月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


茨城県北紀行

先週の日曜出勤に続いて、土曜も動員を掛けられてしまった今週末。
幸いにも昼過ぎには退勤できたので、午後からは中学時代の友人と飲みに行くことができましたが……いよいよもって忙しさが増してきた今日この頃です。

土曜を封殺されて機動性が落ちた週末ですが、遠出は出来ずとも関東圏の日曜日帰りくらいはしないと済みませんね。
大学時代の友人と会うために茨城県の北部まで行って帰ることになりました。


日曜の朝は北千住駅で元寮生と合流してから、常磐線をひたすら北東へ進み、降り立ったのは茨城県の友部駅。
ここで件の大学の友人と合流し、彼の車にピックアップされたら、この日の行程の始まりです。

最初に向かったのは駅から車で20分ほどの場所にある笠間稲荷神社です。
参道には商店に入り混じって有料の駐車場と誘導員が群れをなしています。車社会の観光地らしい光景、あまり車で繁華なところに行かないので、久しぶりに見る光景です。
適当な駐車場を選んで停めたら、ほんの少しだけ歩いて目的地に到着です。
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笠間稲荷は日本三大稲荷の一つに数える“場合もある”比較的規模の大きな稲荷神社です。
もっとも、三大稲荷は伏見稲荷大社以外の2つについて、様々な組み合わせがあります。どれが一般的かも言い難いのが難しいところです。
それはさておいて、訪れたときはちょうど節分式の準備中。参道右手に木製の台をせっせと作っていたのが印象的です。
広大な境内がある訳ではありませんが、参道の賑わいも含め古くからの文化を感じる神社でありました。


歴史深い笠間の稲荷を巡ったら、国道50号を西へ更に20分ほど向かうと、今度は常陸国出雲大社が鎮座しています。
こちらは一転して平成年間に創建された極めて新しい神社。平成の世になってからも神社ができるのかと驚きますが、いかなる社も創建された当時は新品ですから……仕方ないですね。
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地形的にも特段何かあるようには見えませんが、立派なしめ縄と拝殿は圧巻です。
伝統的な神社建築に囚われてない気もしますが、気にしたら負けでしょう。折角なので御朱印ももらって、この地を後にしました。

小一時間ほど東へ車を走らせて那珂川水系の谷筋から久慈川の谷筋へ。
3社目に訪れたのは、常陸国二之宮にも列せられる式内社、静神社です。
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祭神は綾織の神タケハヅチ。「しず」の音には“倭文”という漢字を当てる場合もあり、織物を指す古語でもあります。
近隣には古墳群も残り古くから人が住んでいたことを物語ります。かつてここで日々を営んでいたであろう機織り集団の痕跡を伝える由緒ある神社でありました。
ただ、残念ながら社務所は不用心に開け放たれたまま、もぬけの殻。声を掛けても反応がなく、御朱印を頂くことは出来ませんでした。

静神社からは、昼食に名物“常陸秋そば”を食べれるお店を経由しつつ、久慈川沿いに北上します。
奥久慈の狭い谷筋を抜けると、不意に盆地が広がり茨城県最北の町、大子町の中心街に至ります。水郡線の駅の前を通り抜けて、少しだけ町域から離れた場所まで行ったら4つ目の目的地、旧上岡小学校に到着です。

2001年に閉校となってしまった上岡小学校ですが、その校舎は明治昭和に建てられた木造校舎が移築もされずに現存した貴重な代物。
国の登録有形文化財にも指定され、週末や祝日には無料で一般見学も可能です。
貴重な木造校舎を大手を振って見学できると言うだけでも十分に興味深いのですが、更に加えればこの校舎、劇場版ガルパンの劇中にも登場しています。
つまり端的に言えば聖地巡礼です。一昨年の映画であり、大洗には何度か訪れていたものの、こちらの小学校に関しては場所が場所だけになかなか行くことが出来ず後回しになっていた次第。ようやく念願の探訪ができました!
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そんな訳で車から降りて校舎を見やれば、即座に「アニメと一緒だ!!」と身も蓋も知性もない感想が飛び出してしまいます。
アニメ効果か、別のドラマか、はたまた純粋に有名なのか……理由はわかりませんが、訪れたタイミングでは、常に数組の見学者がいる賑わいぶり。
校舎内も古いなりによく手入れされ、大事にされていることが伝わってくるようです。
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往時に使われていたであろう教材や機材も残っており、中には昭和30年代のラジオやら地図なども残っており、それらを眺めているだけでも飽きない程でありました。
また、当然ながらそこかしこにアニメで見た光景があります……が、挙げていってはキリがないので、そこは「アニメと一緒だった」の一言で十分でしょうか。
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劇中に登場した黒板(本来は学園艦?)や出演者の色紙に、聖地のらしさを感じました。

