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月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


佐渡ヶ島巡航の話

梅雨を引きずるパッとしない日々が続く関東地方。
連日の雨に洗濯物も溜まるばかりで困ってしまいますね。
外出の気力も妨げられて、あまり遠出したい気分になってくれません。

なんて、口では言ってもカレンダーに3連休の並びを見つけてしまえば、体は正直です。
あっという間に外出の算段を立ててしまい、残り日数を指折り数えてしまいます。
見果てぬ旅先の光景には、幾つになっても胸踊らせながらその日が来るのを待ち構えたくなりますね。


そんな訳で、この海の日の連休があった週末は、大学時代の友人と連れ立って佐渡島へ行ってきました。
上越新幹線が長めのトンネルをくぐり抜けた先は新潟県。三国山脈の向こう側は、そこそこ天候恵まれていました!
日頃の行いに感謝しながら、久しぶりの何もない小旅行は順調な滑り出しです。

新潟駅までは各自で移動をこなしていた友人の元下宿生・元寮生と、新潟駅前の佐渡汽船ターミナル行きバス乗り場で合流です。
バスで佐渡汽船ターミナルヘ向かい、1235時発の両津港行カーフェリーに乗り込み、いざ海の向こうへ出発です。
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佐渡島へ行くには、ジェットフォイルや羽田からの飛行機もあるのですが、今回カーフェリーを選んだのは単なる趣味です。
運賃が安いメリットもありますが、何よりも晴天の甲板で眺める水平線が最高に気持ち良いのが大事な理由です。
旅の始まりは、シチュエーションで気分を盛り上げないといけませんしね。
この後、レンタカーの都合があるためにビールで一杯ができなかったことだけが残念でしょう。

何をするでもなく、写真を撮ったり昼食を食べたりカモメと戯れたりしているうちに、船は2時間半かけて佐渡島最大の港、両津港へ到着です。
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ここでこの日の夕飯など、少々の買い出しをこなしてから、手配してあったレンタカーを受領して、島の南西部を目指します。

島の中央を横断して、南西岸の主要港小木まで国道350号線を辿り、ここから国道を離れてさらに15分ほど。
なんだかんだと時間を掛けながら移動した末、17時過ぎに目指すべき宿のある町、宿根木に到着です。
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宿根木は集落内に車を乗り入れられないため、町外れに観光用の無料駐車場が整備されています。
車を駐めて降りたら、今にも不思議に出会いそうな趣ある路地を抜けて、この日の宿「一客一亭の宿 伊三郎」を訪ねました。

この宿、ネットでもほとんど情報の出回らない小さく不思議な宿ですが、その実は古民家を一棟借りして過ごすことができる……知る人ぞ知る名宿です。
宿根木の観光サイトで見つけて、運試し気分で電話してみれば無事に予約できてしまったのですから、これはもう運命ですね。
あらゆる情報が不足していることに、全く不安を感じなかったと言えば嘘になるでしょうが……実際に行ってみれば思った以上に集落の真ん中に位置しています。
料金も一泊3名までは一律で素泊まり1万円、一人頭で考えれば3000円強ですから古民家合宿と考えればなかなかお得なチョイスです。(ちなみに4名以上は、1人毎に3500円追加とのこと)

予約時の指示に従い、到着したとオーナーに電話をすれば、すぐさまオーナーのおじいさんのご登場です。
宿に入れていただき、簡単な手続きや雑談をしながらしばらく過ごしたら、まだ明るいからと町の案内をしてくださることになりました。
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さて、この宿根木の集落、かつて隣の小木港と並んで北前船の基地として繁栄した佐渡屈指の都市であったそうです。
その繁栄ぶりたるや、往時には尾道から石材と石工を呼び寄せて、石橋や石鳥居をこさえたり、足元を石畳にしてしまう程だったとか。
集落自体は入江の奥、海へ口を開いた広めの谷間にある地形をしています。
谷間のため、海に近いながらも真水の便もよく、そのために人々が集まったのだろうとは、宿のおじいさんの談です。
一方で谷の上側は水はけが良すぎるために農業には不向きな土地柄。漁業は可能ですが、それでも北前船隆盛の時代の繁栄を支えるには産業としての利幅が違いました。
そんな発展性の低い地形が仇となり、世相に取り残されたのが明治初期の頃のこと。ただ、それがために開発の波に巻き込まれることを免れ、往年の特徴的な街並みが今に残る貴重な文化財となっているそうです。
ここ10年ほどの間に知名度も上げてきて、観光地としての新たな一歩を踏み出しつつあるとの次第だそうです。

