月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


大井川の連泊野営

衰えを見せぬ寒波の猛威が北陸を蹂躙する2月半ば。
比較的穏当な天候が続く太平洋岸でも、気温の低さだけは如何ともし難く、日々の通勤が辛い限りです。

そんな寒さに翻弄される今冬にも関わらず、「ゆるキャン」の人気のせいか、冬キャンプがツイッター上で流行っている印象。
元来、アウトドア適性の高い半月クラスタにいたっては、目を離せば誰かがキャンプしているくらいです。

そういう次第で今週の3連休は、フォロワーの朔氏の誘いに乗っかる形で大井川沿いでキャンプをすることになりました。
主催曰く「5人でソロキャンプする」とのこと。一言で矛盾している気もしますが……気にしてはいけません。


出発の土曜日は朝から実家で車を借りて、朔氏を拾ったら東名高速を一気に西へ。

大井川を越えた島田金谷ICで高速を降りたら、一旦は下流側の島田市街へ向かいスーパーにて食材の買い出します。

ついでなので近場の大井神社にも参拝。大井神社はその名の如く、大井川を神格として祀る国史見在社。島田駅から大井川へ向かう旧道沿いに鎮座しています。
歴史は古く、貞観年間の記録にも名が残るそうですが、資料の欠落があったのか延喜式神名帳には記載がないのだとか。
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暴れ川を祀る神社として流域に同名の神社や、旧社地との伝承が残る土地も多いそうです。
現在の境内地は江戸時代になってから宿場町の発展に合わせて遷座したそうで、立地としては町中の社と行った印象。
それでも江戸時代の常夜灯や立派な社務所など、古くから発展していた町らしい趣がありました。

買い出しと寄り道を終えたら、県道を大井川沿いに一気に北上して、今回の宿営地であるくのわき親水公園キャンプ場に向かいます。
先行して来ていたキャプたん氏とも現地で合流し、しばらく待てばわため氏も到着して、この日の参加者は全員集合。
天気が不穏になってきたので、早々に設営してキャンプの始まりです。
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何はともあれ、火を点けるところから始まります。今回はキャンプ場の薪を利用したのですが、非常に燃えが良いので着火が捗りました。
よく燃えすぎて熾火にならないのが難点ですが、そこは適当に大きな木を拾って何とかしよう――そう思い始めた頃合いで、降り出したるは生憎の雨。

じわじわ強くなる雨のために、陽が傾き始めた頃には焚火をしているどころの状態ではなくなってしまいます。
仕方ないので、キャプたん氏のタープに居候することに。
また同じ頃に、近場に住んでいるというフォロワーの十五夜さんの来訪もありました。数年前のコミケ以来の対面でしたが、元気そうで嬉しい限り。雨の中ですがしばらく雑談をしたりと楽しいひとときを過ごし、お土産を頂戴しました。
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夕方から夜へ時計の針が進んだら、いよいよもってタープキャンプの本番です。
キャプたん自慢の薪ストーブとの組み合わせは、程よく熱を溜めこんで雨の下でも快適そのもの。
スープを拵えたり熱燗を作ったりしながら夜を過ごし、雨にも関わらずハイテンションではしゃいで雪がちらつきはじめる頃に就寝と致しました。


翌朝は多少冷え込みながらも気持ちのよい快晴。猛烈な風が吹いて叩き起こされます。この風が後で惨事をもたらすのですが、このときはまだ知る由もなく、うるさいと思うくらい。
空気も澄んで山の上のハングライダーの離陸場までくっきり見えるほどの気持ちのよい朝です。
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強風を掻い潜ってお湯を沸かし、即席ご飯で朝ごはんをしたら行動開始です。

行動開始と行っても、このキャンプ場にもう一泊する前提での話。少し下流の川根温泉に行き、ついでにさらに下流のホームセンターとコンビニで追加物資の買い出しをするだけです。
前日の夜中に関東を発っていた和泉冴氏がキャンプ場に到着するのを待って、温泉へ向けて出発です。
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私の車に5人を詰め込んで、ゆらり揺られて10分少々で道の駅の温泉へ。この道の駅の温泉、真正面に大井川鉄道の鉄橋を見据える位置に立地し、露天風呂や休憩室から川を渡る列車を眺めることができます。
ドライブにも程よい距離であり、奥大井の寸又峡と合わせて人気のドライブコースとして有名な場所なのだそうです。
我々も露天風呂と鉄橋を渡るSLを堪能して、小一時間ほど滞在。売店で川根茶のTバックまで買って、すっかり観光客です。

温泉後には買い出しを経由して昼過ぎにはキャンプ場に帰還。
しかし、何も知らずに帰ってみるとテント周辺の様子が少しおかしいです。
タープが消えていたり、ものが散らばった様子があり、何よりも尋常ではなく風が強いです。
車から降りてみると、そこには言葉を失う程の惨状が広がっているじゃありませんか……。
タープは吹き飛び、薪ストーブや各人の机は飛び散らかり、テントもペグが抜けてズレ動いてます!
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風が強いとは認識していたのですが、多少強めにペグを打てば大丈夫――その油断がまさに命取りな結果です。
何というべきか、また一つ……経験を積んでしまいました。
結局、散らばった品々を片付けていたら、殆ど一から再設営する有様です。
復興まで数時間を費やす羽目になり、幾つか備品が行方不明になってしまいましたが、致命的な喪失がなかったのが不幸中の幸いと言えましょう。

復興が一段落したら、気を取り直してキャンプ場から歩いて10分弱の吊橋を見物しに行くことに。今度は風にやられないよう大事なものは車に避難させてから、お出かけします。
キャンプ場から河岸段丘を上がってすぐに掛かる久野脇橋は、対岸の塩郷駅を結ぶ大井川で一番長い吊橋です。
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ひと1人が歩くにちょうど良い幅の木の板しか無い、なかなかスリルに満ちた吊橋。風が強いのでおっかなさも増量中ですが、開放感あふれる空中散歩気分は大好きです。
タイミングよく折り返しの蒸気機関車も来たので、橋の上から川辺を走る列車を見物します。
最近は方々でSLの勇姿を見ることができますが、年季の入った国鉄型の客車はやっぱり絵になりますね。
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キャンプ場に戻ったら、強風に怯えつつ火を起こして夕飯の作製へ移行です。

