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月曜備忘録

東奔西走したり、近場をさまよったり、お家でぐったりしたり……週末の所業や所感を記録する場所(旧名:兵站の鬼を目指して……)


大型連休の機動戦・草原と青空の国編

前半編から続いて、成田空港で一夜を明かして、朝一番で旅行代理店の前に集合した4/30日。

この日はこのまま、ツアーの添乗員に引率されて、外つ国へお出かけです。
驚くなかれ、生まれて初めてのフルパッケージツアーでの旅行です!
添乗員がついてくるなんて、学校の修学旅行以来でしょうか。
大型連休の影響もあり、自力で手配するより安かったのだから……仕方ありませんね。

行って来たるは初めての中央アジアにして初めてのCIS諸国、初めての内陸国――ウズベキスタンです。


成田空港から大韓航空機に乗り込み、仁川国際空港を経由して日付が変わる前に首都のタシュケントへ到着です。
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首都タシュケントは後漢書にも“石国”の名で記録を残す古代からのシルクロードのオアシス都市。
ロシア帝国の南下後は交易都市として発展し、ソビエト時代にも独ソ戦線からの工場疎開による工業の移入や、郊外での綿花などの栽培により、屈指の都会へと発展していったのだそうです。
1966年の大地震により、往年の歴史を伝える建造物の大半を喪ってしまいましたが、それでもソビエト、中央アジアの有力都市としての風格ある町並みを垣間見ることができます。
もっとも着いたのは現地時刻で21時頃のこと。何をするでもなく、この日は両替だけしてビールを舐めたら寝ることになりました。

ただし、ちゃんと観光するのはまた後ほどの話です。
まずは観光バスと高速鉄道を乗り継いで、シルクロードの交差点、古都サマルカンドへと向かいました。
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車窓から眺めた青空と少し乾いた草原が、この後ずっと見ることとなるウズベキスタンの一番の印象的な光景です。
砂漠の国と思ってきたのですが、案に相違して巡ったのは灌漑地帯が中心でした。
水路が巡らされた田畑が続き、緑が思った以上に多かったのが正直な感想です。
灌漑がなくとも草原程度にはなったのでしょう、“青空と草原の国”というのがこの旅に終始ついて回る印象でありました。

ちなみに列車はスペイン製の高速鉄道システムとのこと。連接車方式なのが興味深い構造でした。
内部は一般的な2+2の座席構成。ひざ掛けの間にコンセントがあったり、機内食ならぬ車内食のサービスがあったりするのが日本との違いでしょうか。
あとは、車内のモニターでひたすら手工芸のハウツー動画を流していたことが、一番の衝撃です。
一時、車窓から目を離して、ひたすら手際よく作り上げられていく数多のケーキを見てしまいました。

そんなこんなで退屈する間もなく、シルクロード屈指の古都、サマルカンドへ到着です。
サマルカンドは近隣屈指のオアシス都市であり、紀元前10世紀にはその原型と思われる町が記録に残る世界でも屈指の古代都市です。
翻って騎馬民族による交易が華やかりし時代には、これまた東西軸を成すシルクロードに加えて、シベリアやルーシなどの北方諸国、あるいは南に目を向けてインドと、東西南北の交易路が重なる文明間の要衝でした。
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特に中央アジア地域に覇を唱え、モンゴル帝国の旧領の半分を領した英雄ティムールは、この地に首都に設置して現在に残る多くの建造物を遺しました。
レギスタン広場もそんなティムールの王朝が遺した世界遺産の一つです。
3方を壮麗な神学校に囲われた美しい広場です。

広場そのものもさることながら、それぞれの神学校一つとっても、見入ってしまうような美しさです。
砂色の基材に映える青いタイルの装飾が、乾燥した地域らしい抜けるような青空によく映える光景でした。
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また石造りで覆われているものの、当然ながら扉のような可動部位は木製が中心です。
この木の扉の類もまた、精巧な彫刻が施され、無骨な石造りの躯体との対比に見惚れてしまいます。
壮麗な建築と中庭の中央アジアらしい風情、かつて学生が宿舎にしたという部屋がお土産物店になっているのも、また一興でしょう。
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語ればキリのないイスラム建築の美しさですが、キリがないので程々にしないと次の行程に支障をきたしてしまいます。
これが一人旅なら、いくつか予定を切り捨てるところなのですが……そうは行かないのがツアー旅行の難しいところです。

