月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


大きな出張の小さな旅・おかわり

またしても、少々日記の間が空いてしまいました。
長丁場の出張が重なり、もはや外泊している日の方が圧倒的に多くなってしまった今年の第1四半期。
幸いに前回ほど汲々の日程ではなかったので、土日には少しばかり遠くまでお出かけすることができたのが救いでしょうか。


最初の週末、遡って3月の11日は朝から早起きをして博多港の国際旅客ターミナルに行きました。
何故か準備良く持ってきていたパスポート片手に乗り込んだのは釜山港行きの高速船。
先日、就職で本国に帰ってしまったフォロワーのみかん氏を訪ねて、初めての韓国入りをしてきました。

釜山港の国際旅客ターミナルでみかん氏と早々に合流してしまえば、もはや状況は「日本語が得意な現地民」という最強のお気楽モードです。
至れり尽くせりのエスコートには感謝の念が絶えません。
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主な目的が彼と飲むことでもあったため、釜山ではざっくりと下調べもなくぶっつけの観光。
チャガルチ市場なる伝統市場の見学や、臨時首都記念館を見てまわります。
臨時首都記念館は朝鮮戦争時代、韓国政府がソウルを追われて釜山に首都を置いていた時代の大統領官邸だった場所なのだとか。
官邸内の様子や戦時下の生活、往時の街の様子が展示してあります。異国の戦時中に関する博物館、言及される悲劇や英雄譚の視点に共通するところ、或いは感性の違いを感じさせられるところ、色々と視点が違って勉強になりました。
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記念館のあとは中華街などを巡りつつ釜山駅から高速鉄道に乗り込みます。
大陸らしい両端に動力車を備えた列車に揺られて小一時間ほど、ソウルと釜山の中間点あたりにある街、大田(デジョン)にて下車しました。
大田駅からはタクシーで韓国の町並みを通り過ぎて、みかん邸へ到ります。案内のみならず、宿の提供までしてもらって頭が上がらないですね。
そんなこんなで、みかん邸に着いたのが20時頃のこと。ようやく、この日の夕飯にありつく訳ですが、韓国といえばクッパか焼肉か……と思っていたところ、提案されたのはまさかのフライドチキンです。
曰く「こっちではチキンにビールでサッカー見たり宴会したりする」そうな。宅配ピザに近い感覚なのでしょうか……? 後で知ったところでは、韓国はやたらとフライドチキン屋の多い国だったのだとか。やはり現地民の提案には唯々諾々と従うべきですね。
“二人前”で頼んだら山盛りのチキンと、付け合せ大根の酢漬けが出てきたときは少々面食らいましたが、なかなかどうしてカリッと揚がった美味しいチキンを食べることができ、良い経験になりました。

翌日は昼下がりの船で帰国の予定だったので、午前中から高速鉄道で釜山に戻り、そのまま特に寄り道せずフェリーターミナルへ。
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ときどき、クジラにぶつかる高速船。帰れなくなったらどうしようかと、少しハラハラものでしたが無事定刻に出港して到着。
最初の週末は無事に終わりました。


次の週すなわち先の週末3/18は出張も終了し、後は関東に帰るのみの状況。
3連休を有効活用して少しばかり遠出と思っていたのですが、よくよく予定を確認すると20日は分島花音のライブがあるので東京に帰らなければ行けません。
程々の距離でと考えていれば、これまた諸般の事情が重なって日曜の夕方には静岡の親の実家に顔を出す必要が出てしまいました。

諸々の縛りが生じてしまっては致し方なしです。小倉基準で日帰り程度の距離を巡って引き返すことに決めて、目についた行き先が佐賀県です。
実は佐賀県、吉野ヶ里遺跡などを少しは観光しているものの、ほとんど通り過ぎたことしか無く街場に降りた経験もありません。
佐賀市街は幕末の雄藩「薩長土肥」の“肥”こと鍋島藩の所在地にして、郊外には一宮の與止日女神社も控える歴史スポット。そこから列車で1時間ほどの唐津も海城唐津城や石炭の積出港の歴史を擁する古い街。
魅力は十分ながら、絶妙な距離感で放ったらかしになっていましたが、この機を逃さない手はないでしょう。

