月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


筑豊探訪の話

最近遠出ばかりが続きますが、色々と事情があったりなかったり。
財布が即物的な意味で大破したので、新しいのを購入した結果金銭的に大破したりもしてますが、後ろを振り向いては行けません。
そんな訳で先週も元気に九州旅行でした。諸々の都合で一眼レフはお留守番ですが、仕方ないですね。


行って来たるは鉄冷えの町、北九州は小倉地区。製鉄所はお隣さんに吸収合併され、都市間競争は博多に苦戦を強いられ――と辛い噂を耳にする街ですが、行ってみれば流石は何と言っても城下町。
繁華と文化と何かを孕んだ町がちゃんとそこにはありました。
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最初に訪れたのは当然ながら、小倉城。
本来の城は幕末、長州征伐の折に焼失してしまい現在の小倉城は昭和期に再建されたもの。
大阪城と同様、コンクリート製の見かけだけな代物で、内部は立派な博物館となっています。
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もっとも、見掛け倒しと侮る無かれ。展示内容はそれだけで十分価値ある資料館レベル。城下を眺め回す展望も楽しめて、行った価値は十二分にありました。

また城の敷地内にはレンガ製のモダンな門柱も見られます。
なんでも陸軍第2師団司令部の門柱だったとか。後年、主力は久留里に移転するのですが、師団数も少ない草創期の陸軍が拠点を置いたことは小倉の重要性を暗に物語っているようです。
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傍らには記念品という4式15センチ榴弾砲も置いてありました。旧式化していたとはいえWW2まで活躍した貴重な重砲です。

お城の傍らには城下鎮護の八坂神社が鎮座しています。
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一般的に城下鎮護というと武神である八幡宮や東照宮が多い印象なのですが、こちらはスサノオ系統というパターン。珍しいのかなと思ったら、どうやら城が出来る前から祀られていたそうです。
由緒としては曖昧なところもあるようですが、城内の一角、密に詰まった建造物群が立派な印象を与える神社でした。

小倉城を巡ったら、町を後にして鹿児島本線に乗り込み博多方面へ。
車中で地図を眺めていると、ふと面白そうな神社を見つけたので直行の予定を変更し、途中の福間駅で下車してしまいました。
駅からタイミングよく乗り継げたバスに乗り込んで、行ってきたのは宮地嶽神社。
後背の宮地岳にて神功皇后が三韓征伐の戦勝を祈願したことに端を発すると、由緒に語られる古社です。
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もっとも、式内社では無いようなので実際の由緒は些か不明なところもありそうです。それでも神体山を擁し、境内地に古墳もあるのですから、古くから祭祀されていた地だったのだと思います。
もう一つ有名なのが、海へと続く一直線の参道。条件が良いと正面に夕日を見据えた大層神秘的な光景を拝むことができるのだそうです。
この日は生憎とかすみ気味な空でしたが、それでも一直線に連なる道は一瞬目を奪われる迫力がありました。

またこの神社の特徴として“日本一の大注連縄”も挙げられます。巨大しめ縄というと、出雲大社や諏訪大社のような国津神系の神社を思い浮かべるのですが……そうでないところもやるものなのですね。
日本一を自称するだけある立派なしめ縄です。
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また先述の古墳は江戸時代に石室が発見されて以来、修験道の修行場にされていたとかで……現在は不動神社の本殿として際しされています。
古墳なのに、不動明王で、神社……もうちょっと色んな信仰が混淆していてわかりませんが、実に日本らしいです。ちなみに出土品は九州国立博物館に寄託されています。

ぐるりと宮地嶽神社を巡ったら、帰路もちょうど良くやってきたコミュニティバスに乗って福間駅へ戻り、列車に乗り込んで無事に博多駅へ。
幸運なことにフォロワーさんと合流できる話となったので、博多からさらに地下鉄で移動して福岡城のお膝元たる大濠公園駅へ向かいました。
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少し早めに着いたので、駅近くの銭湯で汗を流してから福岡城見物で時間調整して、この日は“かめいとみお”さんと合流して福岡の魚で一杯。
さらには彼の家に泊めていただいて、夜を越すことができました。


