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月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


釣りする野営の話

梅雨時らしい怪しい天気で迎えたこの週末。
すべて終わってから気付いたのですが、この土曜日は夏至だったんですね。
最近、帰路が妙に明るいと感じたのも納得です。今少し、季節感への関心を取り戻さないといけないですね。

そんな夏至の週末。
天気予報は不穏な情報を提示してくるものの、予てからの計画では大学時代の友人たちと釣りキャンプに行くことになっておりました。
この手の予定を一度立ててしまうと、なかなか変更が効かないのも、大人になるということでしょうか。
思わしくない予報を前にしながら、一縷の望みをかけて準備をし、祈るように西伊豆へ釣りキャンプに行きました。


週末は金曜日から実家に帰還し、キャンプ用品を準備して親の車へ積み込み朝に備えます。
翌朝、大学の友人連中も動き出したら、西を目指しつつ順次合流です。

自宅の最寄り駅で元寮生と元下宿生を拾い、高速を伊豆方面へ駆け抜けて一挙に道の駅伊豆ゲートウェイ函南まで移動。
ここで、さらに大学の先輩方とも合流したら、少しばかり寄り道の買い物をして国道136号線へ。
西伊豆を駆け抜ける国道を辿り、途中で少しばかり買い出ししたら、この日のキャンプ場へと至りました。

行って来たるはキャンプ黄金崎という西伊豆の中間部くらいにある海辺のキャンプ場です。
海岸線の長い伊豆半島の中でも、これほど海に近い場所は数える程しかないのだとか。
数年前にも知らずに行きましたが……知る人ぞ知る良キャンプ場なのだとか。
2019_06@黄金崎キャンプ003 2019_06@黄金崎キャンプ006
前回同様に今回も眼の前に海が広がる最下段のテントサイトをお願いし、のんびりと海を眺めながら過ごすことにいたします。

のんびりと言っても、今回の目的の半分は海釣りをすること。
設営を終えたら、キャンプ場から下の海岸に降りて少し歩いた磯場へと向かいました。
先輩氏曰く、この周辺が釣りに向いているのだそうです。
そんな訳で大学の先輩が用意した釣り用具で、みんなで釣り体験です。
磯場に針を投げて、何か当たれば御の字なノリで挑戦しました。
2019_06@黄金崎キャンプ021 2019_06@黄金崎キャンプ049
もっとも、梅雨時は釣りのシーズンではないのだそうで、そもそも魚が少ないとの地元民情報。
加えて、海面には藻が繁茂して根掛かりを起こしやすい状況です。
針を投げた先から、藻に引っかかって身動きが取れなくなってしまう有様ですから、なかなか上級者向けの釣り場と言った様相です。
日が傾くまで数時間、釣り竿を投げて粘ってはみたものの、釣果は5人でカサゴ1匹という惨状になってしまいました。
それでも久しぶりの釣りに磯遊び。初めて野生のウツボを見ることもできましたし、釣りキャンプもなかなか面白いと思える時間でした。

日が傾きだしたら、なけなしの釣果を引っさげてテントへ戻り、焚き火を起こして夕飯とお酒の時間です。
2019_06@黄金崎キャンプ058 2019_06@黄金崎キャンプ067
カサゴやお肉を焼き、ビールを傾けのんびりと過ごす時間です。
天気も降ったり止んだりになるかと心配していたのですが、気付けばすっかりキレイに晴れ上がり、美しい夕焼けまで望めます。
日頃の行いの成果でしょうか、我ながらここ一番で天気に恵まれているのは本当に運が良いと自認できます。

そんな最高のシチュエーションで飲みながら色々を焼いたり、燻製を作ったり……他愛のない話で夜が更けていきます。
2019_06@黄金崎キャンプ075 2019_06@黄金崎キャンプ078
なんだかんだで宴は日付が変わるころまで。火を焚きながらお酒を舐めて過ごす気持ちの良い時間が流れていきます。
最後はうつらうつらとしながらテントに入り、気付けば翌朝へと時計の針が進んでいました。


前日の梅雨の晴れ間から一転して、海面いっぱいに靄が漂う日曜日。
二日酔いで靄がかった頭を揺り動かしながら朝食を食べて、のろくたと撤収です。

小一時間ほどかけて片付けを終えたら、温泉に入りたいとの要望に従い、車で15分ほど北上した土肥の港町まで向かいます。
この土肥は漁港と金山、そして温泉で名を馳せる西伊豆有数の観光地です。
前回訪れた際は土肥金山の見物もして、独特なマシンガントークに魅了されてしまった記憶があります。
ですが、今回はもう金山巡りはパスにして、とにかく温泉の気分です。
土肥温泉で唯一、午前中から営業している弁天の湯へ行って、朝風呂を浴びに訪れることになりました。

お風呂で一息入れたら、近くの料理屋さんで昼食を摂っていれば、なんだかんだで13時です。
少しばかり早い気はするものの、帰路の渋滞も気になるので、このまま帰宅の流れになりました。


そんなこんなで、温泉と海鮮で伊豆から手を引いたら、136号線と東名を経由して、17時過ぎには実家に到着です。
最寄り駅で友人を降ろし、キャンプ装備を車からパージしたら、この日の用事はお終いです。
しかし、流石にこのまま手ぶらで帰宅は惜しいものを感じる気もします。
せっかく陽も長いので、キャンプ一派と新宿で再合流したら、ビアガーデンで締めのビールを飲んでしまう流れになりました。
陽気な若者が少々うるさい場末のビアガーデンで、しばらく反省会をして過ごしたら、今度こそ本当の解散となりました。


