月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


空軍博物館の話

引き続き海外出張中。車社会の郊外宿泊、車のない身としては身動き一つとれず、いつ以来かと思うような引き籠りが捗ってしまいます。
歩いていけば、全く出先がない訳ではないのですが……幹線道路の路肩をすり抜けて遠出するのは、流石に面白くない意味で度胸試しになってしまいそうで気乗りしません。

そんな状況では、過ごす当てもないと困ってしまうのが週末の身の振り方。
どうしたものかと案じていたのですが、降ってきたのが魅惑的なアメリカ空軍の空軍博物館ツアーでした。
宿のある町から車で2時間半ほどの距離と“アメリカ基準では”遠くない場所にあるそうなので、折角の機会ですから行くことにしました。


国立空軍博物館はライト兄弟が活動の拠点を置いていた町、デイトンの郊外に位置するライト・パターソン空軍基地に隣接しています。
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館内はライト兄弟の初飛行からアメリカ陸軍航空隊の草創とWW1、2での活躍、朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦、湾岸戦争、宇宙開発と米空軍が関わった活動とそれにまつわる数多の飛行機を年代順に展示しています。
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ライトフライヤーの復元品からWW1や戦間期に活躍した複葉機の数々は、なかなかお目にかかる機会のない貴重な代物。
100年近く前のものまで、状態よく保存されているのには驚くばかりです。
WW2の飛行機も西部戦線のものから、日本人も縁の深い太平洋戦線の機体まで幅広く展示されています。

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東京奇襲を敢行したドーリットルのB-25爆撃機や日本軍機の紫電。
先日観た映画で大活躍していた英国のハリケーン戦闘機に、長崎に原爆を落としたB-29“ボックスカー”も展示されています。
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ただし、あくまで陸軍航空隊の系譜をひく空軍の博物館のため、太平洋戦線の展示でありながら空母艦載機には言及がないのがポイント。言い知れぬ微妙な縦割りを感じさせます。

WW2を過ぎて朝鮮戦争前後のジェット機黎明の展示を過ぎれば、見慣れたシルエットの近代的な航空機群の展示になります。
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目玉の巨大爆撃機B-52や一部で大人気のタンクキラーことA-10。写真は撮り忘れてしまいましたが「積めないのはトイレだけだ」と言われたA-1攻撃機もいました。
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一度、実物を見てみたかったAC-130も展示中。ネットなどで「機体の片側に火砲を集中配備し、旋回しながら滅多撃ちにする」と空恐ろしいながらも、今一つ分かりにくいことが書いてあり気になっていたのですが……実物を見たら思った以上に文字通りでビビってしまいます。
F-117の独特のシルエットに関しては言うこともないでしょう。

宇宙や研究開発の建屋では宇宙開発にまつわるロケットやミサイルの展示の数々も。アポロ15号の着陸船の実物は、下部の焦げ跡まで見学できて見ごたえ抜群です。
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また研究開発としては、過去の失敗作の数々も展示されています。研究開発が決して単純な一本道ではないことを端的に教えてくれるいい展示ですが、なかでも空飛ぶ円盤は……こんな博物館の中でも異彩を放っています。
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他にも過去の大統領機なども展示されていて、写真だけでは納めきれないほど見ごたえに溢れた博物館でした。流石はアメリカの国立博物館です。
ちなみに館の外は見事な快晴、星条旗が映える一面の芝生でした。


帰路にはなぜか韓国料理屋で夕飯を食べて宿に戻ります。ちなみに日本料理屋、中華料理屋にも既に行ってます。
どこの飯でも喰えるつもりでいましたが、流石に2週間もアメリカにいると、東洋の味付けには妙に安心します。
ただ、これは個人的な感覚なのですが、生半可な日本料理では言い知れぬ違和感に気付いてしまい妙に気になってしまいます。
かえって、中華料理とか韓国料理くらいの距離感の方が“なんか知ってる味”程度の雑な認識のため、違和感少なく落ち着く気がしました。

ところで、いつ帰れるのかまだわかってないです。頑張りましょう。

米国の窓辺

特段に何があった訳でもないのですが、アメリカ出張開始から既に5日が経過しました。

もっとも、あくまで出張であるため平日は宿と工場の往復ばかり。外に出るのは飯時くらいなものでしょう。
さらに付け加えれば、指定の宿が町の郊外にあるため、車がなくては食事にも事欠く環境です。
平日は同行の同僚達と出張コーディネーターの車で移動するため困ることはありませんが、休日になると途端に車社会の不便さが牙を向いてきます。
どこに行こうと思い立っても、歩道のない幹線道路をしばらく歩かないと何もない状況では、安全面からも安易な外出は推奨されません。
そんな状況では片言の英語でハンバーガーやステーキを食べて回る日々。休日もまだ遠出がままならないので観光には手が回ってないのが正直なところです。