そういった思考の果てに、朝から特急を乗り継いで鹿児島本線から長崎本線を一気に進んだ土曜の朝。九州の特急は本当に便利ですね、値段もたかが知れているので、ついつい活用してしまいます。
佐賀駅からはレンタサイクルを調達したら、まずは駅の北側へまっすぐ30分ほどのとこ、肥前一宮の與止日女神社を参拝です。

與止日女神社は佐賀市の西を流れ有明海へ注ぐ嘉瀬川の畔に位置し、近隣には肥前国庁跡も立地する古代の中心地に鎮座する歴史ある社。
名前の通り、水の女神を祀るそうです。
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訪れたこの日は偶々、“ひゃあらんさん祭り”なる水難除けのお祭りの日。境内の下の川辺では、仮設の神棚を立てて神職さんが何やら神事の準備をしていました。
また境内では子供太鼓の奉納が行われていたのですが、迫力のある見事な演奏は足を止めて魅入る見事さ。後で神社の方に教えていただいたところでは、指導者が全国的に有名な方のチームだったそうで……田舎神事と侮るべからずですね。
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川の上には、少し気の早いする鯉のぼりも吊るされ春の気配を感じるサイクリングとなりました。


佐賀の城下に戻ってきたら、余勢をかって與賀神社や佐嘉神社など市街地の神社を巡って、歴史探訪と御朱印集めをこなしながら、列車の時間を待ちます。
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およそ1時間に1本の唐津線を捕まえたら、一時間ほどかけてこの日の二つ目の目的地唐津へ。
車窓から見える唐津炭田の遺構にテンションを上げつつ、駅に着いたらここでもまずはレンタサイクルを確保です。

余談ながら、どうも「ユーリonICE」というアニメの聖地だったようで、この日はアニメファンと思われる人を多数見かけることになりました。
私はこのアニメを見てなかったので頓着してなかったのですが、妹やフォロワーさんがやたらと反応していたのが、印象的でありました。
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それはそれとして、私がしたいのは御朱印集めと歴史ある町並み探索。
まずは城下市街に鎮座する唐津神社と、郊外に鎮座する松浦郡の古社鏡神社を参拝したら最初期の目的は達成です。
後は日没までにどれだけ回れるかの勝負でしょう。唐津城は残念ながら改装中でしたが、玄界灘はいつもと変わらぬ風景を提供してくれます。
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もう少し天気が良ければ文句なしだったのですが……こればかりは詮無きことですね。

他には石炭の積出港時代の名残、旧唐津銀行本店も見学です。
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古い貿易港らしい立派な銀行の建屋は東京駅なども設計した辰野金吾の作品です。全く知らなかったのですが、辰野金吾は唐津出身の人だったのだとか。
意外なところで意外なことを学ぶ機会がありますから、やはり旅は面白いですね。

最後に自転車を返して、この日の宿泊地へ。
筑肥線に揺られて松浦川に差し掛かったとき、思わず予定をひっくり返して列車を降り、川辺に走るような光景に出くわしました。
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流れの穏やかな川が黄昏空を映して見せる幻想的な光景。田んぼや干潟で見る水鏡は知っていましたが……川でも見ることができるとは知りませんでした。

夜の帳が下りるまで川辺に佇んでしまいましたが、この日の夜は気を取り直して日帰り温泉で一服してから唐津郊外のネカフェで一泊。


翌朝は早朝の列車に揺られて北九州市はスペースワールド駅まで舞い戻って途中下車。
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制限時間いっぱいまで、この界隈にある旧官営八幡製鉄所の高炉や北九州市立いのちのたび博物館を見学して、静岡へと向かいました。