後ろ髪を引かれながら観光バスに乗り込み、レストランで昼食を食べて、次の観光地へと向かいました。
2箇所目はグーリ・アミール廟。“グーリ・アミール”だけで「王の墓」を意味するそうですが、具体的にはティムールの墓所となります。
外観は青いタイルに覆われた壮麗な建築です。
様式を見れば、これが墓所なのか、モスクなのか、宮殿なのか……とわかるのでしょうが、生憎とイスラム建築には疎いので、同じに見えてしまうのが正直なところです。
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それでも墓所と聞いてはしゃぐ気になれない程度の敬意は持ち合わせていますから……。内部には埋葬位置を示す墓石が並んでいます。
曰く、中央の黒い墓石がティムールの墓所の位置を示すもので、実際の棺はこの直下に位置する地下室に安置されているそうです。

ちなみにこの墓所の有名なエピソードとして、1941年、ソビエトの考古学者が科学調査のため発掘した際の話があります。このとき、ティムールの棺の中には「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」と記されていました。
ちょうどその発掘が行われた数日後、まさにドイツ軍がソ連への奇襲的な侵攻を開始し、ソビエトは未曾有の危機を迎えることとなってしまいました。
棺の文字に恐れをなしたのか、はたまた純粋な古の英雄への敬意か――遺体は調査の後、イスラム教式の手順に乗っ取り、再び丁重に埋葬されることになりました。
ただし、このときの調査においては、ティムールは片足が不自由であったことや、3代目のウルグ・ベクは首を切られて殺害されてたことなど、歴史書に記された人物描写が概ね真実であったことが明らかになっています。
ウズベキスタンで広く流布するティムールの復顔像も含め、考古学としては多いなる進歩をみた調査だったのは事実のようです。


ティムールの霊廟の次は、サマルカンド郊外の丘に位置するシャーヒ・ズィンダ霊廟群と呼ばれる墓所や儀礼用の建築物の集合体を見学します。
伝説では、イスラム教の布教に訪れたクサム・イブン・アッバースという聖者が、この地で殺害され埋葬されたことに由来する霊廟が最初に建っていたとされています。
その後、彼の聖者を慕う人々により、11世紀から19世紀にかけての約9世紀の間に、周囲には霊廟が建てられ行き、門や儀礼用の建物が整備されて、一大霊廟群が形作られていきました。
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基本的には最奥部に位置する聖者の墓所から、丘の斜面を下るように時代を下るように数多の霊廟が並びます。
ガイド曰く、特にティムール朝やその配下と縁のある女性が多く埋葬されているです。
何はさておくも、その四方を墓所の青いタイルに囲まれた路地の風景はまさに死者の都、ネクロポリスといった風情です。
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それでも恐怖や不気味さよりも、壮麗さや青いタイルの美しさが先に立つのは、不思議な気持ちです。
カラリとした気候のなせる技か、意図して湿っぽくない作りなのか、あるいは文化的な文脈を認識してないだけなのか……疑問は謎のままですが、美しかったのは間違いありませんでした。

余談ながら、この周辺は現在でも現役の墓地です。もっとも、当然ながら霊廟群のような壮麗な建物こそありません。
崖に所狭しと墓石が建っている様は、ある種日本の田舎にも通じる区画整理されていない墓地の光景でした。

霊廟群の次は歩いていける距離にあるシヨブバザールを経由して次の目的地へ向かいます。
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このバザールは市内でも最大級のバザールであり、その発祥は2000年前に遡るとも言う伝統あるものです。
生鮮食品から金物屋、加工食品に日用品と、数多のものが雑多に取引される活気あふれる空間を垣間見ることができます。

もっとも、イスラム建築に魅せられた身としては、隣接するビビハニム・モスクの方がより魅力的です。
ティムールが建築させたものの、急造が祟り短期間で使用に耐えられなくなったと伝わる巨大モスクです。
ソビエト以来の復元プロジェクトの途上だそうですが、それでも門の高さは40mは超え、中央アジアでも随一の巨大なモスクとなります。
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本来であれば周囲を高い壁が囲い、中央に広大な中庭を備える壮大な建造物であったそうです。
今でこそ、復元途上の門や3辺を守るドームのみが残されるばかりですが……それでも、その壮大さと程よい廃墟感が非常に魅惑的な遺跡でありました。