とは言え、食事にも行けば買い出しもあるので、多少は出掛ける機会もあるというもの。観光地ではないため、まさにテレビや映画で見るようなアメリカの田舎町の風景を目の当たりにします。
宿の周囲の幅広で真っ直ぐな道に郊外型のチェーン店が連なる光景を起点に、ある方向へ向かえば碁盤の目のような街並みのダウンタウンに、あるいは町の外に向かえば広がる森かコーン畑がどこまでも続く空間に。
平野部でありながら人家も商店も禄にない空間がズラッと続くなど、日本では北海道くらいでしか見ない光景です。知識としては知っていても、実際に目の当たりにすると、そのスケール感に改めて驚かされます。
自動車が普及する以前ともなれば、隣町まで行くだけでも大仕事だったことでしょう。往年の駅馬車や鉄道の重要性、自動車の登場によるインパクトを考えさせられます。

広い国だけあって大きな車で旅行している連中を見かけることもちらほら。
来週くらいには、もう少しどこか観光らしいことをしてみたいものです。

同人登山部と行く甲斐駒ケ岳

詳細は省きますが、気付いたら出張先がアメリカになっていました。
人生、本当に何が起こるかわかりません。


話は遡って、次の出張が海外と判明する少し前のこと。フォロワーの天野しきさんから「山に登ろう」とのお誘いを受けました。
二つ返事で了解したところ、提示された日程はまさかのテント泊登山。
少人数でのキャンプこそ近年たまに実施しますが……登山テントや秋冬寝袋、携行調理器具のような山でキャンプするほどの装備などありません。
大慌てで必要な装備を調べ、足りないものと食材は買い揃えます。流石に登山テントだけは財布の都合もつかず、レンタルの手配で済ませましたが……。
合間合間も出張が入るので、隙きを突くような準備状況、どうにか様になる状態に整ったのは出発直前という慌ただしさのまま、本番の日を迎えました。

当日は先の週末の土曜と日曜。土曜日は朝から中央線で甲府に向かい、ここで南アルプス林道へ向かうバスに乗り換えます。
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広河原という北岳などへの登山口となる拠点で、さらにバスを乗り換えて深山幽谷へ。
一杯の登山客を抱えて、峻険な南アルプスの渓谷を縫うように走る細い林道を、バスはゆっくりと進んで行きます。
広河原からは目的地の北沢峠までは30分ほど、甲府駅から乗り継ぎを含めると3時間程度。久々の随分な長旅で行き着いたのは甲信国境に近い南アルプスの登山拠点、北沢峠。
甲斐駒ケ岳や仙丈ヶ岳、さらには南アルプスへの縦走路の入り口にあたり、山小屋やバス乗り場、テント場が点在する「南アルプスの玄関口」とも言える場所です。

この日の移動はここまで。金曜からこの北沢峠に宿営し、土曜日は仙丈ヶ岳に登っていたという天野しきさん、薫製ハムさん、kumeさんと合流し、後追いでテントを設営して早めの夕飯の準備に取り掛かりました。
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合流した3名はいずれも同人作家さんで、かつ登山経験値も高い山男。すなわち“同人登山部”です。
創作派でもなければ、登山も初心者な私が何故この場にいるのかも、だいぶ不思議ですが……世は奇縁と不思議に満ち溢れているものです。

初めての山自炊も、手慣れた先達に教わって何とか実施。山で食べるご飯は何故こんなに美味しいのかと、いつも不思議に思います。
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就寝は脅威の18時過ぎにして、起床もまた早朝とすら言えない3時半。テントに霜が降りる寒さに難儀しながら夜を明かしましたが、何とか起きあがれば既に周囲のテントも活動を始めています。
長時間露光で撮影すれば、行き交うヘッドライトが美しい光景になるのですが……気温も時間も余裕がないのが辛いところです。

寒さに打ち震えながら調理して朝食を摂ったら、装備を整えて本日の登山の始まりです。不要な荷物はテントに残して、身軽な状態で上へと登ります。
薄暮の木立を慎重に進み、空が明るんで来た頃には谷筋のがれ場を通過。夜が明けても谷間に日が差すのは暫く先と行った薄暗がりから、仙水峠に上がれば日差しと眺望が一気に目に飛び込んできます。
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出会った眺望は、薄靄のかかった甲府盆地と呆れるほど澄んだ青空の対比が美しい光景。青と黒ばかりが目に痛い世界ですが、道のりとしてはまだまだ半ばです。
見上げた先に白く尖った頂こそが、目指す甲斐駒ケ岳。がれ場から木立に戻って視界が狭くなりますが、へこたれずに頑張りましょう。
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淡々と木の根道を辿って小一位時間ほど行くと、甲斐駒ケ岳の隣の山頂、駒津峰に至ります。
ここからは稜線を伝うように甲斐駒ケ岳の斜面に取り付き、難度の高い切り立った岩場を迂回して砂地の斜面を這い登ります。
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この山の山頂部は花崗岩質の白い岩肌が夏場でも雪を被ったように白く映えるため、その鋭い峰の雄大さや南アルプス北端の平野から目立つ立地と相まって、麓の信仰を集める霊山と崇められていたのだとか。
一目でわかる白い峰は、登ってみてもまばゆい白さを放ち、真っ青な空と挟まれると、ある種異世界に迷い込んだかのような非現実感がありました。