そんな町並みの特徴は、塩害対策と考えられる土蔵に被さった覆屋や、狭い土地をフル活用するための狭い路地、増改築を繰り返した2階建て以上の建物群です。
なかなか傍目には気付けない興味深い町並みの秘密を、解説付で巡ることができ非常に良い経験となりました。
加えて、本格的な黄昏時には海まで案内していただき、主だった入江内の航路や漁労事情、キレイな夕暮れの見えそうな場所まで教えていただきました。
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夕日が沈むのを目の当たりにするには、少々方向が南よりでしたが……磯場のアクセントが映える見事な夕景が見れたのは、ひとえに宿の方の案内のお陰でありました。

そんなガイド付きの散歩も日が沈んでしまえば、流石にオシマイです。
宿泊の手続きを済ませたら、オーナーのおじいさんにお休みなさいを告げて、我々だけの時間が始まります。
囲炉裏のある3階建ての木造古民家、1階と2階部分を好きに使って良いとは、ワクワクが止まりませんね!
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まぁ、やることと言えば、囲炉裏のわきに食材を広げて、晩餐会を始めるだけなのですが……。
一応は宿根木の集落内にも夜間に空いている飲食店があるのですが、私の経験則が警告を告げていたので、先んじて道中のスーパーで食材を調達しておいた次第です。
何事もなければ二次会に供するつもりでしたが……この手の勘は当たるもので、運悪く集落唯一の飲み屋さんは満席でした。
そんなこんなで、囲炉裏の周囲に地酒や地物の鮮魚を広げながら、片手間にはボードゲーム。
宅飲み時代の気分に帰るような、雑なノリの飲み会をして夜を過ごすことになりました。

静かな町の情緒ある宿、雑なノリと言っても心なしか声量は上がらずに過ごした気がします。
ふらりと真っ暗な町や海を探りに言ったりもしましたが、追加のお酒を調達する術もないので、程よい酒量で宴をお開きにして眠りにつくことができました。


一夜明けて、地元の方が川の清掃をする物音で目が醒めた二日目、日曜日。
午前中は引き続き、宿根木の町を観光です。

町の裏手の高台に立つ資料館では、復元された往年の千石船の巨大さに驚いたりします。
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この小木の郷土資料館、千石船を目玉に据えているようですが、木造校舎の残滓や所狭しと並んだ船乗りに関連する祭具など、興味深いブツの目白押しです。
小さな資料館かと油断して入り込むと、予想外の多様な展示に大いに時間を消費してしまいますので、注意が必要でしょう。

資料館で思わず長居してしまった後は、再び集落に戻って公開古民家巡りです。
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船頭の家や船大工の家、近年まで人が住んでいた独特の三角形をした家など、土地柄と歴史が詰まった個性豊かな民家を見学する事ができます。
外側からでは一律の板張りにしか見えない家々も、中に入ればそれぞれの生活や趣向を反映した違いが垣間見れたります。
特に背後の大岩をくり抜いて、岩室に使っている家などは……その逞しさに驚かされてしまいました。


さて、一頻り町並みを眺めて、昼食まで取ったら流石に移動を開始です。
次いで向かったのは、佐渡国一宮に列する度津神社です。
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水害により記録を喪失以来、その創建の由緒は不詳とされているものの、五十猛命を祭神として佐渡国内では随一の規模を誇る神社です。
ただし社名も“わたつ”神社と読むそうで、“わた”と言えば海を指す古語。離島という立地もあることから、本来の祭神は何らかの海洋や航海にまつわる神であった説が有力なのだとか。
何はさておくも、境内地は少し内陸に入った森深い場所にあり、海というよりも山間の霊験を感じる神社ではありました。
無事に御朱印もいただくことができ、これでまた一つ、全国の一宮を巡ることができました。


神社にお参りしたら、いろんな願いが気になりますね。端的にはお金とか、いいですよね。
午後からは少し駆け足で、金山を巡ってみることにしました。
古い町並みにうつつを抜かしていましたが、佐渡と言えば、そうです佐渡金山。
江戸の初期から大々的な採掘が始まり、盛衰を繰り返しながらも昭和20年代まで命脈を保った国内屈指の大金銀山です。
その遺構とも言うべき鉱脈や採掘跡、関連設備は、島中のあちらこちらに点在しています。
なかでも、やはり見に行くべきは一番有名で大規模なところでしょう。
つまり、島の中西部の沿岸、相川地区に集中する相川金山へ向かいました。

