月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


晩秋畿内散歩

あれよあれよと、今年もあと1ヶ月強。
秋も深まるどころか少し早めの雪が関東を襲い、冬の装いも準備しないといけない頃合いです。
そんな、11月の月末は、様々な(主に仕事関連の)都合により、関西方面へ出突っ張り。交錯する予定が絡まり合い、気づけば勤労感謝の日は、朝から京都観光することになりました。


実は前日から京都入りして、久しぶりに河原町のネットカフェで一泊して、翌朝は8時過ぎから行動開始です。
最初に向かったのは東山の奥、蹴上駅から歩いて10分内外にある日向大神宮です。
南禅寺の裏からインクラインの斜面を登った辺りとも言えましょう、早朝から観光客が押し寄せる南禅寺界隈から一変して、静かな谷あいの社と言った風情……と思ったら、トレッキングコースの入口に位置してるようで、出発の準備に勤しむ親子連れとインストラクターの集団が休日の賑わいを醸し出していました。
彼らが去ってしまうと、かえって寂しく感じるほどです。
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この季節といえば、当然期待するのは紅葉。
少しだけ山陰にあるせいか、この社の紅葉は既に散り気味でしたが、それもまた趣深いもの。静まった雰囲気は良い穴場をみつけた気分です。
余談ながら、御朱印をいただこうと社務所のインターホンを押したところ、朝イチだったせいか「今から向かいます」との返答があった後、しばらく待たされてしまう羽目に。急ぐ旅でなし時間は問題はないものの、本当にここで待ってれば良いのかと少々不安になっていたところ、二本杖のお爺さんが坂道の参道を登り、こちらに声を掛けてくるではありませんか。
この人は誰? と思いながら挨拶を返すと、その翁こそがこの神社の宮司さんでありました。
世間話がてらに伺ったところでは、今年に米寿を迎えて今も神社の管理をしているのだとか。この神社の参道は、トレッキングコースの入り口なだけあり、あまり緩いとは言えない坂道が私の足でも5分近く掛かる程度に続きます。
そんな道程を御年88の方を朝から呼びつけて、遅いと思うほうが無茶であったと内心恥じ入る思いであり、日々登っては社務をこなす宮司さんには畏敬の念を抱かざるを得ませんでした。

閑話休題、そんな日向大神宮ではフォロワーのぼややん氏とも合流です。
ここからは2人で京都の紅葉観光兼撮影会となりました。

まず向かったのはインクラインを下ってすぐの定番、南禅寺。
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大学時代に一度訪れて以来ですが、変わらず綺麗で人が多いです。

続いて平安神宮の裏手側にある岡崎神社に参拝。こちらは紅葉ではなく御朱印収集が主眼。
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この一帯は平安時代、ウサギが多かったとかで今も兎が神使を務めます。縁結びや子授かりをご利益に謳っているのですが、やはり関係があるのでしょうか、考えないほうが良いでしょうか。

続いて、針路を哲学の道方面へ転じて、熊野若王子神社と大豊神社を参拝。
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大豊神社では神職の方から「この先の霊鑑寺が期間限定参観をしていて綺麗だ」との助言を頂きます。
地元民の助言、まして神職がお寺を勧めるとあれば行かない理由はないでしょう。
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かつては谷の御所とも別称された門跡尼寺院であり、今も春と秋しか公開しない霊鑑寺。
哲学の道から一本山側に入り込んだ道の先にひっそりと佇むそのお堂は確かに風情を感じさせます。
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庭園もよく手入れされ、なるほど確かに美しい紅葉です。
観光客など想定していない庭園通路の制約と、私の写真の腕前では、その美しさをどうにも切り取れないのが少しばかり悔しいところでした。

順調に哲学の道を北上し、行き着く先は東山文化の頂点、銀閣寺ですね。
大学時代、哲学の道を歩こうと訪れた際には夕方過ぎて拝観時間が過ぎていた日以来、近くを通ることはあれど6年以上訪れる機会が巡ってこなかった因縁の寺院です。
寺前の参道は目が回るほどの混雑ぶり。これが観光地京都の本気かと呆れながら、ついに機会が巡ってきたと喜びながら往来をかき分けて拝観します。
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美しい庭園と沢山の観光客、まさに京都って感じで私はそういう雰囲気が大好きです。
あとは池越しの銀閣寺の構図。思わず「写真で見たことある」と言いたくなるほど、新鮮味がないのに興奮する不思議な心持ちで眺めることができました。

加えて、これは訪れるまで知らなかったのですが、銀閣寺の参道脇には銀閣寺一帯の鎮守を祀った八神社なる社が鎮座しています。
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人波から不思議と取り残されたようなひっそりとした雰囲気を湛え、鬱蒼とした鎮守の森とあいまって良く言えば神秘的、或いは仄暗い様子を纏った神社でありました。