まずは以前からやってみたかったアヒージョ作りに挑戦。スキレットにオリーブ油を注ぎ、ニンニクと唐辛子で味付けして、適当に食材を油に浸します。
火力が調整できず、素揚げに近い状態になってしまいましたが誤差の範囲でしょう。美味しくできて、幸先よく夜が始まりました。

この日の晩は風があるものの雨は降らなかったので、各自が自前の熱源で料理するソロキャンスタイル。
鍋を作ったり、熱燗したり、みかんを焼いたりして夜を過ごします。
途中、わため氏の知り合いのすまふりーさんの訪問などがありつつ、絶妙な距離感の宴は日付が変わる時間帯まで。
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途中、風に煽られた椅子が焚火に突っ込んでしまい、穴を空けてしまう事故もありましたが……満天の星空の下、赤々と燃える炎が綺麗な夜になりました。


星空を見送って寝たはずの夜が明けて、放射冷却による極寒を覚悟して迎えた月曜の朝。
存外に暖かいことに不審感を抱きながら外を見ると、なんとそこには想像もしなかった白い世界が待っていました。
静岡県で雪が降るなど、それだけでも大事なのに……いわんや積雪など予想できるはずもありません。
唖然としながらも、何はさておき朝食で温まるより他にナシ。
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まずはお湯を沸かして紅茶を淹れ、カップ麺を啜りながら余った食材を食べてしまう準備です。
想定外の事態に、道はどうなっているかと心配していましたが、目玉焼きとベーコンを始末したくらいで雪も溶けはじめて、撤収作業に取り掛かる頃にはすっかり溶けてしまいました。
予想外の雪といえど、所詮は静岡の雪。尾根筋から太陽が顔を出す頃にはすっかり普段通りに戻ってしまい、何の問題もありませんでした。


この撤収の段階できゃぷタン氏は予定も合って先に離脱。
残りの4人は片付けが終わり次第、各自の車を連ねてこの日も温泉です。
前日の川根温泉より下流まで行ってから脇道に入り、島田市の田代の郷温泉で一服。川根温泉も露天風呂が開放的でしたが、こちらも天井がない文字通りの露天風呂。やはりこういう開放的なお風呂は気持ちが良いです。
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お風呂の後は、近くまで来てるということで「ゆるキャン」の聖地巡礼をすることに。
一つは作中で志摩りんが静岡遠征をした際に立ち寄った“茶菓きみくら”なる掛川の製茶業者さんの直営店。1階は少しオシャレな直営売店ですが、2階は高級な喫茶店となっています。
本来であれば喫茶店で一服したい機運だったのですが、三連休の昼下がりはふらりと入るにはタイミングが悪すぎました。
順番待ちだけでも両の手を超えるほどの人数が居り、到底少し待って入れるとは思えない状況のため、諦めて下のお店でどら焼きだけ買ってお終いです。
次の目的地へ向かうことにします。

最後の目的地は御前崎。随分と昔にも一度来たことはありますが、これまた作中で志摩りんの静岡遠征時に海を見るために訪れた聖地です。
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到着した頃には既に夕暮れ近く。灯台の開放時間は終わっていましたが、それでも高台から見る斜陽の海は本当にきれいで訪れた甲斐のある光景でした。


斯様な次第で、御前崎にて残りの面々ともお別れ。
最後は朔氏を乗せて、週末恒例の東名渋滞に難渋しつつ神奈川経由で内房へと帰りました。

降雨、風害、積雪とついでに厄介まで、あらゆる冬の災厄に見舞われた今回の連泊キャンプ。散々な目にあったとも言えますが、それでも間違いなく楽しかったです。
これからは暖かくなってアウトドアが捗る季節。タープの効能も実感したので、キャンプ装備の充実もしたいですし……あるいはそろそろハイキングにも行きたい気分。
行きたい先は増えるばかりです。

秋の関西巡り

週末の北日本ではついに市街で雪が降り積もったといい、気付けばカレンダーも後数日で12月に。
いよいよもって実感を伴った冬が迫る今日このごろ。

先の週末は勤労感謝の日から有休を繋いで4連休の生成に成功。
折よく大津で飲み会をする誘いもあったので、秋の残り香を追い求めるため、関西まで紅葉見物に行きました。


もっとも、勤労感謝の日の西進は静岡の親の実家まで。
例年の如く、庭木を伐採して薪の製造に勤しみながら過ごし、夜はタダ酒を嗜んで終わりです。

本格的に西へ向かったのは明けて金曜日のこと。
米原乗り換えで能登川駅からフォロワーのぼややん氏と合流。先立って約束してたカメラのレンズの受け渡しを行い、そのまま彼の車でふらりと湖東ドライブへ出発です。

はじめに向かったのは八日市の近くに鎮座する太郎坊宮こと阿賀神社です。
社殿のある赤神山は琵琶湖周辺でいくつも見かける平野から唐突に盛り上がった山。その山が山岳信仰の霊地として栄えたのが始まりだそうで、名前のごとく本来は仏教系の寺院だったのだとか。
由緒書きには、いつから神社になったのか書かれていませんが、想像は難しくない気がします。
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紅葉の名所としても名高いそうで、斜面をひたすら登るような参道は確かに見事に色づいていました。
また紅葉もさることながら、本殿の立地もなかなかに趣ある代物。
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屹立する2つの大岩の隙間を抜けるように参道を進むと、斜面に張り付くように本殿が建てられています。
頂上でもなければ、特段に何かを遥拝するでもない……身も蓋もない言い方をすれば、中途半端な印象を受ける少し不思議な立地です。
何かの由緒があるのかも知れませんが、むしろ印象深く趣のある神社でありました。

太郎坊宮に続いて向かったのは、車で10分ほどの教林坊なるお寺。
安土桃山時代の庭園が遺り、近江近隣では紅葉の名所として名高い古刹なのだとか。
曰く10年ほど前に無住で廃寺同然となっていたお寺を若いお坊さんが再興し、名園として参観できるようになったのだとか。
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ちょうど見頃を迎えて、見事に色づいた木々と緑の苔の対比、加えて落ち葉の絨毯が古風な建物を彩り、風情ある雰囲気を醸し出していました。
見事な庭園だけに、湖東の観光地としては観光客も多めの印象でしたが、それでも京都の社寺に比べれば遥かに閑静でゆったり回れる空間でもあります。
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写真を撮りながらゆったりと庭園を一巡して、今年の紅葉を心ゆくまで満喫することができました。