斯様な次第でだいぶ慌ただしい三連休、最終日は午後から東海道線に揺られて都内に赴き、分島花音のライブ参加です。
分島花音のパフォーマンス、曲の良さも然ることながら、ライブごとに加わるアレンジや独特な歌い方、チェロの生演奏と魅力満載で毎回、幸せな気持ちにさせてもらえます。
今回のライブでは趣向を変えてMCも多めでしたが、これもまた絶妙なグダグダ感が楽しいこと。
毎度のごとく、セトリは割愛ですが……気づけば予定もわからないまま7月の東京公演のチケットを買ってしまうほど、悩みも憂いも溶け出す楽しいライブでありました。


ちなみにライブ後の平日はまたしても泊りがけの出張。
今日ようやく帰ってきたのですが、今度は資格試験が間近に迫っています。もうしばらく気が休まらなさそうで参ってしまいますね。

洛南周遊の話

長丁場の出張から帰還し、腑抜けのような一週間を過ごした3月。
気付けばもう年度末月、今の会社も満2年になってしまいます。
そろそろ防塵マスクがなくても息ができる職場に行きたいものですが……そうはままならぬのがこの世の厳しさ。
またしても出張の司令が出たので、飛んで帰るがごとく今週末も西へ移動です。


いい加減に関西方面も“軽く寄り道”と思い浮かぶ場所が少なくなってきたのですが、地図を見れば行くところはいくらでも見つかります。
京都駅から奈良線に乗り換えて南へ暫く。伏見区を抜けて宇治川を越え、降り立ったのはJRの宇治駅です。

なぜに失念してたのでしょうか、宇治の一帯は中学校の修学旅行で平等院を訪れて以来、一度も来たことがありませんでした。
奈良からなら目と鼻の先だと言うのに、実に不思議です。
距離も手頃ですし、思い立ったが吉日。今回寄らないでいつ寄るというのでしょうか! ――と、1人で勝手に盛り上がったら残りの算段はトントン拍子です。
気付いたら宇治駅から商店街の裏側を抜けて、一つ目の神社、宇治の県神社に至ります。

県神社はコノハナサクヤヒメを祀る創建不詳の古社、平等院のすぐ裏手に位置することから、平等院の鎮守神として今も相応の規模を誇っています。
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平安期以来の由緒を誇る神社が、町中に何の事はないように鎮座する様は鬱蒼とした古社とは違った古い街らしい趣です。
境内の脇に、大型の梵天と隣には石造り(?)の梵天が奉納されていたのですが、何の由縁をもって置かれているのかわからなかったのが、気になるところです。

県神社で御朱印を頂いたら、宇治橋の本道に戻る方向へ歩みを進めます。
道中、塀に囲まれた小さな社があったのですが、周囲に立つ幟を見て驚きの橋姫神社です。
橋姫伝説といえば、そこそこ有名な逸話。
神社の知名度も決して低くはないと思っていたのですが、危うく見落とす程に小じんまりとして境内に驚かされます。加えて、玉垣ではなく塀で閉じた様子には、一種独特の雰囲気も感じます。
別段、おどろおどろしい訳でもなく、おそらくは車道が近いからとか何か大したことのない理由なのでしょうが……規模の割し印象に残る光景でした。
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そんな橋の姫様に挨拶をして少し行けば、平等院の参道と合流して宇治橋に至ります。
宇治橋は続日本紀に曰く、飛鳥時代に高名な僧侶がここに橋を架けたという、日本屈指の由緒を誇る交通の要衝です。
淀川に架かっていたという山崎橋、琵琶湖の南に架かる瀬田の唐橋と並び称される古い古い橋だったのだとか。
もちろう、現在では自動車に対応した橋に更新されていますが、往時には水運や防衛の要衝だったであろうこの地は、河が流路を変え交通の重心が他所に遷った今も、なかなかの交通量を誇ります。

そんな宇治橋を渡って、対岸の一帯をしばしぶらくり。
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さほど広い界隈ではないのですが、川辺にそって土産物店やカフェが並ぶ観光地の雰囲気が、私はけっこう好きです。
それでも人通りは京都市街ほどではなく、少し頃合いを見計らえば閑静な路地にだって出会えます。