翌日は8時半頃に起床して、起き抜けから真っ直ぐに太宰府へ。
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7年ぶりくらいの参拝でしょうか……前回訪れた時はまだ御朱印集めも写真撮影もあんまりしてない頃でしたね。
久しぶりと言っても、神社ですから特段に変わることがないのが実際のところ。懐かしく思いながら前回は行き損ねた宝物館などを見学です。

あとは裏手の天開稲荷にも当然参拝です。
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お稲荷さん、こんなに天満宮本殿から距離があっただろうか……などと記憶との齟齬を感じながらもさらりと参拝して、気付いたのがさらに山奥の神社の存在でした。

見つけてしまったのは稲荷さんの裏手の車道を20分ほど歩いた先にある宝満山竈門神社。
太宰府の鬼門を守るため、イザナギを祀った神社なのだとか。
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割りと政治的な由緒だけに創建年代は明確ですが、式内社にも列する古社には違いありません。
今では縁結びの神としても高名だそうで、折角ですから切実な祈りを捧げておきました。

竈門神社から太宰府天満宮界隈に戻ってきたら、念願の九州国立博物館を見学です。
前回訪れた際に、偶然にも月曜休館日に被ってしまって以来、念願だった博物館。これで東京・京都・奈良に続き全ての国立博物館を見学したことになります。
京都は……中学の修学旅行だったので、記憶も曖昧ですからまた行きたいところですが……それはまた別の話。
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残念ながら内部は撮影禁止だったのですが、大陸との玄関口という大宰府の特徴を反映してか、大陸との繋がりや九州にまつわる展示が多かった印象です。
歴史的な遺物や展示が中心で、非常に興味深い内容揃いでとても良い博物館でありました。

博物館の見学の後は、福岡市街に取って返し、市街地の神社巡りへ。
最初に向かったのは筑前一宮の住吉神社。住吉神社というと大阪のものが最も名高いですが、博多の住吉社も最古級――あるいは最古の住吉神社なのだとか。
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元来はこの近隣が博多の海岸線に位置し、大陸との航海の安全を祈願する社だったとか何とか。一説には博多、下関、住之江と大陸航路の要衝で住吉三神を祭祀したのが住吉信仰の始まりだったとか。
真偽の程を調べるほど専門家でもなければ、特段に歴史を感じさせる神社でも無かったのですが……想像が膨らむ社でありました。

住吉神社の次は北へ歩いて10分ほど、祇園界隈の櫛田神社に行きました。
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神社の格としては住吉神社に一歩譲るところでしょうが、博多山笠の要地として名高く賑わう社です。
ギュッと詰まった雰囲気が結構いいものでありました。

また櫛田神社の門前には、博多の町家を遺した公共施設もあります。
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博多の町の歴史や山笠、博多にわかを紹介する展示をした資料館と、伝統工芸の体験施設を兼ねた公開町家に、お土産物屋さんがくっついた一角。どの建物も興味深かったのですが、一番の驚きはパンチカード式の手動織機の実物でしょうか。
京都の西陣織の資料館などで写真を見ることはありましたが、実物を見るのは初めての経験です。
思ったよりも大きな装置に、木製のパンチカードが連なるさまは何とも言えぬ和風SFを思わせる雰囲気があり魅力的でした。

天神界隈から再び地下鉄で移動して最後に参ったのは日本三大八幡宮と称される筥崎宮です。
こちらもかつては博多から続く海岸線にあったと言われている海を見やる立地の社。元寇の折に賜ったという「敵国降伏」のパワフルな扁額が印象的な楼門を擁する神社です。
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社名こそ“宮”ですが、祭神は神功皇后と応神天皇という八幡宮の系譜。扁額からもわかるように戦勝祈願の神様です。
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境内には地元スポーツチームの絵馬が大々的に展示されていました。


