月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


突貫石見訪問

忙しさも板について、諦観の念が強くなりはじめた今日このごろ。
耐えるか、逃げ出すか……動悸に苛まれながら、ただそれだけを考えていれば、平日は過ぎていってしまいます。

そんな日々の中でふと話題にのぼったのが、フォロワーのしろかえる氏がそろそろ引越すとの話題です。
仕事の都合で島根県内を転々とする彼ですが、引っ越しの度に口実を作って遊びに行くのが恒例と化していました。
ところが現住地に越してきてからは、既に1年ほどが経つのに未だ遊びに行けていません。
彼の住まう島根の西端、益田市など、こんな口実でもなければ一生行くことも無いことでしょうに……! 急いでいかなければなりません。


そういう次第で早急に都合をつけて、電車の時間を調査。ギリギリ1泊2日でも行って帰れそうなので、今週末は急遽島根まで遊びに行くことにしました。

朝一番に家を出て、新幹線で西へ一路。新山口駅で山口線の特急に乗り換えて、出発から7時間ほど。
しろかえる氏との待ち合わせ場所、島根県の津和野駅に到着です。
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山陰の小京都と名高き山間の小さな町は、駅から風情があり趣ある列車が停まっています。

そんな訳で順当に駅でしろかえる氏と合流したら、駅近くの定食屋で“うずめ飯”なる郷土料理を食べてから街歩きに出発です。
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かつては津和野藩の城下町として、また山陰と山陽を結ぶ交通の要所として栄えた津和野町。長州藩に隣接する立地のため、幕末には多くの人材を中央に送り込んだそうです。
その後、経済交通の流れが変わってしまい、開発の波に取り残されてしまったがため、今も幕末から明治期の町割りや建物が残る風情ある観光地へと変貌を遂げています。

街並みの真ん中を抜けて道なりに北西へ向かえば、その先は町を見下ろす山の斜面に境内を構えた太鼓谷稲成神社の参道です。
日本五大稲荷の一つとして、珍しく“稲成”の字を当てるイナリ神社。中腹の本殿へ向かう階段は伏見稲荷を思わせる程の立派な千本鳥居に飾られています。
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頂上部の社殿もなかなかに立派で非常に良い雰囲気。振り返れば街並みも一望のもとに見下ろすことができます。
折よく列車が来たのですが、葉っぱの影に隠れてしまったのが惜しいところ。模型のような街並みに2両編成のディーゼルカーが映えますね。
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麓に戻ったら、折角なので隣接する弥栄神社にも参拝。本来、こちらの方が古いなんて話もあるそうですが……風情があって良いですね。
弥栄神社から街並み歩きに戻ろうとしたタイミングで、今度はSLやまぐち号の出発に遭遇です。
駅までは遠いので、見通しの効く踏切に陣取って勇姿を拝みましょう。
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黒煙を吐き出し、力強く駆け抜けるSLもなかなかに魅力的ですが、走った後の煙たさもまた強烈。観光で眺めるには楽しいですが……日常となれば「鉄道無煙化」が推し進められたのも仕方ないことのように感じてしまいます。

そんなこんなでフラフラしていれば、意外といい時間。町並み歩きもそろそろ十分かなと思ったところで、不意に路地裏の方から楽しげな重低音が聞こえてきます。
周囲を見やれば、どうやらお寺のような建物から音が流れてくる様子です。
葬式か縁日か……と思って見に行けば、意外な人の多さと妙に格好良いポスターが目に入ります。
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「妙壽寺功夫」「お寺でディスコ」「Shinran's Birthday Party」「Buddhadarma and good music」……パワーワードのオンパレードで、無駄に格好いいデザイン、圧倒的な情報量。ぐうの音も出ないほどの説得力です。
何をいいたいのかわかりませんが、なんだか楽しそうであることだけはよくよく伝わり、この日一番のインパクトでした。

その後は郷土資料館を巡ったり、一押しのジェラート店へ行ったりしてから津和野を撤収。しろかえる氏の車で一気に益田市街の彼の家に向かいます。
荷物を置いたら、そのまま飲み屋さんへ。日本酒と海鮮を楽しんだら、彼の家へ戻ってアニメを垂れ流しつつアニメを眺めて夜を迎えました。


翌日は帰りの時間の都合もあるので、少しだけのお出掛け。柿本神社の総本社、高津柿本神社に参拝して御朱印を頂戴します。
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柿本神社は歌聖柿本人麻呂を祀った神社。益田市周辺にはこの地で人麻呂が没したとの伝承が残っているそうで、その霊を慰めるために祀られているのだとかなんとか。
伝承の真偽は不明ですが、往古から栄えていたことだけは確かな土地。そういう可能性もきっとあることなのでしょう。

ふらりと神社を巡ったら駅前で昼食を摂り、少しばかり海までドライブしてから益田駅に戻り、しろかえる氏とはお別れの流れに。
来た道を戻るように山口線の特急に乗り込み、新山口経由で関東へと帰りました。


突貫行の津和野・益田旅行、普通であれば萩石見空港を使って空路で向かうのが常道なのでしょう。
あまりに突発すぎて鉄路にしてしまいましたが、益田にいたっては片道8時間半……東京基準で東北に向かえば室蘭あたりまで行けてしまいます。
飛行機ならベトナムを越えてタイかインドか……日本が広いのか、飛行機が凄いのか、思いつきにしては随分遠くへ行けて満足です。

