印を頂戴できなかったことでしょうか。開いてるのかも窺い知れなかったので、またの機会を見つけて訪れてみたいところです。
最後に立ち寄ったのは櫟本から南に下った在原神社です。江戸期までは在原寺なるお寺であったのだとか。
さらに遡ると在原業平の屋敷があり、菩提を弔ってお寺になったとの伝承があるのだとか。

正直に言えば、もう少し大きな神社を期待していたので、少し残念でしたが思わぬ文学の痕跡に触れられたのは面白いこと。
在原業平といえば古典にも記された色男、縁結びを祈願して撤退といたしました。
この後は再び桜井線に乗り込み、橿原市街に位置する畝傍駅から近鉄の大和八木駅に移動して帰路へと付きました。
さて、ちなみに今週が終われば、いよいよ配属発表があります。
怖いですね。
関西は既に梅雨入りだとかで、軌を一にするかのように雨が降り始めた今日このごろです。
水木金と会社の飲み会が連なり、へべれけの後遺症で朝を迎えてしまった土曜日。
流石に朝から身動きは取れず、青息吐息のまま昼過ぎまでお家で大人しくです。
再起動を果たしたのは14時を過ぎた頃合い。ここから腹癒せにと海遊館までジンベイザメ見物に向かい、返す刀で後回しになっていた“境界の彼方”の劇場版未来篇を観に行きました。
境界の彼方、TV版は全体的に面白かったのですが終盤がよくわからなかったというのが正直な感想。
未来篇はその続編ということで、TV版終盤のよくわからないは解消されないものの、良い具合に物語の続きが描かれて、なんとなくもやもやは解消されたかなという印象です。
そして何より、久しぶりに観た奈良の風景をえらく懐かしく感じてしまった次第です。
この土曜日は、このまま銭湯に入ってるうちにいい時間となり、就寝と相成ったのですが……思い立ったが吉日とは古人の格言。
あくる日曜日は、突き動かされるように関西本線に揺られて奈良盆地に再来です。
行って来たるは桜井線の小さな長柄駅です。ちなみに「ながら」と読みます。最初「ながえ」と読んでちょっと恥ずかしかったのはご愛嬌です。


長柄駅の周囲は古い街道沿いの集落です。良く言えば風情のある―-言ってしまえば、少しばかり辛気臭い雰囲気。
今にも降り出しそうな梅雨時の曇天と相まって、境界の彼方の劇中なら妖魔に包囲されてしまいそうなイイ感じが出ています。
そんなこの界隈を通り抜けて向かったのは、いつかも来た大和神社です。
天神たる天照大御神に対して地祇たる倭大国魂を祀り、記紀にも名を残す由緒正しき古社です。
前回は土砂降りなこともあって、殆どロクに参拝も出来ずに見て帰ってしまいましたから、今度はちゃんと参拝します。


Wikipediaに曰く、往古は伊勢神宮に匹敵する勢力を誇ったのだそうですが、真偽の程は計り知れません。
今は艦内神社として勧進した縁のある戦艦大和が推しといった様子でしょうか。
古い集落の古い神社、規模こそ大きくも小さくもない、この近辺では普通な規模でしたが知名度以上に風情のある神社でありました。
風情のある神社といえど、周囲にこれしかないのではどうしようもないのもまた現実。
1kmほど東側に山の辺の道が通っているので、そちらに行ってみるのも一興でしたが、今回は桜井線に乗車しもう一つ古い集落を訪れてみることにしました。
折よく来た奈良行きの桜井線に乗り込んで、長柄から天理を挟んで一駅、櫟本駅で下車です。ちなみにこちらは「いちのもと」と読みます。私は読めませんでした。
さらに余談としてと、この駅舎もかなり古いものなのだとか。
かつては古くから開けていた奈良盆地を、奈良から桜井、八木と抜けて大阪に至る重要路線であったという桜井線。
はたまた櫟本の集落も、街道の要衝として神話の時代から人が住んでいたと言い、戦前まではその駅前には相応の市街が形成されていたそうです。


往年の反映は狭い街路や古い商店に面影を残すばかりの駅前周辺ですが、神社がいくつか点在しちょっとした散策にはうってつけの雰囲気です。
はじめに寄ったのは櫟本駅から北に少し行った楢神社なる神社。あまり由来はわかりませんが街場の小さな社といった風情でありました。
次に向かったのは駅の東方に鎮座する和爾下神社。古墳の上に建ち、古代氏族の氏神であったと伝えられる式内社です。


古い神社らしく境内地と民間地の境が曖昧な参道を少し東に進み、古墳と思われる小高い丘を登った先に社殿はあります。
曇天のもと、薄暗い鎮守の森は一種独特な雰囲気を放ち、久しぶりに少し怖いと思ってしまったこの神社。周囲に人影は無く、樹状ではぐるりとカラスが鳴き叫び、オカルト話なら間違いなく何か出てくる空気でしたが、幸いに何事も無く参拝です。


朽ちかけたベンチもいい味出してますが、境内は綺麗に掃き清められており崇敬の篤さも伺えます。
惜しむらくは社務所が空いて無く、御朱印を頂戴できなかったことでしょうか。開いてるのかも窺い知れなかったので、またの機会を見つけて訪れてみたいところです。
最後に立ち寄ったのは櫟本から南に下った在原神社です。江戸期までは在原寺なるお寺であったのだとか。
さらに遡ると在原業平の屋敷があり、菩提を弔ってお寺になったとの伝承があるのだとか。


正直に言えば、もう少し大きな神社を期待していたので、少し残念でしたが思わぬ文学の痕跡に触れられたのは面白いこと。
在原業平といえば古典にも記された色男、縁結びを祈願して撤退といたしました。
この後は再び桜井線に乗り込み、橿原市街に位置する畝傍駅から近鉄の大和八木駅に移動して帰路へと付きました。
さて、ちなみに今週が終われば、いよいよ配属発表があります。
怖いですね。