そんなこんなで登り始めて5時間ほどで甲斐駒ケ岳の頂上に到着です。頂きには駒ケ岳神社の奥宮の祠が鎮座しています。
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山頂にて昼食も兼ねた休憩。お湯を沸かしてカップ麺です。「頂上で食べるインスタント食品は美味しい」ので必須科目だそうです。
もちろん、周囲の眺望も良好。八ヶ岳連峰や甲府盆地、伊那谷から、辿ってきた駒津峰への稜線とその向こうに聳える仙丈ヶ岳まで・
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天気は良好、四方を見渡す気持ち良い登山となりました。

ちなみに登りより危ないという下山も、同程度の時間を掛けて双児山の峰を抜ける経路で北沢峠へ帰還。
テントを撤収して長野方面のバスに乗車。バスの終点にある駐車場から、しきさんの車で高遠方面へ向かい、温泉で一息いれて無事を祝うことができました。

ただし、この後にひと波乱。温泉で油断して電車の時間を甘く見積もってしまい、乗るつもりだった列車を逃してしまいます。
一本後の列車でも帰宅は間に合うため、事なきを得ましたが……少し焦ってしまいますね。


斯様な次第で自宅に帰ってきたのが日曜の日付が変わる頃合い。そこから、準備して海外出張ですから、我ながら忙しなさがエスカレートしている気がします。

蘇州上海巡行の話

出張案件にようやく終わりの目処が立ってきた9月半ば。確信は持てずとも、締め時が見えてきたのは嬉しいことです。
去年の今頃は、ちょうどシルバーウィークの長期連休になり1週間ほどの連休でした。
しかし、今年は祝日の配置が合わず3連休が一つだけ。出張なので休暇をフル活用できず……せめて、もう少し長い休みが欲しい、そう考えていたところに降って沸いた有給取得のチャンスが到来です。

チャンスと言っても1日だけ、3連休が4連休に化けた程度ですが、有効活用しない手はないでしょう。
初めはベトナム辺りに行ってみたいと色々検討していたのですが、上手い航空券が取れなかったので、なんやかやと検討しているうちに上海に飛ぶことになりました。

そういう次第で上海と、その郊外にある「東洋のヴェニス」蘇州に行ってきました。


出発は15日の金曜日のこと。その数日前まで、天気予報が台風直撃の進路予想を示していたのですが、蓋を開ければ台風は少し沖縄よりに進路を変えています。
今年の圧倒的な天気運に感謝しながら、成田空港より中国国際航空の上海経由重慶便に搭乗し、初めての中国本土へと向かうことになりました。

飛行機は台風を避けてか、通常の西へ向かう航路を避けて少し針路を北寄りへ。福井の辺りから日本海に出て韓国上空を経由し、仁川国際空港の辺りから黄海を山東半島の方へ横断します。
山東半島付近からは中国大陸の沿岸沿いに南下して、少々遅延しながらも上海浦東空港に到着となりました。
飛行中、黄海上では眼下に文字通り黄色い(泥水のような)海が広がり、雲の影が島影かと勘違いするほどくっきりと見て取れました。
“Yellow Sea”は本当に黄色いのかと、いくら頭では知っていても現実で見ると驚きを隠せんません。1人感激して写真まで撮るのですから、世話ない話ですね。
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上海浦東空港に到着したら、手始めに上海地下鉄のICカードを調達し……調達しただけで使わず、長距離バス乗り場に向かいます。
中国での最初の関門は蘇州行きのバスチケットの調達です。
空港本体と違いあまり案内が親切ではないバス乗り場で、手書きのメモを頼りに何とかチケットを購入し、手荷物検査をパスして待合室にたどり着いたときには、どれほど安心したことでしょうか。
何はさておき、無事にバスの改札も済ませて初めての海外長距離バスに揺られ始めたら、もう残りの行程はどうにかなる気分です。渋滞しがちな高速道路から見下ろす大都会上海の郊外を眺めながら、うつらうつらとしているうちに蘇州駅まで着いてしまいました。
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共産圏の駅らしく大仰な駅舎に迎えられて駅前広場に降り立ったら、最初にすべきは帰路の切符の購入。予めC-tripなるサイトで予約をしていたので、受け取るだけではありますが、窓口が並ぶそうなので先手を打って確保しておきましょう。
長距離列車の切符購入にもパスポートが必要なので、自販機が使えず手間が掛かります。バスと同じく身振り手振りとメモでチケットを確保したら、ようやく当座の憂いは解消した状況です。