社畜稼業とねじ込む野営の備忘録

先週の頭以来、文字通り朝から晩まで働く羽目になってしまった3月後半。

言い出せばキリがないほどの愚痴が積み重なっていますが、唯一の成果は土日の出勤だけは回避してキャンプに行ってきたことでしょう。
前日に22時まで仕事をしながら、朝は5時に起きて始発電車で高尾駅へ向かいました。
8時過ぎの高尾駅から、フォロワーの冴さんの車に拾われて、行って来たるは朝霧高原のふもとっぱらキャンプ場でした。
ここでキャプたん氏とも合流し、一泊です。

色々ありましたが……時間がないので、広々と楽しんだことだけを記しましょう。
大体、"ゆるキャン"の通りだった! といったとこです。

日曜日はその後は西湖の湖畔にある温泉でひとっ風呂浴びて、帰宅となり……月曜からは6時半出勤の日々。
控えめに言ってシンドいのですが……いつまで続くことでしょうか。

今はこれしかメモることができません。

春霞の琉球散策

先日の休日出勤の代価に振替休日を獲得した今週の月曜日。
降って湧いた3連休を有効活用するべく、久しぶりに遠くへ出掛けることにしました。

当初は一昨年に行き損ねた香港のあんこう邸を考えていたのですが、春節とシーズンが被ってしまい予算内では航空券が取れないことが判明してしまいます。
みかん氏を訪ねてソウル、あるいは中国沿岸か、国内か……と代替の目的地を検討した結果、手持ちのANAマイルで飛べる最遠方として沖縄那覇が候補に急浮上です。
この時期の沖縄は観光の閑散期とあってマイルが割安。気候も穏やかで人も少なく、海遊びをしないなら十二分に楽しめる穴場シーズンなのだとか。
これはうってつけの目的地を見つけたと、航空券と宿の手配を済ませたら、あとは当日を待つばかりです。


そういう次第で土曜日は朝から羽田空港に移動し、10時半頃の便で那覇へ向けて飛び立ちます。
少々の遅延と着陸後の諸々で、空港を出て日本最西端の駅、ゆいレールの那覇空港駅に辿り着いたのは14時過ぎくらいになりました。
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ここから那覇市街までは、初めて乗るゆいレールで移動です。
乗る直前まで全く知らなかったのですが、ゆいレールでは通常の乗車券も券面に印字されたQRコードを改札機に読ませるシステムになっています。
磁気式でもICカードでもない初めて見るシステムですが、切符自体は一見すると普通の磁気式と変わりありません。
恥ずかしながら最初の改札では仕組みに気付くまで少し時間がかかってしまい……初っ端からちょっと躓きですね。

閑話休題。
無事にモノレールに乗り込み市中心部の県庁前駅で下車したら、駅から海の方を目指して歩くこと15分ほど。
この日の最初の目的地は琉球八社の一つにして琉球国新一宮である波上宮という神社です。
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琉球八社とは、その起源は判然としないながらも、明治期に国家神道が定められる以前から琉球王国内に存在した、主な神社八社を総称した呼び名だそうです。
いずれも本来はその主体となるお寺があるそうですが、現状に到る経緯は複雑で今一つよくわからないのが正直なところ。
ただ少なくとも相応の由緒のある神社だそうで、特に波上宮はその規模や連続性から沖縄で唯一の官社として扱われた格式を誇ります。
社殿は海に面した低い丘の上に建つ沖縄風の立派なもの。今でこそ周囲も埋め立てられていますが、昔はより海に突き出したような地形だったそうです。名前の通り波の上のお宮と言った風情だったのでしょう。
沖縄の神社などマニアックな場所かと思っていたのですが、那覇市街に最も近いビーチも近くにあってか、ひっきりなしに観光客が参拝していく賑わいぶり。落ち着いて写真が取れないのは少し残念でしたが、無事に御朱印を頂戴することもできました。

波上宮の参拝後は昼食を摂りに寄り道などしつつ再び県庁前駅に戻り、駅前の商業ビル内にある那覇市歴史博物館へ。
この歴史博物館、ごく普通のテナントビルの4階に立地しており、同じフロアには普通のお店もテナントとして入っています。
観光客然とした格好で一般のエリアを通り抜けるのは多少気恥ずかしいところもありました。
それでも、展示面積的にも内容にもあまり期待してなかったはずが、侮るなかれです。
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戦前の那覇市街を復元したミニチュア以外全て撮影禁止でしたが、数多の伝統的な織物の図案やその技法、代表的な衣服が展示されており、来た甲斐のある興味深い内容でした。


博物館の見学を終えたら、既にお酒を飲み始めてもいい頃合い。気温も関東基準では4月の下旬頃といった暑くもなく寒くもない程よいぬるさ。
外で飲めるお店を求めて国際通りに繰り出せば、少し入った路地ですぐに立呑屋さんを発見です。
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オリオンビールを飲み始めたら、もう何も言うことはありません。
1000円でおつまみ1品と任意のアルコール3杯のセット。ビールと泡盛2杯で気持ちよく出来上がるのに、時間はほとんどかかりませんでした。


斯様な次第でほろ酔い気分にながらも、このまま夜を終えるにはまだ早い気分な18時過ぎ。
少しネットで調べると、波上宮へ向かう道中にあった福州園なる中国庭園で二胡の演奏会があるのだとか。庭園自体は歴史的な背景があるものでもなく、さほど興味も無かったのですが二胡の生演奏はちょっと聴いてみたい気分です。
さらに言えば庭園もライトアップされているとかで、写真を撮るにはいいかも知れないと思い立ち、行ってみることにしました。
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何事も思い立ったが吉日ですね。ライトアップされた庭園はなかなか乙な雰囲気があります。
肝心要の二胡の演奏については……巧拙こそよくわかりませんが、酔い醒ましに夜風を浴びながら聴く音楽の気持ち良さだけで十分でしょう。
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演奏を聴いて、その後にふらりと庭園を一周。あまり綺麗に撮れなかったのが心残りではありますが、面倒だと思わずに来た価値はありました。