筥崎宮を参拝し終えたら、この日は夕方の新幹線に乗り込んで大阪へワープ。友人の元下宿生と彼の友人でフォロワーの影巫さんと合流して、軽く飲んだ後に下宿生邸でガルパンの劇場版のBDを観る会に。
久しぶりに寝落ちするまで動画見ながら酒を飲むやつをやらかし、気持よく寝て日曜日を迎えました。

そしてそんな日曜日は朝から銭湯で一息入れて京都の鉄道博物館を見学。
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つい先月に開館したばかりの真新しい鉄道展示群を満喫して関東へと帰ることになりました。
時間の都合もあって、全体隈なく見学することこそ出来ませんでしたが……それでも大宮の鉄道博物館に勝るとも劣らない展示密度と、梅小路機関区以来の蒸気機関車の充実ぶりには眼を見張るものがありました。
時間と機会があれば、願わくばもう少し空いた頃合いにじっくり時間を取って見学したいものです。


余談ながら、東京に戻った後も直行では帰らず、大学院時代の後輩と軽く飲んでから帰る流れ。
自分より余程いい賞与が出そうな後輩相手に、先輩面して多めに払ってしまう流れは……ようやく奢ってくれていた諸先輩方の苦労を自分も味わう側になったかと感慨深いものがありました。

座間郷散歩

5月らしい晴天が包み込んだ平和な今週末。
流石に先週の大移動に疲れてしまい、今週はおとなしく……と考えていたのですが、土曜日の晴天を見たら出掛けない理由もないかなと思ってしまう、そんな初夏の陽気です。

金曜の夜を房総でアニメ消化に費やし明けた土曜日。実家に帰りがてら、ぶらりと遠回りして以前から一度行ってみたかった駅まで行ってしまいました。

総武線、横須賀線、東海道線と乗り継いで、茅ヶ崎から相模線に乗り換えてほんの数駅。行って来たるは神奈川県下で最も侘しいと名高き入谷駅です。
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15分に1本は電車が来るような、房総の駅よりよっぽど人の出入りがありそうな潜在需要を抱えながら……ホームと駐輪場しか無い潔さで、一部では有名だとかなんだか。
土曜の昼の割には停まっている自転車の数が多いのは事実ですよね。

そんな訳でこの偉大な田舎駅で下車したら、足を北東方向、相模川の段丘へと向けましょう。
せっかく近場まで来たのですから、この辺の神社にも参拝です。
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参拝したのは駅から歩いて10分ほどの鈴鹿明神社。由緒書き曰く、往古かの鈴鹿の神輿が海に流された末にこの地に漂着したのが、この神社の始まりだとか何とか。
寒川神社の辺ならいざ知らず、こんな座間丘陵の内陸部まで海が来ていたとは信じがたいですが、境内地から古墳や土器が出土しているのは事実だとか。遥か史前の頃から人々が行き交い、祭祀していた土地ではあったのでしょう。

またこの鈴鹿明神社から境内地の東側を起点に、段丘の下を等高線に沿って鈴鹿の小径なる小道が北へと伸びています。
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道沿いの民家も心なしか大きく立派ですし、曲がり角や辻には道祖神が残っている……そんな歴史を感じさせるような道に沿って、ぶらりと10分弱も歩けば眼に入るのが「平和坂」なる古めかしい道標と大木を抱えた交差点です。
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辻に交差点と巨木、典型的な古い交差点の形態がこんな町中にも残っているものなんだと感心するばかりです。
裏側の紀年を見るに、道標の建立は大正時代のこと。こんな昔から“平和”という熟語があったことにも少し驚きです。背後、写真左手の道がキャンプ座間によって途切れてしまっているのも含めて、不思議な歴史の因果を感じました。
余談ながら気になったので古地図で見たところ、この道筋と交差点自体は明治初期には既にあった様子。今の神奈川県道51号線にあたる経路に直結していたみたいです。ちなみに、今も51号線はこの坂のすぐ北側の辺りにあるトンネルで基地を貫く経路が現役です。
また、キャンプ座間の原形となる陸軍の駐屯地は昭和になってからの設立なので、平和坂という地名自体はこの周辺が軍事的な意味を持つ頃よりよりずっと古いことがわかります。
本当に、何の因果でどうなったのか……不思議なものを感じる道標ですが、郷土史家ではないので今はこのくらいで。いずれ機会があれば、近隣の資料館でも見つけてきいてみましょう。