そんな訳で、だらだらと過ごした今週末。明けて月曜日は、職場に新人が配属されました。
ついに自分にも後輩が登場です……教育係でもなんでもないので、負荷は大して増えませんが、新キャラがいると気を使いますよね。
まだ1日目、どんな子かもわからないので、これからが楽しみです。

湖畔の野営と生音

気付けば驚くべきことに最早6月! 1年がもうすぐ半分終わってしまいます……。
そして、もうすぐ梅雨がやってきてしまいますね。晴れる季節のうちに、過ごしやすい季節のうちに、もう少しお出掛けしないといけません。

そんな訳で、この週末は信州、北アルプスのお膝元にある長野県大町市へ行ってきました。
目的は、おなじみの半月クラスタと木崎湖のキャンプ場でキャンプをすること。初夏の週末を満喫です。


土曜の朝は早めに起きたら中央線の特急に揺られて、まずは一足飛びに大糸線の信濃大町駅へ向かいます。
ここでフォロワーの朔さん、わため氏、ぽち氏と合流して、近くのスーパーへ買い出しに。
スーパーの中で和泉冴氏とも合流したら、買うものも買ったので、この日の野営地、木崎湖キャンプ場へ。

何故か出迎える木彫り(チェーンソーアート?)のチルノが謎ですね。
この木崎湖キャンプ場、おねティの聖地ではありますが……東方は……関係ない、気がします、多分。
2019_06@木崎湖キャンプ009 2019_06@木崎湖キャンプ016
ちなみに木崎湖でのキャンプはこれで2回目、前回も朔さんとわため氏がいた気がしますが、もはや遠い過去ですね。
しかしながら、今回は強風に悩まされた前回と打って変わって、天気は良好です。
青い空に透き通る湖が、まさしく長野の夏を感じさせます。

そんな初夏の陽気のもとで心地よくキャンプ場で設営をしている間に、旧HNのニック氏ことすし太郎氏も合流。
さらに追加の買い出しがてらに、信濃大町駅へ寄り、遅れて来ていたヘク猫氏も回収です。
なんやかんやと設営が完了するまでには総勢7人、ソロキャンプの集まりとしては結構な大所帯となりました。

流石に7名の大人数、加えてキャンプ初心者のニック氏もいる状況となると、いつもの1人1熱源スタイルなんてストイックなことは言えません。
BBQコンロを借りて、皆で色んなものを焼きながら、酒を飲んで過ごすことになります。
2019_06@木崎湖キャンプ046 2019_06@木崎湖キャンプ044
主に肉、次いでピザ、あとは野菜に、長野らしくニジマスも焼いてみたりしました。

もっとも、日が沈み暗くなる頃には興味は食材から酒、そして炎へと興味は徐々にシフトしていきます。
今回の目玉は朔さんがキャンプ受付で仕入れてきたスウェーデントーチでしょう。大きめの丸太に、適度な切れ込みを入れて乾燥させた代物です。
この切れ込み付丸太の隙間に、着火剤を差し込んで火をつけてやれば、見た目にもインパクトのある自立式可燃物ができあがります。

このトーチ、見かけに反してスリットが上手い具合に煙突効果を発揮して、トーチの名に恥じない派手な燃え盛りかたをしてくれます。
一方で炎も熱も上に昇るうえ、底部は相応の厚みで守られています。後から見ても、地面を焦がす様子ないのがまた侮りがたい一面でもありました。
2019_06@木崎湖キャンプ053 2019_06@木崎湖キャンプ058
そんな火炎遊びに興じながらも、暗い方へ目を移せば、こちらははこちらで真っ暗な湖面を遠くの街明かりと星灯りがうっすら照らす幻想的な光景です。
流石に天の川までは見えませんでしたが、それでも大きく広がった北天には北斗七星や北極星が容易に観察できる明るさで瞬いていました。
気付けばしばし火遊びから離れて、桟橋に腰掛けて星を眺めてしまったのも仕方のないことでしょう。

火遊びに星空鑑賞、山間キャンプの醍醐味を味わったら、残りは夜更けまで薪の始末も兼ねた炎との対話です。
1人、また1人と眠りに落ちていき、最後まで残ったのは私とヘク猫という珍しい組み合わせ。
ヘク猫のふいごを借りて遊びながら、缶詰でも温めて、焚き火が燃え尽きるのを見送ったら、日付が変わる頃合いにようやくの就寝となりました。


そんな次第でバッチリ夜更かしと深酒から迎えた翌朝。
当然のごとく、気持ちの良い朝……とは行きませんでしたが、それでも人間的な時間には起床することができました。
2019_06@木崎湖キャンプ069 2019_06@木崎湖キャンプ070
薄曇りの木崎湖を眺めながら朝食を摂ったら、少し気忙しいですが撤収の準備となります。

この日は後に予定が控えていたので、無闇なのんびりはせず、10時頃にはキャンプ場を引き払ってしまいます。
近くの温泉で小一時間ほど過ごしたら、そのまま私は信濃大町駅へ送ってもらい半月クラスタとも離脱です。