霊廟やモスク観光のあとは家庭料理が食べられる一般家庭兼業の食堂で夕飯を食べる予定でした。
ところが、本来であれば門前までバスで乗り付けるのですが、なんと「リフォームシーズン(!)」とやらで、バスが路地に入れないとのこと。
仕方ないので、大通りから路地を徒歩移動により、夕食の待つ食堂へと向かいました。
人によっては災難かも知れませんが、個人的には路地裏散策は異国で最高の楽しみです。
万事塞翁が馬、ツアー旅行だからと諦めかけていた余録に、思わぬ形で遭遇することができて大満足でした。
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ちなみに出てきた様々な調味料や具材で料理は蒸し茹でにした米料理です。
非常に美味でしたが、如何せん量が多いために、全て食べきれなかったのが非常に申し訳ない気持ちになってしまいました……。

夕食後の腹ごなしはバスでレギスタン広場に戻り、夜景鑑賞です。
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この日は偶然にもプロジェクションマッピングを上映するのだとかで、大層な人混みになっていました。
内容としてはシルクロードの交易をモチーフにした物語だったようですが……残念ながらナレーションのウズベク語がわからないため、今ひとつ浅い理解しかできてない雰囲気です。
それでも、美しいプロジェクションマッピングを、偶然見ることができたのは僥倖と言っても過言ではないと感じました。

ちなみに宿泊した宿はレギスタン広場のすぐ近くです。
アクセスも良いので、夕涼みに散歩に行ったなんて同行のツアー客も居たそうです。
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また余談ながら、門前に邪視よけの護符(扉上の目玉状のもの)を吊るしてあります。
習俗としては何かの折にウィキペディアなどで知っていたのですが、実際に見るのは初めての経験です。
文字列だけで知っていたことが、目の前で何気なく実演されていると、ちょっと感動しますよね。

ちなみにサマルカンド市街は通信状況が貧弱です。私が訪れた際には電波そのものは通じるものの、データ通信がほとんど出来ない有様でした。
利用者数に対して通信インフラの容量が追いついてないような印象です。
その鬱憤を晴らすつもりだったホテルも、部屋の無線LANは貧弱ですから救えません。
仕方なくバーカウンターでビールを飲みながら、その日の写真をツイッターに上げたりしていましたら、うっかりボッタクられてしまったのだけが痛恨事です。


ホテルで色々しくじったのは脇においておき……翌朝5/2はバスではなくセダン車に分乗して、更に南の街を目指します。

車はあっという間にサマルカンド市街を飛び出して郊外へ。さらに人家もまばらな草原地帯へと駆けていきます。
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道中、標高1600m程度の峠道の頂上で一休み。日本のパーキングエリアのごとく広々とした駐車スペースが用意されています。
もちろん露天商が店を広げているのですから、商魂たくましいです。ドライフルーツやドライヨーグルトなどの乾物、お茶の葉っぱが中心に取引されていました。
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またこの峠の特筆すべきは眺望の素晴らしさ。青々とした山並みと青空が一望のもとに望めます。
あるいは道路に目をやれば、どこまでも青空へ向かって伸びる道……旅を実感する良い光景です。

そんな光景を眺めながら、車に揺られてきたのはウズベキスタン南部の都市、シャフリサブスです。
ここもシルクロード時代には中央アジアの主要都市として、玄奘三蔵の「大唐西域記」にも名を残す都市だったそうです。
ティムールの故地として、首都サマルカンドと並んで遺した建造物が散在する地域なのだそうです。

そんなティムールの遺産の一つ、アクサライ宮殿が最初の目的地の一つです。
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今でこそ、1対の柱に成り果てていますが、本来はビビハニム・モスクをさらに大きくしたような門だったそうです。
建造当初の塔は50mの高さに達し、宮殿の上部には「もしも、汝我が権力に挑むならば、この建物を見よ」なんて文字も記されていたのだとか。