銀閣寺界隈から西へ足を伸ばせば、京大が跋扈する吉田界隈へ。
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何はなくとも吉田山の吉田神社には参拝すべきでしょう。江戸時代に神道教義の形成に大きな力を持った吉田神道の本拠地です。
近代では一転して「京大受験前に祈願すると落ちる」というアレなジンクスも聞いたことがあるのですが……実際に訪ねて吉田山の立地を見れば、確かにこんな遊び場にもってこいの山が大学のすぐ近くにあっては、荒ぶる日本の神々など恨み骨髄に徹すること已む無しではと納得してしまいます。
合わせて、吉田山の南斜面に鎮座する宗忠神社にも合わせて参拝。
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こちらは江戸後期に生じた神道系の新宗教黒住教の開祖を祀った神社。明治時代には国家公認の神道十三派に列せられた“古参の新興宗教(?)”の施設です。
この場合も御朱印収集の対象に含まれるのだろうかとの疑念も頭を過りましたが、既に藩祖を祀ったり古代天皇を祀ったりと色んな事情で明治期以降に創建された神社も散々巡ってる状況。むしろ神社の体をなして、江戸時代から祭祀されてるなら十分ってことで頂いてきました。

ちなみに宗忠神社の真向かいは、これも紅葉で名高い真如堂。折角近くまで来たので、もちろん漏れなく参観しましょう。
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名高き紅葉も素晴らしいですが、境内の茶屋で甘酒を呑みながら眺められるシチュエーションが最高だと思います。
「好天に恵まれた晩秋の祝日に、茶屋の腰掛けから境内の紅葉」――文句のつけようのない一時を堪能して、京都巡りの締めといたしました。


真如堂を後にしたら、この後の要件も残っているので京都駅方面へ。
ぼややん氏と別れたら、別のフォロワーの大鳥さんと合流して駅近くの居酒屋で一献傾けて夜を過ごしました。


京都で秋を過ごした後も、継続して関西で活動中。
土曜日には大津市内で豊郷繋がりで知り合った方々と宴席をしました。

滞留する週末の話

今年は紅葉の色合いが今ひとつ冴えないと、風のうわさに聞いていたのですが、豈図らんや相応に色づいた木々を名古屋の街角で見掛けたこの週末。

金曜は所用で名古屋まで赴き、行き掛けの駄賃にと最近好評な映画「この世界の片隅に」も鑑賞してきました。
論評諸々は筆上手な方々の名文が山とあるので、今更何もないのですが……今年は映画の当たり年ですね。

所用も映画も済ませたら、土日は毎年恒例と化してる晩秋の木こり作業のため、今年も静岡の親の実家に出頭です。
とは言っても、土曜日は残念なことに生憎の雨模様。
庭木の伐採ごときで雨天決行の気合など持ち合わせていないので、実家でゴロゴロとこたつに入りながら読書でもして優雅に過ごすことになりました。
読書はそのまま、ちょっと早めから酒飲みの夕飯に移行……。熱燗とこたつでのんびりとやり、途中からBSで放送していた「獄門島」をみながら寝落ちまで過ごしました。
ちなみに酒の場での目下の話題の中心は昨年、J2に降格してしまった清水エスパルス。
今シーズン序盤こそ、酷い言われようでしたが終盤に差し掛かって奇跡の快進撃を見せ、気付いたらJ1復帰できそうな気配なのだとか。
無事、日曜の試合で昇格を確定させて、今年の冬は良いタダ酒にありつけるかもしれません。


一転して晴れとなった日曜日は、朝から軽めに木々の伐採作業です。
帰路が控えているので、土曜日の場合ほど盛大な伐採はできませんでしたが、それでも枝をいくつか切り払って任務完了。
短く揃えた木々はおいおい私がキャンプで使う薪になる予定です。

そして昼下がりを迎えたらそのまま帰路へ。
北海道でも時期尚早の雪が降ったとニュースでも見ましたが、富士山もまた太平洋側から見るにしては珍しく、均等に整った雪化粧していたのが少し印象的でした。


斯様な次第でカメラも持たず、大人しくしていたこの週末。
週明けから、また色々とお出かけ案件もあるそうなので……忙しい日々が始まりそうです。

香港狂騒曲

11月も気付けば半ば。年の瀬も迫り、忘年会の算段が必要な季節ですね。
この時期になると、普段はあまり会わない人と、会う機会ができるのが嬉しいものです。

普段会わないといえば、遠方にいる友人知人も会いにいくのが手間というもの。
その最たるものはやはり海外の相手でしょうか。なかなかどうして、海外まで行くとなると時間も手間もバカになりません。
ところでまだ一ヶ月ほど前ですが、フォロワーのあんこう氏が香港に転勤してしまいました。

まだ一ヶ月……“久しぶりに会う”というには大した期間でもないですが、ちょうど折よく連休が確保できたので、行き先の選定としては申し分がないでしょう。
そんな次第で、ちょっと香港の方に行ってきました。


始まりは金曜の深夜から。飛行機の時間の都合から、始発の高速バスでもチェックインに間に合わないので、前乗りで空港泊です。
関西空港に野宿して以来の外寝ですね。羽田は四六時中飛行機が飛び交い、終夜営業の飲食店等もあるので思ったよりも人がいます。
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展望台にあがって煌めく空港灯や飛行機を眺めていたら、寝床の獲得競争に遅れを取ってしまったのは痛恨事でした。
それでも、夜の羽田がこんなに面白いと知っただけでも儲けものでしょうか。