平和坂を抜けたら、さらに少しだけ歩いて座間神社へ。
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古くから栄えた座間村の中心街にあたる神社であり、相模川の河岸段丘の斜面に位置して相模平野を一望する立地となっています。
背後が基地なため、妙に警官が多かったのはご愛嬌でしょうか。
階段の立派な参道が印象的な社でした。


この日はぶらりとここまで巡って、その後は相武台下駅から再び相模線に乗り込み実家へ。
荷物を整理して一息入れたら、小学校時代の友人たちと飲むために新宿に繰り出し、そのまま友人邸でアニメを見ながら酒を飲んで夜を明かす一日になりました。

そしてまた、日曜日も池袋で飲み会の流れ。日曜日ながら、終電ギリギリを攻めすぎてしまい……見事に家まで帰れず、タクシーを使うハメになってしまったは、流石に反省しながら過ごす月曜日となってしまいました。

皐月の東奔西走

2週間以上、日記を放置してしまう痛恨事となってしまった5月の上・中旬の回想録。
もう半月以上前のことで、半分くらい忘れかけていますが……西へ東へ南へ北へ、自宅に泊まる晩の方が少ない日々が続いていました。


しかして話は遡り4月の29日、世に言うゴールデンウィークの頃から。
ゴールデンウィークのど真ん中に山口県への出張が入ってしまい、ただの3連休とかしてしまいましたが、そうなったらただでは起きないのが反骨精神。出張の出頭日まで、ゆらりゆらりと西への旅をすることにしました。

一応、休みだった金曜祝日29日は実家を経由し車で静岡へ。道中、須走や須口に鎮座する浅間神社に参拝しつつ親の実家へ向かいます。
この辺りの浅間神社の鎮座地は富士山への登山道の入口に位置しています。もちろん、主な登山道は富士吉田や富士宮になるのですが、これらの裏道も相応に栄えていたとか何とか。往時には宿坊が並び、神事仏事が執り行われていたそうです。
今でも富士山と合わせて世界遺産に設定されていて、往時の様子を垣間見ることが出来ました。


翌日は進路を西へ取り、列車を乗り継いで降り立ったのは近鉄御所駅。ここで自転車を借りて、奈良盆地の南西部、葛城の郷一帯を観光しました。
葛城の郷は記紀神話にも名を残す古代氏族、葛城氏の本拠地と言われた地域。今も“西の山の辺の道”とも称される葛城古道の道筋が現存し、周囲には式内社や古刹が点在します。
この日は好天にも恵まれたので、自転車での移動も気持ち良い日でした。
御所から西ヘ向かい、鴨山口神社に参拝。ここから古道に沿って南下し、延喜式にも名を残す長柄神社や住吉神社を経て、高鴨神社へ。
高鴨神社は奈良盆地の南西の果て、盆地が谷間めいて狭まった辺りの高台に位置し金剛山を背にして鎮座しています。
かの有名な京都の上賀茂・下鴨神社を始めとする各地の“カモ”神社の源流となった神社なのだとか何とか。
曰く、この一体が古代鴨氏の本拠地であり山城に社を建てた賀茂氏も彼らの末裔だったのだとか……神話の時代のことであり、真偽は知りませんが、往古から祭祀が行われていた跡は遺っているそうです。

高鴨神社の次は金剛山の斜面を盆地の底へ下り、風の杜の辻から谷底を走る下街道こと国道24号へ。
ここから街道を北上して葛木御歳神社に参拝です。名前の通り、祭神は一年の豊穣を祈願する御歳神。かつては田植えから収穫の頃まで、田に降りてくる神として祭祀されていたのが、次第に年始めに迎える神へと性格を変えていったのだとか。
それはそれとして、またこの神社も鴨系統の神社だとか。高鴨神社の「上鴨」に対して「中鴨」を称し、更に南にある鴨都波神社を「下鴨」としていたそうです。
余談ながら、ここの御朱印は隣接する宮司さん経営のカフェで貰うことが出来ます。森のなかの閑静な社と隣り合う洋風な雰囲気、神社の付帯施設としては一種変わった趣がありました。

