月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


春節祭と修論発表会

季節は雨水の頃に入り、雪が雨になるの言葉の如く、過ごしやすい気温の日々が続く2月下旬。

今年の旧正月は少し遅目だそうで、先の週末が該当しました。
そんな訳で、去年に続いて神戸の中華街の春節祭に行ってみることにした次第。
修論発表が真近に迫った土曜日でしたが、近鉄から阪神への直通電車に揺られて、神戸は三宮駅へ。
中華街に行く前に、三宮駅前の生田神社に参拝。曰く神功皇后の御代に創建されたと伝えられる式内社です。
神戸の地名の語源自体、この神なる社の前にあったことからはじまったのだとか。
既に何度か神戸にはいっているはずなのに、今まで知らなかったのは間違いなく迂闊でした。
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そんな都会の社は、流石に都市らしく壮麗です。
朱塗りの社が眩しい境内には、絶え間なく参拝者が訪れておりました。
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加えて境内の裏には鎮守の森もあります。都会の真中に泉を湛えた森が佇み、いい雰囲気を醸しだしていましたが、惜しむらくは領域が小さく喧騒からは逃れられなかったところでしょうか。

神社の後はお待ちかねの中華街へ。今年も去年同様のなかなかな人混みです。
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歩くのもままならない有り様でしたが、祭の喧騒は嫌いではないところ。
この春節の期間は中華街もお祭り仕様となり、中華街内の各店が買い食い立ち食いの出来るよう、通路に出店を並べています。
直営だけに、普通の露店よりも割安な印象。普段はお店に入ってそれなりの額で……となってしまう中華料理を、街路を巡りなら適当に選んで少しずつ食べることが出来ます。
そんな折角の機会なので、当然、焼きビーフンとビールで一杯です。
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広場から流れる音楽に耳を傾けつつ、喧騒を楽しんで日中を過ごしました。


この日はこの後、大阪は難波に戻って、フォロワーのぜなさんと飲み会。
ぜなさんが同僚から聞いてきた小さな飲み屋で楽しく飲んで、無理のない時間に帰宅いたしました。

翌日曜日は、朝から雨だったので室内で大人しく、艦これイベントの最終日を消化。
このまま一日が終わるかと思っていたのですが、夕方からフォロワーのわためさんが、こちらに来てると聞いたので誘って飲むことに。
これまた深夜までアニメを見ながら、あれこれと話して過ごし、月曜を迎えてしまいました。


そうこうして迎えた運命の月曜日、修論発表会の日でしたが……これはこれ。
なんとか無事に終えることが出来たので、それだけです。
今後は、引き継ぎや修士論文の清書、後片付けをして修了を待つ段階となりました。

修士の2年間、長いようで短かったですが……何だかんだで研究は楽しかったですね。

引き篭もった週末の話

遂に修論発表も一週間前に迫った2月中旬。大学院の修了、就職までカウントダウンの段階ですね……。
平日には小雪が舞い散り、週末に至っても寒さをそのままに曇天です。

流石に思うところもあったので、外出を控えて研究室で作業したりして過ごした土曜日ですが、夕刻から元下宿生の襲撃があり鍋をすることに。
チョコレートビールなる不思議な飲み物や、安定のにごり酒を傾けて、寝落ちするまでスマホゲーム談義やアニメ視聴で過ごし、目が覚めたら日曜の昼となっている有り様でした。

今回は午後からの外出もなく、そのまま解散の流れとなり、後片付けをしてゲームをしていれば夜に至ります。
いつになく不毛な休日を過ごしてしまいましたが、たまには仕方ないことですよね……。


ところで、修論と並んで直近の悩みどころといえば、そろそろ引っ越しの算段を付けなければいけないこと。
ガラクタの山を片して箱詰めするのも悩ましいですが、地酒買いの駄賃で溜め込んだ酒瓶の山が最大の問題です。
瓶のまま持ち帰るのは現実的ではないですし、捨てるか、ラベルを剥がしてスクラップかなのですが……いずれにしても面倒なことには変わりないもの。
後先考えずに色々としてしまったツケが回ってきてるようで頭を抱えてしまいます。