路地を抜けた先にあるのは、式内社の宇治神社。
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後背の宇治上神社と2社1対でもって宇治の地に記紀の時代より鎮座します。
祭神は「菟道稚郎子命」。仁徳天皇との皇位の互譲し、最後には自死するエピソードが、日本書紀に記載される皇族です。
名前の“菟道”は宇治の古名でもあり、この地に宮を営んでいたために祀られているとも伝わります。

宇治神社のあとは、すぐ後ろに鎮座する宇治上神社へ。
今では別立ての2社に分かれていますが、本来は本宮と若宮の関係だったとかなんとか。
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宇治上神社の拝殿、本殿は木造神社建築としては現存最古の代物なのだとか。
建築にはあまり詳しくないのですが、平安から鎌倉にかけての建造だそうで、江戸時代の壮麗な社殿とはちがった簡素な印象を受ける建物です。

宇治上神社から背後の大吉山を経由して、宇治橋より少し上流の橋で川を渡って平等院へ。
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中学以来の平等院ですが、当時の記憶が全くなかったことを思い知らされた気分です。
良いものを見れましたが、できればもう少し人が少ないときに来たいですね……。

この後は少しばかり歩いて上流の天ヶ瀬の吊橋まで散歩して伏見へ。
大学院時代の友人らと合流し、伏見の町ではしご酒を決め込みました。


そのまま友人宅に泊めてもらって、翌朝は伏見観光へ。
酒と幕末と水運の町、伏見。酒造が並び立ち、お酒に関する企業博物館も沢山あります。
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特に展示が充実しているのは月桂冠の資料館。一般的な酒造りのあれこれに始まり、江戸期の貴重な資料から戦前のラベルやポスターまで。
商業的な日本酒の量産に関する資料もあり、地酒蔵とはまた一味違った視点で日本酒を学ぶことができました。

他には幕末、寺田屋事件で有名な寺田屋の資料館や、伏見が河港として栄えた時代の遺構、三栖閘門を見物。
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なんやかやで伏見の見所を巡り歩いて、昼過ぎ頃に京都駅方面へと移動することになりました。


京都駅では友人イチオシの立ち飲み屋で昼酒を決め込んでから、新幹線に乗り込み出張先へ。
心なしか……風邪気味なのはご愛嬌です。

大きな出張の小さな旅

少々間が空いてしまいましたが、一応は元気です。
出張案件が想定以上に多忙なまま、気付けば九州の宿暮らしで3週間が経過してしまいました。

案件そのものには色々と思うところもありますが、それはそれとして素晴らしいのはホテル暮らしの快適さ。
毎朝、荷物を簡単にまとめたまま部屋を後にすれば、夜には綺麗になっているのですから感激です。
自炊ができないので食費こそ嵩んでしまいますが、最低限の荷物整理と選択以外は丸投げして暮らせるのですから、ズボラな人間には夢のような時間でした。
出張終盤には宿の方にも顔を覚えられて、殆ど顔パスに近い扱いでしたし、富豪が晩年にホテルで暮らすと言う話もなんとなく共感できるように感じました。

ちなみに夕飯は毎晩のごとく小倉の繁華巡り。アレなお店には行きませんが、飲み屋から定食屋にラーメン屋まで、色々とまわりました。
海鮮から鶏肉まで美味しいものが多くて巡り甲斐のある町でありました。夜の観光だけとは言え、なかなかどうして楽しめた出張だった気はします。


そんな訳で忙しい中でも、寸暇があれば出掛けたくなるのが人の性。ホテルで寝てるなんてもったいないとばかりに、とりあえず外に向かいます。
色々溜め気味、アニメも見なくてはいけないので掻い摘んで備忘録的に。


12日は天気も良かったので関門海峡を巡る散歩。
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10年ぶりくらいに下関駅から唐津方面に向かい、関門トンネル人道を抜けて門司港側へ向かいます。
道中で関門橋を眺めたり、海峡周辺の古社と港湾史跡を巡る小旅行です。
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最後は門司港レトロ地区の夕暮れと夜景を眺めて、ホテルに帰りました。