最後はさらに北、御所駅から5分ほどの下鴨の社、鴨都波神社。山際の社から一転して、盆地の中央部に位置する平坦な神社です。
開拓の歴史を反映しているのかもしれないですね……よく知りませんが。

そんなこんなでぐるりと葛城の郷を回ったら、自転車を返して近鉄に乗り込み大阪難波へ。
この晩は久しぶりに大学院時代の友人と会って一杯。久しぶりに二次会は外飲みをやらかして、ふらふらになりながら梅田の宿に宿泊しました。


一夜明けた5月の初日は、更に西へと進路をとって出張先に近い徳山駅で下車。
この日も好天に恵まれたので、ここから渡し船に乗って対岸の大津島へと行きました。
この島は特攻兵器回天の訓練基地として名を残している島、基地だった地には資料館や見学できる遺構が整備されています。
ひとしきり見学して歴史の重みに思いを馳せたら、帰りの船便まで近くの売店でビールを買い込みぐったりとした昼下がりを満喫。晴天のもとに吹き渡る瀬戸内の風と最高のシチュエーション、忙しく歩きまわるのが常ですが特に何をするでもなくのんびりするのも、たまにはありですよね。


週末が過ぎれば、一転して出張仕事の一週間。色々ありますが……守秘義務ですね。
最終日は少しだけ仕事が早く終わったので、帰りがけに北前船の寄港地として名を馳せた室積の港町を見物。
生憎の雨天で思うように見て回る事はできませんでしたが、資料館の方に随分と丁寧に対応いただいたのは特筆に値すべき経験でありました。
見物後は新幹線で一気に東京へ。台湾から来た友人と会って実家へ戻りました。

出張明けの土曜日は一転して関東にて活動。フォロワーの朔さんと川越を散策して、その足のまま分島花音の埼玉公演に。
セトリはいつも通り割愛してしまいますが、チェロやテルミンの演奏もあり、とっても気持ち良いライブでした。
会場が狭く立錐の余地もないほどの混雑具合だけが難点でしたが……仕方ないですよね、また行きたいです。


日曜を特に中身の無い休憩に当てて、月火水と普通に出勤して……日常が戻ってきたと見せかけて、急転直下の木曜日。

早朝から高速バスと新幹線を乗り継いで、朝の10時過ぎには盛岡に到着です。
ここでフォロワーのアリソンと合流、とりあえずは盛岡城址を見物し、盛岡八幡宮を経てアリソンの車で進路を北へ向けました。
盛岡から東北道を八戸へ抜け、三沢から六ケ所村、東通村と恐ろしいほど走りやすい道を抜けて、辿り着いたのは東通村の北涯の地、尻屋崎です。
寒立馬で名高い秘境の地はまた、津軽海峡と太平洋を隔てる海の難所でもあります。突端には灯台とともに海難事故の犠牲者を慰める地蔵も建立されていたのが印象的でした。
また、寒立馬の放牧はまさに“放たれている”状態、車道の真ん中すら好き放題に歩きまわり、人の背丈ほどもある巨躯で間近を闊歩する様は、草食獣とわかっていても若干恐怖する程でありました。
こんなのが大挙して押し迫る騎兵の突撃に突破力があるのも思わず納得してしまう迫力でありました。

この日の晩はアリソンとむつ市の中心街、田名部地区に一泊。下北の地酒を軽く飲んで一夜明けました。
翌朝はのんびり目に起床して田名部神社に参拝後、大湊地区へ。
大湊は陸奥湾の更に内湾に当たる天然の良港、海軍の要港部創設以来、北方と津軽海峡を管轄する海軍の町であります。
観光地と言っても、訪れるのはやっぱり海自・海軍関係。北洋館なる海軍水交社であった石造りの建物を流用した資料館を見学です。
所狭しと並べられた収蔵品の数々は、大湊港の創設から現在までの種々の資料に解説が加わり、見かけの建物規模に比べて非常に見応えがありました。