酔いも醒めて気持ちよくなったところで、再び国際通りの裏通りまで舞い戻り、もう一軒。
地図で見れば無駄に数km歩いているのですが、そこはご愛嬌です。
次に見つけたお店も1000円で3杯飲めるお店ですが、面白店主に絡まれて盛り上がり調子に乗って3杯以上飲んでしまいました。
何故か他のお客さんのお土産という"千葉県産"落花生を貰ったりしながら、今度こそいい時間まで飲み語り、気持ちよくこの日の宿へと辿り着きました


日曜日は朝早めに起床してレンタカーを調達し、ドライブに向かう日。

本島を南北に繋ぐいくつかの国道を北上し、手始めに本島中部、宜野湾市の普天満宮へ向かいます。
普天満宮も前日の波上宮と同じく琉球八社の一つ。往古、後背の洞窟に神々を祀ったのが始まりと伝わる古社だそうです。
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Wikipediaによれば、波上宮と並んで琉球処分後にあっても信仰と勢力を維持した数少ない神社なのだとかなんとか。
朝早すぎたために洞窟の見学はできませんでしたが、御朱印は無事に頂戴できました。
素朴な雰囲気の社は日本と変わらないように感じます。


普天満宮の次は車で15分ほどの距離にある中村家住宅を見学。こちらは国の重要文化財に指定されています。
王国時代の家屋の形態を今に残す貴重な建物なのだとか。
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受付から風避けの石垣を抜ければ、赤瓦の上にシーサーを頂いたまさに沖縄といった古民家が出迎えてくれます。
内部も見学することができるのですが、夏を考慮した風通しの良い造りは爽快そのものです。
前日に続く初夏の陽気と程よく通り抜ける温い風、観光客の少ない静けさも合わさって、いつまでも寛いでいられそうな穏やかな時間を満喫できました。
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ちなみに案内板曰く、このような赤瓦作りは王国時代には士族だけのものだったのだとか。そのため、庶民にも普及したのは明治以降のことだそうです。
この建物も建造は王国時代ですが、瓦葺きについては明治以降の造作だとか。沖縄といえば赤瓦に白漆喰のイメージでしたが……意外と知らないものですね。
また、帰路には売店でお茶と茶菓子のサービスもあります。運転と見学の後にホッと一息できますね。


中村家住宅の主"中村家"は案内書に曰く、遡るとかつて中城城に護佐丸という武将(官人)が入城した際に、付き従って移り住んだ家柄なのだとか。
その中城城の城址は中村家住宅から車で5分ほどの距離。今やグスク群の一つとして世界遺産にも登録されています。
本来、行き先候補には挙がってなかったのですが、それほど近くにあるのなら寄らない手はないでしょう。
世界遺産だけあって、駐車場も広く行けばすぐに分かるのがありがたいところです。広大な城内は発掘調査と並行して遺構が修復され、公園として整備されつつある印象です。
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このお城は幕末期、黒船来航のペリー提督も訪問して、その石積みの流麗さを賞賛したのだとか。海を見下ろす丘の上、尾根に沿って広がる見るからに堅牢な城壁は、確かに見事でありました。
一方で南国らしく植物の方もその成長の勢いは盛んです。整備の間に合ってない場所では城壁を歪めて木の根が張り巡らされる様も見受けられ、これはまたこれでロマンあふれる光景でありました。


中城城跡の見学を終えたら、ここからは一気に国道を北上して本島北部の本部半島を目指します。
道中、不意の集中豪雨に見舞われてヒヤリとする場面もありましたが、どうにか辿り着いたのは本部半島の海洋博公園にある水族館、かの有名な美ら海水族館です。
以前から、沖縄に行くなら外せないと考えていましたが、ようやく念願かなって機会が巡ってきた次第です。
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道草のし過ぎで水族館着は昼過ぎの一番混雑しそうな時間帯。加えて日曜ということもあり、まともに見て回れない水槽もある程の混雑具合です。
それでも、一番肝心な巨大水槽とジンベイザメの遊泳は遠目に見ても圧巻の迫力です。
この他、琉球海溝近隣を題材にした深海コーナーではカイロウドウケツやコトクラゲなど初めて見る生き物も見ることができました。
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特にカイロウドウケツは、その精緻な構造を話には聞いていたものの、実物を見るのは初めてのこと。ライトに照らされた白磁の網目は見事というより他にありませんでした。

またこの海洋博公園、名前の通りかつて開催された"海洋博覧会"の名残として整備された公園です。
そのため水族館以外にも植物園や古民家園など、園内には文化施設が点在しています。
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特に古民家園は琉球諸島の様々な階層や地域の民家を復元しており、先に訪れた中村家住宅と同じように興味をそそります。
赤瓦の普及前の茅葺屋根と竹壁の家などは、沖縄というよりもっと南の異国の島を思わせる風情があり、沖縄の文化の奥深さを
感じることができました。

また海洋文化館は太平洋地域のカヌーを中心に、種々の文物が展示されていて、こちらも面白い。
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テーマが地味なせいか人も少なく穴場といった風情でしたが、スターナビゲーションに用いる木製の海図や、カヌーの実物に、建造する道具類まで置いてあります。
他ではそうそうお目にかかれない代物が目白押しであり、思った以上に長時間滞在してしまう程でした。