訪れる前は正直なところ、さほど期待してなかったのですが、気づけば1時間以上居座ってしまった旧小学校。
なかなか見飽きない風情があったのですが、時間の都合もあるので日が傾きだした頃合いで出発し、最後に袋田の滝も見物に行きました。
袋田の滝は以前にも一度訪れたことがあるのですが、そのときは温暖な季節。寒い時期に来たのは初めての経験です。
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着いてから知ったのですが、この季節の袋田の滝は凍ることで名高いそうです。
残念なことに、この日は暖かったこともあり控えめな凍り方でしたが、それでも滝の一部が白く氷に覆われている光景は、なかなかに迫力があり興味深いものがありました。

更に今回は滝の裏手の遊歩道を登って一段上流にある月居の滝も見てきます。
切り立った崖に掛けられた階段を昇り、さらに岩壁に設えられた桟道を抜けた先に遠くその小さな滝は姿を現します。
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迫力でこそ袋田の滝に一歩譲るものの、規模が小さい分凍り方は少しだけ充実しています。
紅葉の頃など、さぞ綺麗だろうと思わせますが、枯れ木の向こうの凍った滝も侘び寂びなのかもしれません。


斯様な次第で滝の見物を終えたら、友人オススメの飯屋で夕飯を食べて、帰路へ。
常磐線名物の電車飲酒でホッとしながら、どうにか日付が変わる前には内房に帰り短くも充実した週末を終えることとなりました。

ひとりぼっち温泉の話

週末が近づくと狙いすましたかのごとく寒波が襲来する1月半ば。
このところは業務過少で手持ち無沙汰な日々の連続でしたので、金曜日には開き直って有休を掠め取ってしまいました。
目的は寒波に挑むため草津温泉に行ってしまうこと。
久しぶりの完全な1人旅行、気兼ねがないのは良いことですね。


出立は冷え込みの厳しい金曜の朝方から。出勤時間より少しだけ遅いタイミングの電車に乗り、総武本線から高崎線を経由して、吾妻線に乗り継ぎます。
オーソドックスな鈍行旅の経路。高崎辺りまでは雪の気配もなく、アテが外れたのかしらと心配になってしまいましたが、吾妻線で榛名山を回り込んだくらいから、じわじわと周囲に雪が増えてきます。
最寄りの長野原草津口駅に辿り着いた頃には、雪が舞い散り期待通りの冬景色。これで目的は達せると一安心です。
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駅からは連絡バスに揺られて20分と少し。山を越えて集落を抜け、暫く行けばバスターミナルに至ります。そこから更に歩いて5分で草津温泉の象徴、湯畑の前に到着です。
白く積もった雪と、少しだけクリーム色になった湯畑、温泉街に来たんだなと感慨深くなります。
金曜に来たおかげで、人影もまばらなのがまた実に快適でした。

これで目的の半分は達成したようなものですから、残りは極論すれば消化試合。ふらりふらりと観光して過ごしましょう。
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最初に向かったのは湯畑に相対するように鎮座する草津山光泉寺。行基が開基した薬師堂に端を発すると伝わる由緒あるお寺です。
草津温泉自体、相当古い時代からあるそうですから、恐らくは温泉街をずっと見守り続けていたことでしょう。
朱塗りの本堂が雪の白さによく映えていました。

草津の温泉街自体は湯畑を底とした盆地状の土地一帯に、広がるような形をしています。
新興のホテルや温泉ほど外縁にあるような構造。温泉街として散策するような、売店や居酒屋、主だった源泉のある範囲は端から端まで歩いても15分程度の範囲に過ぎません。
そんな訳で慌てることない日程でふんわりと過ごし、同じようなところを何度も通過します。
西の外れにある西の河原公園だって、すぐに着いてしまいます。
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この西の河原は上流部に温泉の源泉を抱え、川自体が温水と言う温泉の町らしい光景が広がる公園です。
雪に埋もれたお稲荷さんもアクセントですが、何よりも河原全体が湯気を放つ光景が印象的。
ほんのりと硫化水素の匂いが漂い、ほんのり温い足元を意識しながら河原を散策すれば、雪景色の中でもあんまり体が冷える気がしないのですから不思議なものですね。
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さらにこの公園、奥に向かえば露天風呂もあったりします。
少し早い時間帯ではありましたが、特に予定もないですし、早速入ってみることにしました。
念願の雪見露天風呂ですよ、テンション上がりますよね。
当然、内部の撮影はできませんが……脱衣所を抜けたら洗い場もへったくれもなく広がる、広大で天井のないお風呂が目の前に広がります。
囲いこそありますが、むしろあるのはそれだけでしょうか。広々とした露天風呂から、雪に覆われた山並みが見渡せ開放感は抜群の環境です。
雨や雪が降り出した日にはひとたまりもなさそうですが、それはそれで一興なのかもしれません。
後で気付いたのですが、この辺で洗い場がないのはそもそもが酸性泉なために、石鹸自体があまり役に立たないからなのかもしれません。
真水で洗わせろとも思わなくはないですが、殺菌作用の強い泉質ですし、あまり不都合はないのでしょう。
雪を眺めながら風呂上がりのコーヒー牛乳を飲めば、もうやることはやり尽くした感が出てしまいます。
「平日の日の高いうちから露天風呂の温泉で雪見」――ここにもう欠けたものはないのではないでしょうか、悪徳の限りですね。