もっとも、一つの地区と言えども金山の遺跡は掘り進める坑道から、鉱石を選別して精錬し、延べ棒や大判小判に加工する設備、さらには付帯する装置類の整備工場と様々な施設が車が欲しい距離で散在しています。
数ある選択肢の中から、まず向かったのは昭和期の大増産のために建造され、「日本のラピュタ的風景」の一つとしても度々紹介される北沢浮遊選鉱所でした。
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これは昭和初期に、戦時に向けての大生産を目指して建造された鉄筋コンクリート造の浮遊選鉱施設です。
浮遊選鉱とは、重量比で鉱石の選別を行う手法のこと。この施設でどのように選別していたかはわかりませんでしたが、一般的には重い鉱物ほど貴金属を含有している可能性が高いため、水で流してより早く沈んで澱んだものを選別する手法です。
段々になっている構造からも、上から鉱石を含む泥濘を流して、重い鉱石を選り分けたのだろうと想像できます。
見渡すほどの巨大さもさることながら、現役時代には全て屋根に覆われていたというのもまた、驚きの光景でありました。

北沢浮遊選鉱場に続いては、隣接する郷土資料館で鉱山町での生活を少しだけ見学です。
“命短し稼げよ鉱夫”とでも言い出さんばかりの時折辛辣な解説文と、鉱山都市に付き物な花街の生活紹介まであり、小さく地味な施設ながら非常に面白い場所でありました。

資料館を見たら、次も資料館――もとい復元された佐渡奉行所です。
浮遊選鉱の斜面を上がった一帯は、もともと相川地区の金山がある沢筋から海に出る玄関口に位置します。
海を見下ろす高台には、町に囲まれるように奉行所が立っており、鉱山都市の統治から金銀の精錬までもを担っていたそうです。
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立派で威厳のある門構えは流石、江戸幕府の奉行所と言った趣きです。
内部は照明こそ安全のために明るめですが……それでも、広々とした畳敷きの建物は、古民家とは違った魅力がありました。
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また、併設された勝場跡地では江戸期の選鉱方法が半体験型で展示されていました。
基本的には採掘された鉱石を砕いて、石臼で粉砕し、水と一緒に水溜に流し込んで重い物を選り分ける仕組みです。
しかし、さらに上層に残った鉱石粉も、布を敷いた斜面にもう一度流すことで、もう幾度か重量を選別するのだそうです。
非常に手間と時間のかかる作業に、少しでも効率よく金を得ようとする努力と工夫と執念を感じるような気分でありました。


さて、奉行所見物が終わったあたりで時刻は概ね17時少し前。充実度としても、次の宿への時間としても、ちょうどよいくらいの進捗です。
佐渡金山の坑道も近くにあるのですが、時間的にも内容的にもスルーするつもりでいました。
ところが……ここで一つだけ計算外が発生してしまいました。
佐渡鉱山の前を通りがかったところ、なんと営業時間は17時半までなのだそうです! すなわち、ギリギリ滑り込めてしまいます!
こういう選択肢って判断を鈍らせますね。行かないで後悔より、行って反省です。

窓口に駆け込んで、チケットを買い、いざ江戸期に実際に掘られていたという坑道を見学です。
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時間制限は30分ですが、微妙に動く蝋人形による展示は実時間以上の情報量とインパクトがありました。
特にスクリュー式のポンプなど、実働しているところは初めて見ます。
理屈では知っていても、どれほど揚水できるのかと半信半疑に思っていたものですが、想像以上の水量に「百聞は一見に如かず」との言葉を思い出させられました。

また、坑道を開く際の独特な神事の様など、土肥金山ともまた違った文化習俗が見られるのもお国柄というやつでしょう。
滑り込みと言えど、来た甲斐があったと言える施設でした。
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坑道のあとは、歩いて数百メートルの位置にある大立立坑の坑道エレベーターも見学です。
これは外部からも無料で見られる施設。明治期から廃坑まで使用された日本で最初の西洋式坑道エレベーターだそうです。
その鉄骨造の無骨な姿を、森の一角に屹立させる様が、なんともロマンですよね。
良いものを見れたと満足して、金山巡りの締めといたしました。


金山の後はそのまま山越えへ。18時少し前の出発で、19時過ぎの日没を背負って大佐渡スカイラインを駆け抜ける算段です。
このスカイライン、道中は信じがたい急坂に急カーブが連続しますが、一度稜線まで上がるとスカイラインの名に恥じぬ眺望が待っております。
特に途中の駐車場には、両津港と平野部一帯を一望できる大パノラマの展望台があります。
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あるいは、さらに少し走った先で見た妙見山の山頂に立つレーダーサイトのSF映画のような異物感も魅力的です。
振り返れば西の海に沈む夕日に淡く照らし出される雲海なんてシチュエーションもあります。
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2つ目の白雲台の展望台で、両津港の町並みを先程より大きめに見下ろしてやれば、主だった眺望点は終わりです。
上り下りの過酷な1時間ほどの道のりですが、稜線上の千変万化の眺望は山登りの楽しみにも通じるものがあります。気持ち良いドライブだったと間違いなく言える天気と道のりでした。