教林坊の帰路には奥石神社にも参拝です。奥石と書いて“おいそ”と読み、周辺の地名も老蘇と書いて同じく“おいそ”と読むそうです。
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由緒書に曰く式内社であり本殿は国の重文でもあるのだとか。
間が悪く神職さんがいなかったため、御朱印こそ貰い損ねてしまいましたが、平野を広々と使った落ち着いた雰囲気の境内を満喫です。
いずれ機会を見て再来しようと心に決めつつ、この日はお社を後にすることにしました。


この日は奥石神社の参拝後にぼややん氏と別れて、京都に向かい別のフォロワーさんの大鳥氏と合流して夜の先斗町界隈で一杯。
レモンサワーが名物のお店で一杯キメてから、ふらりと夜の京都を巡って1日の終りを迎えました。


翌朝、京都は河原町のネカフェで目覚めた土曜日は一転して、ひたすら京都の御朱印を集めながら、約束の飲み会へと向かう予定で行動開始です。

1社目は河原町からほど近い京都大神宮なる“京のお伊勢さん”です。
東京大神宮と並んで明治期に伊勢神宮を分祀して創建された比較的新しい神社。神前結婚式の儀式次第を取り決めたりと、一時は隆盛を誇ったようですが、今では街角の小さな神社と言うのが正直な印象です。
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しかしながらこの神社、可愛い巫女さんグッズが一部で非常に有名だったりそうでもなかったりします。
今回の参拝も不純ながら目的の半分は、そこにあったりなかったり……御朱印と一緒にキーホルダーも購入して、京都散歩のはじめとしました。

続いて行ったのは京都大神宮から南へしばらく歩いた京都市学校歴史博物館。
京都は全国に先駆けて学区制の小学校制度を整備した歴史を誇ります。
現在、博物館となっている建物も、その伝統を引き継いで平成初期まで存続した小学校の建屋を流用しているのだそうです。
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内部は残念ながら撮影禁止でしたが、全国的な学制以前の学校システムについての解説や、往時の教科書のレプリカなど、興味深い展示が数多く並びおもしろい博物館でありました。

学校博物館からさらに南下すれば、続いては市比売神社に行き当たります。
こちらは京都の市場の守護、及び何故か転じて女人守護のご利益で知られる平安遷都時に創建された神社です。
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こちらも境内がビルに覆われ、街角の小さな神社を通り越して街角のビルの中の神社といった風情。近代的な印象で、シレッと1000年以上の歴史を誇るのですから、古都は本当に凄いです。

市比売神社からは進路を東に転じて、豊臣秀吉を祀った豊国神社へ。
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伏見桃山時代の名建築や宝物が遺る壮麗な神社ですが、歴史的には大阪の陣の後、参道を閉鎖され重要な神物は近隣の寺社に分割されてしまっていたのを、明治期に再興した苦難の社なのだとか。
宝物はともかくも、積極的な破却はされなかったと言え数百年に渡って放置された建築が原型をとどめていたのか些か疑問ですが……そこを素人考えで勘ぐるのは野暮というものでしょう。
立派な唐門が特に目麗しい神社でありました。

ちなみに豊国神社のすぐ裏手には京都国立博物館があります。
目の前を通り掛かったところ特別展を開催中であり、ちょうど良いとばかりに入館してみたのが運の尽きでしょうか。
秋の連休の特別展、入館までの待ち時間が30分という時点で気付くべきでした……。
館内も信じ難いほどの混雑ぶり。落ち着いて鑑賞するしない以前に、展示品に近づくのも一苦労の有様です。
混んでる博物館なぞ、好き好んで行くべき場所ではないと、以前から知っている教訓を再確認する羽目になってしまいました。

閑話休題。とんだ目にあった京都国立博物館を抜けたら、さらに進路を東にとって京女大に隣接する新日吉神宮に続いて参拝です。
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御所の鎮護として、後白河法皇の時代に山向こうの近江から勧請されたため、“いま”日吉神宮という名になったとのこと。
神使が猿であったり“吉”の字が通じたりすることから、江戸期には内密に豊国神社の神を祀っていたとも伝えられています。
今も新日吉神宮の先へ進めば秀吉の霊廟がある山へと通じているそうです。

御朱印と神社巡りが主題ですので、流石に山頂の霊廟まで行っている余裕はありません。荷物も重いですしね。
再び進路を南へと転じて、東山の南部から今熊野と呼ばれる界隈を縦断します。
平安期には京都の外れに位置し葬送の地であったと伝わる一帯。1000年以上の時を経てすっかり住宅街となり、人々が息づく細い路地が入り組んだ今でも、京都中心部や東山の華やかさとは違った雰囲気を湛えています。
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そんな界隈では劔神社と新熊野神社の2社に参拝し、御朱印を頂きます。
劔神社は地中より得た神剣を祀ったのが始まりとされる神社なのだとか。一説には古に葬られたまま忘れ去られた墳墓の副葬品ではないかとも言うそうですが、真相は掘り返された土と一緒に散り散りでしょう。
曲がりくねった路地の一画にある“地方都市の住宅街の神社”といった雰囲気でありました。
新熊野神社の方はかつて熊野方面へ向かうための街道脇にあったと伝えられ、新日吉神宮と同じく後白河法皇の時代に創建されたと伝わっています。
紀伊の熊野神社から土や神木を京都の近くに遷し、“新”しい熊野神社としたのが始まりだそうで、今も本殿の裏手には熊野古道を模した祠やオブジェの並ぶ小道が整備されていました。

最後に立ち寄ったのは新熊野神社から南に下り、東福寺駅のすぐ北側というべき位置に鎮座する瀧尾神社です。
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創建以来、歴史に翻弄されて所在を転々とし、鎮守の森も失われ、拝殿に彫られた立派な木製の龍が神威を誇示する町中の神社です。
江戸時代、百貨店の大丸の創始者が深く信仰していたとかで、社殿も創業一族の寄進した江戸後期の逸品が現存しています。
絵馬殿にも大丸の寄贈した絵馬が多数遺されており、大丸ビルの写真から今にも消えそうながら江戸期の大丸の様子を偲ぶ絵画まで、何でもない街角に歴史の深みを垣間見ることができました。