いよいよもってやるべき事を見失ってきたので、一旦宿にチェックインして荷物を預けたら、後は温泉街をあてど無く彷徨いながら夕飯の場所を探します。
草津は温泉街としては素泊まり客に優しい外食の充実した界隈です。
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ライトアップされた湯畑や雪景に映える町並みを眺めながらお店を物色し、最終的にはこじんまりとした居酒屋に入って落ち着きました。
高校生くらいのバイトや、お店の家族と思しき子供に応対されながら、のんびりと名物の舞茸にこんにゃくやら何やらを食べ、地ビールに地酒で2時間半ほど。
観光地価格にはあまりコメントしませんが、久しぶりに一人酒で豪遊してしまったかなと思うとこ。満足のひとときを過ごして、宿に戻りました。

ちなみにこの日の晩はゲストハウスだったのですが、またしても相部屋に同宿人がいない状況に遭遇です。
最近、こういう機会が多いのですが……なんででしょうね。不思議です。

疑問はさておいて、翌日の土曜日21日。関東平野でも朝方に雪が降ったとか降らないとかと聞く寒波の本番です。
朝起きて外を見たら唖然呆然の白化粧。吹雪いてますから、流石にビックリしますよね。
念願叶った雪中行軍体験をしながら、湯畑まで行けば、もはや舞い踊る雪と湯気が混ざり合って向こう側の建物すら見えない見通しの悪さに。
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住民には難儀な話でしょうが、観光客的な視点で言えばウキウキしかない状況です。雪落としの重機まで出動していて、雪国に来たことを改めて実感しちゃいます。
ただ難儀したのは意外と朝食を食べる場所がないこと。観光客は昼頃来ますし、朝飯くらいは宿で摂ってしまうのが道理だからなのでしょう。
暫く探し歩いて、ようやく見つけた喫茶店でホッと一息です。

一息ついたら、この日は前日に時間切れと温泉のせいで後回しにしてしまった神社へ、参拝に向かいます。
温泉街の北西の高台に鎮座する白根神社は、この周辺の神社を明治期に習合したという町の氏神様。
行かない理由がないでしょう、それが例え、雪に覆われた参道を掻き分ける必要があったとしても、です。
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巫女さんがいるかなとか、御朱印貰えるかなといった仄かな期待は初っ端から圧し折られてしまいましたが、それでも引き返す訳にはいきません。
こんな雪を掻き分けた参拝はいつ以来でしょうか、随分ぶりに神社で遭難しかけた気がします。
一応は無事に参拝して、下山まで済ませましたが……靴の中まで雪が入ってしまったのには、流石に参ってしまいますね。

もっとも、吹雪いてテンションが上がっていたこの時の私にしてみれば、それも然程問題ではないこと。
昨日からどれほど積もったかと、西の河原公園だって行っちゃいます。
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流石に河原の雪率がだいぶ増していたのには感心しましたが、そこまで大きな変化はなさそうですね。
急な風が吹いて、木々からの落雪に襲われたくらいがイベントでしょうか。

しばらく雪の公園で雪中行軍ごっこを満喫したら、湯畑に戻り、さらに少し離れた路地裏にある共同湯に足を向けました。
ここ、草津温泉にはいくつも源泉があり、泉質や温度の異なる共同湯が何軒も点在しています。幾つかは整備された有料のお風呂や、宿の管理する日帰り湯ですが、古くからあるものには無料で使用できる伝統的な形式の箇所も残っています。
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土曜日はそんな無料開放されている温泉の一つ、地蔵の湯に入ってみることにしました。
路地の一角にある源泉の前には、地蔵の湯の名前の通りお地蔵様が鎮座しています。雪に巻かれながらも、ちゃんと参拝してから建屋の中へ。
ここもやはり、洗い場といえるようなスペースはなく、それどころか脱衣所すら別段の仕切り無く湯船と同じ部屋にある形式です。
酸性蒸気にカメラや電子機器を晒したくは無かったのですが、仕方なし。意を決して全部リュックに押し込み、あとは“機械はそんなにやわじゃない”と自分に言い聞かせて雪中行軍に冷えた体を温めて過ごしました。