スカイラインから下ってきたら、この日は両津港から加茂湖沿いに車で少し行った温泉宿に宿泊しました。
到着した頃には19時を過ぎていたので、荷物整理もそこそこに夕飯を食べに町まで移動です。
歩いて30分ほどの両津港の加茂湖側辺りが繁華街ということで、それを頼りに夕暮れの町を跋扈し、適当に見つけた飲み屋さんでしばらく反省会となりました。

ところで、余談になりますがこの両津港の町。地図で見れば一目瞭然なのですが北東側を日本海、南東側を加茂湖に挟まれた非常に細長い街になっています。
海と湖を隔てる200m程の砂州の上に、家々がひしめく様子もあまり馴染みがないだけに、不慣れなところに来た感じが大増量です。
ふとした気付きに旅情が満たされるようで、こういう些細なところにも旅の楽しさが詰まっているように感じました。

閑話休題して、別の閑話。
飲み屋を後にした後は、当然のごとくコンビニで追加の酒を調達して、宿で二次会です。
地酒を煽りながら、なぜか劇場版ゆるゆりを見ているうちに夜が更けて……大分日が高くなってから、次の日の朝がやってきました。


そんな訳で、若干ですがお酒が残っている気がする海の日の月曜日。
窓を開ければ、最終日であることが恨めしいほどの大快晴です。なんか、以前もこんなパターンありましたよね……?

この日は最終日。昼過ぎには車を返さなければ行けないので、遠出は控えて加茂湖周辺で楽しむ算段です。
ひとまず向かったのは、佐渡でも有数の歴史と格式を誇る牛尾神社に参拝です。
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境内は無人であったものの、鬱蒼とした社叢や参道の赤白の鳥居、透かし彫りがふんだんに使われた見事な拝殿が格式の高さを無言のうちにも伝えてくるような雰囲気がありました。
また、下の宮司宅に行けば御朱印も頂けると案内されていましたので、ありがたく頂戴することにします。
このときお邪魔した宮司宅の玄関も、古民家と行った体の趣きある雰囲気であったことは、特筆に値することだと感じました。

神社のあとは、ここからほど近いトキの森公園でトキの見物でもしようとの流れです。
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ところが幹線道路を外れて車を転がしてみれば、トキの前に「在りし日の夏」とでも言うべき光景に出くわしてしまいました。
青い空、遠くの山並みを覆う綿雲、青々とした田んぼと何もない一直線の道です。
“帰省したおばあちゃん家で出会った近所の白ワンピースと麦わら帽子の少女と一夏を過ごした”ような――極一部のキマった層の間で流布する、共同幻想そのままの光景です。
存在しない、麦茶の氷が動く音と、野球の放送を流し聞くお昼の素麺の世界です。

「イマジナリー夏休みに精神を取り込まれて死ぬ!」などと適当なことを喜々として口走りながらも、何だかんだで絵になる光景なのは間違いなしです。
この風景に出会えただけでも、佐渡島に来た意義があったと言えるかもしれません。
今年の夏を無事に迎えることができた気分でありました。

どうにか夏の誘惑を振り切って訪れたトキの森公園では、日本のトキの絶滅までの経緯や復活への道のりが展示されています。
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またクロトキなどの類縁種を含めたトキ類の飼育にも取り組み、その様子を比較的近い距離から眺めることができました。

そんなこんなでトキを見てノルマをこなしたら、加茂湖をぐるりと一周するように仕上げのドライブです。
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どう考えても、幻想の夏を追いかけて細い道に迷い込んでるだけなのですが……こういう行程にない脱線旅こそ、気ままな旅行の醍醐味だと思う次第です。

その後は無事に車を返却して、港周辺で最後の時間つぶし。
お土産を物色したり、港から見える風景を名残惜しげに撮影したりして過ごしました。
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ちなみに帰路はジェットフォイルで、時間を節約して帰還です。
バス席のような椅子にシートベルトを掛けて、1時間ちょっとの航海で呆気なく新潟港へと帰ってきてしまいました。


16時前には新潟市街へと到着。
流石に手ぶらで帰るには早い時間ですので、市街地をぶらりと巡ったり、川辺で少々お酒を飲んだりしながら過ごして、駅へ。
駅前で再び飲んでから、新幹線に揺られて各々の住処へと帰っていきました。