瀧尾神社に続いて、折角近場まで来たのですから東福寺にも行ってみようかと足を向けたところ、途中の東福寺駅前から信じ難いほどの人波が姿を露わにしてきました。
冷静に考えれば紅葉シーズンに京都の庭園のあるお寺など、無謀以外の何物でもないでしょう。
圧倒的な人の流れを見た瞬間に考えを翻し、そのまま京都駅方面の列車に乗り込み、京都タワーでお風呂に入って約束の地へと向かうことにしました。

約束の地とは、大津市に所在するフォロワーさんの自宅のこと。ここ数年の恒例行事となっているイカを食す会に参加してきた次第です。
例年のごとく、様々な……普段はしないような話をしながら、しこたまお酒を飲んで気付いたら寝落ちする夜を過ごすことになりました。


連休最終日の日曜日は、午前中をフォロワーの家で過ごして、午後からゆるりと行動開始。
大津駅に荷物を預けて、市街地をぐるりと散策です。

手始めは駅からほど近い位置に所在する近江の四ノ宮、天孫神社に参拝です。
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天孫神社は滋賀県内では規模の大きい大津祭の中心となる神社なのだとか。御朱印を貰った際にも、来年(!)の大津祭のチラシを一緒に頂戴したのは、少し印象的でした。

天孫神社から旧東海道を辿るように西へ歩いていくと、途中では路面を普通(に見える)電車が走ることで有名な京阪電車と遭遇します。
何度か乗ってはいるのですが、見る側に回るとなかなかインパクトのある光景です。
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さらにしばらく歩けば東海道は山越えの峠に挑むために、北国街道と合流して進路を南に転じます。
街道筋を無視して、もう少しだけ西へ行けば長等神社に到着です。
大津に都が置かれた頃に創建されたとされる古社であり、紅葉が映える静かで落ち着いた神社です。
手入れも行き届いて境内の規模も大きく、疑いなく神職さんの居そうな様子だったのですが、この日は残念ながら不在な模様。どこかで別の祭祀をしているのかもしれないと諦めて、次へと向かいました。

三尾神社は長等神社のすぐ北側、琵琶湖疏水の入り口近くに鎮座する兎に縁のある神社です。
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なぜ兎に縁があるのかは、話が煩雑に過ぎて今ひとつわからないのですが、広々とした境内を参拝できれば十分でしょう。

最後に寄ったのは三井寺なる古刹。天台宗の有力寺院であったそうですが、主に比叡山延暦寺との対立により、由緒書きをして“幾度も焼かれた”と自ら書くほど度重なる戦火で堂宇を消失しているお寺です。
一周回って、何度でも炎の中から蘇るためか「不死鳥の寺」と称しているのですから、流石と言わざるをえないでしょう。
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琵琶湖を見下ろす斜面に位置し、少し高台にあるためか紅葉の盛期は過ぎていましたが、壮麗な境内は一見の価値のある代物です。
比叡山側の弁慶が強奪して捨てたと伝わるボロボロの鐘や、置き土産の鉄鍋、おみやげ店では1/150スケールの本堂ペーパークラフトを売っていたりと、面白いところもそこかしこに転がっていて良いお寺です。
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名物は弁慶の力餅なるきな粉団子。甘みが強く美味しかったのですが、狼藉を働いた方の名前を冠して良いのだろうか……そんな疑念も頭を過る逸品でした。

三井寺を満喫したら、時間もいい頃合いだったので関東へ帰ることになります。
京都駅に戻ってみればそこにあったのは予想を超える大混雑。新幹線も自由席は積み残しが発生するほどの満員ぶりで、己の読みの甘さに呆然とするしかありません。
結局、京都から新横浜まで立ったまま乗車して、随分と疲れて部屋へと帰ることになってしまいました。


そんなこんなの4連休を終えて、再びフル出勤の平日が始まります。
今週はもしかしたら1月以来の出張も旅行もない平日の予定です。久しぶりにちゃんと自炊ができると喜び勇んで、野菜や肉を買い込んでしまいました。
しばらくは遠出の予定もないので、落ち着いて過ごすことができるはずですね、多分。

同人登山部と行く甲斐駒ケ岳

詳細は省きますが、気付いたら出張先がアメリカになっていました。
人生、本当に何が起こるかわかりません。


話は遡って、次の出張が海外と判明する少し前のこと。フォロワーの天野しきさんから「山に登ろう」とのお誘いを受けました。
二つ返事で了解したところ、提示された日程はまさかのテント泊登山。
少人数でのキャンプこそ近年たまに実施しますが……登山テントや秋冬寝袋、携行調理器具のような山でキャンプするほどの装備などありません。
大慌てで必要な装備を調べ、足りないものと食材は買い揃えます。流石に登山テントだけは財布の都合もつかず、レンタルの手配で済ませましたが……。
合間合間も出張が入るので、隙きを突くような準備状況、どうにか様になる状態に整ったのは出発直前という慌ただしさのまま、本番の日を迎えました。

当日は先の週末の土曜と日曜。土曜日は朝から中央線で甲府に向かい、ここで南アルプス林道へ向かうバスに乗り換えます。
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広河原という北岳などへの登山口となる拠点で、さらにバスを乗り換えて深山幽谷へ。
一杯の登山客を抱えて、峻険な南アルプスの渓谷を縫うように走る細い林道を、バスはゆっくりと進んで行きます。
広河原からは目的地の北沢峠までは30分ほど、甲府駅から乗り継ぎを含めると3時間程度。久々の随分な長旅で行き着いたのは甲信国境に近い南アルプスの登山拠点、北沢峠。
甲斐駒ケ岳や仙丈ヶ岳、さらには南アルプスへの縦走路の入り口にあたり、山小屋やバス乗り場、テント場が点在する「南アルプスの玄関口」とも言える場所です。

この日の移動はここまで。金曜からこの北沢峠に宿営し、土曜日は仙丈ヶ岳に登っていたという天野しきさん、薫製ハムさん、kumeさんと合流し、後追いでテントを設営して早めの夕飯の準備に取り掛かりました。
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合流した3名はいずれも同人作家さんで、かつ登山経験値も高い山男。すなわち“同人登山部”です。
創作派でもなければ、登山も初心者な私が何故この場にいるのかも、だいぶ不思議ですが……世は奇縁と不思議に満ち溢れているものです。

初めての山自炊も、手慣れた先達に教わって何とか実施。山で食べるご飯は何故こんなに美味しいのかと、いつも不思議に思います。
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就寝は脅威の18時過ぎにして、起床もまた早朝とすら言えない3時半。テントに霜が降りる寒さに難儀しながら夜を明かしましたが、何とか起きあがれば既に周囲のテントも活動を始めています。
長時間露光で撮影すれば、行き交うヘッドライトが美しい光景になるのですが……気温も時間も余裕がないのが辛いところです。