アクサライ宮殿からバスで少し移動したところには、本来ティムールの墓となるべきだった場所も遺されています。
冬の間、道が閉ざされてしまいシャフリサブスの墓所へ運び込めず、現在のサマルカンドの霊廟に葬られてたと伝わっているそうです。
そんな霊地といえど、好きあらばフリーマーケットのような露天商がお土産物を売っているのも、ある種の観光地風情でしょうか。
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興味深いのはホンの壁一枚で隔てられた向こう側の現役のモスクでは、一切商売の雰囲気を見せないことです。
扉の向こうでは悠々と神聖な遺跡の敷地内で商売しているのですが……その線引きの感覚はわかるようでわからないような、不思議な感覚です。

またティムールの墓と隣接するルッテイロヴァット(瞑想の家)建築群と呼ばれる一群のモスクもまた一見の価値ありです。
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いくつかのモスクや霊廟が一つの壁でまとめられた建築物群、多くを語ることはないですが、ここもまた実にきれいでした。

シャフリサブスは非常に良い町ながら、規模も小さいためか駆け足で観光終了です。
昼食に串焼き肉を食べたら、来た道を戻ろうように再び峠を超えてサマルカンドへと向かいました。
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ところで、シャフリサブスまで来ていた間、遥か南の地平線上に、ずっと白銀の山脈が目についていました。
うっすらと霞んだ山並みは、遥か遠くにあることを示しているのですが、そうとは思えない高さに顔を出しています。
ガイドに聞けば、遥か南に聳えるインドヒマラヤ山脈の西端なのだとか。山を越えればアフガニスタンでありインドなのでしょう。
近くて遠い距離感を象徴するような光景でありました。


車でサマルカンドへと戻ったら、観光バスへと乗り換えて郊外に立つウルグ・ベクの天文台を見学です。
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ウルグ・ベクはティムールの孫に当たる人物。王としての目立った業績はないものの、行政官や天文学者としては類稀な功績を残した人物なのだそうです。
そんな彼が富と権力をもって建設したのが、数十mにも及ぶ巨大六分儀を要した天文台なのだとか。
その観測精度は現代に匹敵し、恒星表や各種の成果は遥かヨーロッパの天文学者間でも讃えられほどだったそうです。
ウルグ・ベクの死後は破却され長く砂に埋れていたのですが、20世紀初頭に発見され、その実在と遺構の巨大さが明らかになりました。
隣接する博物館をゆっくり見れなかったことだけが心残りですが、実に良いものを見ることができました。


天文台のあとは少しだけ寄り道を挟みつつ、夕飯の待つレストランへ。
ここで伝統舞踊のパフォーマンスを見物したのですが、何を間違ってかツアー一行の代表として花婿役をやる羽目になってしまいました。
伝統的な曲に合わせて、踊り子が歌いながら花嫁、花婿それぞれに衣装を着せていくという代物。
よく似合っている! 結婚式の練習ができたね! と散々に煽られてしまいました。こんな大陸の真ん中まで来ても、極東と同じ目に遭うとはなかなか因果な話です。
でも、気を取り直して宿へ戻ったら、この日は夜の散歩に向かいます。
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平日もライトアップしているというレギスタン広場を見物です。
キレイなライトアップもさることながら、驚かされたのはその治安の良さでしょう。
21時に近い時間帯ながら、女子供が平気な顔で遊び回っているのですから驚きです。
日本のお祭りでも、もう少し警戒するのではと感じるほどの賑わい、無警戒ぶりです。
脇を見れば、老紳士がアイスを頬張ったりもしていますし……夜の観光地とは思えない長閑ぶりを味わうことができました。


夜は再びバーでビールを飲み、一眠りすればついにウズベキスタン最終日となる5/3です。
この日は朝から観光バスに揺られて、半日かけて首都タシュケントへ戻ります。
往路は2時間ほどの高速鉄道、帰りのバスとなると5時間近くかかるのですから、鉄路の偉大さが身にしみます。
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もっとも、目線が変わるというのはとても興味深いことです。
大陸らしい真っ直ぐな道や、舗装されてない埃っぽい道など、日本ではなかなかお目にかかれない自動車事情も垣間見ることができました。