私も日付が変わる頃には自宅へ。
翌朝、原付きのエンジンが壊れて大変な目に遭うとは露とも知らずに、早々に寝てしまいました。


そんなこんなで今週も4日勤務なことだけが救いな平日の真っ最中です。
むしろ、積もり上がった仕事の山に、本当に救いだったのか、正当な休日行使ができるのかと、不安になるので困りものです。

加えて、原付き故障によるバス通勤も、時間が固定されてしまい夜型の身としてはじわじわとつらいものがあります。
早々の復旧を祈りながら……何とか来週を迎えなければなりません。

風の月山行

梅雨空が重くのしかかる日々が続く関東地方。
気分もどんよりしがちで、出かける気力も減退気味ですが、数少ない夏の週末は使い切っていかねばなりません。
天気予報にやきもきしながら、週末を迎えてみれば、想定よりは良好な天気の見通しです。
ホッと一安心して、山形県は出羽三山の一つ、月山へと行ってきました。


土曜の午前中は野暮用があったので、動き出したのは既に日の高い11時過ぎのこと。
この日は月山登山の起点、鶴岡まで行くことだけが主たる目的です。

上越新幹線で新潟へ至り、羽越線に乗り換えて日本海沿いを揺られること数時間。
久しぶりに鈍行一人旅の情感に浸りながら、列車は北を目指します。
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空席の多いクロスシートに腰掛け、手持ち無沙汰に車窓と携帯を交互に眺めたり、間近に迫る日本海に感嘆したり……。
ここ数年は疎かにしていた感覚を思い出すような、楽しい列車旅の時間を過ごしているうちに、目的地の鶴岡へ到着いたしました。

さて、鶴岡に着いたころにはすっかり夜の帳が下りる時間帯です。
見上げれば日没直後の幻想的な青紫の空が、徐々に濃い紺色へと変わっていく頃合いです。
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荷物を置くため宿へ直行するつもりでしたが、気分が変わって少しばかり遠回りしながら向かおうことに。
例祭の準備をする街角の社を覗いたりしながら、暗くなるまでの時間が過ぎていきました。

すっかり暗くなってからは、駅近くの飲み屋で控えめにお酒をいただき、宿に戻ったら22時過ぎには翌日に備えて就寝です。

ところで、余談になりますが、この日の晩に初めて金縛りというものを経験しました。
寝付きが悪いなと思いつつ布団で過ごしていると、不意に足元の方で何かが這いずるような音が聞こえる気がします。
なんか嫌な感じがするなと、無視を決め込むために寝返りを打とうとして、体が全く動かないことに気付く次第です。
金縛りは脳が睡眠と覚醒の合間の中途半端な状態にあるせい、這いずる音もそれに伴う幻聴……と、昔に聞き齧った知識を思い出しながら、ただぼんやりするしかありません。
理屈付けはできても、単純に体が動かないというのは焦るものですね。
変な汗をかく感覚を抱きながら過ごす羽目となりましたが、気付けば何事もなく朝を迎えていたので一安心でした。


恐怖の一幕を挟みながらも、存外にすっきり目が醒めた日曜日は、迅速に準備を済ませたら朝6時の月山八合目行バスに乗って出発です。

途中のバス停で、同行予定の朔さんも乗車しつつ、なすがままにバスに揺られて2時間半ほど。
8時半頃に月山へ向かう車道の終着点、眺望抜群の八合目へと到着いたしました。
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この日も太平洋側ではどんよりとした梅雨空だったと言う話ですが、北日本の日本海側は感嘆するほど心地よい快晴です。
台風並みの強風が気にかかる状況でしたが、何はともあれ高地らしい深い青と濃い緑に挟まれた素晴らしい空模様の下から、登山を始めることができました。

この月山は庄内平野を囲む山々の主峰の一つ、頂上近辺には万年雪を擁する日本百名山の一つでもあります。
また修験道の霊地、出羽三山の一つにも数えられます。
今となっては車道も整備されている羽黒山や湯殿山とは異なり、今も高い峰の頂上に霊山らしい本宮を構える月山神社。
私が登った道中でも、多くの参拝者が宿坊の御師に導かれて登拝している姿を見ることができました。

そんな霊山の頂上へは、八合目からコースタイムで約3時間。ほぼ稜線を辿るだけの比較的難易度の低いコースですが、強風と低温に気をつけつつ登っていきましょう。

ただし、最初の15分ほどは八合目から連なる弥陀ヶ原と呼ばれる高原湿地帯です。
木道も整備され、ここだけを散策して周回するコースも設定されるほどの見どころあふれる領域でもあります。
所々に池も見られ、時期によっては高山植物の花々が咲き乱れるという、非常に美しい場所。
そういえば、立山中腹にも同様の“弥陀ヶ原”があり、やはり美しい光景でしたね。