翌週の19日は小倉から福岡へ回り道へ抜ける旅。
小倉から数駅西へ行った戸畑駅より、洞海湾を渡し船で跨いで若松地区へ。
往時には筑豊炭田の積出港として栄華を極め、戦後早い段階で八幡製鉄所を抱える戸畑地区との間に“東洋一の大橋”が架けられた程の要衝だったそうです。
“バンド”と呼ばれる海岸通りを巡り、立ち並ぶ古い建屋を見物しながら筑豊本線の若松駅まで向かいます。
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車窓にボタ山が見える(らしい)筑豊本線を桂川駅まで。ここで篠栗線に乗り換えて福岡市内へ。
さらに香椎線に乗り換えて海の中道にある終点西戸崎駅まで向かいました。
ここからさらにこの日2回目の渡船で志賀島に至りました。
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志賀島は良くも悪くも何もない島。かの名高き金印が発見された島だそうですが、対岸に博多が見えるとは思えないほど離島然とした風情がありました。
数時間ほど海沿いの道を歩いて、冬の海水浴場からバスで引き返してこの日の小旅行を終えました。


斯様な次第で出張が一段落し、帰還指令が出たのが今週末。

直帰しては面白くないので、少しばかり“寄り道”して帰りました。
小倉より日豊本線を南下して宮崎へ。宮崎から日南線に乗り換えて大隅半島中部にある終点、志布志駅まで。
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志布志からは大隅半島をバスで横断して、鹿屋を経由し錦江湾側のフェリーターミナル、垂水まで。
垂水から鹿児島市郊外の鴨池埠頭までフェリーで渡り、この日は鹿児島市街で夕飯を摂りました。
宿泊は鹿児島駅から小一時間ほど東へ行った隼人駅近くの宿にて。翌日に駅近くの鹿児島神宮に参拝してから、鹿児島市に戻りレンタカーを確保しました。
レンタカーでは薩摩半島を錦江湾沿いに指宿方面までドライブ。
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道中の神社を巡りながら、半島最南端の長崎鼻に至ります。
開聞岳を北側から回り込みつつ、さらに神社を巡り復路に知覧を経由して鹿児島市街へ戻りました。

この晩は鹿児島市内のゲストハウスに宿泊し、天文館近くの飲み屋で焼酎と鹿児島料理を堪能。
翌朝に鹿児島市街を少しだけ巡ってから、肥薩おれんじ鉄道線に乗車です。
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海際を抜けるかつての鹿児島本線に揺られながら数時間、八代で乗り換えて熊本まで。
熊本で少しだけ城下を寄り道し、昨年の地震で被災した石垣などを見学です。
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これで熊本も少しばかり巡ったので、県都を彷徨いたことがない土地も残すところ佐賀だけになりました。
思えば、旅行を初めて10年はかかりましたね……まだまだ行きたいところは沢山です。

そんなこんなで熊本から九州新幹線に乗り込み、博多で一旦下車してお土産などを購入し、一路千葉へと帰路につきました。


3週間ぶりの関東。
特段、変わることもないと思ったのですが……やはり自炊ができることと、自宅のデスクPCの快適さは偉大でした。
ひとまずは生活パターンの復調と、荷物の解体が課題ですが、ついつい溜まったアニメを見てたら捗りませんね。