3時間ばかりの仮眠を取って搭乗手続きと出国審査を済ませたら、朝ごはんを確保して6時半過ぎに離陸していざ南西方面へ。
寝不足が効いて、飛行機内で爆睡して気付いたらもう到着です。未だかつてないほど“マシ”な飛行体験ができました。
香港国際空港に降り立ったら、あんこう氏と合流して市街地行きのバスに乗り込み、大陸側の繁華街がある九龍地区へ向かいます。
道中から既に音に聞こえし高層ビル群が出迎えてくれて、すっかり田舎の景色に毒されている私はワクワクしてきます。
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市街について街路に降り立てば「映画で見たことがある!」と言いたくなる看板群。聞くところによると、近年は随分と控えめになってしまったそうですが、なかなかどうしてエキゾチックな光景です。

九龍地区の中心部、尖沙咀界隈で昼食を摂ったら、対岸の香港島へフェリーで移動。
このフェリー航路は前世紀から運行されている歴史ある航路なのだとかなんとか。
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夜景で名高きビクトリア・ハーバーの摩天楼を望みながら、船はせっせと海を越えて行きます。
今回は香港に行くこと自体が目的だったので、着いてしまえば何をするかも考えてなかったのが正直なところ。
とりあえず定番どころを……と香港島に足を向けたつもりでしたが、フェリーを降り立つと目の前に「海事博物館」なる興味深い文字列が。
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行きますよね、博物館大好きですから。
古代中国の船の歴史から、中世期の東南アジア貿易や鄭和の冒険、近世の西欧人の来航と中華王朝の対応に、香港の発展、最後は現代の海運技術まで、適当に入ったにしては随分と見応えのある展示内容で面白かったです。
気が向いたら行って見るものですね。

海事博物館の見学を終えたら、香港島の中心街を抜けてビクトリア・ピークへ向かうトラム乗り場を目指しました。
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目的は当然、百万ドルの夜景で名高いビクトリア・ピークだったのですが、ピーク・トラムそのものも侮るなかれ。
香港で最初の公共交通機関だそうで、今も古い車両が活躍している古風なケーブルカーなのだとかなんとか。
若干期待して麓側の乗り場まで向かったのですが……そこは油断していた土曜日。
乗り場に着くと、そこはネズミの国のアトラクションもかくやと言わんばかり大行列ぶり。「ちょっと待とう」では聞かなそうな回転の悪さも見て取れて、早々に乗車を見切らざるを得ない有様でありました。

仕方ないので、中心街のバスターミナルまで戻って山頂行きのバスを探し、2階建てバスに揺られて小一時間。
存外に地形の険しい香港一帯、山頂はケーブルカーで行けてしまうほど目前に見えているのですが、バスは裏側まで回って車道をのたくたとアプローチします。
高級住宅街やハイソなホテル(?)を経由しながら、辿り着いたときにはもう夜景がきれいな時間帯になってしまっていました。
噂に違わぬ壮麗さ……多少、ハードな行程になってしまいましたが、納得できる光景でありました。
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ただ、人が押し寄せてごった返している観光地に来てしまったのは、久しぶりの経験。日本の観光地はどこに行っても大概空いてますからね……。
人種問わず、押すな引くなの混雑ぶりにはちょっと辟易としてしまいました。
当然ながら下りのピークトラムも見た瞬間に諦める混雑ぶり。かと言って、またバスに揺られるのも、なかなかハードネス。
乗り物が使えないとなれば、人間やることは一つしかないですよね。何事も足腰で解決が一番です。
ピークトラム開通以前からの古道が、今も現代的に舗装されつつ残っているので、そこを下れば軽い気持ちで市街に戻れる算段です。
案内曰く下って1時間ほど。バスを待って、乗ってることを考えたらほとんど同じくらいですし、景色も良くて一挙両得でありました。
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もっとも、舗装された下り坂など足腰への負荷では最悪な部類。市街に着いた頃にはほとほと歩き疲れた有様で、喉も乾いてビールビールと呻きながら街を練り歩く存在に成り下がってしまいます。
メディアで見慣れたネオン看板の本物を眺めながら、夕飯を食べて飲み屋に行き、やっと一息入れることができました。

ちなみに今回の宿は九龍地区の一角にある雑居摩天楼の一室を使ったゲストハウス。香港ではこの形態の安宿が多いのですが、今回のところは共用スペースから摩天楼が望める立地でした。
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こういう都会的なゴミゴミとしたビルの一室から、雑然とした街並みを見下ろして過ごすの……昔から漠然と憧れていた都会像だったのですが、まさか思わぬ拍子に最高の形態で機会が巡るとは思っても見ませんでした。
向かいのビルにぶら下がる洗濯物や、窓越しに垣間見れるそれぞれの生活に、街路を行く人々、吹き込む秋風、最高でした。