そんな散策コースの一角には、御田原神社という月山神社の中之宮も鎮座しています。
体力的に困難な人は、ここで本宮を遥拝することで本宮に参拝したのと同等になるという信仰形態です。
せっかくなので山小屋も兼ねた建屋に参拝し、御朱印を頂戴いたしましょう。
参拝を終えたら、境内裏手の鳥居をくぐって、いよいよ始まる本格的な登山道へと歩みを進めることになります。
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登山道を少し行った先から弥陀ヶ原を振り返れば、遠目にも美しい高原湿地と青空の対比が見事な光景を眺めることができました。

また、登山道の先も弥陀ヶ原ほどではないにしても、比較的平坦で見晴らしの良い灌木林か草原帯が続きます。
身の危険を感じたのは唯一、雪渓を真っ直ぐに突破しなければならないところだけでしょうか。
軽アイゼンを買っておけばよかったと後悔しつつ、雪の上を慎重に踏みしめて通り過ぎて行きました。
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雪渓を越えてしばらく行けば、9合目に当たる仏生池小屋へ行き当たります。
ここも宿泊や食事が可能な山小屋となっており、頂上を目指す途上での休憩スポットとして機能しています。
登りは好天に押されて、トイレだけ済ましたら、そのまま通過。ここから、さらに石畳の道を辿って山頂へ至る稜線まで淡々と歩みを進めていきました。
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稜線の斜度や緩くなり足元が木道に変わった頃から、先刻以来の強風がさらに本格化してきました。
加えて、行く先の雲行きが怪しくなってきたのが懸念事項でしょうか。
吹きつける横風に耐えながら進み、最後の雪渓を渡りきったら、何とか無事に月山山頂の本宮神社に到着です。

到着した頃には周囲は風が運んだ雲に覆われ、風も相まって眺望を楽しむところではなかったのが惜しまれます。
ちなみに月山の山頂は月山神社の境内の内側。祈祷料を払って参拝し拝むことができますが、内部の撮影は禁止です。
石造りの社が石垣に守られた、如何にも山頂に坐す社と行った厳かな雰囲気と、月に縁ある兎の石像が印象的な境内でありました。
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山頂に参拝後は、少し下った鞍部にある山頂小屋で一休みです。
時間もお昼時なので、食堂で昼食にカレーをいただきました。
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その後は天気の回復を待って少し様子を見たものの、変わる様子も見受けられないので撤収することに。
天気が良ければ眺望を楽しみたかったところですが、こればかりはどうにもなりませんから仕方ありませんね。
帰路は往路よりも霧がひどいことになっています。
幸いにわかりやすい一本道ですから、道を外れないよう慎重に歩くだけで済みましたが……不明瞭な道での振る舞いは、一度考えるべきかもしれません。

何はさておき、無事に八合目まで下ってくれば、空は出発したときと変わらぬ青空です。
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無事の到着を祝して、お酒でも舐めながら復路のバスを待って、高原帯での時間の締めくくりとしました。


ただし、この後の復路バスが予想外の伏兵でした。
なんと途中で車両トラブルを起こしてしまい、代車の到着まで下山路の途上で30分ほど足止めを食らう羽目になってしまいました。
時間的に余裕のあった私はまだしも、翌日のため鶴岡駅から特急へ乗り継がねばならない朔さんには大問題です。
困ったことだと思案していたところ、同様に特急への乗り継ぎが必要な乗客は、バス会社が好意で手配してくれた乗用車に乗り、駅まで直行する段取りになりました。
急ぎではない私まで一緒に乗っては筋が通らなくなってしまうので、ここで唐突に朔さんとはお別れです。
先行する乗用車を見送ってから、私は後続のバスの代車に乗り込んで鶴岡駅へと下リました。

当初の目論見では、私も朔さんと同じ列車で新潟に出るつもりでしたが、バスのトラブルでは処置もなしです。
鶴岡で再び夕暮れ空を眺め、軽くお酒を入れてから、夜半の鈍行列車を乗り継いで新潟へと向かいました。
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予定より大分遅く着くことになった新潟では、特に食事もせずに予約していた宿へ。
雑居ビルのとあるフロア、本棚に囲まれた隙間で寝る不思議なスタイルのゲストハウスで、お茶を啜りながら眠気が追いつくのを待って、この日は就寝といたしました。