松本から特急に乗り込み長野の大自然から一転して、大都会の渋谷へ向かいました。
ちなみに渋谷での目的は大好きな分島花音さんの10周年記念ライブです。
2019_06@木崎湖キャンプ075
こちらに関して、細かい感想も理屈も不要でしょう。いつもの様にアレンジの効いた楽しいライブです。
特に今回はキーボードが強めで軽快な印象を受ける曲調で、大好きな分島花音の楽曲を楽しむことができました。
「君はソレイユ」や「Right Light Rise」など、聴きたいと思ってた曲の大半を聴くこともでき、歌声と生演奏に酔いしれるて過ごすことができました。
また、アンコールの後に諸々の齟齬から生じた突発のダブルアンコールも強烈です。
とりあえず登場したものの、全くノープランでとぼけたことを宣う花音さんと、「もう一回」コールしておいて、どうなることかと困惑する私ら観客達……。
さらに無理やり何かやろうとして、アンコールと同じ曲を繰り返す暴挙ですから、誰もが当惑しながらも笑顔になるしかない瞬間でした。
そんな流れで“アンコールよりも自由な感じで”とバンドにリクエストし、実際自由な感じで歌われた「プリンセスチャールストン」は最高に楽しい一曲。アドリブの効くライブの醍醐味を味わえたような気持ちでした。


そんなこんなで最高に楽しいキャンプと、最高に楽しいライブで過ごした週末。
帰る頃には疲労困憊も致し方でしょう。

荷物を解いたら、倒れるように寝てしまい……降って湧いた雑務に振り回されて月曜がすり潰されれば、もう火曜日に至ります。
今週も日々が早々と過ぎていきますね。

初夏の山歩き訓練

全国的に真夏のような酷暑が襲ったこの週末。
研修担当の闇を全身に浴びた平日を辛くも生き延びた反動に、お休みモード全開でリュックを背負いお出かけしてきました。

新幹線を名古屋で降りて、関西線に乗り継ぎ、降り立ったのは三重県の入り口、桑名駅です。
ここでJRを下車したら、改札脇のバス乗り場の一角にひっそりと佇む西桑名駅へ向かいました。

レトロな雰囲気の漂う西桑名駅から乗車したのは、普通より一回り小さい印象を受ける三岐鉄道の北勢線電車です。
この北勢線は日本では数少ないナローゲージ、すなわち在来線の軌間よりもさらに狭い軌間で敷設された旅客鉄道です。
当然ながら、ナローゲージへの乗車は初めての経験。心なしか低い天井に、狭い車内、むんと暑いこんな日では車内も心なしか蒸し暑い気がしてしまいました。
2019_05@関ヶ原キャンプと伊吹山登山002 2019_05@関ヶ原キャンプと伊吹山登山005
そんな夏を感じる小さなローカル線に乗り込んで、向かった先は終点の阿下喜駅です。
阿下喜駅までは西桑名駅から1時間と少しの行程。長いようで短い時間を、心なしか揺れが大きな列車に揺られて過ごします。
急曲線や小さなホームの無人駅、水の張った田んぼの長閑な風景を眺めていれば、湧き立つ旅情に満たされているうちに到着してしまいました。

降り立った阿下喜駅は三重県いなべ市にある古い町の一つです。
桑名藩領の時代には旅籠屋や酒造が軒を連ねた都市だったのだとか。
2019_05@関ヶ原キャンプと伊吹山登山013 2019_05@関ヶ原キャンプと伊吹山登山021
ふらりと旧市街と思しき区画を巡り歩けば、今でも重厚な商家風の家が軒を連ねた区画にも行き当たります。
人通りが乏しく、空き家と思しき家も多いのが寂しいことですが、絵に描いたような“夏の田舎町”の風景にもそこかしこで行き合いました。

もちろん、いくら放浪が好きと言えど、縁もゆかりもなく名も知らぬ田舎町まで行くほど、無計画ではありません。
ほんの一時ながら、記憶を伴わないノスタルジックに浸ったら、駅近くの温泉施設に向かい友人との合流のために待機です。
この日の合流予定者はフォロワーの天野しき氏、燻製ハム氏、けむけむ氏、拓夏氏の4名です。
翌日の登山に備えて、キャンプをしようとの算段だったのですが、都会に住まう4名は先行して土曜も登山中とのこと。
電波が通じなければ、連絡の取りようもありません。
先に温泉に入ってしまい、休憩室で持参した文庫本を読みながら、だらだらと贅沢な時間をしばらく過ごしました。

結局、温泉に着いたのが13時頃なら、フォロワーと合流できたのは16時半頃のこと。都合3時間半も温泉でダラダラしていた計算ですが……たまにはそんな土曜日も良いものですよね。
この後は、フォロワーの風呂上がりを待って買い出しを済ませ、関ヶ原にあるグリーンウッド関ヶ原キャンプ場に宿泊となりました。
2019_05@関ヶ原キャンプと伊吹山登山030 2019_05@関ヶ原キャンプと伊吹山登山040
山行を控えた前泊キャンプ。焚き火に肉を焼き、コンロで鍋を作り、酒を交えてと、楽しむことは楽しみながらも、程々のところで切り上げて、翌朝を迎え撃つことにいたしました。


翌朝は前日の早寝が奏功して、朝もスッキリとしたお目覚めです。
優雅に朝食をとって荷造りしても8時過ぎには出発することができました。

そんな訳でキャンプ場を後にしたら、しきさんの車に揺られて滋賀県米原市の上野地区にある伊吹山の登山口へ。
ここに車を駐めて、登山口の三之宮神社で無事な山行を祈ったら、今週のメインイベント伊吹山登山に出発です。
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今回の登山は5人パーティーで行くグループ登山、私としてもこれほどの多人数は初めての経験です。
隊列の順序を意識したり、追い抜きや追い越しのタイミングに気を使ったりと、少人数のときにはない心遣いを意識しながら山頂を目指します。