地図を頼りに地下鉄に乗って宿に向かい、無事にチェックインしたら、もう怖いものはないので観光に繰り出します。
この日の宿は「平江路」と呼ばれる旧市街保存地区の一角にある古民家を改装したゲストハウス。
柳の並木と石畳、運河が魅惑的な街並みに溶け込む、古風な出で立ちの建物に泊まることができます。
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観光地のど真ん中、素晴らしい景観と立地は文句のつけようがありません。不要な荷物を宿に置いて、夕飯探しがてらに夜の街に繰り出します。

蘇州は春秋戦国時代には呉が都を置いていたという歴史の極めて古い街。後にも隋代に開削された大運河の経由地となり、水運に恵まれて「東洋のヴェニス」と称される水運・商業都市として発展しました。
近代以降も上海郊外の立地にあって、工場やオフィスの立ち並ぶ江蘇省屈指の大都会の地位にある街ですが、旧城内には近代化以前の運河や街並みが残り、連綿と歴史を紡いでいます。
平江路もそんな旧市街の一つ。石畳の街路から隣の水路に目をやれば、水面にランタンの映ったエキゾチックな光景が目に入ります。
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観光用の小舟も浮かび、素晴らしい風情です。
少しだけ心配していた治安や雰囲気も、観光地だけあってか落ち着いていてフレンドリーなので一安心。気兼ねなくカメラを取り出して、夜景撮影できました。
ちなみに夕飯は適当な飯屋に入り込んで、菜っ葉の炒めご飯で済まし、川辺のお茶屋さんで夜を過ごしてオシマイ。1人でBarに入る度胸と財布が無かったのはご愛嬌です。


翌朝、土曜日の朝からが観光の本番。朝方の落ち着いた平江路の風情に迎えられて、ふらふらと街歩きに出発です。
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柳と石畳の街路、生活感のある運河、散策向きの街並みを抜けて向かうのは中国四代庭園の一つ、世界遺産にも指定されている留園です。
平江路から歩いて10分ほどの距離、観光地から外れた旧市街をすり抜けてすぐに、広大な中国庭園が広がります。
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蘇州には数多の中国庭園があり、観光ガイドでも真っ先に記載される観光の目玉。個人的には、庭園鑑賞が目的なのに観光客が多くて落ち着かず、入場料も安くないので、重要視する対象ではありませんが……そうは言っても無視できるものでもありません。
ここまで来てまで省略するのは勿体無い――程度の認識でしたが、それでも流石は名高き庭園です。
人が多く写真を撮るどころではないのですが、橋、池、岩、建屋、見事なものばかりで思ったよりも長居してしまいました。かえって、潔くカメラを諦めてのんびりできたので、人が多くて良かったと言えるかもしれません。

中国庭園への認識が改まったので、勢いに任せて街を歩きつつ有名な庭園を巡ります。
留園から北西にしばらく歩けば蘇州民俗資料館を併設する獅子林に行き着きます。
この庭園は、その林立する独特な形の岩が獅子の如き姿に映ったことから、その名がついたのだとか。
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奇岩奇勝の面白い庭園です。

獅子林の近隣は他にも蘇州博物館や蘇州庭園博物館、4大庭園の一つ拙政園もある観光の中心エリア。
蘇州博物館は1時間待ちに近い行列なので省略して、庭園博物館で予習をしてから拙政園に入ります。

拙政園は蘇州内でも最大の庭園だそうで、確かにその広大さを感じるのですが、比例して観光客の数も莫大です。
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人人人、どこを向いても、少し入り込んだ場所に行っても必ず誰かいるのは呆れるばかりですが……よく考えれば晴天の土曜日に一番有名な観光地にいるのですから、むしろ当然のことと言えましょう。
池や堀を巡らした庭園そのものは、来てよかったと言える見事さでした。

拙政園から西へ向かって大通りを歩くと、行き当たるのが大きな仏塔が目につく報恩寺というお寺。蘇州最古だそうで、三国時代にその原形が建立されたとされているほどの古拙です。
仏塔は南宋時代に建てられたものだそうですから、日本で言えば室町時代頃でしょう。
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観光地を少し離れたお寺は人も少なく落ち着いた雰囲気。境内にはちょっとした庭園やお茶屋さんもあり、歩き疲れて一息入れるには名高い庭園の周辺より良いかもしれません。
ちなみにお茶を注文したら、グラスに茶葉ごと入った状態でやってきます。暫らくすると煎じられた茶葉が沈んで飲み頃になるのですが、そんなこととはつゆ知らずに苦心惨憺して飲んでしまい……とんだ無知を晒してしまいました。
お湯は自由に追加できるので、2杯目からは多分正しく飲めたと思います。