寒さに打ち震えながら調理して朝食を摂ったら、装備を整えて本日の登山の始まりです。不要な荷物はテントに残して、身軽な状態で上へと登ります。
薄暮の木立を慎重に進み、空が明るんで来た頃には谷筋のがれ場を通過。夜が明けても谷間に日が差すのは暫く先と行った薄暗がりから、仙水峠に上がれば日差しと眺望が一気に目に飛び込んできます。
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出会った眺望は、薄靄のかかった甲府盆地と呆れるほど澄んだ青空の対比が美しい光景。青と黒ばかりが目に痛い世界ですが、道のりとしてはまだまだ半ばです。
見上げた先に白く尖った頂こそが、目指す甲斐駒ケ岳。がれ場から木立に戻って視界が狭くなりますが、へこたれずに頑張りましょう。
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淡々と木の根道を辿って小一位時間ほど行くと、甲斐駒ケ岳の隣の山頂、駒津峰に至ります。
ここからは稜線を伝うように甲斐駒ケ岳の斜面に取り付き、難度の高い切り立った岩場を迂回して砂地の斜面を這い登ります。
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この山の山頂部は花崗岩質の白い岩肌が夏場でも雪を被ったように白く映えるため、その鋭い峰の雄大さや南アルプス北端の平野から目立つ立地と相まって、麓の信仰を集める霊山と崇められていたのだとか。
一目でわかる白い峰は、登ってみてもまばゆい白さを放ち、真っ青な空と挟まれると、ある種異世界に迷い込んだかのような非現実感がありました。

そんなこんなで登り始めて5時間ほどで甲斐駒ケ岳の頂上に到着です。頂きには駒ケ岳神社の奥宮の祠が鎮座しています。
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山頂にて昼食も兼ねた休憩。お湯を沸かしてカップ麺です。「頂上で食べるインスタント食品は美味しい」ので必須科目だそうです。
もちろん、周囲の眺望も良好。八ヶ岳連峰や甲府盆地、伊那谷から、辿ってきた駒津峰への稜線とその向こうに聳える仙丈ヶ岳まで・
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天気は良好、四方を見渡す気持ち良い登山となりました。

ちなみに登りより危ないという下山も、同程度の時間を掛けて双児山の峰を抜ける経路で北沢峠へ帰還。
テントを撤収して長野方面のバスに乗車。バスの終点にある駐車場から、しきさんの車で高遠方面へ向かい、温泉で一息いれて無事を祝うことができました。

ただし、この後にひと波乱。温泉で油断して電車の時間を甘く見積もってしまい、乗るつもりだった列車を逃してしまいます。
一本後の列車でも帰宅は間に合うため、事なきを得ましたが……少し焦ってしまいますね。


斯様な次第で自宅に帰ってきたのが日曜の日付が変わる頃合い。そこから、準備して海外出張ですから、我ながら忙しなさがエスカレートしている気がします。

霊峰富士登拝のこと

相も変わらず慌ただしいなかで、寸暇を惜しんで旅行に出る日々。
先だって友人の“えめろん”氏が「富士山頂の御朱印が欲しい気がする」と、ざっくりとした誘いをかけてきたので、渡りに船と話を具体化していたのが8月下旬のこと。
諸々の準備が整い、登山期間の終わりも迫っていたので、ついに決行したのがこの週末のことでした。


そのような次第で土曜日は新富士駅にて、えめろん氏及び元寮生と待ち合わせをして、えめろん氏の車で富士山方面へ出発です。
途中、富士宮の浅間大社にて登山の無事を祈願し、昼食と登山物資の補充を行って、富士宮口の五合目を目指します。
2合目に相当する水ヶ塚の駐車場に車を置いて、シャトルバスに乗り換えて、九十九折の山道をしばらく揺られていれば五合目に到着です。

五合目から先は登山道、両の足だけが交通手段となります。
慎重に装備を整えて、ゆっくりと無理のないペースで登りましょう。
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もっとも、土曜日の到達目標は歩いて20分内外の六合目まで。ここの山小屋に宿泊予約をして、明朝から山頂を目指す段取りです。
かなり悠長に15時頃から登り始めても、夕食まではだいぶ余裕のある時間に到着してしまいます。
仕方ないので腹ごなしがてらに、歩いてすぐの宝永火口見物に往復です。
宝永火口は江戸時代、宝永年間に起こった記録上最後の大噴火で出来た火口。富士山の脇腹に巨大な穴を穿ち、関東一円に火山灰を降らせたと当時の書物に記録されているそうです。
静岡側から観る富士山にはアクセントのごとく付きものの宝永山ですが、間近で見るとその雄大さに度肝を抜かれます。
そのすり鉢状の窪みは澄んだ空気のもと手に取るように全容が見渡せるのですが、火口底にいる人間は豆粒の如き大きさに過ぎません。雲もまた時々刻々と姿を変えつつ、添え物のように火口内で渦巻き、あるいは山裾を這うのですから、いつまで見ても飽きない不思議な光景でした。
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しばらく火口を見学したら、山小屋に戻って翌日に備えます。
目の前に広がる青空と雲海、夜の星空と日曜の登山に期待で胸が膨らむ思いで夕飯を食べ、のんびりと夜の帳が降りるのを待ち構えました。

夜は晴れたり曇ったりの中で、月の出が迫った20時頃が一番の好条件。南の空に天の川が流れ、眼下には裾野から富士、富士宮を経て、清水辺りまでの夜景が広がります。
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一瞬の好条件を突いて空を見上げて星を撮ったり、さもなくば流れる雲を追ってボンヤリと夜景を眺めたり。風の強い富士山らしい、一時も休むことなく変化する雲の様子はどれほど見ても見飽きませんでした。