もっとも、メンバーには伊吹山経験者も多数いるので、ペース配分も道のりの情報も任せっきりで安心です。
ただひたすら、足手まといにならぬようペースを合わせてついていきます。
序盤の石ころが多い林道を抜けて、ハングライダー場の脇を通りぬけて、再び森の中へ。
3合目を過ぎたあたりから視界も開け、目指すべき伊吹山の山頂も目の前に姿を表します。
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3合目から5合目までは比較的穏やかな道のりが続きますが、5合目まで来ると雰囲気が一変します。
小屋の脇にたつ少し場違いな赤い自販機と、その向こうに広がるのは山頂まで幾重にも重なる九十九折の登山道です。
この5合目の休憩スペースで、先々の道のりの登り一辺倒さを脅されながら、一休みです。

一息入れたら、5合目から山頂までは九十九折の急坂をひたすら登るのみ。
振り返れば、今来た道のりがそのまま一望できるのが気持ちよさでしょう。一方、上を見上げれば……声が出なくなりそうですね。
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細かい道のりも時間も忘れた頃に、ようやく山頂周辺を巡る遊歩道までたどり着きました。
この遊歩道まで辿り着けば、もう安心でしょう。
伊吹山は9合目まで車道でもつながっており、山頂周辺の遊歩道は登山道よりもずっと整備された環境となっています。
安心して遊歩道を少し進み、展望台まで顔を出してみれば、辿ってきた道のりが山の斜面に張り付き、その向こうには近江平野が、さらに琵琶湖も望める絶景を拝むことができました。

絶景の展望台のあとは山頂周辺の売店群で一休み。下山も待ってますが、罪深い一杯で登頂を祝ってしまいましょう。
強い日差しを避けたパラソルの下、山の風を浴びつつ、よく冷えたビールの美味しさに感謝してしまいます。
山頂近くまで車で行けてしまうと言うと、頂上の有り難みに欠ける気もしますが……こういうことが気軽にできるのは、文明様様ですね。
2019_05@関ヶ原キャンプと伊吹山登山103 2019_05@関ヶ原キャンプと伊吹山登山107
もちろん、下山前には頂上うぃしっかり確認してから帰りましょう。
伊吹山は百名山にも数えられる名峰ですが、その頂上1377mの位置には一等三角点も設置されています。
見晴らしの良い限られたところにしか設置されない貴重な三角点。先人たちの測量の手間に思いを馳せながら、下りの行程へと移行しました。

登りが急坂なら、下りも急坂。位置エネルギーを開放するかのごとく、順調なペースで下ってしまいます。
2019_05@関ヶ原キャンプと伊吹山登山113 2019_05@関ヶ原キャンプと伊吹山登山115
往路の半分程度のタイムで、あっという間に登山口まで。
呆気なさを感じるほど、あっという間に下山できてしまいました。


さて、下山したら温泉でビールをしてから帰るのが、お約束の行程……なのですが、今回は残念ながら時間がありません。
想定より下山の時間が遅くなってしまい、実家で所用のある私は先抜けする必要が生じてしまいました。

後ろ髪を引かれる思いながらも、登山口最寄りの近江長岡駅でフォロワー達と別れて、私は独り帰路へつく事となりました。
近江長岡から東海道線で名古屋へ、そこから新幹線を乗り継いで実家ヘ向かいます。
実家にて、来週に備えたキャンプ道具の詰替えをしたら、仕切り直して内房へと帰りつきました。

ちなみに、残ったフォロワーさんたちは温泉からの夕食を楽しんで、私が新横浜駅に着いた頃に名古屋を出たそうです。
……羨ましくないといえば嘘になってしまいますね。次はフルで参加できるよう、予定をもっと見極めないといけません。

弾丸なのらいぷ追撃

先週に引き続き、研修の指導に追われてて忙しさを噛みしめる今日この頃。
やんぬるかな、勤務時間の山で圧をかけていくしかないのでしょうか……。

そんな絶望的な多忙さが続く日々ですが、そんな中でも午前様を甘んじても死守したいのが土日の週末ですね。
今週は飛び出すように大阪へと行ってきてしまいました。


午前中は所用があったため、午後一の新幹線で一路、懐かしの西の大都会へ。
目的は先般のライブで大いにテンションが上って以来、行かざるを得ないと心に決めたnano.RIPEの初夏のツアーです。
東名阪と金沢での開催のうち、最も日程の都合が良かった大阪をチョイスしての参加。
もはや遠征とも言えない軽いノリでの大阪巡りです。

新大阪で御堂筋線に乗り換え、なんばで下車したらとりあえずは難波八阪神社に参拝します。
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神楽殿の巨大な獅子(?)に気負されながら御朱印を頂戴しました。
町中に不意に現れる平穏で神聖な空間。歴史ある町の中にある神社らしい空間でありました。
ただ、大阪の市街地の神社には共通して言えることなのですが、なぜこの地域の神社は夜間閉門が徹底されているのでしょうか。
あまり、他の地域で律儀に門を閉めるところが多くは思い浮かばないだけに、少し不思議な印象を受けます。

御朱印の頂戴後は、同じく大阪に来ていた元下宿生と合流。
好日山荘で少しお買い物をしたら、早々にライブ会場へと赴き入場といたしました。

今回のnano.RIPEライブのツアータイトルは“ゆうきのきのみ”。先に亡くなってしまわれたドラマーのゆうき氏を追悼してのライブです。
もっとも、追悼ライブといってしんみりしててはnano.RIPEらしいとは言い難いものです。
少し懐かしい曲の比率を高めつつも……いつもと変わらず少しノスタルジックで捻くれた、それでいて優しく熱い歌を届けてくれました。
会場もその熱い想いに答えてか、熱気は会場の壁面を結露させるほどの有様です。
久しぶりのオールスタンディングの会場で、背筋と腰が痛くなるほど我を忘れてライブに没頭し、楽しむことができました。