タシュケントに戻って最初に向かったのは日本人墓地です。
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シベリア抑留の際、一部の抑留民がタシュケントを始めとするウズベキスタン地域に移送され、労働に従事することとなりました。
この期間に命を落とした方々の墓が、このタシュケントをはじめ抑留地近くの都市には散在しているそうです。
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そんな抑留民が建設した代表的な建物としてナヴォイ劇場があります。
ロシア形式の立派な劇場は、市街を半壊させた1966年の地震をも耐え抜いたことで、タシュケント市内における日本人抑留者の知名度を一躍有名にしたと言われているのだそうです。
そんな歴史を差し引いても、立派な正面と綿花をモチーフにした噴水の組み合わせは、実に絵になる光景でした。

その他、見て回った箇所としては近年撮影が解禁されたタシュケント地下鉄が特に印象的です。
旧東側の地下鉄駅は、非常に豪奢に彩られているものの地下シェルターの役割も担うため、写真撮影がご法度でありました。
ところが、ここウズベキスタンでは去年頃からの開放政策の一環として、地下鉄構内の撮影が解禁になったそうです。
あまり公共の場で派手にシャッターを切りまくるのも、品がないようで気が引けます。それでも、流石は解禁前からこっそり撮った写真が出回る程の優美さ。数枚は撮っておきたいと思わざるを得ない美しさでした。
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あとは騎乗したティムール像も、ウズベキスタンの英雄として外せないスポットですね。
かつてはここにマルクス像が、次いでレーニン像、スターリン像が建ってたと聞くと、何とも言えない気分になりますがご愛嬌でしょう。

記念撮影を終えて、東側らしい建物の合間を縫いながら、バスは最後の目的地を目指します。
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途中で時間調整がてらに現地のスーパーでお買い物をしたりしつつ、バスはタシュケント国際空港へと戻ってしまいました。


ちなみに空港内は私と同じような日本への帰国者でごった返す有様です。
ウズベク語の案内と、飛び交う日本語の雑談、韓国系航空会社名のチェックインカウンターに並ぶ日本人と、誰だからわからないたどたどしい英語……たまに稀に見かける欧米中の人。
自分がどこにいるのかわからなくなるような、今まで経験したことのない多国籍感を味わいつつ、離陸を待つことになりました。


復路も何ら問題ない大韓航空便。先方も知れたもので、日本語が使える客室添乗員を用意しているのですから、準備の良さに頭が下がります。
大過なく乗り継ぎも成功し、仁川国際空港を経由して5/4の昼過ぎに成田へと帰国いたしました。


帰国後は少し、新宿歴史博物館へ寄り道しつつも夕飯前には神奈川の実家へ。
たまには親孝行が必要と、家族揃っての夕飯を食べてこの日はおしまいです。

よく5/5は横浜まで氷川丸を見物しに行きます。行きずりで元下宿生と大学の先輩も同行する流れに。あれこれ好きに言いながら船内を散策すれば、意外とみんな楽しめるものですね。
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その後は山下公園で催されていたイベントに紛れて青空の下でビールを飲んで過ごします。
夕刻からは渋谷に河岸を変えて元寮生や長野人も加えて、連休最後の飲み会をしてそれぞれの家路へと就きました。


そんなこんなで……流石に最終日、5/6は弾切れネタ切れ、殊勝に実家でゴロゴロして過ごし、来週以降の荷造りを企んで1日を終えました。

今週は反動が大きいですね。
特に週末の予定がないのが非常に良くないです。どこか遠くへ行かないといけない気がします……どこへ行ったものでしょうか。

雨季うきの赤道越え・遺跡観光編

ようやく書けるインドネシア観光の後半戦の日記です。
ジョグジャカルタ市街を観光した翌日は、チャーターした車で郊外の世界遺産巡りです。


予約した車でホテルを朝の7時に出発し、自己紹介がてらの雑談を交えながら車は町の外側へと走っていきます。
ちなみにガイドさんは拙いながらも日本語ができる方です。
色々と日本語で話題を振ってくれてありがたかったのですが、問題は我々の方。雑談が得意ではないので、うまいこと盛り上がる受け答えができなかったのが、少々申し訳ない気持ちになってしまいました。
そうは言ってる間も車は着実に目的地へ向けて進み、気付けば1時間ほどで最初の目的地、ボロブドゥール寺院に到着です。