あくる日曜日は朝飯を食べてから、手始めに香港歴史博物館の見学へ。充実の展示ですが、なんと無料です!
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展示内容は名前のごとく……を通り越して、有史以前も以前の地球科学、古生物学な時代から始まります。歴史と言えば……歴史でしょうか、自然史って言葉もありますしね。
その後は史前の人々の生活や百越人の歴史、漢族の入植……と続いて、ようやく我々の思い描く“香港の歴史”、交易都市としての発展やアヘン戦争などの動乱、英国による植民地時代等の展示を経て、香港一帯の文化民俗の展示と至ります。
無料と言いながらも半日はいれそうな充実の展示ぶり。やっぱり博物館は面白いですね。とりあえず行って見るものです。

展示見学を終えたら、その足のまま今度はフェリーターミナルへ移動します。
ここでまた出境手続きをして、ジェットフォイルに乗り込んだ一路向かうは珠江口の西岸、かつてのポルトガル植民地マカオです。
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マカオ到着後早々、バスを間違えて中国本土との国境沿いまで行くハプニングもありましたが、それ以外は万事恙無し。
香港と比べると、より台湾に似てるというのがマカオ市街の最初の印象でした。

マカオというとカジノ都市のイメージがあるのですが、あんこう氏曰く魅惑の娯楽群だけがマカオではないとのこと。
Wikipediaやガイドブックを見ても、なるほど確かに世界遺産となった歴史地区やポルトガル領時代の古い町並みがあったりすると載っています。
そんな話を土曜にしてから、軽い気持ちで来れるのですから、本当に香港とマカオは近いものです。
いくら事実上は内湾と言えど、所詮は広い意味での河口を挟んで向かい側……むしろ川一つ越えるのにジェットフォイルでも1時間かかるのが大陸のスケール感なのかと驚く解釈もできます。

閑話休題。
斯様な次第ですので、私の趣味もあって当然、歴史市街の散策です。
台湾でも見たことある雑然とした鉄格子の据えられた高層住宅から、南欧的なちょっとオシャレなビルまで。多彩な顔を見せる街路を、ニュアンスとグーグルマップを頼りに練り歩きます。
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かつてはイエズス会の東南アジア随一の拠点が置かれたという聖ポール天主堂跡まで来た頃には、すっかり日も傾いた時間になってしまったのが惜しいところです。
それでも、多分歴史地区的な領域の一部を歩いたことになると思いますので、良しとしましょう。
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閉館時間が差し迫っていたので、少し急ぎ足で天主堂横のマカオ博物館を見学して、大砲台跡を見学したら夕暮れのマカオ市街を砲台跡から眺める頃合いになってしまいました。
奥の摩天楼と手前の歴史市街、「遠くが大きく、近くが小さく」あたかも“耳をすませば”のワンシーンのような遠近感の狂う光景は、少し魅入ってしまう魅力があります。
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一転して夜の歴史地区に降りても、どことなく親近感のわく観光地感が居心地の良い雰囲気を醸し出してて楽しいです。
マカオはいずれ、もう少し時間をとってゆっくりと巡りたいかもしれません。
ただ一つだけ難儀したのは、市街の案内表記の大半が繁体字とポルトガル語の併記だったこと。繁体字さえ判れば何とかなると侮っていたのですが……意外と英語の表記も読んでいたのだと、自分の無意識の言語処理を自覚させられる経験になりました。

そんなこんなで帰りは香港島側へ向かうジェットフォイルで夜の海を越えて帰還。
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路面電車とビクトリア・ハーバーを渡るフェリーに乗って、かのもう一つの著名な夜景を眺めながら宿の方へと戻っていきました。


さて、土日を過ごして、月曜は有休。流石にあんこう氏は会社なので帰りは一人で空港を目指します。

平日の朝の街、日本と同じように通勤客が人波を作るなか、流れに逆らって脳天気に下り方向の駅を目指して移動です。
この日はネットが使えないので、頼れるのは街角の案内板と事前に確認した地図の記憶。途中2回ほど迷子になりかけましたが、存分に余裕を持った時間で行動開始したので、無事に目的の時間までには駅に到着です。
活動の中心にしていた尖沙咀一帯から北西の方、何やら開発中と思しき工事群が方々で目についた沿岸の九龍駅です。
駅のショッピングモールで朝ごはんを食べたら、バスより少し割高ですが折角の機会ですから空港行きの高速鉄道に乗って空港へ向かいましょう。
快適な列車の旅は本当に偉大ですね。
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車内ではフリーWi-Fiが使え、駅は清潔でホームドアまで完備。
味気ないと言えば味気ないのですが、土日と慣れない異国で歩き回っていた身としては、ホッとするほど落ち着く空間でした。

そうこうして戻ってきた香港国際空港。お土産を買って、残った現金を日本円に戻したら楽しかった国際都市に別れを告げる時間です。
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帰路の飛行機はちゃんと夜寝て、昼帯のフライトなので眠気は皆無。
席が窓際だったのと、本を多めに持ってきていたお陰で退屈こそ免れたのですが……揺れる狭い機内で4時間近く大人しくしているのはやはり大変ですね。
しかもトイレ行きたさとも戦わなければならないのですから、よりハードというもの。