ライブ後は元下宿生の以前の同僚でもあるフォロワーの“かめい”さんとも合流して、キタの下町の飲み屋で一杯傾ける流れです。
ビールに初めて日本酒へと流れ、そのまま帰路にも買い足して、かめいさん邸でさらに飲み直し。
何故か「えんどろ~」の1話を見ていたことだけが不可解ですが、楽しい夜を過ごすことができました。


明けて日曜日も前日の続きと言わんばかりに、二日酔いをぶら下げたまま動画を垂れ流して過ごす午前中です。

ちなみに、かめいさん邸は町中の雑居ビルのような立地にあります。
窓を開ければ、心地よい風と一緒に街の喧騒が流れ込んできます。
文明と名もなき市民の息遣いを感じながら、友人らと気怠さをコーヒーで誤魔化す時間は、何とも甘美で頽廃的で素晴らしい時間でした。
そんな中でも、話の流れからウェザーロイドなる昔懐かしい企画を思い出すことができたのは、非常に良い経験でした。


さて、そんな素晴らしい午前中から抜け出した昼下がりですが、惜しむべきことに大阪とはお別れしなくてはなりません。
諸々の都合が重なってしまい、この日は夕方から今度は東京の池袋で飲み会の約束です。
フォロワーのちろさん、つぼっちさんと会うため、新幹線で東京へとんぼ返りとなりました。

池袋には少しだけ早めに着いたので、軽く最近の新刊を買ったり、銭湯で前日の汗を流したりしてから、約束の時間に合流です。
この日のお二人はどちらかと言うとクリエイティブな仕事をしている面々です。
私としては憧れ半分、縁遠い半分な存在……何故こんな風に一緒に飲める縁ができたのかとも、未だに不思議な気持ちにあるような間柄です。
それでも、業界の話からとりとめのない地元の話まで、終電を逃してしまうまで話し込んで、楽しく過ごすことができました。


お陰様で、ひと駅分、タクシーで無駄に走る羽目になったのですが……これはご愛嬌でしょう。
2晩続けて、楽しい夜を過ごすことができたので、満足といえる週末になりました。

これで、今週もなんとか乗り切れれば良いものです。

大型連休の機動戦・草原と青空の国編

前半編から続いて、成田空港で一夜を明かして、朝一番で旅行代理店の前に集合した4/30日。

この日はこのまま、ツアーの添乗員に引率されて、外つ国へお出かけです。
驚くなかれ、生まれて初めてのフルパッケージツアーでの旅行です!
添乗員がついてくるなんて、学校の修学旅行以来でしょうか。
大型連休の影響もあり、自力で手配するより安かったのだから……仕方ありませんね。

行って来たるは初めての中央アジアにして初めてのCIS諸国、初めての内陸国――ウズベキスタンです。


成田空港から大韓航空機に乗り込み、仁川国際空港を経由して日付が変わる前に首都のタシュケントへ到着です。
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首都タシュケントは後漢書にも“石国”の名で記録を残す古代からのシルクロードのオアシス都市。
ロシア帝国の南下後は交易都市として発展し、ソビエト時代にも独ソ戦線からの工場疎開による工業の移入や、郊外での綿花などの栽培により、屈指の都会へと発展していったのだそうです。
1966年の大地震により、往年の歴史を伝える建造物の大半を喪ってしまいましたが、それでもソビエト、中央アジアの有力都市としての風格ある町並みを垣間見ることができます。
もっとも着いたのは現地時刻で21時頃のこと。何をするでもなく、この日は両替だけしてビールを舐めたら寝ることになりました。

ただし、ちゃんと観光するのはまた後ほどの話です。
まずは観光バスと高速鉄道を乗り継いで、シルクロードの交差点、古都サマルカンドへと向かいました。
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車窓から眺めた青空と少し乾いた草原が、この後ずっと見ることとなるウズベキスタンの一番の印象的な光景です。
砂漠の国と思ってきたのですが、案に相違して巡ったのは灌漑地帯が中心でした。
水路が巡らされた田畑が続き、緑が思った以上に多かったのが正直な感想です。
灌漑がなくとも草原程度にはなったのでしょう、“青空と草原の国”というのがこの旅に終始ついて回る印象でありました。

ちなみに列車はスペイン製の高速鉄道システムとのこと。連接車方式なのが興味深い構造でした。
内部は一般的な2+2の座席構成。ひざ掛けの間にコンセントがあったり、機内食ならぬ車内食のサービスがあったりするのが日本との違いでしょうか。
あとは、車内のモニターでひたすら手工芸のハウツー動画を流していたことが、一番の衝撃です。
一時、車窓から目を離して、ひたすら手際よく作り上げられていく数多のケーキを見てしまいました。

そんなこんなで退屈する間もなく、シルクロード屈指の古都、サマルカンドへ到着です。
サマルカンドは近隣屈指のオアシス都市であり、紀元前10世紀にはその原型と思われる町が記録に残る世界でも屈指の古代都市です。
翻って騎馬民族による交易が華やかりし時代には、これまた東西軸を成すシルクロードに加えて、シベリアやルーシなどの北方諸国、あるいは南に目を向けてインドと、東西南北の交易路が重なる文明間の要衝でした。
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特に中央アジア地域に覇を唱え、モンゴル帝国の旧領の半分を領した英雄ティムールは、この地に首都に設置して現在に残る多くの建造物を遺しました。
レギスタン広場もそんなティムールの王朝が遺した世界遺産の一つです。
3方を壮麗な神学校に囲われた美しい広場です。