そんなこんなで、シレッと有休を獲得して1日フリーな月曜日は、手ぶらで帰っては面白くないので寄り道しながら帰る次第です。
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経由したのは、実は一度も全線乗車したことのない磐越西線です。阿賀野川水系を沿うように山間を辿り、会津若松を経由して郡山へと向かいました。
車窓の川面の美しさに見惚れながら、ローカル線の旅を満喫して過ごす時間は、何もしていないはずなのに妙に充実感がありますよね。

気付けば会津若松での乗り継ぎもあっさり終えて、東北本線の要衝、太平洋側の郡山に到着です。
郡山は福島県で第二の都市。あまり縁もゆかりもない街であり、鶴岡程度の規模感を予想していたら、新潟にも劣らない賑わいだったことに、駅前で少々面食らってしまいました。

そんな中通りの有力都市で、少しばかり足の許す範囲を散策です。
最初に向かったのは安積国造神社という一帯で一番大きそうな神社です。
安積国造はこの郡山一帯の平野部を指す古い地域名。この地を開拓したと伝わる祖神を待つった神社です。
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駅からほど近い場所に広い境内を構え、風情と趣のある神社でありました。

その後は安積国造神社から、昭和通り沿いを少し歩いた先にある愛宕神社にも参拝です。
愛宕神社はこんもりとした高台にひっそりと潜むような神社です。
規模も小さく、社務所も開いておりませんでしたが、鬱蒼とした鎮守の森が都市の中とは思えない雰囲気を醸し出していました。
薄暗い鎮守の森の奥に社が鎮座する光景、どちらかと言うと私のなかの神社の原風景に近いものを感じることができました。
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一転して3社目の阿邪訶根神社は、まさに市街の神社といった雰囲気。
よく手入れされ開けた空気の境内、地域で大切に管理されつつも外部の者も参拝しやすい感じがして、これはこれで嫌いではありません。
社務所の方にも“遠くからわざわざ”と、労いの言葉を頂いてしまい、ありがたい気持ちで御朱印を頂戴することができました。


斯様な次第で郡山で3社ほど近場の神社を巡ったら、諸々の事情と前日の疲れもあるので、少し早い気はしましたが関東へ戻ることにいたしました。
東北新幹線であっという間に東京にいたり、ここからは不本意ながらも内房へ。
夕暮れが迫る18時半頃には自宅へと帰り着くことになりました。


ただし、この後は色々とやることもあってバタバタとして今に至ります。
具体的には山装備の全面的な洗濯や、先週の長雨で溜まった衣類の洗濯、それから期日前投票ですね。
なんやかんやとこなしていれば、この時間になってしまいました。

これでまた明日からは平日運転です。
4日だけで済むとは言え……なかなか、またしんどい日々が帰ってきてしまいますね。
来週末を楽しみに、過ごしていきましょう。

映画の週末

西日本では梅雨としても異例な大雨が降っているという6月末、7月頭。
関東地方も降ったり止んだりの、今一つすっきりしない空模様でしたが、身動きもできないほどの雨には見舞われなかっただけ、幸運といえましょうか。
目立った災害の無いことを祈りつつも、まずは何より自分の休日を楽しまなくてはなりません。

そんな今週末は金曜日から有休を取りつつも、珍しく遠くへは行かない運用です。
代わりに映画を2本ほど観つつ、のんびりと過ごすことになりました。


大きな理由はないままに有休を獲得した金曜日、朝もゆっくりと出社時間を過ぎてから起床です。

実のところ、夕方まで特に何する予定もない訳ですが、流石に何もしないのも癪な気持ちになりますね。
ひとまずは、千葉市街の加曽利貝塚遺跡へ行ってみることにしました。

加曽利貝塚は国内でも有数の縄文時代の遺跡です。
周辺一帯は公園として整備され、博物館も併設されています。
展示に曰く、東京湾から小さな川を遡った丘陵地帯に位置し、貝塚や住居跡が多数発掘されているのだとか。
およそ2000年の長きに渡って人が住んでいたのだそうです。
周辺にも小規模な貝塚や遺跡が無数に発掘されており、その中心的な集落であった可能性も指摘されているのだとか。
また、そんな周辺も含めた遺跡の規模の盛衰から、近隣における人口の増減も推定できるのだそうです。
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公園内には博物館の他にも、貝塚の断面をほぼそのままの位置で展示した、往時としては最先端の展示なども観ることができます。
貝のみならず、動物の骨や焚き火の痕跡など、同じ場所で連綿と人が暮らしていたことを示す痕跡が続き、貝の種類の変遷を眺めているだけでもなかなかに興味深いです。
復元住居も、検出位置とほぼ同じ位置に再現されており、柱の位置などはほぼ正確に建っているのだとか。
流石に屋根以上の構造物については痕跡がないため、推定の形態になってしまうそうですが……入ってみればなかなかに居心地よい空間でした。
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また、横を見やれば現在進行系で発掘中の区画も当然あります。
公園として整備されていると言っても、全域を残さず掘り返しているわけでないのは自明でしょう。
地道に区画を区切って、気長に調査が続いていくそうです。