文化館の見学を終えて、時間を確認すれば既に16時をゆうに過ぎている状況。海洋博公園でだいぶ長居をしてしまいました。
レンタカーの返却の都合もあるので、帰路は寄り道せずに高速道路を使って一気に那覇市街へ帰還です。
車を返したら、この日も国際通りの裏通りへ繰り出して泡盛を堪能しつつ、残りの夜を過ごすことにしましょう。
前日が安居酒屋巡りだったのに対して、この日は観光客然とした名物料理の多い居酒屋へ。
一軒目ではラフテーやチャンプルーなど「沖縄っぽい」ものを食べて過ごし、二軒目には島唄の生演奏があるお店でのんびりしながら寝る時間を迎えることとなりました。


振休で休みとなった月曜日、沖縄最終日はゆいレールに乗って朝一番に首里城へ向かいます。
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首里城は言わずと知れた琉球王国の首府。復元された各施設は世界遺産にも指定されています。
高校の修学旅行で訪れた頃には、既に復元を終えていたはずなのですが、当時は都合もあって訪れないまま帰ってしまい、ここを見学するのは初めてです。
朱塗りの派手な正殿を朝一番の空いているタイミングで眺めることができたのは、何よりの幸運でしょう。

首里城を見学したら、そのすぐ裏手にある瑞泉酒造も見学。戦前から泡盛の醸造を手がける歴史あるメーカーです。
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一通りの行程を映像で視聴し、実際の機材を拝見して……朝から試飲コーナー! 出来立ての新酒から、熟成された古酒、加水する前の原酒まで味見することができます。
特に泡盛の原酒はアルコール53度となかなかに強烈なお酒。法律上「泡盛」とは表記できないため、品名が「原料用アルコール」となっているのもまた強烈でありました。

また首里城の南側の斜面には、金城町の石畳と呼ばれる古風な街路が伸びています。王国時代の地割の面影を残す趣深い区画です。
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折角なので朝食もそんな路地の喫茶店でいただきます。
那覇市街を一望する木陰のテラスで飲むコーヒーは、優雅というより他にないシチュエーション。普段の柄ではない、陽気にやられてたまには洒落込んでみたくなってしまいました。

朝食後は坂を下るようにふらりふらりと街路をお散歩。
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ノスタルジックな光景に誘われるまま巡っているうち、首里城まで戻るのも億劫なところまで彷徨い込んでしまいます。
仕方ないので、Google地図を頼りにゆいレールのおもろまち駅まで二駅分ほど歩いてしまいました。


おもろまち駅からは再びゆいレールで県庁前駅まで戻り、今度はここからバスに揺られて少し南の郊外、小禄地区へ。
飛行機の時間もあるので、最後に訪れることにしたのは那覇市街を見渡せる丘にある旧海軍司令部壕と呼ばれる施設です。
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沖縄戦の際、沖縄に残置された海軍の陸上兵力は、陸軍と連携しこの小禄一帯に陣地を構えて立て篭りました。
司令部壕はその名の通り、司令部が設置され、そして最後には玉砕を迎えた地下壕です。
遺構は現在も公園として整備保存され、地下壕としては珍しく内部を見学することが可能です。
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通路や通信室、司令官室など……広大な地下壕は全てではないものの、かなりの範囲を見学可能です。
生存者の証言に基づいたイラスト付きの解説板も置かれ、狭く暗い壕の中では過ごした苦難の日々に思いを馳せることができるようになっています。
沖縄戦の戦争遺構としては比較的マイナーな部類な気もしますが、実物を見て初めてわかる距離感や雰囲気もあり、歴史を学ぶ良い機会となりました。

見学後は売店の方の案内のお陰でタイミングよくバスに乗ることができ、そのままゆいレールに乗り継いで空港方面へ。
2泊3日の沖縄旅もお終いです。
最後にお土産を買い込んで、羽田行きの便で関東へと帰ることになりました。


全体的に天気に恵まれなかった沖縄旅行。去年の晴男ぶりの反動でしょうか。
それでも致命的な悪天候には遭遇せず、むしろのんびりと歩き回ることができたのは良かったといえるかもしれません。

しかし、これで去年貯め込んだANAのマイルはほぼ全放出の状態。安易に飛行機に乗るのはもう難しいので、しばらくは遠出はできないかもしれません。
暖かくなってきましたし、ハイキングとかキャンプとか、そちら方面に注力したいですね。

大井川の連泊野営

衰えを見せぬ寒波の猛威が北陸を蹂躙する2月半ば。
比較的穏当な天候が続く太平洋岸でも、気温の低さだけは如何ともし難く、日々の通勤が辛い限りです。

そんな寒さに翻弄される今冬にも関わらず、「ゆるキャン」の人気のせいか、冬キャンプがツイッター上で流行っている印象。
元来、アウトドア適性の高い半月クラスタにいたっては、目を離せば誰かがキャンプしているくらいです。

そういう次第で今週の3連休は、フォロワーの朔氏の誘いに乗っかる形で大井川沿いでキャンプをすることになりました。
主催曰く「5人でソロキャンプする」とのこと。一言で矛盾している気もしますが……気にしてはいけません。