ボロブドゥール寺院は8世紀頃のジャワにあったシャイレーンドラ朝が建造した仏教寺院群。
王朝の衰退と火山の噴火で地中に埋もれていたものが、19世紀に発見され復興整備されて今に至ります。
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特に思い入れのある場所でもないですが、世界遺産にも指定された有名な石像寺院群……ジョグジャカルタまで来て、見ずに帰る手はない場所ですね。
現在、周辺は国立公園として整理され、外国人の場合は現地民のガイドをつけるルールになっているのだとか何とか。
案内人を車でのガイドさんから公園のガイドにバトンタッチして、遺跡巡覧の始まりです。

ちなみにこちらのガイドさんも日本語のできる方。日本語話者の多さにこちらの方が驚かされてしまいます。
ガイドさんの説明は一昔前のオヤジギャグのような妙なセンスの冗談を交えながらも、わかりやすく親切丁寧な内容です。
天気も良好で雨季の観光としては、非常に良いタイミングでした。
特に興味深かったのは菩提樹の葉っぱの話でしょう。東南アジアの仏塔、ストゥーパの丸みを帯びた独特の形状は、この木の葉の先端側の形に由来するのだそうです。
言われてから、仏塔を見れば、確かによく似ています。
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またこの寺院、階段ピラミッド状の構造をしているのですが、その最下層は建築当初よりも後の時代に拡張されたものなのだとかなんとか。
その証拠として、石垣の内側に建築当初の外壁だった部分に刻まれた精巧なレリーフが隠されています。
現在は意図的に基壇を切り崩した一角だけが、建築初期の壁面を見学できる箇所となっています。
ちなみに増築したのも遺跡が埋もれる前の時代。おそらくは傾斜が急すぎた為に、崩れそうになったのを補強したのだろうとのことです。
昔も今も、やらかすことは似ているものですね。

そんな感じで、階段ピラミッドを徐々に登りつつ、回廊を巡って遺跡の説明を受けていきます。
仏教説話をモチーフとしたレリーフの前では、日本でも有名な逸話を中心に掻い摘んでレリーフに描かれた内容を教えてもらいます。
ただし、レリーフの原本になったと考えられる書物は失われて久しく、厳密には未解明の内容が描かれたレリーフもあるのだとか。
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また、悟りを開いた後に達するという無色界を模した最上段は、下段から一転してレリーフの無いスッキリとした領域です。
青空の下にストゥーパが立ち並び、まるで別世界のような荘厳な雰囲気がありました。

もっとも、荘厳と言えどもあくまで有名な観光地の範疇です。
あからさまに海外からの観光客だけでなく、現地の遠足と思しき子供の集団や、楽しげにピースサインして記念撮影に興じる仏僧まで。
種々雑多な人々が楽しげに、あるいは興味深げに遺跡を闊歩している光景は、宗教の聖地というよりはある種の遊園地のようでもありました。

ちなみに最上段のストゥーパ群から周囲に視線を移すと、今も噴煙をあげる雄大なムラピ山と、その膝下に広がるジャングルが望めます。
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四周をぐるりと緑に囲われた様子は、この遺跡がジャングルの只中にあるのだと実感させられます。
往古にはこの遺跡自体も同じ緑の下にあったのでしょう。どうやって見つけたのやらと不思議に感じます。

ボロブドゥール遺跡はこの寺院を見学したら、公園内をぶらりと歩いて出口へ向かうばかりです。
南国の蝶や、遺跡上空を旋回する観光用軽飛行機を眺めながら、出口に辿り着けば、現地ガイドとはお別れです。
外で待機していた車のガイドさんと再び合流して、ボロブドゥールに付帯する小寺院の見学です。

1つ目はパオン寺院と呼ばれる内部が空洞の不思議なお寺です。
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周囲は石畳も整備され、散策すれば居心地の良さそうな小集落を形成していますが、寺院自体はぽつねんとお堂だけが周囲から孤立したように建っていました。
周囲とのあまりの脈絡の無さ、そして内部にあるは空洞ばかりの異様な雰囲気、決して大きくはないハズですが強い存在感を感じてしまう寺院でありました。