遺跡見物の後は、一挙に居場所を新宿へ移して、映画「プロメア」を鑑賞です。
「グレンラガン」や「キルラキル」のスタッフによる新作アニメ映画。既にあらすじも感想もネットの海で語り尽くされておりますし、敢えて何か言うことも無いですが、観に行って間違いではない映画でした。
何が凄いとか、面白いとか……言葉にするのは難しいのですが……何を言ってるのかわからないけど、気付いたら満足して観終わっていたと言ったところでしょう。

そんな映画鑑賞から続いては、秋葉原でレンズを買ったら、上野で待機です。

この日の相手は久々にフォロワーのアッシー氏とアリソン氏です。
この約束のために、有給をとったと言っても過言ではないでしょう。
先にアッシー氏と合流して、上野の繁華街でたらたらと飲みながら、アリソンを待ちます。
水瀬いのりのライブに参加していたというアリソンを21時過ぎに迎えたら、終電など潔く投げ捨てて夜更けまでだらだらと飲み続けます。
なんだかんだと会う機会は多くないものの、不思議と10年来の付き合いになる彼ら。
不思議と気負いしないまま、一緒に過ごすことができました。
そんな訳で、最後は豪気にホテルに宿泊して、気付けば土曜の朝の知らない天井です。そんな日もありますよね。


一夜明けた土曜日は、一度、実家に帰りつつも小休止を挟んで再びお出掛けへ。
この日向かったのは、比較的ご近所の立川です。
この日の目的も映画にあったのですが、予定の時間までは少々余裕があったので、近隣の神社を巡ることにいたします。

1社目は駅の南側にある立川諏訪神社。立川一帯に1200年前に諏訪から勧請されたと伝わる近隣では有数の古社です。
市街地の神社の宿命とあってか、きれいに整備され重厚で荘厳とは言い難い開放感がありましたが……参拝客も後を絶たず、まさに都市部の神社といった風情がありました。

2社目は駅の北側、旧立川飛行場の近くの住宅街に佇む立川熊野神社です。
こちらは江戸時代に分祀されたと伝わる、まさに“村の氏神様”といった立ち位置の神社です。
境内の規模も小さく、半分が公園になっていたりと、良い意味で地域に根ざした雰囲気を感じる境内でした。
それでも社務所が機能しており、御朱印を頂戴することができたのはありがたいことでしょう。
これからも地域で永く信仰されることを願うばかりです。


そんな神社巡りをしている間に、時間になったので高校時代の友人と合流して映画館へ移動します。
向かったのは、かの名高き爆音上映を行う立川シネマシティ、観てきたのは当然にガールズアンドパンツァー最終章の第2話です。
こちらも半月ほど前には公開されており、なかなか見る機会がなかったのが懸案事項だった一作です。
ネタバレ感想はまだ控える風潮ですが、全編通して大満足の出来栄えだったことだけは明記できましょう。
西隊長や知波単学園の評価が爆上がりとの評がよく見受けられますが、個人的にはBC自由学園のマリー隊長に随分、魅了されてしまいました。
何はさておき、3話目が早く観たいという気持ちばかりです。

そんな気持ちを抱えたまま、映画の後は立川で友人としばらく飲んで解散へ。
興奮冷めやらぬまま、夜を迎え、日曜を迎えました。


さておくも、やることに満ちていた金土から一転して、何もやることがないのが日曜日です。
本当にやることがない日曜日というのもなかなかに珍しいでしょう。
パソコンと携帯の画面を眺めながら、だらだらと過ごすことしかできません。

流石にこれではいけないと危機感を持ち、のそのそと行動を開始したのは夕方になってからのこと。
またしても上野へ向かい、御徒町で2日続けてのガルパン視聴をこなしてしまいました。

映画というのは本当に不思議なものですね。
特に自分は何をしたわけでもないのに、観終わった頃には何か一仕事終えた気分になってしまいました。
週末が無為に過ぎようとしていた焦燥感も、お陰でだいぶマシになったので、なんとか内房まで帰り着くことができるようになりました。


斯様な次第で映画を見たり、英気を養ったりと、ちょっと珍しい形態で過ごしてしまった3連休の週末。

今週も仕事の谷間な風情がありますので、今のうちに体勢を立て直して、人生を前に進めたいところですが……果たしてうまくいくことでしょうか。

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