山陰旅行の覚え書き

新年なので、忘れないうちに年末年始の所業を記録しておきましょう。


キャンプからのクリスマス飲み会を経て迎えたクリスマスの25日。

この日はまた一転して、朝は始発に近い時間から移動を開始し、新幹線と特急いずもを乗り継いで13時頃には島根県の宍道駅に至りました。
宍道駅からは友人のしろかえる氏に来るまで迎えに来ていただき、彼の車で奥出雲観光へ向かう流れ。
式内社の斐伊神社などを経由しつつ、雲南市吉田町の山内地区に所在する高殿へ連れて行ってもらいました。
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高殿とは日本古来の製鉄技術である、たたら製鉄における製鉄の心臓部、砂鉄と木炭を反応させて鋼を得る窯の部分になります。
現役のものは奥出雲に“日刀保たたら”として存在するのですが、これは近代になってから復元された代物。
江戸期以来の高殿や製鉄遺構が現存するのは、この山内地区のみとのことで少し見てみたく思った次第です。
かつての長屋を改装したという受付で、簡単なレクチャーを受けながら高殿に案内してもらうと、中にあったのは神事にでも使うのかという厳かな空間です。
かつては村下と呼ばれる技師長のような人だけが、砂鉄を投入可能だったりと、その工程は半ば神事のようだったというのですから、その雰囲気もある種納得できるものなのかも知れません。
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山間の小集落といった風情と合わせて、ここがかつては鋼の一大産地として隆盛を誇ったとは俄には信じがたいほど、神聖で趣のある空間に感じられました。

この日は、この後に稲田神社によって御朱印を頂戴してから、しろかえる氏の家に泊めてもらい夜を過ごしました。


翌朝は7時代の木次線に乗車して、宍道駅から山陰本線に乗り継ぎ大田市駅へ。
大田市駅は名前通り大田市の中心駅であり、世界遺産にもなった石見銀山への玄関口でもあります。
観光客らしき人間が駅に降り立てば、迷うこと無く石見銀山へと案内されるほどの流れ作業ぶり。
しかしながら、私は旅行ついでに御朱印を集めるタイプの人。銀山に直行する前に石見一宮にも参拝しなくてはなりません。
石見の一宮、物部神社も大田市駅からバスで20分ほどの距離。2時間に1本しか無いバスを待って小一時間ほど朝食を兼ねた時間調整をして向かいました。
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物部神社は市街を少し離れた郊外の一社と言った風情。山間と言うには拓けた土地に堂々と鎮座する一宮の風格を持ち合わせた社でありました。

問題はここから石見銀山へ向かう方法。バスを使って大田市経由となると再び2時間ほど神社で待機しなくてはなりません。
流石にそれはないと思いいたり、一人旅では始めてとなるブルジョワジーな荒業、タクシー乗車を使ってしまいました。
大田市駅経由では少々距離のある物部神社と石見銀山ですが、地図上ではほんの隣の谷筋と言った距離感しかありません。
ちょうど山越えの道もあるということで、突っ切ってしまえば法外な値段とは言わない程度の金額で向かう事ができる次第です。
背に腹は代えられないとはよく言ったもの。先立つものには悩まされても、ここで銀山を黙殺しては、それはそれで悔いが残りますよね。

そんな訳でタクシーで降り立った石見銀山は小雨降りしきり、濡れそぼった情緒豊かな街並みで迎えてくれました。
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詳細まで書きたいのですが……お年始進行で時間もないので、割愛です。
ただ、銀山も去ることながら付随する古い町並みが非常に良かったことだけは自信を持って言えるでしょう。

銀山からの帰路は大田市駅より少し西側の仁万駅へ向かうバスで山陰本線に復帰。
この日の宿は江津市は波子町という海際の小さな町にあるゲストハウスに宿泊です。
先の春に開業したばかりという「ゲストハウス波の音」は波子の町の中心部、駅から坂を下って少し歩いたところ。
海と海岸沿いの国道を目の前にした、文字通り波の音……と、車の音がよく聞こえそうな立地にある民家を改装したものでした。
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この日は何の因果か、私以外の宿泊客も居らず、管理人も夜は居なくなるシステムということで、ほとんど1人で民家を占拠していたようなもの。
立地に関しては少々不便でしたが、古民家でぐったりと過ごすのは実に快適な夜でありました。


山陰3日目の27日は朝は真っ暗な5時半頃に波子を出立し、江津駅から廃線の決定している三江線に乗車。
あまり、葬式鉄的な趣味はないのですが……目についてしまっては気になってしょうがないのです。
半分眠りながらも、電車に揺られて終点の三次を目指していると18きっぷで旅行していた頃の記憶が蘇ります。
ディーゼルカーの振動と、ときどき停車して吹き込む寒風。目が醒める度に違う車窓と、最高に無為で幸せな時間を感じます。
やっぱり私は列車に揺られるのが大好きなんだと、妙なことを再確認しているうちに、終点の三次駅へ。