広瀬神社の砂かけ祭と生音の話

修論発表会に向けてスライド作りに勤しむ今日このごろ……のはずですが、今日は祝日、建国記念の日。
日程の確認不足により、ZAQさんのライブチケットを手に入れてしまったので、学校に行く気も起きず、祝日らしい過ごし方をすることにしました。

具体的には、お祭り見物に行ってみることに。奈良盆地を南へ下り、斑鳩の里の玄関口法隆寺駅で下車です。
向かうは法隆寺とは逆の方向、駅から更に20分ほど南に歩いた先にある広瀬神社です。
去年参拝した風神の龍田さんと並び称される水神の広瀬さん、どちらも大和川水系の各河川が合流点を抑えた古社です。
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私はこのお祭りの存在をつい先日知ったのですが、どうも地域では有名なものな様子。参拝客で賑わい、新聞社やテレビの取材も見受けられました。

余談ながら、参道には日露戦争の戦利品らしき大砲が飾られています。
案内板曰くロシアからの鹵獲品な様ですが、今一つ要領を得ない解説文と、お世辞にも良いとは言えない保存状態が残念です……。
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お祭りの前に参拝をして、社務所で御朱印を頂戴。社務所に掛けられた注意書きには「砂を掛け合うので、機材を防御してください」と書いてあります。
言われてみれば、周囲の人もレインコートに水中メガネだったり、フード付きの上着とマスクだったりと、結構守りに入った格好をしています……不穏です。

そうこうしているうちに、祭事の時間となったのか、竹としめ縄で囲われた斎場で何か始まります。
見物の人混みでよく見えないのが残念なところ……と思った途端に、人波が崩れ砂が飛び交いだしました。
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間を割って現れたのは、完全防備のシャベルを持った神人さん。砂を掬っては、容赦なくぶん投げてきます。
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当然(?)参拝客側にも投げ返す権利があり、どさくさ紛れに方々で砂のかけあいも行われます。
特に子供はノリノリで、砂団子をぶつけ合ったりと、実に楽しそう。流れ弾を喰らいましたが……まぁお祭りの華です。
一定時間、砂を掛け合ったら太鼓の音が鳴り響き、それを合図に一時休戦となります。
そしてまた、しばしの休憩の後にしめ縄内から仕切りなおして、砂のかけあいになります。

後で把握したのですが、このお祭りは米の豊作を祈る神事の一環なのだとか。
午前中から拝殿内で豊穣を祈る諸々の儀式が行われており、その後にこの砂かけ祭として、砂を雨に見立てて降らせて慈雨を乞う祭をするのだとか。
類感呪術的な儀式の一種なのでしょう。古来は氏子が大和川の河川敷から砂を持ち寄って行ったそうですが、いつの頃からか今のようなお祭りになったらしいです。

そんな訳で、数度目かの仕切り直しで、人波が減ってきた頃を見計らい覗いてみると、しめ縄内でも牛の被り物をして工作を模した儀式をやっているみたいです。
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拝殿から文字通りの高みの見物を決め込むギャラリーさんからはよく見えるのでしょう。

そんなこんなで、十何年ぶりに砂のかけあいをして少し――もとい、かなり楽しかったのですが、この日はこの後にも予定があります。
本来であれば、砂かけの後には早乙女による田植えを模した神事や餅まきもあったので、是非とも見たかったのですが……時間がそれを許さないので、仕方なく神社を後にしました。


早乙女巫女見物を投げてまで、行ってきたのは大阪は難波であったZAQさんのライブです。
一度、行ってみたいと思っていたので、念願叶ったりだったのですが、本当に絶妙なタイミングです。行けてよかったです。
ライブ自体は、思った以上に知らない曲が多かったのが正直な感想でしたが、アップテンポな曲を矢継ぎ早に出してくるタイプで、なかなかに楽しいもの。
合間のMCも、なかなかどうして雑で淡白な割に面白い、好感を持てるものでした。
カバーということで“のんのんびより”のEDやひだまりスケッチハニカムのOPも歌われ、また行きたいと思える良いライブでありました。