報恩寺の近くから地下鉄に乗って、次に向かったのは山塘街と呼ばれるもう一つの旧市街保存地区。
平江路が旧城内だったのに対して、こちらは地図を見るには旧城外だった様子ですが……今ひとつ確信が持てません。城外と言えど、大運河から城内に通じる水路沿いであり、街路を辿れば古の王の墳墓がある虎丘に通じる一帯なので、往時には町の入口として賑わったのでしょう。
今も蘇州駅から地下鉄が通じ、駅から町に入るとこには観光地然としたキャラクターまで立っていて、蘇州随一の観光街といった風情です。
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土曜の夕方だけに、その混雑ぶりは推して知るべしといった有様でしょう。真っ直ぐ歩くのもままならず、何かお祭りかテーマパークに来たような印象を受けます。
山塘街の町外れまで行って大運河の大きな水路も見物。今でこそ、この辺りでは航行船舶がないようですが、往時には天津から杭州へ通じる水運の拠点だったのだとか。
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見栄えとしては細い水路の方が映えますが、安定した物流に必要なのは味気ないほどの大きな水路です。

ところで、観光サイト曰く山塘街の本番は昼よりも日没後の夜景なのだとか。
日暮れも過ぎて夕飯時なので、時間つぶしも兼ねて街を歩き、適当な“饂飩”屋さんで夕食。余談ながら中国で言う饂飩、つまりワンタンスープのようなものは、この後も小腹が減ったらとりあえず食べる安牌と化してました。
閑話休題、すっかり日も落ちて暗くなってから観光街を見下ろす橋に立てば、その光景は確かに華麗です。
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軒先から吊り下がるランタンと行き交う観光船、街路の明かりと観光客が見事な情景を織り成していました。
橋の上も当然のごとく人集りで、落ち着いて眺める……なんて具合にはいかないのですが、待った甲斐は大いにある光景でありました。

ただ、写真映えとしては山塘街ですが、居心地としては平江路の落ち着いた雰囲気の方が好みでしょう。
しばらく街の雰囲気を堪能したら、宿のある平江路に戻ることにしました。
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平江路の水路を望む日本風寿司屋(?)にて、妙に甘いビール風のお酒を舐めながら夜風にあたって、この日はお終い。



日曜日は蘇州駅から上海行きの高速列車に乗って、“魔都”上海へと向かいました。
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手荷物検査をしてから駅の待合に入り、出発15分前から改札。高速列車は定刻通りに上海へ向け出発し、あっという間の30分ほどで到着です。

上海駅からは空港で買っておいたICカードの出番。地下鉄を乗り継いで、手始めに荷物を預かってもらいに宿へと向かいました。
ところがこの宿に向かう途中、予約サイトの地図と実際の宿の場所が食い違い、見事にあり得べからざる場所へと迷い込んでしまうハメになります。
最終的には住所を頼りに正しい位置を地図から見つけ出して事なきを得たのですが、一時はネットの接続も怪しくなる不運が重なり、あまり長居したくない雰囲気の路地で右往左往する事態にも陥ってしまいました。
今回の旅行で一番緊張した時間です。やはり、紙の地図と事前の調査は抜かりなくやらなくてはいけませんね。

そんなこんなではありましたが無事に宿に荷物を預けたら、上海の一番“らしい”一帯、外灘へ向かいます。
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外灘エリアは本来の上海の城外、清末から民国期にかけて列強諸国の租界が設定された地域です。
その名残で今も数多の西洋建築が立ち並び、上海の紹介では必ず目にするような光景が広がります。
裏路地にも欧風の建物が並び楽しげな雰囲気がありますが、何と言っても目にしておきたいのは岸辺でしょう。対岸に高層ビル群が立ち並ぶかの有名な風景です。
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振り返れば岸辺沿いにも往年の技術とデザインの粋を集めた一級の建築が並び、まさに上海と言った風情。撮影の背景としてもうってつけなのでしょう、結婚式向けと思しきカップルや何かのファッションモデルであろう美男美女を撮っている集団が、幾組も見受けられました。

何はさておき、この光景を見れたので上海での目的は概ね達成と言っても過言ではありません。とはいえ、残りを消化試合にしては流石に勿体無いところ。岸辺沿いに歩みを進め、古来からの上海城内であったという豫園エリアに向かいます。
豫園は明代に造営されたという古い庭園。周辺は豫園商城とよばれる商店街が形成されています。
また周囲の路地を巡れば古い町並みにも出会えるそうですが……今回は庭園と町の神様“城隍廟”を主な目的に設定して散策です。