出発の土曜日は朝から実家で車を借りて、朔氏を拾ったら東名高速を一気に西へ。

大井川を越えた島田金谷ICで高速を降りたら、一旦は下流側の島田市街へ向かいスーパーにて食材の買い出します。

ついでなので近場の大井神社にも参拝。大井神社はその名の如く、大井川を神格として祀る国史見在社。島田駅から大井川へ向かう旧道沿いに鎮座しています。
歴史は古く、貞観年間の記録にも名が残るそうですが、資料の欠落があったのか延喜式神名帳には記載がないのだとか。
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暴れ川を祀る神社として流域に同名の神社や、旧社地との伝承が残る土地も多いそうです。
現在の境内地は江戸時代になってから宿場町の発展に合わせて遷座したそうで、立地としては町中の社と行った印象。
それでも江戸時代の常夜灯や立派な社務所など、古くから発展していた町らしい趣がありました。

買い出しと寄り道を終えたら、県道を大井川沿いに一気に北上して、今回の宿営地であるくのわき親水公園キャンプ場に向かいます。
先行して来ていたキャプたん氏とも現地で合流し、しばらく待てばわため氏も到着して、この日の参加者は全員集合。
天気が不穏になってきたので、早々に設営してキャンプの始まりです。
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何はともあれ、火を点けるところから始まります。今回はキャンプ場の薪を利用したのですが、非常に燃えが良いので着火が捗りました。
よく燃えすぎて熾火にならないのが難点ですが、そこは適当に大きな木を拾って何とかしよう――そう思い始めた頃合いで、降り出したるは生憎の雨。

じわじわ強くなる雨のために、陽が傾き始めた頃には焚火をしているどころの状態ではなくなってしまいます。
仕方ないので、キャプたん氏のタープに居候することに。
また同じ頃に、近場に住んでいるというフォロワーの十五夜さんの来訪もありました。数年前のコミケ以来の対面でしたが、元気そうで嬉しい限り。雨の中ですがしばらく雑談をしたりと楽しいひとときを過ごし、お土産を頂戴しました。
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夕方から夜へ時計の針が進んだら、いよいよもってタープキャンプの本番です。
キャプたん自慢の薪ストーブとの組み合わせは、程よく熱を溜めこんで雨の下でも快適そのもの。
スープを拵えたり熱燗を作ったりしながら夜を過ごし、雨にも関わらずハイテンションではしゃいで雪がちらつきはじめる頃に就寝と致しました。


翌朝は多少冷え込みながらも気持ちのよい快晴。猛烈な風が吹いて叩き起こされます。この風が後で惨事をもたらすのですが、このときはまだ知る由もなく、うるさいと思うくらい。
空気も澄んで山の上のハングライダーの離陸場までくっきり見えるほどの気持ちのよい朝です。
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強風を掻い潜ってお湯を沸かし、即席ご飯で朝ごはんをしたら行動開始です。

行動開始と行っても、このキャンプ場にもう一泊する前提での話。少し下流の川根温泉に行き、ついでにさらに下流のホームセンターとコンビニで追加物資の買い出しをするだけです。
前日の夜中に関東を発っていた和泉冴氏がキャンプ場に到着するのを待って、温泉へ向けて出発です。
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私の車に5人を詰め込んで、ゆらり揺られて10分少々で道の駅の温泉へ。この道の駅の温泉、真正面に大井川鉄道の鉄橋を見据える位置に立地し、露天風呂や休憩室から川を渡る列車を眺めることができます。
ドライブにも程よい距離であり、奥大井の寸又峡と合わせて人気のドライブコースとして有名な場所なのだそうです。
我々も露天風呂と鉄橋を渡るSLを堪能して、小一時間ほど滞在。売店で川根茶のTバックまで買って、すっかり観光客です。

温泉後には買い出しを経由して昼過ぎにはキャンプ場に帰還。
しかし、何も知らずに帰ってみるとテント周辺の様子が少しおかしいです。
タープが消えていたり、ものが散らばった様子があり、何よりも尋常ではなく風が強いです。
車から降りてみると、そこには言葉を失う程の惨状が広がっているじゃありませんか……。
タープは吹き飛び、薪ストーブや各人の机は飛び散らかり、テントもペグが抜けてズレ動いてます!
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風が強いとは認識していたのですが、多少強めにペグを打てば大丈夫――その油断がまさに命取りな結果です。
何というべきか、また一つ……経験を積んでしまいました。
結局、散らばった品々を片付けていたら、殆ど一から再設営する有様です。
復興まで数時間を費やす羽目になり、幾つか備品が行方不明になってしまいましたが、致命的な喪失がなかったのが不幸中の幸いと言えましょう。

復興が一段落したら、気を取り直してキャンプ場から歩いて10分弱の吊橋を見物しに行くことに。今度は風にやられないよう大事なものは車に避難させてから、お出かけします。
キャンプ場から河岸段丘を上がってすぐに掛かる久野脇橋は、対岸の塩郷駅を結ぶ大井川で一番長い吊橋です。
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ひと1人が歩くにちょうど良い幅の木の板しか無い、なかなかスリルに満ちた吊橋。風が強いのでおっかなさも増量中ですが、開放感あふれる空中散歩気分は大好きです。
タイミングよく折り返しの蒸気機関車も来たので、橋の上から川辺を走る列車を見物します。
最近は方々でSLの勇姿を見ることができますが、年季の入った国鉄型の客車はやっぱり絵になりますね。
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キャンプ場に戻ったら、強風に怯えつつ火を起こして夕飯の作製へ移行です。

まずは以前からやってみたかったアヒージョ作りに挑戦。スキレットにオリーブ油を注ぎ、ニンニクと唐辛子で味付けして、適当に食材を油に浸します。
火力が調整できず、素揚げに近い状態になってしまいましたが誤差の範囲でしょう。美味しくできて、幸先よく夜が始まりました。