星撮りに寒さの限界を感じ、消灯時刻も迫った21時前でこの日は諸事を終えて就寝へ。
翌朝は午前5時には起きて、日の出の前には出発です。
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払暁の空もまた雲が下から照らされて、独特の陰影を描き出し美しい限りです。
目指す先は富士山頂、見飽きぬ雲の表情とは反対に登山道は本当に一様の上り坂で、先々が思いやられるほど気の遠くなる道のりでした。
だんだん薄くなる空気と険しくなる坂道。加えてこの日は登山期間の最終日とあって、山小屋も宿泊客を送り出したら店じまいの準備を初めています。
物品の販売はまだしも、トイレも閉鎖されてしまうのですから少々焦りを感じてしまうのはご愛嬌ですよね。
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余談ながら富士山の八合目より上側は、登山道や諸施設を除いて浅間大社の境内地の扱い。八合目の山小屋近くには雲海を見下ろすように境内地を示す鳥居が立ち、神域に入ったことを教えてくれます。

ちなみに危機感の方は、九合目の山小屋も閉鎖済みなことを確認して、いよいよもって具体性を帯び始めていたのですが、幸いなことに九合五勺の山小屋は未だ営業中だったので事なきを得ます。
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九合五勺、英語表記では“9.5th Station”となるそうで、なんとも直球ですが……ここに山小屋があるのはやはりこの辺に需要があるということなのでしょう。
ここを過ぎたら、いよいよ頂上に至るのみ。麓からは笠雲に見えるだろう層状の雲の向こうに、ゴールを示す鳥居が見えていました。

最後の一息を登りきり、頂上に鎮座する浅間大社奥宮に辿り着いたのは10時を少し回ったくらい。社務所もこの日で閉鎖とのことであり、見れば御朱印受付も10時までと掲示されています。
ダメ元ながら大慌てで社務所に駆け込めば、幸いにも締め切り直前、最後の呼びかけの真っ最中。どうにか無理を言わずにお願いできるギリギリのタイミングだったようです。
図らずも、今シーズン最後に御朱印を受け取った男になってしまいました。
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そういう次第で奥宮に参拝して御朱印を頂戴したら、真の最高点、剣ヶ峰へ。カルデラ一周のお鉢めぐりコースを時計回りに辿って、目指します。
歩くと言っても、お鉢めぐりは稜線歩きのようなもの。高低差も少なく、いつの間にやら笠雲も晴れて晴天下の気持ち良い高原散歩気分です。
剣ヶ峰の頂上部までは奥宮から歩いて20分弱。旧富士山測候所の目前に二等水準点と「日本最高峰」の記念碑があります。
当然ながら記念撮影に大人気のスポットです。寄ってたかって写真を撮っているので、もちろん我々も撮影します。
折角なので、普段はやらない自らも写った記念撮影までしてしまうくらい、達成感がありました。
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お鉢めぐりコースは剣ヶ峰からカルデラ沿いにさらに1時間ほど掛けて一周し、奥宮の前に戻ってきます。
途中には山梨側からの登山道のゴール、吉田口の久須志神社と山小屋群や御殿場口の登山道への分岐路があります。
久須志神社の方は案の定、着いた頃には閉鎖済み。奥宮の御朱印がもらえただけでも御の字だったと思いながら参拝し、下りの安全を祈願して富士宮口に至りました。


下山は富士宮口ではなく、お鉢めぐりを少し戻って御殿場口から。途中で宝永山経由の分岐から富士宮口の六合目に至るコースを辿る予定で進みます。
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御殿場口の道のりは雲に覆われがちな天候もあってか、富士宮口よりも荒涼とした印象を受けます。
実際、交通量も少ないのかもしれませんが、道々の山小屋も一時閉鎖ではなく廃業(休業?)している箇所が見受けられます。
なかには建物すら崩れ去り、自然の厳しさの前に文明を維持する難しさを見せつけてくるような光景もあるくらいです。

そんな御殿場口の下りの醍醐味は、六合目付近から始まる下山専用の砂地「砂走り」です。
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砂場のような足元に下り坂も相まって、名前の通り砂の上を走るように降りることができます。
このため、下りだけ御殿場口を使うなんてパターンも多いほどだとか。確かに下りやすく、砂走りに入ってしまえば今まで歩いたのが馬鹿らしくなるほど呆気なく宝永山方面の分岐まで着いてしまいました。

宝永山は宝永火口の脇、噴火で吹き飛ばされたときに残された出っ張りのような形をしている富士山の側火山です。
山と言えど、あくまで添え物のような存在。御殿場口の分岐からはほとんど高低差もなく宝永火口の縁を辿っていけば行くことが出来ます。
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しかしながら、その光景は雄大以外の何物でもない素晴らしい鷹揚さ満ちています。
砂山のようになだらかな宝永山の道もさることながら、振り返ったときに目に映る富士山と宝永火口のスケール感こそ、語彙が足りなくなるような力強さがあります。
恐らく、富士山を登っているときよりも、頂上から四方を見渡したときよりも、何より富士山の雄大さを感じるような光景な気がします。
途方もないほど巨大な砂山が、途方もないスケールで“少しだけ”削られている様を観るためだけに、もう一度ここに来てもいいと思える光景でした。
また、一応は山としての体裁もあって頂上には石柱も設置されています。天気のいい日には、またここも山中湖から御殿場にかけてを見渡すことができるそうなので、そんな機会もあればいいことでしょう。
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宝永山から富士宮口の六合目は下り側では30分ほど。降り来たって振り返れば、にわか雨が虹を伴いながらこちらに向かっている様子が見て取れます。
タッチの差で逃げ切ったと言うべきでしょうか、追いつかれてはたまらないので、急ぎ目で五合目に戻り無事に富士山頂上制覇からの下山を達成です。

降り着いたのは16時前後のこと。都合11時間ほどになる計算ですから、ほとんど半日は山を歩いてたということです。
人間って随分とタフな生き物だと、我ながら感心してしまいます。


五合目からは来た道を戻るようにバスと車を乗り継いで新富士駅近くの銭湯へ。
お風呂で一息入れてから夕飯を食べて、新富士駅にて解散。各自家路に就くことになりました。
例のごとく、私はそのまま出張先へ直行ですが……それはまた、それ。

立山再拝の話

相も変わらぬ根無し草の今年2017年。気付いたら職場に新人が配属されていたそうですが、つい先日まで顔も知らなかったのですから重症です。
知らぬ間に馴染まれてしまっては先輩としての立場がありませんね、存在感が薄くては仕方のないことですが……。

さて、天候に今一つ恵まれなかった今夏ですが、珍しく快晴の週末となった8月最後の週末、26日と27日。
出張案件のスケジュールが久しぶりに遠出に好都合な配置となったので、気合を入れて遠出することにしました。
目的地は6月にも訪れて、息を呑むような雪景を目の当たりにした立山黒部アルペンルートです。
雪が溶けたら登りに行こうと思っていた立山、2ヶ月越しに手の届くところまで機会が巡ってきたのですから逃す手はない次第です。