南都八景その北鄙歴史散歩

風邪が収まってきたので、フッと原付きのエンジン回しも兼ねて奈良市街の神社巡りへ。

コロコロとVinoを転がして、平城宮跡のすぐ北側にあたる佐紀の集落へと、まずはいってみました。

郊外風の広めな道から、不意に道が細くなり住宅が往来に迫りだしたら、古くからの集落の領域です。
ほんの少しだけ、エンジンの回転数を落として、気持ちだけ静かさを心がけながら道を抜けると目的地に到着します。
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延喜式内社の佐紀神社です。境内が二つあるのは不思議ですが、まずは先に着いた西側の社から参拝します。
拝殿の天井が格天井なのが興味深いです。

隣には劔殿神社なる社も。
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こちらの神社は、由緒書き曰く江戸時代頃の創建だとか。
この拝殿中央が通路上になっている構造、“割拝殿”という形式なのだそうです。最近覚えました。

その後に佐紀神社の東側の境内も参拝です。
どういう所以があるのか、わかりませんが……こちらの拝殿も構造はほとんど同じなのに天井が格子ではないのが不思議です。
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ただこちらの方が、少しだけ鎮守の森の木々の密度が濃く、よく言えば神聖な……少し暗い印象を受けました。
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ちなみに二つの佐紀神社ともに恐らくは同じ集落内。間に御前池というらしい溜池を挟んでいます。
こちらの溜池も、放棄されたらしい桟橋様の構造があり、昔は養殖か何かをやっていたのかと考えさせられます。

佐紀の集落を離れたら、少しだけ針路を北に向けて添御縣坐神社へ。
こちらは先日に同名の富雄地区の神社へも行っています。
実はもう一つの添縣の社と同じ由緒を掲げる式内論社。どちらもかつての添下郡の領域内にあり、東の添上郡と合わせて添の縣だったのだそうです。
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こちらの神社には常勤の神職さんがいない様ですが、参道に並ぶ真新しい石灯籠が今も信仰を集めてることを示しているようです。
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ちなみにこの社の前の道は、歌姫街道と呼ばれ、壬申の乱においても使われたと言われる古道です。
街の重心が東大寺の方へ移る以前は、大和盆地から真北に抜ければこの周辺を通ることになったのでしょう。


そんなこんなで、平城京の北側をふらりと巡ったら、折角なので以前行きそこねた平城京歴史館を見学した後に奈良市街で買い出しをして帰路へと就きました。
流石にまだまだ原付きを転がすには寒いです……。

古都の節分の灯籠の話

大学院修了に向けて、加速度的に慌ただしさが増す立春の頃。
本日は、体調と引き換えになんとか修士論文の草稿と要旨を提出し、2週間後の修論発表会を前に最後の休息といった状況です。
台湾後の徹夜まがいの無理がたたって、鼻風邪気味になってしまいましたが、一日寝たのできっと何とかなるでしょう。

そんな訳で、殺人的な忙しさだと見せかけても、忙中閑あり。
草稿提出が目前に迫っていた2月3日の節分ですが、仏都奈良では各所で節分会が催されていました。
流石に、日中の行事を見物に行くほどの余裕はないですが、それでも夕飯の買い出しにかこつけて、少しだけ夜から奈良市街へ。
行って来たるは、春日大社の万灯籠です。
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万燈籠、その名の通り、数多の灯籠に明かりを灯す催しです。
今ではお盆と節分にしかやらないそうですが、春日大社のHPによれば、江戸期には雨乞いの祈願など事あるごとにやっていたのだとか。
参道の普段は鎮守の森の一部と化している石灯籠にも一つ一つ火が灯り、さらには衆生のための仮設の灯籠も立ち並んで、夜の社を明るく照らし出します。
電気ではなく、一つ一つにちゃんと火を灯しているのも、灯りが時折風に揺らいで神秘的な雰囲気を醸し出します。
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この手の日は本殿も夜間の特別拝観を受付ているので、中の参拝も可能。
朱塗りの楼門に橙色じみた提灯がよく映えます。