熱めのお湯に暫く浸かっていれば、機材が痛む前に自分が湯当たりします。20分程も過ごせば、満足してしまったので、風呂からあがって昼食探しに移行します。
湯畑近くまで戻って見つけた舞茸蕎麦と舞茸ご飯のお店で、お酒もつけて昼から風呂上がりの堕落のひととき。これを満喫し終えたら、いよいよ後ろ髪を引かれながらも撤収の時間になります。

土壇場になって晴れてきたのだけが、少しばかり恨みがましい気持ちでしたが、この日の晩は別の約束があったのでどうにもなりません。
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長野原草津口駅まで戻ったら、気持ちが良いほどの快晴になってしまいましたが……ローカル線で1本見送るのは死活問題に直結しますから、如何ともし難いです。


そんなこんなで、来た道を戻るように東京に向かい、この土曜の夜は友人の“えめろん”氏と合流。
神田で飲んでから、さらに秋葉原で共通の友人とも合流し、日本酒で新年会など催しながら、終電を捕まえて内房へと帰りました。

しかして、予定が皆無だったはずの日曜日。
南関東は風が強いものの小春日和、多少の二日酔いは押してでも出掛けたい陽気だったのですが……豈図らんや、急な仕事の依頼がかかってしまいました。
渋々ながらも断る理由もないのでOKした直後、今度は大学の友人から誘いがあったのですから、誰が悪いでもなくただため息が出てしまいます。
そういう次第で気力も削がれたので、今日は半日引き篭もり。日中からアニメを見る過ごし方を久しぶりに実施中です。

寒波の秩父散策の話

今冬一番の大寒波が日本を襲ったこの週末。日本中そこかしこで雪が降ったとか、電車が止まったとか、そんなニュースで持ちきりでした。
先週は雪見が半分空振りとなってしまった会津若松も、今週は真っ白になったと言うのですから……因果な話です。

ところが、これまた何の因果か、どこで雪が降ってもなぜか降らなかったのが南関東。
多少の小雪は舞ったようですが、積もる積もらないの次元にはおよそ程遠いまま終わってしまい、ただただ寒いだけ。
如何に気持ちのよい冬晴れと言えども、そんな寒さでは出掛ける気も削がれるというものです。
今週末はお家で大人しくしてましょうか――なんて、問屋はもちろん卸しません。


土曜日の午前中こそ、どうにか寝不足を取り戻すため惰眠を貪って引き篭もりを堅持しましたが、午後には気も変わって千葉方面へふらりとお出かけ。
“総統代行”と幕張のイオンモールで買い出しなどして過ごし、夜には実家に戻り日曜に備えます。
そんな日曜日は、暇を持て余した元寮生の要望が土曜の午前中に入ったせいで、適当な出先を選定して北西に足を伸ばすことになりました。

西武線を乗り継いで、行ってきたのは埼玉の小独立国、秩父盆地です。
西武秩父駅から秩父鉄道に乗り換えて、さらに数駅。荒川沿いに列車に揺られれば、夏には舟下りや渓谷散策で名高い長瀞駅に到着です。

長瀞駅は秩父三社の一つに数えられる宝登山神社の門前駅でもあります。
駅舎もどことなく神社を意識した和風の趣あるデザイン。ここから神社までは真っ直ぐな参道で10分ほどの距離です。
ほんの少しだけ雪の残る凍りついた歩道を歩いて、初詣シーズンの終りを迎えた神社に参拝しました。
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宝登山神社は名前の通り、宝登山を神名備とする古社。大山祇神を祭神とし、秩父神社、三峯神社と並び称される秩父を代表する神社です。
またヤマトタケルノミコトの東征にも縁があり、神使が炎を鎮めたとかで火伏せの神威も持ち合わせているとかなんとか。
社殿も立派に彩られ、風格を強く感じる神社でありました。
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そして、この手の山を祀った神社のお約束、山頂の奥宮も当然あります。
神社のすぐ裏手に位置する宝登山は、程よい標高と眺望から南関東では比較的すぐに名の挙がるハイキングスポットでもあります。
ここまで来たら、登らない手はないでしょう。
登山道は半ば車道と化した非舗装道を2kmちょっとの距離。麓の地図によれば標準的な時間では、片道1時間ほどです。
若干の雪や路面凍結は見られましたが、危険を感じるほどではないので、サクサクと登ってしまいましょう。
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道中にはさほど見るべきものありませんでしたが……雑談しながら、自然の中を歩いていれば相応に楽しいですよね。
頂上には奥宮と社務所を兼ねた売店、茶店があります。
この茶店の前では焚き火が焚かれ、辿り着いた人たちに暖を提供してくれます。
併せて、甘酒やコーヒー、熱燗なんかも販売しているので、つい手が出てしまうのは仕方のないことでしょう。