広場そのものもさることながら、それぞれの神学校一つとっても、見入ってしまうような美しさです。
砂色の基材に映える青いタイルの装飾が、乾燥した地域らしい抜けるような青空によく映える光景でした。
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また石造りで覆われているものの、当然ながら扉のような可動部位は木製が中心です。
この木の扉の類もまた、精巧な彫刻が施され、無骨な石造りの躯体との対比に見惚れてしまいます。
壮麗な建築と中庭の中央アジアらしい風情、かつて学生が宿舎にしたという部屋がお土産物店になっているのも、また一興でしょう。
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語ればキリのないイスラム建築の美しさですが、キリがないので程々にしないと次の行程に支障をきたしてしまいます。
これが一人旅なら、いくつか予定を切り捨てるところなのですが……そうは行かないのがツアー旅行の難しいところです。

後ろ髪を引かれながら観光バスに乗り込み、レストランで昼食を食べて、次の観光地へと向かいました。
2箇所目はグーリ・アミール廟。“グーリ・アミール”だけで「王の墓」を意味するそうですが、具体的にはティムールの墓所となります。
外観は青いタイルに覆われた壮麗な建築です。
様式を見れば、これが墓所なのか、モスクなのか、宮殿なのか……とわかるのでしょうが、生憎とイスラム建築には疎いので、同じに見えてしまうのが正直なところです。
2019_05@ウズベキスタン旅行165 2019_05@ウズベキスタン旅行164
それでも墓所と聞いてはしゃぐ気になれない程度の敬意は持ち合わせていますから……。内部には埋葬位置を示す墓石が並んでいます。
曰く、中央の黒い墓石がティムールの墓所の位置を示すもので、実際の棺はこの直下に位置する地下室に安置されているそうです。

ちなみにこの墓所の有名なエピソードとして、1941年、ソビエトの考古学者が科学調査のため発掘した際の話があります。このとき、ティムールの棺の中には「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」と記されていました。
ちょうどその発掘が行われた数日後、まさにドイツ軍がソ連への奇襲的な侵攻を開始し、ソビエトは未曾有の危機を迎えることとなってしまいました。
棺の文字に恐れをなしたのか、はたまた純粋な古の英雄への敬意か――遺体は調査の後、イスラム教式の手順に乗っ取り、再び丁重に埋葬されることになりました。
ただし、このときの調査においては、ティムールは片足が不自由であったことや、3代目のウルグ・ベクは首を切られて殺害されてたことなど、歴史書に記された人物描写が概ね真実であったことが明らかになっています。
ウズベキスタンで広く流布するティムールの復顔像も含め、考古学としては多いなる進歩をみた調査だったのは事実のようです。


ティムールの霊廟の次は、サマルカンド郊外の丘に位置するシャーヒ・ズィンダ霊廟群と呼ばれる墓所や儀礼用の建築物の集合体を見学します。
伝説では、イスラム教の布教に訪れたクサム・イブン・アッバースという聖者が、この地で殺害され埋葬されたことに由来する霊廟が最初に建っていたとされています。
その後、彼の聖者を慕う人々により、11世紀から19世紀にかけての約9世紀の間に、周囲には霊廟が建てられ行き、門や儀礼用の建物が整備されて、一大霊廟群が形作られていきました。
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基本的には最奥部に位置する聖者の墓所から、丘の斜面を下るように時代を下るように数多の霊廟が並びます。
ガイド曰く、特にティムール朝やその配下と縁のある女性が多く埋葬されているです。
何はさておくも、その四方を墓所の青いタイルに囲まれた路地の風景はまさに死者の都、ネクロポリスといった風情です。
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それでも恐怖や不気味さよりも、壮麗さや青いタイルの美しさが先に立つのは、不思議な気持ちです。
カラリとした気候のなせる技か、意図して湿っぽくない作りなのか、あるいは文化的な文脈を認識してないだけなのか……疑問は謎のままですが、美しかったのは間違いありませんでした。

余談ながら、この周辺は現在でも現役の墓地です。もっとも、当然ながら霊廟群のような壮麗な建物こそありません。
崖に所狭しと墓石が建っている様は、ある種日本の田舎にも通じる区画整理されていない墓地の光景でした。

霊廟群の次は歩いていける距離にあるシヨブバザールを経由して次の目的地へ向かいます。
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このバザールは市内でも最大級のバザールであり、その発祥は2000年前に遡るとも言う伝統あるものです。
生鮮食品から金物屋、加工食品に日用品と、数多のものが雑多に取引される活気あふれる空間を垣間見ることができます。

もっとも、イスラム建築に魅せられた身としては、隣接するビビハニム・モスクの方がより魅力的です。
ティムールが建築させたものの、急造が祟り短期間で使用に耐えられなくなったと伝わる巨大モスクです。
ソビエト以来の復元プロジェクトの途上だそうですが、それでも門の高さは40mは超え、中央アジアでも随一の巨大なモスクとなります。
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本来であれば周囲を高い壁が囲い、中央に広大な中庭を備える壮大な建造物であったそうです。
今でこそ、復元途上の門や3辺を守るドームのみが残されるばかりですが……それでも、その壮大さと程よい廃墟感が非常に魅惑的な遺跡でありました。