春日大社といえば、拝殿の回廊の吊り灯籠でしょう。
当然万燈籠の日となれば、全てに明かりが灯り、まさに灯籠のお祭りという風情です。
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足元には、歩道を指し示す燈火も置かれ、昼に行く神社とはまた違った雰囲気がありました。
余談ながら、もともと歴史的に神仏混交の色が濃い春日大社。本来は節分も仏教由来の行事なのですが、私が参拝した時には本殿内で何か神事か祈祷かをしていました。
どのような祭事なのかはわかりませんが、おそらくは春の到来か節句の変わり目の厄を払うか……そんなとこでしょうか。
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それにしても回廊内の灯籠は本当に綺麗です。
これらは量産品ではなく、全て違う作りとなっているのも見所だとか。家紋や花の絵柄、規則的な文様もあれば経文だったり祈誓分だったりと、日付も江戸時代の間で混じっていたりして、じっくり見て回ると興味深い限りです。
電気がなかった時代、今よりも暗い境内に万の灯籠を灯した人々が、何を思ってこの灯りを見ていたの……思いを馳せずにはいられません。


もっとも、いつまでも過去にとらわれている場合ではなく、目の前の現実の問題に対処しないといけないのが、現し世に生きる人々の宿命。
あまり長居もできないので、境内を一巡りしたら、早々に奈良の市街を後にし学校へ戻って作業の続きをすることと相成りました。
この日、寒空のもとにフラッと出掛けたのが風邪の原因という気もしなくもないのがまた難しいところです。

2年目の台湾学会渡航

関東では雪が降り積もり、奈良でも小雪が舞い散る寒さとなった週末。
もうすぐ立春だそうですが、最近Wikipediaで読んだとこでは、二十四節気を作った古代中国では“徐々に暖かくなる季節”を貼ると設定したので、寒さが底を打つ頃が春の初めであって何ら問題ないのだとか。
「暦の上では春~云々」の決まり文句はそういう意味では不正確なそうです。


それはそれとして、日本に帰ってきて寒さに愕然としてましたが、先の平日は去年に引き続き学会のため台湾へと行っていました。

例によって関西空港で夜を明かして、朝の便で台北の桃園空港へ。ここからバスと新幹線を乗り継いで、3度目となる新竹市の国立交通大学に至ります。
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前回に引き続き、この交通大学で概ねお世話になりました。
ちなみに今回の台湾物理学会の会場は、よりによって同じ新竹市内の交通大学の隣にある国立清華大学。台湾出張と言いつつ、ほとんどこの界隈から動かなかったのはご愛嬌でしょう。
初日にいたっては、夕飯も清華大学前の学生街に繰り出して済ます方向です
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要所要所に日本語が混ざってる辺りに、台湾らしさがあって安心します。

ちなみに初日は台湾への移動以外は自由行動の日。もっとも到着自体が夕方だったので、学生街でふらふらしてオシマイです。
翌日は交通大学の方々と交流会をして、順調に予定をこなします。
3日目は後輩が1人風邪で倒れてしまいましたが、本番の学会発表もどうにかクリア。夜は幾度もお世話になっている台北の大学の学生さんと合流し、その教授さんも交えて夕食会です。
何故か日本式の居酒屋に連れて行かれ、日本のよりもコスパの良い味を堪能してしまったりしつつ、台湾の日々は過ぎていきます。
諸々を乗り越えて一段落した4日目は、午後から少し時間に余裕ができて来たので、台北勢に連れられて観光へ。
新竹の東方、台湾内陸部の町、内湾へと行きました。
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これは後で知ったのですが、内湾は古くは客家の居住地であり、日本統治時代に木材の集積所として栄えた土地だったのだとか。
日本時代の遺構は多くない印象でしたが、古い町並みが残っているのだとかでちょっとした観光地化しています。
わくわくするようなローカル線の終着駅があるだけでもポイント高いです。