寒い山頂で焚き火に当たりながら飲んだ熱燗、最高に美味しい一杯でありました。
また、一緒に食べたの“焼きみかん”なるあまり馴染みのない代物です。焚き火の横の七輪で、こんがりと皮を黒く焼かれていたのが、つい気になってしまいました。
茶店のおばちゃん曰く、皮まで食べれるということで、言われるままに丸ごと食べてしまいましたが、思った以上に甘くて美味しく驚きました。
焼くだけの簡単レシピなので、今度は家で試してみても良いかもしれません。

ちなみに本題の奥社は、山を祀った神社の例に漏れず小さな祠と行った風情。安心感がありますね。
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他方、鎮守の森かのような山頂の林を抜けて西側斜面。秩父盆地を見渡す展望台に出れば、正面に武甲山を見据える抜群の眺望が姿を表します。
新緑の春、空の濃い夏、紅葉の秋、きっといつ来ても綺麗なのでしょうが、空気が澄んだ冬も殺風景ながら悪くないものです。

また山頂近傍には蝋梅園も併設されています。名前こそ知っているものの、あまりイメージの湧かない花でしたが、何でも強い芳香を放つ黄色い小さな花だとか。
道中に幟まで立てて開花を宣伝していましたが、実際に登ってみると花開いてる木もあるものの、見頃はもう少し先といった様子。
無いよりマシ程度ではありましたが、それでも年明け一番の花見になりました。
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暫く山頂界隈を散策したら、帰路は凍結路面を恐れてロープウェイで。

下山後は麓の食堂で“おっきりこみうどん”なる上州から秩父にかけての名物料理を食べて一息。
その後、参道途中にあった重要文化財の旧家を見学です。
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秩父の豪農の家だそうですが、厩が一体化してるのが特徴なのだとか。
南部の曲家にも通じる寒い地域の特色なのでしょうか。間仕切りが少なく、寒い割に風通しが良さそうなのが印象的な建物でした。

文化財の見学後は長瀞駅に戻り、秩父鉄道を引き返して西武秩父駅の最寄りお花畑駅まで。
ここで下車して、秩父三社の3つ目、秩父神社を目指します。本当は一駅手前、秩父駅の方が近かったのですが……降りてから気付いたので処置なしですね。
駅から神社までは参道のような真っ直ぐな道が続き、周囲には風格ある建物が続きます。
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古い街なので、町並みに趣があるのは期待通りなのですが……何よりここで驚きなのは、圧倒的な重要文化財指定の建物の多さ。
ある辻など、4つ角のうち3つまで重文なのですから驚かされます。
明治大正から昭和初期のレトロで剛健な都市建築が残り、明治以前の古い町並みともまた一味違った時代の重みを感じさせます。
今回は時間の都合もあったので、神社メインに通り過ぎただけですが、いずれは建築のわかる人と行ってみたくも思います。

そんなこんなで15分ほど街を巡って着いたのが、知恵の神様、八意思兼命を祀る秩父国造の祖神、秩父神社です。
秩父一帯は律令制でこそ武蔵国ですが、古く独立した地域として発展していた土地。その土着の豪族が祭祀し、今も崇敬を集めるのがこの古社です。
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今も街の中心部に鎮座し、12月の夜祭はそれはそれは盛大で華やかなものなのだと言います。
祭りの季節が過ぎ初詣も一段落した今週末でも、流石に終始参拝客がおり、観光地の強さと崇敬の厚さを感じさせました。

秩父神社での参拝も済ませたら、ここから30分ほど南の方、秩父盆地の玄関口の町、横瀬まで歩いて移動。
お出かけの最後は、この横瀬の日帰り温泉、武甲温泉で締めといたしました。
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武甲温泉、初めてきたところでしたが、広々とした露天風呂と庶民的な休憩スペースが居心地の良い穴場。
ビールも飲めますし、駅からも近いと至れり尽くせりです。
入湯料も手頃で、実にいいところを見つけたとご満悦ながらも、帰路の都合もあったので19時過ぎには撤収となったのが惜しいところでありました。


斯様な次第で、存外楽しかった寒波の外出から一転して、じわりじわりと現実に引き戻されて、今に至ります。
来週は何をしましょうか。

歳末の高原野営の話

あけましておめでとうございます。
本年もできるだけ飛び回るような生き方を目指していきたく存じますので、どうかよろしくお願い申し上げます。


さて、話は遡り年末以来の趣味的な意味での繁忙進行の話。
久しぶりに羽根を伸ばした気分で動き回っていたら、あっという間に年明けですから声が出ませんよね。

一週間ほど時を遡って、クリスマスが3連休になっていた昨年12月23日頃の行動から。

この日は朝から実家の車を拝借して、大学時代の友人、元寮生を拾い上げて一路静岡に向かっていました。
富士のインターチェンジで下道に入ったら、ぐいっと富士山麓の西側へ。
朝霧ジャンボリーオートキャンプ場にてテントを展開し、なんとこの度はついに……念願の冬キャンプを達成です!