この日の晩は風があるものの雨は降らなかったので、各自が自前の熱源で料理するソロキャンスタイル。
鍋を作ったり、熱燗したり、みかんを焼いたりして夜を過ごします。
途中、わため氏の知り合いのすまふりーさんの訪問などがありつつ、絶妙な距離感の宴は日付が変わる時間帯まで。
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途中、風に煽られた椅子が焚火に突っ込んでしまい、穴を空けてしまう事故もありましたが……満天の星空の下、赤々と燃える炎が綺麗な夜になりました。


星空を見送って寝たはずの夜が明けて、放射冷却による極寒を覚悟して迎えた月曜の朝。
存外に暖かいことに不審感を抱きながら外を見ると、なんとそこには想像もしなかった白い世界が待っていました。
静岡県で雪が降るなど、それだけでも大事なのに……いわんや積雪など予想できるはずもありません。
唖然としながらも、何はさておき朝食で温まるより他にナシ。
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まずはお湯を沸かして紅茶を淹れ、カップ麺を啜りながら余った食材を食べてしまう準備です。
想定外の事態に、道はどうなっているかと心配していましたが、目玉焼きとベーコンを始末したくらいで雪も溶けはじめて、撤収作業に取り掛かる頃にはすっかり溶けてしまいました。
予想外の雪といえど、所詮は静岡の雪。尾根筋から太陽が顔を出す頃にはすっかり普段通りに戻ってしまい、何の問題もありませんでした。


この撤収の段階できゃぷタン氏は予定も合って先に離脱。
残りの4人は片付けが終わり次第、各自の車を連ねてこの日も温泉です。
前日の川根温泉より下流まで行ってから脇道に入り、島田市の田代の郷温泉で一服。川根温泉も露天風呂が開放的でしたが、こちらも天井がない文字通りの露天風呂。やはりこういう開放的なお風呂は気持ちが良いです。
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お風呂の後は、近くまで来てるということで「ゆるキャン」の聖地巡礼をすることに。
一つは作中で志摩りんが静岡遠征をした際に立ち寄った“茶菓きみくら”なる掛川の製茶業者さんの直営店。1階は少しオシャレな直営売店ですが、2階は高級な喫茶店となっています。
本来であれば喫茶店で一服したい機運だったのですが、三連休の昼下がりはふらりと入るにはタイミングが悪すぎました。
順番待ちだけでも両の手を超えるほどの人数が居り、到底少し待って入れるとは思えない状況のため、諦めて下のお店でどら焼きだけ買ってお終いです。
次の目的地へ向かうことにします。

最後の目的地は御前崎。随分と昔にも一度来たことはありますが、これまた作中で志摩りんの静岡遠征時に海を見るために訪れた聖地です。
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到着した頃には既に夕暮れ近く。灯台の開放時間は終わっていましたが、それでも高台から見る斜陽の海は本当にきれいで訪れた甲斐のある光景でした。


斯様な次第で、御前崎にて残りの面々ともお別れ。
最後は朔氏を乗せて、週末恒例の東名渋滞に難渋しつつ神奈川経由で内房へと帰りました。

降雨、風害、積雪とついでに厄介まで、あらゆる冬の災厄に見舞われた今回の連泊キャンプ。散々な目にあったとも言えますが、それでも間違いなく楽しかったです。
これからは暖かくなってアウトドアが捗る季節。タープの効能も実感したので、キャンプ装備の充実もしたいですし……あるいはそろそろハイキングにも行きたい気分。
行きたい先は増えるばかりです。

秋の関西巡り

週末の北日本ではついに市街で雪が降り積もったといい、気付けばカレンダーも後数日で12月に。
いよいよもって実感を伴った冬が迫る今日このごろ。

先の週末は勤労感謝の日から有休を繋いで4連休の生成に成功。
折よく大津で飲み会をする誘いもあったので、秋の残り香を追い求めるため、関西まで紅葉見物に行きました。


もっとも、勤労感謝の日の西進は静岡の親の実家まで。
例年の如く、庭木を伐採して薪の製造に勤しみながら過ごし、夜はタダ酒を嗜んで終わりです。

本格的に西へ向かったのは明けて金曜日のこと。
米原乗り換えで能登川駅からフォロワーのぼややん氏と合流。先立って約束してたカメラのレンズの受け渡しを行い、そのまま彼の車でふらりと湖東ドライブへ出発です。

はじめに向かったのは八日市の近くに鎮座する太郎坊宮こと阿賀神社です。
社殿のある赤神山は琵琶湖周辺でいくつも見かける平野から唐突に盛り上がった山。その山が山岳信仰の霊地として栄えたのが始まりだそうで、名前のごとく本来は仏教系の寺院だったのだとか。
由緒書きには、いつから神社になったのか書かれていませんが、想像は難しくない気がします。
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紅葉の名所としても名高いそうで、斜面をひたすら登るような参道は確かに見事に色づいていました。
また紅葉もさることながら、本殿の立地もなかなかに趣ある代物。
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屹立する2つの大岩の隙間を抜けるように参道を進むと、斜面に張り付くように本殿が建てられています。
頂上でもなければ、特段に何かを遥拝するでもない……身も蓋もない言い方をすれば、中途半端な印象を受ける少し不思議な立地です。
何かの由緒があるのかも知れませんが、むしろ印象深く趣のある神社でありました。