豫園一帯の入り口は既にあからさまなショッピングエリア。中には様々なお店が詰まっており、日曜とあってか観光客でごった返していました。
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庭園の方もやはり蘇州と変わらず数多の人出。呑気に写真を撮っているどころではなかったのですが、やはり庭園そのものは負けず劣らず見応えのある佳景でありました。
加えて、庭園内で催されていた景徳鎮の陶器(?)でできた楽器による演奏イベントにも遭遇。打楽器だけでなく、二胡や笛まで陶器でできているのですから驚きです。
最初、遠くから音色だけ聴こえていたときには、陶器の楽器などとは全く想像しなかったほど違和感のない音色。どんなふうに作られているのか間近で見たくなるような見事な音色の楽器と、本場の中国音楽の演奏に良い時間を過ごすことが出来ました。
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ちなみにこの日の昼食は商城内のフードコートにて調達。異国のフードコートなど初めての経験でしたが、雰囲気は日本と同様です。
ただ置いてあるものは当然のごとく中華料理が主体。食べかすをトレイや机上に平気で積み上げる文化の違いも垣間見れて、面白い経験になりました。

昼食後は豫園に隣接する上海の町の守護神を祀った道教寺院、城隍廟に参拝。廟内も参拝客で賑わい活気のある雰囲気です。
廟内には守護神だけでなく道教の諸神も祀られており、それぞれの神像が安置されていました。
ちなみに神像の前には神名を記した位牌(?)も置かれ、神名からご利益も推察できる親切仕様。特段の解説こそないですが、あれこれと名前を読み下しながら像を見て回るだけでも楽しい場所です。
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余談ながら、この寺院の主祭神は町の守護神のはずですが、一番大きな神像は漢の名将霍光の像。
解説板曰く、霍光の方が古くから祀られており、上海の原型となる町に多大な貢献をなした人物が後から城隍として祀られるようになったのだとか。町に歴史ありですね。

城隍廟から出たら、地下鉄に乗り込んで今度は対岸のオフィス街へ。上海タワーこと東方明珠電視塔のたもとへやってきました。
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上海タワー、登っても良かったのですが受付で見ると待機列は1時間待ちとのこと! 流石にそこまでして登る気はなかったので、本来の目的であるタワービル内の上海城市歴史資料館見学だけ行くことにしました。
この資料館、観光ガイドで見てもわかりにくいのですが上海タワー直下のビル内にあり、タワーの展望台に登ると、降りてきた際に無料で見ることができます。
また、資料館だけの入場券存在し、この場合は入り口から直でビルに向かう専用ルートへ案内されて入ることができます。
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展示内容は上海の原型となった明代の農村の様子から始まり、開港と租界の形成による町の発展をジオラマや蝋人形を交えて紹介しています。
数多くの精巧なジオラマや模型が展示され、見応えは十二分。ここだけでも数時間は居れそうな充実の展示内容です。
時間に余裕があるなら上海タワーにも登っておきたいところでしたが、ここだけでも手間かけて来た甲斐は十分にありました。

そんな訳で資料館で過ごしているうちに、外はすっかり黄昏時。岸辺に舞い戻って夜景鑑賞の時間です。
外端を望む側からの光景は川面に町あかりが反射して、ライトアップされた洋館の立ち並ぶ様と合わさって幻想的な様相です。
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観光隧道を経て外灘側からオフィス街を見やれば、こちらも行き交う観光客越しに輝かしいビル群が聳え立ち、まさに未来都市の様相。
どちらから見ても息を呑むような光景を、存分に堪能する事ができました。
夜景鑑賞後は近隣の飯屋で夕飯を摂って、宿に帰還。テラスから夜景を眺めつつビールを舐めて眠りにつきました。

そんなこんなで最終日となった月曜日。飛行機は夕方の便だったのですが、無闇に遠出する度胸もないので、市街にある施設に滞在時間の大半を費やすことにします。
朝食の調達に苦労して、同宿のハルビンから来たという青年に助けられたりしながら、向かった先は上海博物館。
上海博物館は中国三大博物館にも数えられるという中国有数の博物館。青銅器のコレクションを始め、書画や印章、少数民族の産品、玉類等など、種々の美術工芸品が収蔵されています。
4階建ての広大な博物館、半日を割り当てれば十分かと思っていたのですが、豈図らんや多様で興味深い代物が目白押しで終りが見えません。
結局、空港へ向かうタイムリミットのギリギリまで博物館内に齧り付いて過ごし、代わりに昼食を食べる時間が消滅する有様でした。
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余談ながら、そんなタイムリミットと戦いながらの空港行きには、折角なので上海リニアを活用。値段が地下鉄の数倍するのですが、乗らずに帰るてもないと奮発して行きました。
ただし乗り心地は普通の特急列車と大差なし。ダイヤの都合もあってか時速も300km/h止まりであったのが少し残念でしたが、初めてのリニアモーターカーもいい経験となりました。