香港出境直前まで、次はどの国に行こうかとアレコレ思いを巡らせていたはずが、成田に帰った頃には「次は国内かな」と思い直す程には疲れ切ってしまいました。
やはりもう少し若くて無理の効く頃に、こういうLCC旅はしとくべきだったのかもしれませんね。


何はさておき、久しぶりにちゃんと旅行したこの週末。大満足で出勤したら、果たして今月末の長期出張を通達されてしまいました。
旅に出ると休出させられるのでしょうか? 試験諸々もあるので、しばらく遠出は難しそうです。

東総文化紀行

気付けば立冬、暦上の冬の到来と軌を一にするかのように寒波が押し寄せてきた11月2週目。
週明けから寒いし、上長面談では辛さを感じるしと……限りないモチベーションの低下を感じます。

一方で振り返ればこの週末は抜けるような秋晴れの空と、穏やかな気候に恵まれた理想のお出かけ日より。
急遽、出張案件から解放されてポッカリと予定の空いてしまった土日を活かして、ちょっとばかり近場で観光することにいたしました。


そんな土曜日は朝は少し余裕を持って10時頃から行動を開始。
起き抜けに見上げた空は雲一つない晩秋のそれ。太陽光も心なしか透き通り、影も境界がはっきりしているかのように感じられる天気でした。
この日は先週に拝借した実家の車がまだあったので、それを有効活用して巡ります。
まずは房総横断道路をよしなに東方へ向かい、最初に向かったのは茂原市の辺り。上総の二宮、橘樹神社です。
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祭神はヤマトタケルの妃、オトタチバナヒメ。浦賀水道で身を投げたオトタチバナヒメの櫛が流れ着いた地に、彼女を偲んで祀ったのが創始と伝えられます。
同様の由緒を持つ神社は房総の方々にあるのですが、この社に関する神話ではヤマトタケルは内房側ではなく、そのまま外房側を航海して九十九里の辺りで上陸したと伝えられています。
真実は神話の霧の向こうでしょうが……全くない話でもないのかもしれません。
秋晴れの季節は七五三の季節。境内も晴れ着姿の親子連れなど居て、陽光指す雰囲気と合わせ、晴れ晴れとした雰囲気でありました。

続いて九十九里の平坦な大地を少しだけ東に進み、2社目は茂原の隣町、白子町の白子神社です。
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こちらの祭神は今でこそオオクニヌシですが、由緒書を見ると元々は妙見様だった様子。
北斗星を神格化した仏教、ないしは道教に近い神様ですが……中世、千葉氏の勢力圏だった房総地域は妙見信仰の社も多いような気がします。
何はさておき綺麗で清々とした神社、規模の割によく管理されているのが印象的でした。

白子神社からは進路を南東に向けて、九十九里浜沿いの道をひたすらドライブ。
この一帯は驚くべき程に平坦で、車で走っていても起伏をほとんど感じないほど。地質学的には“最近”になってから海から砂が流れ着いてできた地形だけに、有力な河川も頑丈な丘もなく、本当にただ平坦で……空が広いのが印象的でした。
ほとんど運転しっぱなしで、道中の写真が撮れなかったのはご愛嬌でしょう。
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途中、五所神社や横芝駅近くの金刀比羅神社に参拝しながら、目指したのは一気にはるか東方。
九十九里の平坦地から、一転して古い岩塊の名残で起伏が多くなる銚子市一帯、その丘陵地の中央付近にあるのが猿田神社です。
この猿田神社、もうかなり昔、御朱印を集め始める前に一度来たことがあるのですが、当時は参道に据えられた線路を跨ぐレンガ造りの跨線橋が印象的だった記憶があります。
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久々に訪れた今回も当然ながら参道は健在、銚子では屈指の神社だけに七五三の参拝客も多く参道の前には出店が並んでいるのには驚かされました。
ところが、さらに驚いたことには社務所は少々早めの15時には受付を終了してしまう由。たどり着いたときにはなんとギリギリ15時15分過ぎ……。
タッチの差で御朱印を逃してしまい、この日は参拝だけ済まして撤退となってしまいました。

その後は来た道を引き返すように総武本線に沿って進路を再び西向きへ。
猿田神社を目指す途中、県道の交差点で「雷神社」の看板を見かけたのですが、往路では反応が間に合わず過ぎ去ってしまったので、再確認に向かった次第です。
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無事に交差点で看板を再確認し、今度はちゃんと曲がって畑の中の小道を進めば、目指す神社はありました。
全く知らなかったのですが、あとで調べたところでは、この一帯では比較的規模も大きく由緒も古い部類に入る神社なのだとか。
地図を見たところ、現地では気付きませんでしたが、まさにその社は丘陵地の西端、九十九里の平野――かつては椿湖という湖だか潟湖だかを、見下ろす然るべき位置に建っています。
知らなかったのであまり期待してなかったのですが、行ってみれば宮司さんもちゃんと居られ、丁寧な対応で御朱印も頂くことができてよかった次第。
何事も先入観を持たず、気になったら行くべきだとよくわかる経験でした。