続く2つ目の寺院は、こちらはちゃんと仏像が安置されたムンドゥッ寺院です。
周囲も公園として整備され、周辺で発掘された関連寺院の残骸も展示されるなど、パオン寺院と比較すれば遺跡らしい雰囲気のある寺院でしょう。
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しかし、こちらの遺跡で印象的だったのは寺院以上に、その隣に生えた巨木です。
10人以上の人間が木陰に立っても、一切狭さを感じさせない圧倒的な大きさです。
加えて、その枝から垂れ下がる気根と、日本ではまずお目にかかることのない幹の太さが、遠近感を狂わせてきます。
最初に目にしたときには、そのずんぐりムックリな姿から巨木と認識できず、逆に人間の大きさに違和感を抱いてしまいました。
これも、ある種南国らしい光景と言えましょう。青い空と白い雲が映える光景でした。


ボロブドゥールを含めて3寺院を巡ったら、この一帯の観光はこれで一区切りです。
車はこの後、ジョグジャカルタ市街へと戻り、銀細工のお店と昼食のレストランを経由して、ジャコウネコのコーヒー“コピ・ルアック”のお店へと向かいました。
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コピ・ルアックはコーヒー豆を食べたジャコウネコの糞を洗浄して回収した豆から作られる独特の香気をもったコーヒー。高級品として名高いジャワ島の特産品の一つです。
ちなみに件のジャコウネコは絶滅危惧種とされる希少な食肉目の動物ですが、コーヒー農場では糞が回収できる程度には出没しているのだとか。
また、お店でも展示用にケージに飼われていましたが……こちらの飼育個体からは糞を回収しないのだそうです。
なぜそんな非効率な作業をするのか、そもそも檻に閉じ込めて良いものなのか……色々と疑問が湧き出てきますが、あまり深く考えても詮無きことでしょう。

それはそれとして、お店の方曰くこのコーヒーのインドネシア式の淹れ方は、粉をカップに入れてお湯を注ぎ、粉が沈降するのを待ってからいただくのだとか。
現地式の飲み方で出されたコーヒーと、付け合せの黒砂糖を頂戴しながら、製法や味わいについてのセールストークを聞かされれば、手ぶらで帰れる訳がありませんね。
前の日はのらりくらりと抵抗しましたが、どこかで買おうとは思っていた代物でもあります。
折角なのでお土産用に粉をいくらか購入して、追加で振る舞われた2杯目のコーヒーを堪能したら、お店を発ちましょう。

コーヒー屋さんの次はお待ちかねの2つ目の世界遺産、プランバナン寺院群へと向かいました。
プランバナン寺院群はヒンドゥー教の寺院群。中心として公園整備されたプランバナン寺院を筆頭に、周辺には公園の内外を問わず大小様々なヒンドゥー教寺院の遺跡が残っているそうです。
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遺跡群は16世紀の地震で崩壊後、そのパーツが建材として利用されたりしている状況だったのが、20世紀から修復が開始されて現在の状況に至っているのだとか。
プランバナン寺院の周囲にも修復を待つ小寺院だったものの残骸が、所狭しと立ち並んでいました。
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こちらの寺院では専属の現地ガイドは特に無く、車のガイドさんがそのまま案内人となってくれます。
多くの石像が修復以前の時代に盗難され、現存するのは最も大きい中央のシヴァ神の像だけであることや、寺院の石組みは溝を掘って嵌め込む精緻な作りになっていることなどを教えていただきました。
しょうもないところでは、寺院の突端にはもう一つの“シン”である避雷針があることも、重要な豆知識ですね。
どこでそんなダジャレを仕入れてきたのか……そっちの方が余程興味深いのですが、聞き損ねてしまったのが惜しいところです。

プランバナン寺院を一通り見学したら、公園内に隣接する仏教寺院(!)のランブン寺院も見学です。
建造当時は仏教とヒンドゥー教が共存していたそうで、このように同時代の2つの宗教の遺跡が歩ける距離に混在しているのだとか。
どちらも多神教の宗教とは言え、はるか昔にそれほど寛容な文化が存在したことには驚かされます。
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ただこちらの遺跡は10年ほど前のジャワ島中部地震の影響で、残念ながら少々無残な状態のままとなっています。
ネット上で古い時代の写真を探すと、復元されていた時代のものが見つかるだけに、残念ではありますが……それでも、精巧な石造りの寺院は見に来た甲斐のある光景でした。