霊廟やモスク観光のあとは家庭料理が食べられる一般家庭兼業の食堂で夕飯を食べる予定でした。
ところが、本来であれば門前までバスで乗り付けるのですが、なんと「リフォームシーズン(!)」とやらで、バスが路地に入れないとのこと。
仕方ないので、大通りから路地を徒歩移動により、夕食の待つ食堂へと向かいました。
人によっては災難かも知れませんが、個人的には路地裏散策は異国で最高の楽しみです。
万事塞翁が馬、ツアー旅行だからと諦めかけていた余録に、思わぬ形で遭遇することができて大満足でした。
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ちなみに出てきた様々な調味料や具材で料理は蒸し茹でにした米料理です。
非常に美味でしたが、如何せん量が多いために、全て食べきれなかったのが非常に申し訳ない気持ちになってしまいました……。

夕食後の腹ごなしはバスでレギスタン広場に戻り、夜景鑑賞です。
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この日は偶然にもプロジェクションマッピングを上映するのだとかで、大層な人混みになっていました。
内容としてはシルクロードの交易をモチーフにした物語だったようですが……残念ながらナレーションのウズベク語がわからないため、今ひとつ浅い理解しかできてない雰囲気です。
それでも、美しいプロジェクションマッピングを、偶然見ることができたのは僥倖と言っても過言ではないと感じました。

ちなみに宿泊した宿はレギスタン広場のすぐ近くです。
アクセスも良いので、夕涼みに散歩に行ったなんて同行のツアー客も居たそうです。
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また余談ながら、門前に邪視よけの護符(扉上の目玉状のもの)を吊るしてあります。
習俗としては何かの折にウィキペディアなどで知っていたのですが、実際に見るのは初めての経験です。
文字列だけで知っていたことが、目の前で何気なく実演されていると、ちょっと感動しますよね。

ちなみにサマルカンド市街は通信状況が貧弱です。私が訪れた際には電波そのものは通じるものの、データ通信がほとんど出来ない有様でした。
利用者数に対して通信インフラの容量が追いついてないような印象です。
その鬱憤を晴らすつもりだったホテルも、部屋の無線LANは貧弱ですから救えません。
仕方なくバーカウンターでビールを飲みながら、その日の写真をツイッターに上げたりしていましたら、うっかりボッタクられてしまったのだけが痛恨事です。


ホテルで色々しくじったのは脇においておき……翌朝5/2はバスではなくセダン車に分乗して、更に南の街を目指します。

車はあっという間にサマルカンド市街を飛び出して郊外へ。さらに人家もまばらな草原地帯へと駆けていきます。
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道中、標高1600m程度の峠道の頂上で一休み。日本のパーキングエリアのごとく広々とした駐車スペースが用意されています。
もちろん露天商が店を広げているのですから、商魂たくましいです。ドライフルーツやドライヨーグルトなどの乾物、お茶の葉っぱが中心に取引されていました。
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またこの峠の特筆すべきは眺望の素晴らしさ。青々とした山並みと青空が一望のもとに望めます。
あるいは道路に目をやれば、どこまでも青空へ向かって伸びる道……旅を実感する良い光景です。

そんな光景を眺めながら、車に揺られてきたのはウズベキスタン南部の都市、シャフリサブスです。
ここもシルクロード時代には中央アジアの主要都市として、玄奘三蔵の「大唐西域記」にも名を残す都市だったそうです。
ティムールの故地として、首都サマルカンドと並んで遺した建造物が散在する地域なのだそうです。

そんなティムールの遺産の一つ、アクサライ宮殿が最初の目的地の一つです。
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今でこそ、1対の柱に成り果てていますが、本来はビビハニム・モスクをさらに大きくしたような門だったそうです。
建造当初の塔は50mの高さに達し、宮殿の上部には「もしも、汝我が権力に挑むならば、この建物を見よ」なんて文字も記されていたのだとか。

アクサライ宮殿からバスで少し移動したところには、本来ティムールの墓となるべきだった場所も遺されています。
冬の間、道が閉ざされてしまいシャフリサブスの墓所へ運び込めず、現在のサマルカンドの霊廟に葬られてたと伝わっているそうです。
そんな霊地といえど、好きあらばフリーマーケットのような露天商がお土産物を売っているのも、ある種の観光地風情でしょうか。
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興味深いのはホンの壁一枚で隔てられた向こう側の現役のモスクでは、一切商売の雰囲気を見せないことです。
扉の向こうでは悠々と神聖な遺跡の敷地内で商売しているのですが……その線引きの感覚はわかるようでわからないような、不思議な感覚です。

またティムールの墓と隣接するルッテイロヴァット(瞑想の家)建築群と呼ばれる一群のモスクもまた一見の価値ありです。
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いくつかのモスクや霊廟が一つの壁でまとめられた建築物群、多くを語ることはないですが、ここもまた実にきれいでした。

シャフリサブスは非常に良い町ながら、規模も小さいためか駆け足で観光終了です。
昼食に串焼き肉を食べたら、来た道を戻ろうように再び峠を超えてサマルカンドへと向かいました。
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ところで、シャフリサブスまで来ていた間、遥か南の地平線上に、ずっと白銀の山脈が目についていました。
うっすらと霞んだ山並みは、遥か遠くにあることを示しているのですが、そうとは思えない高さに顔を出しています。
ガイドに聞けば、遥か南に聳えるインドヒマラヤ山脈の西端なのだとか。山を越えればアフガニスタンでありインドなのでしょう。
近くて遠い距離感を象徴するような光景でありました。


車でサマルカンドへと戻ったら、観光バスへと乗り換えて郊外に立つウルグ・ベクの天文台を見学です。
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ウルグ・ベクはティムールの孫に当たる人物。王としての目立った業績はないものの、行政官や天文学者としては類稀な功績を残した人物なのだそうです。
そんな彼が富と権力をもって建設したのが、数十mにも及ぶ巨大六分儀を要した天文台なのだとか。
その観測精度は現代に匹敵し、恒星表や各種の成果は遥かヨーロッパの天文学者間でも讃えられほどだったそうです。
ウルグ・ベクの死後は破却され長く砂に埋れていたのですが、20世紀初頭に発見され、その実在と遺構の巨大さが明らかになりました。
隣接する博物館をゆっくり見れなかったことだけが心残りですが、実に良いものを見ることができました。