憧れの閑散とした広大なキャンプ場――と言うには、安全を見込んで電源付きサイトを選んでしまったので、人も多く見晴らしも一歩譲るところですが、初挑戦としては上等でしょう。
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一応、ほんの少しだけ歩けば富士山も望めるので、問題ありません。
放射冷却が怖いほどの快晴ぶりにテンションを上げながら、焚き火を始めて鍋と熱燗で夜を過ごしました。
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夜も夜とて、目の前に広がるのは満天の星空。流石に肉眼では確認できなかったものの、写真で撮れば天の川さえ映り込む快晴ぶりには大いに感動してしまいました。
ただ、その代償に寒さもまた強烈な次第。21時を過ぎた頃には外遊びに耐えかねて部屋に引っ込んでしまう有様でした。

翌朝も方々に霜が降り、外に置いた荷物は文字通り凍りつく寒さ。
ピリッと刺すような朝の空気に、外へ出るのも一苦労でしたが、それでも日の出見たさにテントから這い出てカメラを構えます。
早起き勢の炊事の煙が立ち上る向こうに見えた富士山は、なかなかどうして鮮烈な姿を見せてくれたようでした。
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そんな訳で、今回は珍しく夜の雨に襲われなかったので、朝も炭火を起こしてベーコンなど焼いてみたり。

日が昇りきって周囲が温まるまでは、テントの中と外を行ったり来たりしながら過ごしつつ撤収の準備をして、チェックアウトギリギリの10時頃に最終的な撤収となりました。
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帰路は温泉など寄りつつ、富士山の南麓を巡って御殿場から東名に乗るルートで撤収といたしました。


そんな訳で24日のクリスマスは神奈川に戻ってから、フォロワーのみかん氏、朔氏とワイン会を過ごして終りを迎えました。

東総文化紀行

気付けば立冬、暦上の冬の到来と軌を一にするかのように寒波が押し寄せてきた11月2週目。
週明けから寒いし、上長面談では辛さを感じるしと……限りないモチベーションの低下を感じます。

一方で振り返ればこの週末は抜けるような秋晴れの空と、穏やかな気候に恵まれた理想のお出かけ日より。
急遽、出張案件から解放されてポッカリと予定の空いてしまった土日を活かして、ちょっとばかり近場で観光することにいたしました。


そんな土曜日は朝は少し余裕を持って10時頃から行動を開始。
起き抜けに見上げた空は雲一つない晩秋のそれ。太陽光も心なしか透き通り、影も境界がはっきりしているかのように感じられる天気でした。
この日は先週に拝借した実家の車がまだあったので、それを有効活用して巡ります。
まずは房総横断道路をよしなに東方へ向かい、最初に向かったのは茂原市の辺り。上総の二宮、橘樹神社です。
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祭神はヤマトタケルの妃、オトタチバナヒメ。浦賀水道で身を投げたオトタチバナヒメの櫛が流れ着いた地に、彼女を偲んで祀ったのが創始と伝えられます。
同様の由緒を持つ神社は房総の方々にあるのですが、この社に関する神話ではヤマトタケルは内房側ではなく、そのまま外房側を航海して九十九里の辺りで上陸したと伝えられています。
真実は神話の霧の向こうでしょうが……全くない話でもないのかもしれません。
秋晴れの季節は七五三の季節。境内も晴れ着姿の親子連れなど居て、陽光指す雰囲気と合わせ、晴れ晴れとした雰囲気でありました。

続いて九十九里の平坦な大地を少しだけ東に進み、2社目は茂原の隣町、白子町の白子神社です。
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こちらの祭神は今でこそオオクニヌシですが、由緒書を見ると元々は妙見様だった様子。
北斗星を神格化した仏教、ないしは道教に近い神様ですが……中世、千葉氏の勢力圏だった房総地域は妙見信仰の社も多いような気がします。
何はさておき綺麗で清々とした神社、規模の割によく管理されているのが印象的でした。

白子神社からは進路を南東に向けて、九十九里浜沿いの道をひたすらドライブ。
この一帯は驚くべき程に平坦で、車で走っていても起伏をほとんど感じないほど。地質学的には“最近”になってから海から砂が流れ着いてできた地形だけに、有力な河川も頑丈な丘もなく、本当にただ平坦で……空が広いのが印象的でした。
ほとんど運転しっぱなしで、道中の写真が撮れなかったのはご愛嬌でしょう。
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途中、五所神社や横芝駅近くの金刀比羅神社に参拝しながら、目指したのは一気にはるか東方。
九十九里の平坦地から、一転して古い岩塊の名残で起伏が多くなる銚子市一帯、その丘陵地の中央付近にあるのが猿田神社です。
この猿田神社、もうかなり昔、御朱印を集め始める前に一度来たことがあるのですが、当時は参道に据えられた線路を跨ぐレンガ造りの跨線橋が印象的だった記憶があります。
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久々に訪れた今回も当然ながら参道は健在、銚子では屈指の神社だけに七五三の参拝客も多く参道の前には出店が並んでいるのには驚かされました。
ところが、さらに驚いたことには社務所は少々早めの15時には受付を終了してしまう由。たどり着いたときにはなんとギリギリ15時15分過ぎ……。
タッチの差で御朱印を逃してしまい、この日は参拝だけ済まして撤退となってしまいました。