ここで乗り換えまで2時間ほどの間があるので三次の市街を軽く観光です。
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三次というと中国地方山間部の要衝。アニメ化もされたマンガ「朝霧の巫女」の舞台になった町であり、物怪の逸話が残っていたり、うだつが似合う街並みを売りとしていたりと、比較的歴史のある街です。
残念ながら、朝霧の巫女のモデルとなった大歳神社では御朱印をいただけませんでしたが……2時間ほどの観光としてはちょうどいい程度に散歩もできたので、上機嫌で福塩線にのり、福山を目指すことができました。


ちなみに福山から先は、この日の夜に大学院時代の研究室の忘年会があるため、一直線に大阪を目指すことに。
気持ちよく飲んで、翌日は東海道線を東進しながら吹田・茨木界隈の神社で御朱印集めをして、神奈川に帰る流れとなりました。

神奈川に帰った翌日の29日からは、毎年恒例の冬コミですが、これはまた別の記事で。

晩秋畿内散歩

あれよあれよと、今年もあと1ヶ月強。
秋も深まるどころか少し早めの雪が関東を襲い、冬の装いも準備しないといけない頃合いです。
そんな、11月の月末は、様々な(主に仕事関連の)都合により、関西方面へ出突っ張り。交錯する予定が絡まり合い、気づけば勤労感謝の日は、朝から京都観光することになりました。


実は前日から京都入りして、久しぶりに河原町のネットカフェで一泊して、翌朝は8時過ぎから行動開始です。
最初に向かったのは東山の奥、蹴上駅から歩いて10分内外にある日向大神宮です。
南禅寺の裏からインクラインの斜面を登った辺りとも言えましょう、早朝から観光客が押し寄せる南禅寺界隈から一変して、静かな谷あいの社と言った風情……と思ったら、トレッキングコースの入口に位置してるようで、出発の準備に勤しむ親子連れとインストラクターの集団が休日の賑わいを醸し出していました。
彼らが去ってしまうと、かえって寂しく感じるほどです。
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この季節といえば、当然期待するのは紅葉。
少しだけ山陰にあるせいか、この社の紅葉は既に散り気味でしたが、それもまた趣深いもの。静まった雰囲気は良い穴場をみつけた気分です。
余談ながら、御朱印をいただこうと社務所のインターホンを押したところ、朝イチだったせいか「今から向かいます」との返答があった後、しばらく待たされてしまう羽目に。急ぐ旅でなし時間は問題はないものの、本当にここで待ってれば良いのかと少々不安になっていたところ、二本杖のお爺さんが坂道の参道を登り、こちらに声を掛けてくるではありませんか。
この人は誰? と思いながら挨拶を返すと、その翁こそがこの神社の宮司さんでありました。
世間話がてらに伺ったところでは、今年に米寿を迎えて今も神社の管理をしているのだとか。この神社の参道は、トレッキングコースの入り口なだけあり、あまり緩いとは言えない坂道が私の足でも5分近く掛かる程度に続きます。
そんな道程を御年88の方を朝から呼びつけて、遅いと思うほうが無茶であったと内心恥じ入る思いであり、日々登っては社務をこなす宮司さんには畏敬の念を抱かざるを得ませんでした。

閑話休題、そんな日向大神宮ではフォロワーのぼややん氏とも合流です。
ここからは2人で京都の紅葉観光兼撮影会となりました。

まず向かったのはインクラインを下ってすぐの定番、南禅寺。
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大学時代に一度訪れて以来ですが、変わらず綺麗で人が多いです。

続いて平安神宮の裏手側にある岡崎神社に参拝。こちらは紅葉ではなく御朱印収集が主眼。
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この一帯は平安時代、ウサギが多かったとかで今も兎が神使を務めます。縁結びや子授かりをご利益に謳っているのですが、やはり関係があるのでしょうか、考えないほうが良いでしょうか。