天文台のあとは少しだけ寄り道を挟みつつ、夕飯の待つレストランへ。
ここで伝統舞踊のパフォーマンスを見物したのですが、何を間違ってかツアー一行の代表として花婿役をやる羽目になってしまいました。
伝統的な曲に合わせて、踊り子が歌いながら花嫁、花婿それぞれに衣装を着せていくという代物。
よく似合っている! 結婚式の練習ができたね! と散々に煽られてしまいました。こんな大陸の真ん中まで来ても、極東と同じ目に遭うとはなかなか因果な話です。
でも、気を取り直して宿へ戻ったら、この日は夜の散歩に向かいます。
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平日もライトアップしているというレギスタン広場を見物です。
キレイなライトアップもさることながら、驚かされたのはその治安の良さでしょう。
21時に近い時間帯ながら、女子供が平気な顔で遊び回っているのですから驚きです。
日本のお祭りでも、もう少し警戒するのではと感じるほどの賑わい、無警戒ぶりです。
脇を見れば、老紳士がアイスを頬張ったりもしていますし……夜の観光地とは思えない長閑ぶりを味わうことができました。


夜は再びバーでビールを飲み、一眠りすればついにウズベキスタン最終日となる5/3です。
この日は朝から観光バスに揺られて、半日かけて首都タシュケントへ戻ります。
往路は2時間ほどの高速鉄道、帰りのバスとなると5時間近くかかるのですから、鉄路の偉大さが身にしみます。
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もっとも、目線が変わるというのはとても興味深いことです。
大陸らしい真っ直ぐな道や、舗装されてない埃っぽい道など、日本ではなかなかお目にかかれない自動車事情も垣間見ることができました。

タシュケントに戻って最初に向かったのは日本人墓地です。
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シベリア抑留の際、一部の抑留民がタシュケントを始めとするウズベキスタン地域に移送され、労働に従事することとなりました。
この期間に命を落とした方々の墓が、このタシュケントをはじめ抑留地近くの都市には散在しているそうです。
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そんな抑留民が建設した代表的な建物としてナヴォイ劇場があります。
ロシア形式の立派な劇場は、市街を半壊させた1966年の地震をも耐え抜いたことで、タシュケント市内における日本人抑留者の知名度を一躍有名にしたと言われているのだそうです。
そんな歴史を差し引いても、立派な正面と綿花をモチーフにした噴水の組み合わせは、実に絵になる光景でした。

その他、見て回った箇所としては近年撮影が解禁されたタシュケント地下鉄が特に印象的です。
旧東側の地下鉄駅は、非常に豪奢に彩られているものの地下シェルターの役割も担うため、写真撮影がご法度でありました。
ところが、ここウズベキスタンでは去年頃からの開放政策の一環として、地下鉄構内の撮影が解禁になったそうです。
あまり公共の場で派手にシャッターを切りまくるのも、品がないようで気が引けます。それでも、流石は解禁前からこっそり撮った写真が出回る程の優美さ。数枚は撮っておきたいと思わざるを得ない美しさでした。
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あとは騎乗したティムール像も、ウズベキスタンの英雄として外せないスポットですね。
かつてはここにマルクス像が、次いでレーニン像、スターリン像が建ってたと聞くと、何とも言えない気分になりますがご愛嬌でしょう。

記念撮影を終えて、東側らしい建物の合間を縫いながら、バスは最後の目的地を目指します。
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途中で時間調整がてらに現地のスーパーでお買い物をしたりしつつ、バスはタシュケント国際空港へと戻ってしまいました。


ちなみに空港内は私と同じような日本への帰国者でごった返す有様です。
ウズベク語の案内と、飛び交う日本語の雑談、韓国系航空会社名のチェックインカウンターに並ぶ日本人と、誰だからわからないたどたどしい英語……たまに稀に見かける欧米中の人。
自分がどこにいるのかわからなくなるような、今まで経験したことのない多国籍感を味わいつつ、離陸を待つことになりました。


復路も何ら問題ない大韓航空便。先方も知れたもので、日本語が使える客室添乗員を用意しているのですから、準備の良さに頭が下がります。
大過なく乗り継ぎも成功し、仁川国際空港を経由して5/4の昼過ぎに成田へと帰国いたしました。


帰国後は少し、新宿歴史博物館へ寄り道しつつも夕飯前には神奈川の実家へ。
たまには親孝行が必要と、家族揃っての夕飯を食べてこの日はおしまいです。

よく5/5は横浜まで氷川丸を見物しに行きます。行きずりで元下宿生と大学の先輩も同行する流れに。あれこれ好きに言いながら船内を散策すれば、意外とみんな楽しめるものですね。
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その後は山下公園で催されていたイベントに紛れて青空の下でビールを飲んで過ごします。
夕刻からは渋谷に河岸を変えて元寮生や長野人も加えて、連休最後の飲み会をしてそれぞれの家路へと就きました。


そんなこんなで……流石に最終日、5/6は弾切れネタ切れ、殊勝に実家でゴロゴロして過ごし、来週以降の荷造りを企んで1日を終えました。

今週は反動が大きいですね。
特に週末の予定がないのが非常に良くないです。どこか遠くへ行かないといけない気がします……どこへ行ったものでしょうか。

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