しかして、無事に空港にたどり着きチェックインと出国もこなせたら、後は日本への帰りの離陸を待つばかり。
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帰路の飛行機は黄昏空の下、針路をまっすぐ東に保って九州を横断し、四国の沖合から成田へと飛んでいきました。


なんだかんだで初めて私用で海外に出たのはちょうど1年前のこと。
それから1年で台灣、香港、マカオ、韓国、イタリア、中国本土と、6つの国と地域に行ってしまいました。
もうそろそろ航空券的に手頃な行き先はネタ切れ気味でしょうが、パスポートのスタンプが増えていくのが楽しくなってきています。

霊峰富士登拝のこと

相も変わらず慌ただしいなかで、寸暇を惜しんで旅行に出る日々。
先だって友人の“えめろん”氏が「富士山頂の御朱印が欲しい気がする」と、ざっくりとした誘いをかけてきたので、渡りに船と話を具体化していたのが8月下旬のこと。
諸々の準備が整い、登山期間の終わりも迫っていたので、ついに決行したのがこの週末のことでした。


そのような次第で土曜日は新富士駅にて、えめろん氏及び元寮生と待ち合わせをして、えめろん氏の車で富士山方面へ出発です。
途中、富士宮の浅間大社にて登山の無事を祈願し、昼食と登山物資の補充を行って、富士宮口の五合目を目指します。
2合目に相当する水ヶ塚の駐車場に車を置いて、シャトルバスに乗り換えて、九十九折の山道をしばらく揺られていれば五合目に到着です。

五合目から先は登山道、両の足だけが交通手段となります。
慎重に装備を整えて、ゆっくりと無理のないペースで登りましょう。
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もっとも、土曜日の到達目標は歩いて20分内外の六合目まで。ここの山小屋に宿泊予約をして、明朝から山頂を目指す段取りです。
かなり悠長に15時頃から登り始めても、夕食まではだいぶ余裕のある時間に到着してしまいます。
仕方ないので腹ごなしがてらに、歩いてすぐの宝永火口見物に往復です。
宝永火口は江戸時代、宝永年間に起こった記録上最後の大噴火で出来た火口。富士山の脇腹に巨大な穴を穿ち、関東一円に火山灰を降らせたと当時の書物に記録されているそうです。
静岡側から観る富士山にはアクセントのごとく付きものの宝永山ですが、間近で見るとその雄大さに度肝を抜かれます。
そのすり鉢状の窪みは澄んだ空気のもと手に取るように全容が見渡せるのですが、火口底にいる人間は豆粒の如き大きさに過ぎません。雲もまた時々刻々と姿を変えつつ、添え物のように火口内で渦巻き、あるいは山裾を這うのですから、いつまで見ても飽きない不思議な光景でした。
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しばらく火口を見学したら、山小屋に戻って翌日に備えます。
目の前に広がる青空と雲海、夜の星空と日曜の登山に期待で胸が膨らむ思いで夕飯を食べ、のんびりと夜の帳が降りるのを待ち構えました。

夜は晴れたり曇ったりの中で、月の出が迫った20時頃が一番の好条件。南の空に天の川が流れ、眼下には裾野から富士、富士宮を経て、清水辺りまでの夜景が広がります。
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一瞬の好条件を突いて空を見上げて星を撮ったり、さもなくば流れる雲を追ってボンヤリと夜景を眺めたり。風の強い富士山らしい、一時も休むことなく変化する雲の様子はどれほど見ても見飽きませんでした。

星撮りに寒さの限界を感じ、消灯時刻も迫った21時前でこの日は諸事を終えて就寝へ。
翌朝は午前5時には起きて、日の出の前には出発です。
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払暁の空もまた雲が下から照らされて、独特の陰影を描き出し美しい限りです。
目指す先は富士山頂、見飽きぬ雲の表情とは反対に登山道は本当に一様の上り坂で、先々が思いやられるほど気の遠くなる道のりでした。
だんだん薄くなる空気と険しくなる坂道。加えてこの日は登山期間の最終日とあって、山小屋も宿泊客を送り出したら店じまいの準備を初めています。
物品の販売はまだしも、トイレも閉鎖されてしまうのですから少々焦りを感じてしまうのはご愛嬌ですよね。
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余談ながら富士山の八合目より上側は、登山道や諸施設を除いて浅間大社の境内地の扱い。八合目の山小屋近くには雲海を見下ろすように境内地を示す鳥居が立ち、神域に入ったことを教えてくれます。

ちなみに危機感の方は、九合目の山小屋も閉鎖済みなことを確認して、いよいよもって具体性を帯び始めていたのですが、幸いなことに九合五勺の山小屋は未だ営業中だったので事なきを得ます。
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九合五勺、英語表記では“9.5th Station”となるそうで、なんとも直球ですが……ここに山小屋があるのはやはりこの辺に需要があるということなのでしょう。
ここを過ぎたら、いよいよ頂上に至るのみ。麓からは笠雲に見えるだろう層状の雲の向こうに、ゴールを示す鳥居が見えていました。