太郎坊宮に続いて向かったのは、車で10分ほどの教林坊なるお寺。
安土桃山時代の庭園が遺り、近江近隣では紅葉の名所として名高い古刹なのだとか。
曰く10年ほど前に無住で廃寺同然となっていたお寺を若いお坊さんが再興し、名園として参観できるようになったのだとか。
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ちょうど見頃を迎えて、見事に色づいた木々と緑の苔の対比、加えて落ち葉の絨毯が古風な建物を彩り、風情ある雰囲気を醸し出していました。
見事な庭園だけに、湖東の観光地としては観光客も多めの印象でしたが、それでも京都の社寺に比べれば遥かに閑静でゆったり回れる空間でもあります。
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写真を撮りながらゆったりと庭園を一巡して、今年の紅葉を心ゆくまで満喫することができました。

教林坊の帰路には奥石神社にも参拝です。奥石と書いて“おいそ”と読み、周辺の地名も老蘇と書いて同じく“おいそ”と読むそうです。
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由緒書に曰く式内社であり本殿は国の重文でもあるのだとか。
間が悪く神職さんがいなかったため、御朱印こそ貰い損ねてしまいましたが、平野を広々と使った落ち着いた雰囲気の境内を満喫です。
いずれ機会を見て再来しようと心に決めつつ、この日はお社を後にすることにしました。


この日は奥石神社の参拝後にぼややん氏と別れて、京都に向かい別のフォロワーさんの大鳥氏と合流して夜の先斗町界隈で一杯。
レモンサワーが名物のお店で一杯キメてから、ふらりと夜の京都を巡って1日の終りを迎えました。


翌朝、京都は河原町のネカフェで目覚めた土曜日は一転して、ひたすら京都の御朱印を集めながら、約束の飲み会へと向かう予定で行動開始です。

1社目は河原町からほど近い京都大神宮なる“京のお伊勢さん”です。
東京大神宮と並んで明治期に伊勢神宮を分祀して創建された比較的新しい神社。神前結婚式の儀式次第を取り決めたりと、一時は隆盛を誇ったようですが、今では街角の小さな神社と言うのが正直な印象です。
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しかしながらこの神社、可愛い巫女さんグッズが一部で非常に有名だったりそうでもなかったりします。
今回の参拝も不純ながら目的の半分は、そこにあったりなかったり……御朱印と一緒にキーホルダーも購入して、京都散歩のはじめとしました。

続いて行ったのは京都大神宮から南へしばらく歩いた京都市学校歴史博物館。
京都は全国に先駆けて学区制の小学校制度を整備した歴史を誇ります。
現在、博物館となっている建物も、その伝統を引き継いで平成初期まで存続した小学校の建屋を流用しているのだそうです。
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内部は残念ながら撮影禁止でしたが、全国的な学制以前の学校システムについての解説や、往時の教科書のレプリカなど、興味深い展示が数多く並びおもしろい博物館でありました。

学校博物館からさらに南下すれば、続いては市比売神社に行き当たります。
こちらは京都の市場の守護、及び何故か転じて女人守護のご利益で知られる平安遷都時に創建された神社です。
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こちらも境内がビルに覆われ、街角の小さな神社を通り越して街角のビルの中の神社といった風情。近代的な印象で、シレッと1000年以上の歴史を誇るのですから、古都は本当に凄いです。

市比売神社からは進路を東に転じて、豊臣秀吉を祀った豊国神社へ。
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伏見桃山時代の名建築や宝物が遺る壮麗な神社ですが、歴史的には大阪の陣の後、参道を閉鎖され重要な神物は近隣の寺社に分割されてしまっていたのを、明治期に再興した苦難の社なのだとか。
宝物はともかくも、積極的な破却はされなかったと言え数百年に渡って放置された建築が原型をとどめていたのか些か疑問ですが……そこを素人考えで勘ぐるのは野暮というものでしょう。
立派な唐門が特に目麗しい神社でありました。

ちなみに豊国神社のすぐ裏手には京都国立博物館があります。
目の前を通り掛かったところ特別展を開催中であり、ちょうど良いとばかりに入館してみたのが運の尽きでしょうか。
秋の連休の特別展、入館までの待ち時間が30分という時点で気付くべきでした……。
館内も信じ難いほどの混雑ぶり。落ち着いて鑑賞するしない以前に、展示品に近づくのも一苦労の有様です。
混んでる博物館なぞ、好き好んで行くべき場所ではないと、以前から知っている教訓を再確認する羽目になってしまいました。

閑話休題。とんだ目にあった京都国立博物館を抜けたら、さらに進路を東にとって京女大に隣接する新日吉神宮に続いて参拝です。
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御所の鎮護として、後白河法皇の時代に山向こうの近江から勧請されたため、“いま”日吉神宮という名になったとのこと。
神使が猿であったり“吉”の字が通じたりすることから、江戸期には内密に豊国神社の神を祀っていたとも伝えられています。
今も新日吉神宮の先へ進めば秀吉の霊廟がある山へと通じているそうです。