その後は来た道を引き返すように総武本線に沿って進路を再び西向きへ。
猿田神社を目指す途中、県道の交差点で「雷神社」の看板を見かけたのですが、往路では反応が間に合わず過ぎ去ってしまったので、再確認に向かった次第です。
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無事に交差点で看板を再確認し、今度はちゃんと曲がって畑の中の小道を進めば、目指す神社はありました。
全く知らなかったのですが、あとで調べたところでは、この一帯では比較的規模も大きく由緒も古い部類に入る神社なのだとか。
地図を見たところ、現地では気付きませんでしたが、まさにその社は丘陵地の西端、九十九里の平野――かつては椿湖という湖だか潟湖だかを、見下ろす然るべき位置に建っています。
知らなかったのであまり期待してなかったのですが、行ってみれば宮司さんもちゃんと居られ、丁寧な対応で御朱印も頂くことができてよかった次第。
何事も先入観を持たず、気になったら行くべきだとよくわかる経験でした。

さらにここで下総の二宮、玉崎神社も近くに有ることが判明して、折角ですから時間的に最後ですが寄ってみることに。
こちらは丘陵地帯を下って九十九里の平野側の縁、刑部岬のすぐ下にある飯岡の漁港の一角に鎮座しています。
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かつての二宮と言えど、今の雰囲気は漁師町の少し大きな神社程度。それでも漁港ならではの細い路地のなかにある雰囲気は、夕暮れとも相まって静かで懐かしい雰囲気を湛えておりました。


さて、ここまで丸一日かけて九十九里沿いの主だった神社を巡ったのですが、ここに来て夕暮れの境内で思うのは手放しで気持ちのよい好天と言い知れぬ旅の感傷。
すっかりテンションが上ってしまい、サッとネットで宿を調べて確保し、この飯岡の町に泊まることに急遽決めてしまいました。
土壇場で宿を決めるなんて久しぶりですね……やっぱり楽しいです。

そうと決まれば帰ることを考慮しなくていいのですから、実質的に時間は無制限。
とりあえず漁港のすぐ東側、屏風ヶ浦の西端でもある刑部岬に昇って夕陽を拝みに行きましょう。
この日は天気が良いこともあって岬の展望台はギャラリーが多数来ています。
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こんな僻地までよくもまぁ……と思いましたが、望んで納得の絶景がそこには待っていました。
見渡す限りの海と、九十九里浜の弓なりの海岸線、地平線に沈む太陽と七色の空。これを絶景と言わずして何というのでしょう。
南を見やれば、三日月と宵の明星も輝いています。
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そして日没後、段々とギャラリーも減り始める中で、星も観たいなと少し粘っていたところ姿を見せたのは地平線にぼんやりと影を現す富士山です。
近くにいたベテランの撮影家曰く、ここは夕陽が沈んでからが本番だとのこと。本当はもう少し雲が多いくらいの方が、太陽光が散乱しより綺麗に富士山が見えるのだとも。
日没から夜の帳が降りきるまでの黄昏時の一瞬だけ、地平線の先に姿を現す見慣れた山陰は言葉を失う神々しさがありました。

この後は一旦、飯岡に戻って夕食を摂り、宿のチェックインも済ませてから夜景を拝みに再度刑部岬に。
満天の星空と九十九里の夜景、これもまた佳景です。
入れ代わり立ち代わり訪れる、夜景を見に来たカップルの圧迫がなければ、もう少し落ち着けたのですが……それは言っても詮無きことですね。
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代わりに宿に戻ってから温泉で体を温めて、岬を望む漁港のの突堤へ。
夜釣りに興じる人々に紛れて、お酒を舐めながら星空と岬を撮って、このいまだかつてないほどの絶景ラッシュを堪能した一日の締めとしました。


翌朝も爆睡して起きたら9時頃、最近は旅先でも早起きが出来なくなってしまったのに、気の緩みを感じます。
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朝一はとりあえず、すっかりお気に入りと化した刑部岬に登って、日中の風景を確認。昼でも十分に良い景色です。

景色を堪能したら、前日の夜に地図で見つけた旭市街の鎌数伊勢大神宮へ。
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かつて椿湖と呼ばれたこの一帯。農地の拡大のため、江戸時代に干拓した人々が居たそうですが、その頃に勧進した天照大神を祀るのがこの神社だそうです。
正直、あまり地味が豊かとは思えない土地ですが……それでも歴史はあるものですね。