今回の出発地は神奈川の実家でしたが、経路は基本的に前回と同じ。中央線のあずさ3号に乗って11時過ぎに信濃大町駅に。
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お盆休みを外しているとは言え、雪が溶けきったハイシーズンのアルペンルートです。トロリーバスのある扇沢駅行きのバスもほぼ満席となる混雑ぶり。
つい先日も乗った関電トンネルトロリーバスに乗り込んだら、あっという間に黒部ダムに到着してしまいます。
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前回と打って変わった晴天ぶり! 夏の観光放水も行われていて、まさしく観光地として知ってる黒部ダムの風情です。

特に観光放水は前回見損ねただけに、目の当たりにすると現実感のない規模に圧倒されてしまいます。
ダム直下の自然環境に配慮して噴霧状に放水するという特殊な放水口、パッと見ただけではそういう物かと思うばかりですが、直近の作業通路に人が立てば目を疑う巨大さをより実感することができます。
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遠目にはホースのお化け程度に見えた放水口の水の筋一つ一つが、実は人の背丈ほどもある事実。
巨大構造物の偉力をまざまざと感じさせられます。可能なことなら近くに寄って見てみたいですが、どうすれば良いのでしょうか。

荒々しい観光放水の一方で、黒部ダムの上面は晴天下の穏やかな休日そのもの。凪いだ湖面が深緑の水を湛えて黒い山並み、青い空との対比を彩ります。
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ダム上にはゆるキャラのきぐるみも現れて……なんか記念撮影もしていました。

黒部ダムをひとしきり観光したら、次はケーブルカーで黒部平駅。前回は雪と雨に閉ざされていましたが、季節が巡れば蝶と高山植物の宝庫です。
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黒部平駅一帯は駅施設と高山植物園から構成されています。
高山植物園はその名の通り、様々な花や蝶を観察することができるのですが、特に薄い水色と茶色に彩られた大きな蝶がよく目について気になります。
案内板曰くアサギマダラという種類なのだとか。上高地に行ったときも見かけた気がしますが、Wikipedia曰く「標高の高い山地に多く生息する」とのこと。なるほど、然りです。
他にも「写真のほか何もとらない、足跡のほか何ものこさない」と標語が書かれた看板も、文言の簡潔さが印象的です。重箱の隅なことを言えば、足跡も残さない方が良いのですが……自然観察では大事にしたい心がけですね。
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黒部平から次の大観峰駅はロープウェイで一飛び。大観峰駅、何度見ても何故そこに駅を作ろうと思ったのか不思議なほど、絶壁に張り付くその立地に驚かされます。

大観峰駅は軽く見物して通り抜けて立山トンネルトロリーバスを室堂まで行けば、この日の目的地は着いたも同然です。
夏日快晴の室堂平は絶景の一言、他に何の説明も要りません。
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みくりが池に立山の山並みが映り込む様は、パンフレットで憧れた高山の景色そのままの息を呑むばかり素晴らしさです。
このまま永遠に眺めていられそうな絶景のなかを、何者にも煩わされず歩けるのですから幸せそのものと言っても過言ではないでしょうか。
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室堂平から遊歩道を経由して、東側に雷鳥沢という広い谷へ向かいます。その谷の陰の辺り、圏谷の絶景を正面に見据えた立地に、この日泊まった雷鳥沢ヒュッテがありました。
お宿は嬉し恥ずかしの山小屋初体験。大部屋に布団を敷いて寝る雑魚寝スタイルや、充電用のコンセントがないこと、電波もあんまり入らないこと……などなどと山の宿の洗礼に最初は面食らいましたが、慣れれば面白いものですね。
立山を真正面に望める温泉があり、絶景を眺めながら一日の疲れを癒やせたときは、これだけでこの週末は報われたと言い切れるほどの贅沢を感じました。

山小屋での夕食後は茜色に染まる立山を望んでいるうちに夜に。欲を言えば少し足を伸ばして、夕陽の映える景色を撮りたかった行きたかったのですが、刻一刻と変化していく絶景を前に、部屋に戻って装備を整える時間すら惜しく感じてしまいました。
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ひとまず部屋に戻り、夜半に再び外へ出たのは星を観るため。予期してなかったのですが、右側に仄かに光る雲のようにそれは、恐らく天の川。
写してから気付いたので、驚きと興奮でテンションは高まるばかりです。肉眼では残念ながらよく見えなかったのですが、写真で知ってる光景と同じものを、自分でも撮れたことの喜びは一塩でありました。


斯様な次第で早寝早起き、21時には寝付いて5時過ぎには起床し、6時の朝食を摂ったら日曜日はいよいよもって立山目指し出発です。
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日の出後も山の陰にあたる雷鳥沢は薄暗い日陰の様相ですが、気にせず出発してキャンプ場の真ん中を経由し浄土沢の筋を目指します。

この日の登山経路はガイドマップにもあまり載っていない通称「神の道」と称される浄土沢沿いに一ノ越まで上がっていく登山道です。
地図に道筋こそ載っているものの、あまりにも案内がないので不安に思っていたのですが、現地で聞いてみると余裕をもって歩ける道になっているとの情報。
「キャンプ場を過ぎて、浄土沢の橋を渡ったら右側へ」と経路の入り口に関する説明こそ、少し心もとないですが大丈夫。この日は見通しの効く天気だったことも幸いして、迷わずに目的の道を見つけることができました。
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案内板が壊れていたことだけは……少し不安になりましたが。

立山登山の主要ルートは、室堂のバス停付近から真っ直ぐに一ノ越と呼ばれる立山と浄土山の鞍部に至り、そこから稜線沿いに頂上を目指すもの。もう一つに、雷鳥沢から別山や剣岳のある方面へ斜面を登り、稜線沿いに立山に至る経路です。
浄土沢の登山道はちょうどその中間、雷鳥沢から一ノ越方面へ谷を遡り、途中で室堂からの経路に合流するものです。雷鳥沢まで来たものの、圏谷を大回りするような稜線巡りに付き合うほどの自信がない人にうってつけな短絡ルートになります。
谷筋なので雪解けが遅いのと沢越えがあるのが難点でしょうが、この季節なら高山植物が美しく傾斜も穏やかな、まさに浄土のごとき道のりとなります。
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日陰ながらも気持ちのよい道程。何も言うことはありません。ただ、淡々とせせらぎに耳を傾けながら登るのみです。