最後の一息を登りきり、頂上に鎮座する浅間大社奥宮に辿り着いたのは10時を少し回ったくらい。社務所もこの日で閉鎖とのことであり、見れば御朱印受付も10時までと掲示されています。
ダメ元ながら大慌てで社務所に駆け込めば、幸いにも締め切り直前、最後の呼びかけの真っ最中。どうにか無理を言わずにお願いできるギリギリのタイミングだったようです。
図らずも、今シーズン最後に御朱印を受け取った男になってしまいました。
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そういう次第で奥宮に参拝して御朱印を頂戴したら、真の最高点、剣ヶ峰へ。カルデラ一周のお鉢めぐりコースを時計回りに辿って、目指します。
歩くと言っても、お鉢めぐりは稜線歩きのようなもの。高低差も少なく、いつの間にやら笠雲も晴れて晴天下の気持ち良い高原散歩気分です。
剣ヶ峰の頂上部までは奥宮から歩いて20分弱。旧富士山測候所の目前に二等水準点と「日本最高峰」の記念碑があります。
当然ながら記念撮影に大人気のスポットです。寄ってたかって写真を撮っているので、もちろん我々も撮影します。
折角なので、普段はやらない自らも写った記念撮影までしてしまうくらい、達成感がありました。
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お鉢めぐりコースは剣ヶ峰からカルデラ沿いにさらに1時間ほど掛けて一周し、奥宮の前に戻ってきます。
途中には山梨側からの登山道のゴール、吉田口の久須志神社と山小屋群や御殿場口の登山道への分岐路があります。
久須志神社の方は案の定、着いた頃には閉鎖済み。奥宮の御朱印がもらえただけでも御の字だったと思いながら参拝し、下りの安全を祈願して富士宮口に至りました。


下山は富士宮口ではなく、お鉢めぐりを少し戻って御殿場口から。途中で宝永山経由の分岐から富士宮口の六合目に至るコースを辿る予定で進みます。
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御殿場口の道のりは雲に覆われがちな天候もあってか、富士宮口よりも荒涼とした印象を受けます。
実際、交通量も少ないのかもしれませんが、道々の山小屋も一時閉鎖ではなく廃業(休業?)している箇所が見受けられます。
なかには建物すら崩れ去り、自然の厳しさの前に文明を維持する難しさを見せつけてくるような光景もあるくらいです。

そんな御殿場口の下りの醍醐味は、六合目付近から始まる下山専用の砂地「砂走り」です。
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砂場のような足元に下り坂も相まって、名前の通り砂の上を走るように降りることができます。
このため、下りだけ御殿場口を使うなんてパターンも多いほどだとか。確かに下りやすく、砂走りに入ってしまえば今まで歩いたのが馬鹿らしくなるほど呆気なく宝永山方面の分岐まで着いてしまいました。

宝永山は宝永火口の脇、噴火で吹き飛ばされたときに残された出っ張りのような形をしている富士山の側火山です。
山と言えど、あくまで添え物のような存在。御殿場口の分岐からはほとんど高低差もなく宝永火口の縁を辿っていけば行くことが出来ます。
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しかしながら、その光景は雄大以外の何物でもない素晴らしい鷹揚さ満ちています。
砂山のようになだらかな宝永山の道もさることながら、振り返ったときに目に映る富士山と宝永火口のスケール感こそ、語彙が足りなくなるような力強さがあります。
恐らく、富士山を登っているときよりも、頂上から四方を見渡したときよりも、何より富士山の雄大さを感じるような光景な気がします。
途方もないほど巨大な砂山が、途方もないスケールで“少しだけ”削られている様を観るためだけに、もう一度ここに来てもいいと思える光景でした。
また、一応は山としての体裁もあって頂上には石柱も設置されています。天気のいい日には、またここも山中湖から御殿場にかけてを見渡すことができるそうなので、そんな機会もあればいいことでしょう。
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宝永山から富士宮口の六合目は下り側では30分ほど。降り来たって振り返れば、にわか雨が虹を伴いながらこちらに向かっている様子が見て取れます。
タッチの差で逃げ切ったと言うべきでしょうか、追いつかれてはたまらないので、急ぎ目で五合目に戻り無事に富士山頂上制覇からの下山を達成です。

降り着いたのは16時前後のこと。都合11時間ほどになる計算ですから、ほとんど半日は山を歩いてたということです。
人間って随分とタフな生き物だと、我ながら感心してしまいます。


五合目からは来た道を戻るようにバスと車を乗り継いで新富士駅近くの銭湯へ。
お風呂で一息入れてから夕飯を食べて、新富士駅にて解散。各自家路に就くことになりました。
例のごとく、私はそのまま出張先へ直行ですが……それはまた、それ。

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