北洋館を後にしたら、釜臥山の山腹の展望台を経由して陸奥横浜の菜の花畑を見物。クラナドのOPのモデルとなった一面の菜の花畑です。
実在することを知って6年来、機会をうかがって見てみたいと思っていましたが、ようやく機会が巡ってきた感があります。
アニメに劣らない目の痛くなるほどの一面の黄色、天候にも恵まれて言葉にならない絶景を味わうことができました。

八戸でアリソンと別れたあとは八戸市街を軽く散策し、中心街の飲み屋で地酒を3杯傾けて苫小牧行きのフェリーへ乗船。
寝て起きたら……北海道でした!!
北海道では流石に列車の本数も限られているので特急を大いに活用しましょう。
釧路まで特急列車を次々と乗り継いで一路東へ。日高山脈の天剣振りに帯広平野の広大さと、道東の日本とは思えない風景に一睡する間もないほど車窓に釘付けです。
町と町の距離も遠く、古い旅行小説に出てくるような山越えの脅威、街明かりの安堵感、野垂れ死にの恐怖が何となくわかるような気持ちになりました。
釧路からは特急がないので鈍行に乗り換え。上陸から都合10時間、夕方の16時に本土最東端の有人駅根室駅に到着しました。
この日の晩は久しぶりのゲストハウス泊、同宿の方々と家主オススメの飲み屋で盛り上がったのは非常に面白い経験でありました。
自転車トラベラーやヒッチハイカーなど、なかなか実見する機会のない方々と、ほやの刺し身のような中々食べる機会のない代物。貴重な経験のできた夜でした。

旅行4日目の日曜日はバスで野寒布岬を見物し、根室の金毘羅さんに参拝してから進路を翻して帰路の方向へ。
この日も鈍行と特急を乗り合わせて、午後はひたすら本土を目指しましたが……ギリギリいっぱいで札幌まで。北海道は本当に広いです。
適当にすすきので一泊して、翌日も函館本線を経由して北海道新幹線を活用、新青森から鈍行に乗り換えて弘前まで至りました。
この日もほとんど列車に乗ってるだけでしたが、夕飯代わりに入った飲み屋で隣席した方と盛り上がったのが特筆すべき点でしょうか。
弘前出身の二人組にこの辺の美味しい魚や料理、昔日の旅の思い出を話しながら小一時間ほど飲んで閉店に合わせて宿に移動する、平和で健全な夜を過ごして翌朝を迎えました。

旅も6日目、残金が心許なくなって来たこの日は、1年ぶりの“ふらいんぐうぃっち”の聖地巡礼です。
アニメ化されて急速に情報が吹き出し、下湯口のバス停はじめ登場する背景の尽くが実在することを知り再挑戦となった次第です。
前回は雪で閉ざされて、弘前城や武家屋敷の見学もままならなかった面もありましたしね。
自転車を借りて、ふらりと下湯口界隈や弘前城の周辺を散策。昼食は作中に登場した魔女の喫茶店のモデルとなった藤田記念庭園内の喫茶店です。
青森名産のアップルパイを弘前コーヒーと合わせていただく、私らしくない上品で文化的な昼食をへて、弘前駅へ帰還。
ここからは弘南鉄道に乗り物を切り替えて、隣の平川市にある津軽尾上駅まで。津軽近隣では岩木山神社と並ぶ大きな社、猿賀神社に参拝してきました。
祭神は記紀の時代に東北を転戦したと伝わる上毛野 田道とやら。あまり知らない神ですが、Wikipedia曰く上野国の出身の武将で新羅や蝦夷を相手に転戦し東北の地で戦死したとされているそうです。
大和朝廷の北限に近い土地、祭神としてはさもありなんと言ったところでしょうか。平板な土地に堂々と広がる立派な社でありました。

そんなこんなで流石に帰路へ。新青森から新幹線に乗り、一気に家へと舞い戻り……何もしない水曜日を過ごして今に至ります。


明日からまた社会復帰ですね、大変だ。

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