一ノ越まで至れば日陰を脱して、高山らしい透き通った強烈な日差しが急激に差し込みます。
ここで一休みして、水分補給やトイレを済ませたら、いよいよもって立山の頂へがれ場を一直線に上がるだけです。
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見るからに急傾斜、簡単に崩れて小石が降ってくる物騒な道程ですが、ここまで来たらワクワクが止まりません。標準的には1時間ほどの道程を、標準通りに1時間ほどかけて登れば、ついに目的地の立山は雄山の山頂に鎮座する雄山神社です。
頂上付近には休憩小屋も兼ねた社務所があり、神職さんや巫女さんも駐在してお守りや御朱印から豚汁にビールまで売っています。
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真の頂上へは登拝料を払うと入ることができますが、合わせてちょっとしたお祓いもしてもらえます。
お祓いの際には神職の方から簡単な山の解説もいただけるのですが、曰く立山は日本三霊山で唯一、他の二つの山が見えるところなのだとか。
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そうは言っても、特に富士山は条件が良くないと見えず、曇り続きの今シーズンではこれほど綺麗に見えるのは珍しいとのことでした。
掛け値なしに運が良かったと言えそうです。

ちなみに立山は正確には神社のある雄山の他に、大汝山、富士ノ折立と合わせて3つの峰の総称なのだとか。
一つ目の頂には至りましたが、残り2つも稜線沿いに40分ほど辿れば行けてしまうそうです。
この絶好の日和のもと、ここで登らずに引き返す手はないですよね。慌てず無理せず、でも積極果敢に進んでいきましょう。
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立山の最高峰にあたる大汝山は標高3015m、雄山も3003mあるそうですから、これで3000m越の大台突破ですね。
大汝山の頂からは眼下に黒部ダムのダム湖、黒部湖の全容を眺めることが出来ます。
視界の左端にチマっと置かれた板のようなものが、前日に魅入ったあの偉大なる黒部ダムです。あの現実感のなかった巨大構造物が、大自然の作りだす大きさの前には豆粒にも等しい対比になってしまうのですから、声になりません。
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信じがたいものを見た思いで頂上を後にすれば、こちらの峰の直下にも休憩小屋があります。
案内板曰く物資はヘリ輸送しているのだとか。どうやって荷物を運び上げるのかと不思議に思っていましたが、答えは存外に力技なんですね。文明万歳です。

最後の峰は最も低いのに妙に険しい富士ノ折立。皆さん揃って稜線の少し広くなった場所で荷物を降ろし、手ぶらで頂上に挑んでいたので、見習ってカメラ片手に登って撮って降りてきます。
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これにて3つの峰を登り終えたので、胸を張って立山登山したと言えることでしょう。

富士ノ折立から向こうにも稜線沿いの道は当然ながら続き、雷鳥沢に戻る経路や、はたまた立山三山の別山やかの有名な剱岳へと通じる道も用意されています。
魅惑的な天気と道程ではありますが、時間も装備も体力も流石に不足気味。調子に乗って山に呑まれては元も子もないので、後ろ髪を引かれる思いながらに引き返すことにしました。
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稜線を辿って雄山神社に帰れば、いつの間にやら登山客でごった返しています。
朝食を食べてから来たのか、はたまた麓からの初バスで来たのか、これ程の人が集まるとは流石に想像していませんでした。
お盆など立錐の余地もない状況に陥ってしまうのではと心配してしまいます。

雄山神社の売店で豚汁を食べて昼食としたら、今度は登りより危ないという下り行程の始まりです。
列をなして登る登山客を尻目に、崩れやすい足場を慎重に一ノ越へと戻りました。
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一ノ越からは道が二手に別れ、一つは真っ直ぐにバス停のある室堂へ戻る主要なルート。もう一つは隣の浄土山を経由して大きく巡りながら室堂へと降りるルートです。
大回りコースこそ断念しましたが、天気も時間もまだまだ余裕のあるタイミング。休憩がてらに一ノ越で経路を再検討し、少し遠回りしてみることにしました。
浄土山は立山と異なり、上までなだらかで今ひとつ頂きのわからない形をしています。頂上と思われる場所も広々とした空間が広がり、富山大の観測施設(?)なんかも立てられているほど。先程まで居た峰々とはだいぶ印象の異なる山並みでした。
それでも振り返れば、眼前には先程まで居た立山の偉容が聳え立っています。
さっきまであそこに居たのかと思うと、不思議な感慨が湧く光景。澄んだ空気のせいか、それともその巨大さのせいなのか、妙に遠近感が狂い、つい先程に2時間掛けて歩いた道程のはずが、一っ走りすれば行けてしまいそうな気がしてしまいます。
「目の前に山があったから登った」といえば、登山好きの狂った感覚を端的に表す小話のようですが……こうやって手の届きそうな明瞭さで頂上を示されれば、その気持もわかってしまいそうな光景でした。

そんなこんなで浄土山を越えて、眼下に室堂平が見えてきたら山歩きも終りが近いです。
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整備された遊歩道に戻ってきたら、気分は下山したも同然の一安心感。改めて周囲を見渡せば、数時間前まであの峰々に居たのかと、近いような遠いような不思議な気分になります。

無事に平野にたどり着いたら、最後の仕上げに前回は雪の下に隠れていた立山室堂を見学。この立山室堂は室堂平の名前の由来ともなった現存最古の山小屋として重要文化財指定されているのだとか。
中は簡単な資料館として見学可能な施設となっており、往古の山小屋の構造や立山信仰について学ぶことができます。
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隣の室堂山荘の食堂でカレーを食べたら、下山客でごった返すバスに乗り込んで富山駅を目指すのが最後の難所でしょうか。
継ぎ目なくやってくる高速バスよりも、その乗り継ぎ先、美女平から立山駅へと下るケーブルカーが大変だったことだけを特筆しておきましょう。

無事に富山駅まで戻ったら、駅前の飲み屋さんで新幹線の時間まで富山の幸を堪能して、関東へと戻ることになりました。


月曜は幸いにも夕方からの勤務だったので、午前中はぐったりと体力回復に充てて午後に出勤。
出張先での肉体労働、頭を使わないので次の目的地探しで頭はいっぱいです。

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