鎌数伊勢大神宮を後にしたら、再び車は銚子方面へ。前日は時間切れとなってしまった猿田神社を再度訪れて、今度こそ御朱印をいただき、そのまま“ここまで来ていかない手はない”と犬吠埼まで。
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実際には突端まで行かず、北側の君ヶ浜から波と強風に翻弄されつつ灯台を眺めて、満足します。
灯台は近くで見るのもいいですが、少し離れてその荒波に抗いながら屹立するさまを眺めるのもいいですよね。

そしてその流れのまま、細い外川の路地を車ですり抜けって銚子電鉄の終点、外川駅にも寄り道。
もう5年前になるでしょうか……前回来たときは確か朝一の電車に乗って降りた気がします。
外川の界隈は坂沿いに細い路地が碁盤の目のように張られた、独特な景観の街並みです。
初めて訪れたとき、年中吹き付ける強い風に耐えながら、逞しく生きる漁師町の風情が印象に残り……いつかまた来ようと思ってはいたのですが、実現までに随分な時間が経ってしまいました。
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そんな久々の外川駅は相変わらず風情はあるものの、日曜の日中なせいか目を疑うほどの人手が。
こうも賑やかな印象があると、ちょっと寂しいような、でも鉄道のためには喜ばしいような複雑な気分になりますね。

外川の一帯まで来たら、半ば思い出巡りに近く近辺を車でフラフラ。
前回はお祭りに遭遇した渡海神社も、今回はすっかり静かな無人の神社です。
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裏の宮司宅で御朱印をもらえる……らしいのですが、宮司宅の場所がわからず、気付かなかったことにしたのはご愛嬌でしょう。

地球の丸く見える丘展望館で昼食を摂ったら、外川の東側の長崎地区もぐるりと巡ってこの界隈を後にします。
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この長崎地区、突端の長崎鼻も然ることながら、集落自体が何度見ても呆れるほど厳しい吹きさらしの環境にあります。
特段の漁港があるでもなし、なぜ年中塩水噴霧試験をしているような箇所に相応の数の家があるのか、正直不思議なところはありますが、なぜだかとても魅力的にも感じます。
次こそはこの辺りに宿を取って、もう少しのんびりと周囲を巡ってみたいものです。

外川からは銚子の中心街を抜けて、呆れるほど大きな河口域の利根川を渡る銚子大橋を超えて、茨城県の神栖市波崎地区へ。
大橋の橋の袂、恐らくは近くに渡し場でもあったのかと思われる場所に鎮座する手子后神社に参拝。ちなみに“てごさき”と読むそうです。
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祭神は手子比売命。あまり聞き慣れない女神ですが、常陸国風土記に記載される「童子女松原」の逸話の娘のことだとも言われているそうです。
ちなみにこの逸話、端的にいうと「夜な夜な逢引していた美男美女が、気付かず夜明けまで逢瀬を続けてしまい、明るみに出るのを恥じて松になった」という、今ひとつ個人的な感覚的ではよくわからない話です。
なぜそこで松なのか……。
それはそれとしても、風土記にも名を残すほどの由緒ある古き土地ではあるのでしょう。件の松原の名を冠した公園が、この社の少しきたの方にありました。

そして、ここから国道沿いに鹿島方面へ一気に北西へ進んで最後に参ったのは東国三社の一つ、息栖神社です。
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古く東国で最も重要視されていたという香取・鹿島の両神宮と並び称され、歴史的にも長く鹿島神宮との関係が続いた国史見在社です。
古名をおきつ神社とも言い、かつては香取海とも呼ばれた霞ヶ浦の沖洲だった土地に鎮座していたとも考察される――とWikipediaには書いてあります。
祭神も交通を司る岐神であり、海上交通の要衝を抑えていたのでしょう。
実際、地図で見ても霞ヶ浦の首元を挟んで丘陵地に鎮座し向かい合う両神宮に対して、少し下流側の低地に位置するこの神社。中洲でも何でも、きっと河口に睨みを利かす立地だったのは容易に想像できます。
厳密には、本来はもう少し東南の方に鎮座していたそうですが……中洲なんていっぱいありそうですしね。

また江戸から昭和にかけてはこの神社の目の前は船着き場でもあり、渡し船が通っていたそうです。
利根川水運の要衝、水郷地域でもあっただけに比較的近い時代まで舟が日常交通の足として機能していたのは少しロマンを感じました。


そんなこんなで好き放題に巡った二日間。息栖神社からは高速道路を使って一気に神奈川に車を返しに向かいます。
1日半かけた道程以上の距離を、一息に駆け抜けられる高速道路って本当に文明を感じますね。

斯様な次第で、日曜の夜は実家で夕飯を食べてから電車で内房に帰り……テンション下がり目な冒頭の月曜日に至りました。

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