さらにここで下総の二宮、玉崎神社も近くに有ることが判明して、折角ですから時間的に最後ですが寄ってみることに。
こちらは丘陵地帯を下って九十九里の平野側の縁、刑部岬のすぐ下にある飯岡の漁港の一角に鎮座しています。
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かつての二宮と言えど、今の雰囲気は漁師町の少し大きな神社程度。それでも漁港ならではの細い路地のなかにある雰囲気は、夕暮れとも相まって静かで懐かしい雰囲気を湛えておりました。


さて、ここまで丸一日かけて九十九里沿いの主だった神社を巡ったのですが、ここに来て夕暮れの境内で思うのは手放しで気持ちのよい好天と言い知れぬ旅の感傷。
すっかりテンションが上ってしまい、サッとネットで宿を調べて確保し、この飯岡の町に泊まることに急遽決めてしまいました。
土壇場で宿を決めるなんて久しぶりですね……やっぱり楽しいです。

そうと決まれば帰ることを考慮しなくていいのですから、実質的に時間は無制限。
とりあえず漁港のすぐ東側、屏風ヶ浦の西端でもある刑部岬に昇って夕陽を拝みに行きましょう。
この日は天気が良いこともあって岬の展望台はギャラリーが多数来ています。
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こんな僻地までよくもまぁ……と思いましたが、望んで納得の絶景がそこには待っていました。
見渡す限りの海と、九十九里浜の弓なりの海岸線、地平線に沈む太陽と七色の空。これを絶景と言わずして何というのでしょう。
南を見やれば、三日月と宵の明星も輝いています。
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そして日没後、段々とギャラリーも減り始める中で、星も観たいなと少し粘っていたところ姿を見せたのは地平線にぼんやりと影を現す富士山です。
近くにいたベテランの撮影家曰く、ここは夕陽が沈んでからが本番だとのこと。本当はもう少し雲が多いくらいの方が、太陽光が散乱しより綺麗に富士山が見えるのだとも。
日没から夜の帳が降りきるまでの黄昏時の一瞬だけ、地平線の先に姿を現す見慣れた山陰は言葉を失う神々しさがありました。

この後は一旦、飯岡に戻って夕食を摂り、宿のチェックインも済ませてから夜景を拝みに再度刑部岬に。
満天の星空と九十九里の夜景、これもまた佳景です。
入れ代わり立ち代わり訪れる、夜景を見に来たカップルの圧迫がなければ、もう少し落ち着けたのですが……それは言っても詮無きことですね。
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代わりに宿に戻ってから温泉で体を温めて、岬を望む漁港のの突堤へ。
夜釣りに興じる人々に紛れて、お酒を舐めながら星空と岬を撮って、このいまだかつてないほどの絶景ラッシュを堪能した一日の締めとしました。


翌朝も爆睡して起きたら9時頃、最近は旅先でも早起きが出来なくなってしまったのに、気の緩みを感じます。
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朝一はとりあえず、すっかりお気に入りと化した刑部岬に登って、日中の風景を確認。昼でも十分に良い景色です。

景色を堪能したら、前日の夜に地図で見つけた旭市街の鎌数伊勢大神宮へ。
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かつて椿湖と呼ばれたこの一帯。農地の拡大のため、江戸時代に干拓した人々が居たそうですが、その頃に勧進した天照大神を祀るのがこの神社だそうです。
正直、あまり地味が豊かとは思えない土地ですが……それでも歴史はあるものですね。

鎌数伊勢大神宮を後にしたら、再び車は銚子方面へ。前日は時間切れとなってしまった猿田神社を再度訪れて、今度こそ御朱印をいただき、そのまま“ここまで来ていかない手はない”と犬吠埼まで。
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実際には突端まで行かず、北側の君ヶ浜から波と強風に翻弄されつつ灯台を眺めて、満足します。
灯台は近くで見るのもいいですが、少し離れてその荒波に抗いながら屹立するさまを眺めるのもいいですよね。

そしてその流れのまま、細い外川の路地を車ですり抜けって銚子電鉄の終点、外川駅にも寄り道。
もう5年前になるでしょうか……前回来たときは確か朝一の電車に乗って降りた気がします。
外川の界隈は坂沿いに細い路地が碁盤の目のように張られた、独特な景観の街並みです。
初めて訪れたとき、年中吹き付ける強い風に耐えながら、逞しく生きる漁師町の風情が印象に残り……いつかまた来ようと思ってはいたのですが、実現までに随分な時間が経ってしまいました。
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そんな久々の外川駅は相変わらず風情はあるものの、日曜の日中なせいか目を疑うほどの人手が。
こうも賑やかな印象があると、ちょっと寂しいような、でも鉄道のためには喜ばしいような複雑な気分になりますね。