続いて、針路を哲学の道方面へ転じて、熊野若王子神社と大豊神社を参拝。
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大豊神社では神職の方から「この先の霊鑑寺が期間限定参観をしていて綺麗だ」との助言を頂きます。
地元民の助言、まして神職がお寺を勧めるとあれば行かない理由はないでしょう。
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かつては谷の御所とも別称された門跡尼寺院であり、今も春と秋しか公開しない霊鑑寺。
哲学の道から一本山側に入り込んだ道の先にひっそりと佇むそのお堂は確かに風情を感じさせます。
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庭園もよく手入れされ、なるほど確かに美しい紅葉です。
観光客など想定していない庭園通路の制約と、私の写真の腕前では、その美しさをどうにも切り取れないのが少しばかり悔しいところでした。

順調に哲学の道を北上し、行き着く先は東山文化の頂点、銀閣寺ですね。
大学時代、哲学の道を歩こうと訪れた際には夕方過ぎて拝観時間が過ぎていた日以来、近くを通ることはあれど6年以上訪れる機会が巡ってこなかった因縁の寺院です。
寺前の参道は目が回るほどの混雑ぶり。これが観光地京都の本気かと呆れながら、ついに機会が巡ってきたと喜びながら往来をかき分けて拝観します。
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美しい庭園と沢山の観光客、まさに京都って感じで私はそういう雰囲気が大好きです。
あとは池越しの銀閣寺の構図。思わず「写真で見たことある」と言いたくなるほど、新鮮味がないのに興奮する不思議な心持ちで眺めることができました。

加えて、これは訪れるまで知らなかったのですが、銀閣寺の参道脇には銀閣寺一帯の鎮守を祀った八神社なる社が鎮座しています。
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人波から不思議と取り残されたようなひっそりとした雰囲気を湛え、鬱蒼とした鎮守の森とあいまって良く言えば神秘的、或いは仄暗い様子を纏った神社でありました。

銀閣寺界隈から西へ足を伸ばせば、京大が跋扈する吉田界隈へ。
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何はなくとも吉田山の吉田神社には参拝すべきでしょう。江戸時代に神道教義の形成に大きな力を持った吉田神道の本拠地です。
近代では一転して「京大受験前に祈願すると落ちる」というアレなジンクスも聞いたことがあるのですが……実際に訪ねて吉田山の立地を見れば、確かにこんな遊び場にもってこいの山が大学のすぐ近くにあっては、荒ぶる日本の神々など恨み骨髄に徹すること已む無しではと納得してしまいます。
合わせて、吉田山の南斜面に鎮座する宗忠神社にも合わせて参拝。
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こちらは江戸後期に生じた神道系の新宗教黒住教の開祖を祀った神社。明治時代には国家公認の神道十三派に列せられた“古参の新興宗教(?)”の施設です。
この場合も御朱印収集の対象に含まれるのだろうかとの疑念も頭を過りましたが、既に藩祖を祀ったり古代天皇を祀ったりと色んな事情で明治期以降に創建された神社も散々巡ってる状況。むしろ神社の体をなして、江戸時代から祭祀されてるなら十分ってことで頂いてきました。

ちなみに宗忠神社の真向かいは、これも紅葉で名高い真如堂。折角近くまで来たので、もちろん漏れなく参観しましょう。
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名高き紅葉も素晴らしいですが、境内の茶屋で甘酒を呑みながら眺められるシチュエーションが最高だと思います。
「好天に恵まれた晩秋の祝日に、茶屋の腰掛けから境内の紅葉」――文句のつけようのない一時を堪能して、京都巡りの締めといたしました。


真如堂を後にしたら、この後の要件も残っているので京都駅方面へ。
ぼややん氏と別れたら、別のフォロワーの大鳥さんと合流して駅近くの居酒屋で一献傾けて夜を過ごしました。


京都で秋を過ごした後も、継続して関西で活動中。
土曜日には大津市内で豊郷繋がりで知り合った方々と宴席をしました。

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