御朱印と神社巡りが主題ですので、流石に山頂の霊廟まで行っている余裕はありません。荷物も重いですしね。
再び進路を南へと転じて、東山の南部から今熊野と呼ばれる界隈を縦断します。
平安期には京都の外れに位置し葬送の地であったと伝わる一帯。1000年以上の時を経てすっかり住宅街となり、人々が息づく細い路地が入り組んだ今でも、京都中心部や東山の華やかさとは違った雰囲気を湛えています。
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そんな界隈では劔神社と新熊野神社の2社に参拝し、御朱印を頂きます。
劔神社は地中より得た神剣を祀ったのが始まりとされる神社なのだとか。一説には古に葬られたまま忘れ去られた墳墓の副葬品ではないかとも言うそうですが、真相は掘り返された土と一緒に散り散りでしょう。
曲がりくねった路地の一画にある“地方都市の住宅街の神社”といった雰囲気でありました。
新熊野神社の方はかつて熊野方面へ向かうための街道脇にあったと伝えられ、新日吉神宮と同じく後白河法皇の時代に創建されたと伝わっています。
紀伊の熊野神社から土や神木を京都の近くに遷し、“新”しい熊野神社としたのが始まりだそうで、今も本殿の裏手には熊野古道を模した祠やオブジェの並ぶ小道が整備されていました。

最後に立ち寄ったのは新熊野神社から南に下り、東福寺駅のすぐ北側というべき位置に鎮座する瀧尾神社です。
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創建以来、歴史に翻弄されて所在を転々とし、鎮守の森も失われ、拝殿に彫られた立派な木製の龍が神威を誇示する町中の神社です。
江戸時代、百貨店の大丸の創始者が深く信仰していたとかで、社殿も創業一族の寄進した江戸後期の逸品が現存しています。
絵馬殿にも大丸の寄贈した絵馬が多数遺されており、大丸ビルの写真から今にも消えそうながら江戸期の大丸の様子を偲ぶ絵画まで、何でもない街角に歴史の深みを垣間見ることができました。


瀧尾神社に続いて、折角近場まで来たのですから東福寺にも行ってみようかと足を向けたところ、途中の東福寺駅前から信じ難いほどの人波が姿を露わにしてきました。
冷静に考えれば紅葉シーズンに京都の庭園のあるお寺など、無謀以外の何物でもないでしょう。
圧倒的な人の流れを見た瞬間に考えを翻し、そのまま京都駅方面の列車に乗り込み、京都タワーでお風呂に入って約束の地へと向かうことにしました。

約束の地とは、大津市に所在するフォロワーさんの自宅のこと。ここ数年の恒例行事となっているイカを食す会に参加してきた次第です。
例年のごとく、様々な……普段はしないような話をしながら、しこたまお酒を飲んで気付いたら寝落ちする夜を過ごすことになりました。


連休最終日の日曜日は、午前中をフォロワーの家で過ごして、午後からゆるりと行動開始。
大津駅に荷物を預けて、市街地をぐるりと散策です。

手始めは駅からほど近い位置に所在する近江の四ノ宮、天孫神社に参拝です。
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天孫神社は滋賀県内では規模の大きい大津祭の中心となる神社なのだとか。御朱印を貰った際にも、来年(!)の大津祭のチラシを一緒に頂戴したのは、少し印象的でした。

天孫神社から旧東海道を辿るように西へ歩いていくと、途中では路面を普通(に見える)電車が走ることで有名な京阪電車と遭遇します。
何度か乗ってはいるのですが、見る側に回るとなかなかインパクトのある光景です。
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さらにしばらく歩けば東海道は山越えの峠に挑むために、北国街道と合流して進路を南に転じます。
街道筋を無視して、もう少しだけ西へ行けば長等神社に到着です。
大津に都が置かれた頃に創建されたとされる古社であり、紅葉が映える静かで落ち着いた神社です。
手入れも行き届いて境内の規模も大きく、疑いなく神職さんの居そうな様子だったのですが、この日は残念ながら不在な模様。どこかで別の祭祀をしているのかもしれないと諦めて、次へと向かいました。

三尾神社は長等神社のすぐ北側、琵琶湖疏水の入り口近くに鎮座する兎に縁のある神社です。
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なぜ兎に縁があるのかは、話が煩雑に過ぎて今ひとつわからないのですが、広々とした境内を参拝できれば十分でしょう。

最後に寄ったのは三井寺なる古刹。天台宗の有力寺院であったそうですが、主に比叡山延暦寺との対立により、由緒書きをして“幾度も焼かれた”と自ら書くほど度重なる戦火で堂宇を消失しているお寺です。
一周回って、何度でも炎の中から蘇るためか「不死鳥の寺」と称しているのですから、流石と言わざるをえないでしょう。
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琵琶湖を見下ろす斜面に位置し、少し高台にあるためか紅葉の盛期は過ぎていましたが、壮麗な境内は一見の価値のある代物です。
比叡山側の弁慶が強奪して捨てたと伝わるボロボロの鐘や、置き土産の鉄鍋、おみやげ店では1/150スケールの本堂ペーパークラフトを売っていたりと、面白いところもそこかしこに転がっていて良いお寺です。
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名物は弁慶の力餅なるきな粉団子。甘みが強く美味しかったのですが、狼藉を働いた方の名前を冠して良いのだろうか……そんな疑念も頭を過る逸品でした。

三井寺を満喫したら、時間もいい頃合いだったので関東へ帰ることになります。
京都駅に戻ってみればそこにあったのは予想を超える大混雑。新幹線も自由席は積み残しが発生するほどの満員ぶりで、己の読みの甘さに呆然とするしかありません。
結局、京都から新横浜まで立ったまま乗車して、随分と疲れて部屋へと帰ることになってしまいました。


そんなこんなの4連休を終えて、再びフル出勤の平日が始まります。
今週はもしかしたら1月以来の出張も旅行もない平日の予定です。久しぶりにちゃんと自炊ができると喜び勇んで、野菜や肉を買い込んでしまいました。
しばらくは遠出の予定もないので、落ち着いて過ごすことができるはずですね、多分。

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