外川の一帯まで来たら、半ば思い出巡りに近く近辺を車でフラフラ。
前回はお祭りに遭遇した渡海神社も、今回はすっかり静かな無人の神社です。
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裏の宮司宅で御朱印をもらえる……らしいのですが、宮司宅の場所がわからず、気付かなかったことにしたのはご愛嬌でしょう。

地球の丸く見える丘展望館で昼食を摂ったら、外川の東側の長崎地区もぐるりと巡ってこの界隈を後にします。
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この長崎地区、突端の長崎鼻も然ることながら、集落自体が何度見ても呆れるほど厳しい吹きさらしの環境にあります。
特段の漁港があるでもなし、なぜ年中塩水噴霧試験をしているような箇所に相応の数の家があるのか、正直不思議なところはありますが、なぜだかとても魅力的にも感じます。
次こそはこの辺りに宿を取って、もう少しのんびりと周囲を巡ってみたいものです。

外川からは銚子の中心街を抜けて、呆れるほど大きな河口域の利根川を渡る銚子大橋を超えて、茨城県の神栖市波崎地区へ。
大橋の橋の袂、恐らくは近くに渡し場でもあったのかと思われる場所に鎮座する手子后神社に参拝。ちなみに“てごさき”と読むそうです。
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祭神は手子比売命。あまり聞き慣れない女神ですが、常陸国風土記に記載される「童子女松原」の逸話の娘のことだとも言われているそうです。
ちなみにこの逸話、端的にいうと「夜な夜な逢引していた美男美女が、気付かず夜明けまで逢瀬を続けてしまい、明るみに出るのを恥じて松になった」という、今ひとつ個人的な感覚的ではよくわからない話です。
なぜそこで松なのか……。
それはそれとしても、風土記にも名を残すほどの由緒ある古き土地ではあるのでしょう。件の松原の名を冠した公園が、この社の少しきたの方にありました。

そして、ここから国道沿いに鹿島方面へ一気に北西へ進んで最後に参ったのは東国三社の一つ、息栖神社です。
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古く東国で最も重要視されていたという香取・鹿島の両神宮と並び称され、歴史的にも長く鹿島神宮との関係が続いた国史見在社です。
古名をおきつ神社とも言い、かつては香取海とも呼ばれた霞ヶ浦の沖洲だった土地に鎮座していたとも考察される――とWikipediaには書いてあります。
祭神も交通を司る岐神であり、海上交通の要衝を抑えていたのでしょう。
実際、地図で見ても霞ヶ浦の首元を挟んで丘陵地に鎮座し向かい合う両神宮に対して、少し下流側の低地に位置するこの神社。中洲でも何でも、きっと河口に睨みを利かす立地だったのは容易に想像できます。
厳密には、本来はもう少し東南の方に鎮座していたそうですが……中洲なんていっぱいありそうですしね。

また江戸から昭和にかけてはこの神社の目の前は船着き場でもあり、渡し船が通っていたそうです。
利根川水運の要衝、水郷地域でもあっただけに比較的近い時代まで舟が日常交通の足として機能していたのは少しロマンを感じました。


そんなこんなで好き放題に巡った二日間。息栖神社からは高速道路を使って一気に神奈川に車を返しに向かいます。
1日半かけた道程以上の距離を、一息に駆け抜けられる高速道路って本当に文明を感じますね。

斯様な次第で、日曜の夜は実家で夕飯を食べてから電車で内房に帰り……テンション下がり目な冒頭の月曜日に至りました。

文化の日の文化的房総

諸事諸用と大人の事情が複雑に絡み合って、出勤の予定だった11月3日が前日になって唐突に放免となった2016年。
まさに文化の日の朝方に、内房で解放されたと言えど、毎年恒例の入間の航空ショーを観に行くには少しばかり遅い有様……。

仕方ないので、素直に開き直り房総界隈をドライブすることにしました。
七五三の季節も近いので、御朱印集めも捗ることと期待します。


下道限定で房総の丘陵を縫って、初めに向かったのは小湊鉄道沿線にあるダム湖、高滝湖の湖畔にある高瀧神社です。
高瀧神社は由緒書きに曰く、平安時代の歴史書「日本三代実録」にも記載がある古い社なのだとか。
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湖畔の丘に鎮座する開放感のある神社ですが、高滝湖自体は近代にできたもの。ダム湖以前はいかなる地形だったことか……。
なだらかな斜面の続く丘陵地帯にあって、一際小高い丘の上に鎮座して周囲を睥睨していた――と言ったところでしょうか。
古地図を見ても、現在湖となった一帯が元から湿地だったことくらいしか、わかりません。
もう少し地理の勉強をしないとですね。

続いて向かったのは内陸を一気に南下して外房の海べりまで。鴨川市の天津地区にある天津神明宮に参拝です。
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神明宮の名の通りお伊勢様を勧進した社ですが、歴史ははるか平安時代まで遡ることができるのだとか。
さらには由緒によると(外房一帯の古い神社の由緒の定形として)創始を“神代に出雲から新天地を求めた事代主が上陸し鎮座した土地”としています。
四国や紀伊半島から遙か黒潮に乗って来訪した開拓者たちの遠い記憶があるのでしょう。
外房の抜けるような青空とあいまって、こちらも非常に開放的な空気を感じる神社でありました。
また余談ながら、裏手の山にも奥宮に当たる小さな社があったりします。
非常に滑りやすい石段を登った先の小さな社殿。風情はあるのですが……木々が生い茂り、眺望が限られていたのが唯一の難点だったかもしれません。