客家に関する資料館では、なぜか足踏みミシンの可動品が展示されていたりします。
実物を見るだけなら、日本でもいくらでも出来ますが実際に踏んで遊べる代物となると初見かも知れません。
管理が雑なだけなのか、状態のいいものが残っているのかわかりませんが、折角の機会なのでガチャガチャと試してみましょう。
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他には、駅近くの地下道で見掛けた壁画も印象的な逸品。地元の小学生の絵らしいのですが、見事に日本の小学生と同じセンスなのが驚きです。
先日、Twitterでみた中世ノブゴロドの子供の落書きにもシンパシーを感じましたし、きっと子供の世界認識なんて時代も地域も越えて大差ないものなのでしょう。面白いものです。

客家の資料館以外では、内湾市街は“老街”と呼ばれる旧市街見所のメイン。
何とも豪華というか力のこもった“場末の遊具”的なものがあったりと、なかなか面白いです。
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内湾駅も表側から見ると随分と風情があります。
近隣学生の遠足先なのか、集団連れの学生や観光客風の方々を見掛けたのも印象的でした。
なかなか夜市や台北の観光地では見られない光景だけに、神奈川で言う高尾山や大山にも通じる「地元民のための観光地」のような雰囲気を感じました。
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日本で言えば木刀のようなお土産として全く意味のなさない木製の青龍刀を土産物店に売ってる辺りまで、同じような感覚なのでしょうか。
なかなか面白い観光地でありました。

4日目はこの後、ショッピングモールによってから宿に帰還し、夜は学会の晩餐会に出席して終りとなりました。
そして最終日はまたしても飛行機の時間までは自由時間。後輩が体調不良なので、新竹のダウンタウンを観光することになりました。
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とは言っても、新竹市内の観光地といえばお寺くらいなので、その手の施設を少しばかり回って見るばかりです。
具体的には、最初に向かったのは関帝廟。
三国志で有名な関羽を祀ったお堂は、日本の中華街でも大概ありますが、こちらでもやはり広くあるものだそうです。
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ド派手な外観も中華圏らしいですが、興味を引いたのは金紙の文化です。
中華圏の民間信仰では、あの世の人々もお金や生活物資が必要なので定期的に仕送りをしてやる必要があるのだとか。
そのため、紙のお金や家具を焚き上げて冥府に送り、死者の生活の糧にするのだとか。
漫画や小説で話は知っていましたが、実体を見るのは初めて、感心するばかりです。

関帝廟の次は都城隍廟に参拝です。
Wikipediaによると城隍とは城壁と堀のことで合わせて城塞都市を意味し、すなわち町の神を祀ったお堂となるになるのだとか。
あまり格の高い神ではないそうですが、新竹ではなかなか大事にされているようで、去年来たときも真っ先に連れて行かれた場所でありました。
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廟の前には市場も併設されており、お堂とお店の境目すら高ではないな有り様です。
中華圏らしい独特の賑やかさがあり、非常に面白かったのですが、惜しむらくは連日の食べ過ぎで買食いする余裕がお腹になかったことでしょうか。
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新竹市街の観光後は、在来線の新竹駅からローカル列車乗車して台湾新幹線の新竹駅への移動に挑戦です。
二度目の在来線でしたが、なかなか楽しめたので、よしとして残りは来た道をたどるように新幹線からバスと飛行機を乗り継いで帰国と相成りました。


そんなこんなで大分楽しんだ台湾旅行。
ところで……今週末で修論の草稿提出という一区切りがあるのですが……? 
この一週間、なんにもしてないのどうしてでしょうか。

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