天津神明宮からは外房を海沿いに北進して数十分、勝浦の漁港で車を停めて、3社目の参拝に遠見岬神社です。
こちらも例によって開拓のため海をわたってきたという忌部氏の祖神を祀る古い社。この一帯を指す勝浦の地名自体が「勝占」という占いに関する言葉に由来すると程、往古から人々が移住していた土地だそうです。
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鎮座地自体は本来の社殿を津波により喪失した後、少し内陸側の丘に移転したものだそうですが……。
勝浦の漁港を守るように聳える丘の斜面に、貼り付くように参道を拵えた様は、なるほど神の鎮座地として相応しいエキセントリックさがありました。
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エキセントリックと言えば、その斜面の参道はこの時絶賛工事中で、外側半分が工事柵などで覆われ、下側に法面工事用の足場が張り巡らしてありました。
そして、それだけなら珍しくもないのですが……社務所で応対していただいた神職さんも、格好良くツナギでキメていたのは特筆に値するかと思います。
失礼ながら、最初は工事関係者かと勘違いしたほどの馴染みぶり。妙に親切に対応していただき、御朱印欲しいかと聞かれたので欲しいと答えたところ、そのまま朱印帳を持って社務所に入っていったのは、一瞬呆気にとられてしまう経験でありました。
閑話休題。
勝浦の市街地は古くからの漁港らしく路地の細い趣ある町並み。つまり車では長居がしづらい場所でもあります。

そんな訳で次の目的地は一転して、来た道を少しばかり戻り勝浦の隣の漁港、鵜原地区にある勝浦海中公園に行ってみました。
ここ、海中公園の一帯には千葉県立中央博物館の分館海の博物館など、海に関した文化的な施設が幾つか集中しています。
以前から気にはなっていたのですが、なかなか足が向かず先延ばしになっていたのですが、折角の好天に近くまで来たのですから、行かない手はまさにないでしょう。
まずは件の分館や、海中公園の海の資料館を見学して、外房の海を予習します。
そして満を持してから「海中公園」の名の如く、海中見学ができる展望塔へ行きました。
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この岩礁から海に伸びた歩道橋と屹立する展望塔だけでテンションが上ってしまいます。
既に十分な絶景、千円近くする入場料のこともさくっと忘れてしまいます。
そして中に入れば更なる独特な空間です。海面下8m程度の海中に小窓が並び、房総の海底の様子を丸腰で間近に観察できます。
天然の水族館と言った風情。魚を寄せるために餌を入れた籠が設置してあったりと、完全に自然のままとは言いませんが、その本物の海流に揺蕩う魚の有様は水槽では拝めない光景でありました。
彼ら、意外と明後日な体勢で泳いでるんですね……お行儀よく重力方向を守って泳いでない無いのは衝撃的でした。
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こういう光景を見ると、いずれはダイビングなども体験してみたいと思いました。

しかして、海中公園を満喫したら、来た道を更に南下して、時間的に最後の目的地へ。
行川アイランド駅前の空き地に車を置き、モーテル脇の入って良いのか不安になるような小道から切通を抜けると、既に傾きかけた陽に照らされた石碑に行き当たります。
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鴨川と勝浦の市境近く、かつて苛政を敷いた豪族の1人娘がこの辺りから投げ落とされたという伝承の残る“おせんころがし”です。
行き当たったのはその娘お仙を供養したもの。もっとも、本来の“おせんころがし”と呼ばれる地帯は、この石碑がある地点から鴨川方面へとかつて続いていた急斜面一帯のことだとか。
海に沈み込むような急角度の崖が数kmに渡って続き、その崖面に貼り付けたような車一台分程度の細い道が明治以後の一時期、国道として開通し交通の難所として名を馳せていたのだそうです。
昭和期にはトンネルを抜ける新道が開削され、旧道はすっかり忘れ去られてバリケードの向こう側。ただ件の伝承と昭和に起きた殺人事件に尾鰭がついてオカルトスポットと化しているとか何とか。
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この日もすっかり逆行で道程自体は目視では確認できませんでした。
しかしながら、冬であればぎりぎり海面に日が沈むであろう景勝地。お化けも魑魅魍魎が跋扈しても何するものぞと思える素晴らしい眺望を拝むことができました。
特に雲一つない快晴の黄昏時は最高の一言、根室で見て以来と思えるほど手放しで透き通った夕焼けを、今度は落ち着いてシャッターに収めることができました。



そんなこんなで、すっかり冷え込んできたので帰りがけに勝浦式タンタンメンを食べて、この日は内房へ帰還することに。
ときに散々なことを言う房総半島ですが……南から外にかけての光景は絶景揃いで本当に良いものです。
また折を見て、探索に出かけたい次第です。

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