そんなこんなで2つの世界遺産の寺院を巡ったら、時間もいい具合に夕方となったので車は終点のジョグジャカルタ空港へと向かいました。
空港で車を降りて、ガイドさんと別れたら後は飛行機の時間までお買い物タイムですね。
空港に隣接する駅まで走って、列車を撮影する一幕を挟みつつ、お土産を物色して搭乗時刻まで過ごしました。
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余談ながら、搭乗時は折り悪くスコールの真っ只中です。
搭乗ゲートもないこの空港、濡れながら飛行機まで歩くのかと覚悟を決めていたのですが、相手は流石に現地の航空会社です。
対応も手慣れたもので、何食わぬ顔で搭乗者全員に傘を貸し出し、タラップの袂で回収する実に合理的な運用を見せつけられてしまいました。
お揃いの傘をさしてぞろぞろ歩く姿は、少し可笑しみもありますが、熱帯圏ならではの光景と思えば貴重な体験と言えましょう。


この夕暮れの便でジャカルタに戻り、この日は空港内のホテルで一泊。
翌日の早朝に成田行きの便へ乗り込んで、日本に戻る行程となりました。


日本への帰国は15時半頃のこと。
ここで宅配便の回収がある朔さんと別れ、帰路につくことになるのですが、手ぶらで帰るにはまだ日が高い状況です。
どうしたものかと思案しながら電車に揺られていると、絶妙なタイミングでヘク猫氏の「飲みに繰り出す」とのツイートを捕捉です。
そのまま、一緒にどうかと誘って、少々日本酒を嗜んでから内房へと帰る流れになりました。


そして月曜からは再び、過酷な年度末進行です。
どうにかこうにか、乗り切ったというべきか……乗り切ってないというべきか、ひとまず3月最後の週末を迎えることはできて現在に至ります。

雨季うきの赤道越え・市街地観光編

3月も佳境に入り、年度末進行がいよいよ容赦のない牙を剥く今日この頃。
呆れるほどに忙しい中でも、意地と根性で春分の日の飛び石連休を確保です。
4連休を錬成して、それなりに遠くへ行くことにしました。


そんな訳で「そろそろ赤道を越えても良い頃だ」と、行き先を南半球中心に選定します。
南半球と行ってもあまり遠いとのは困難ですので、概ね東南アジアからオセアニアにかけての地帯、具体的にはインドネシア周辺が第一候補です。
その中でも、当初はジャカルタやバリ島が候補に上がっていたのですが、最終的に目をつけたのインドネシアの歴史都市ジョグジャカルタです。
今なお、スルタンが知事として王宮に君臨し、周辺にはボロブドゥール仏教寺院群や、プランバナン寺院群のような世界遺産も点在する歴史と学生と観光の街です。
目指すべき旅行先としては、まさにうってつけですね。

そんな訳で3泊4日のジョグジャカルタ観光。久々にいろいろと書きたいことがあるのですが、時間がないので前後編になりそうです。
とりあえず、前半の2日間、特に市街地を巡った2日目の雑感録です。


出発前日の20日から蒲田に前泊して、21日は10時頃の羽田発のフライトで出国です。
フォロワーの朔さんと合流し、無事に出国手続きを済ませて、離陸から7時間程。気づけば赤道を越えて南半球の大都会、ジャカルタに到着です。

ジャカルタからはジョグジャカルタ行きの飛行機へ2時間の乗り継ぎになります。
国際線から国内線への乗り継ぎのため、入国審査に手荷物受取、税関通過と国内線のチェックインまで、2時間でクリアすべき動作が山積みです。
入国審査の待機列でヤキモキさせられる羽目になりましたが、どうにか搭乗時間には余裕を持って搭乗ゲートに到着することができました。

ジャカルタからジョグジャカルタまでは乗ってしまえば1時間ほど。同じジャワ島内ですし、大した近さです。
そんなこんなで、今回の目的地たるジョグジャカルタに着いたのは現地時刻で20時過ぎのこと。時差が2時間あるので、実質12時間の長旅となってしまいました。
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降り立ったジョグジャカルタ空港は、まさかの搭乗ゲートもない開放空間です。
真夏のような熱気にアテられながら、建屋脇の誘導路を歩いて到着ロビーに向かいます。
どこまでがセキュリティゾーンで、どこからが公共のロビーなのか今ひとつわかりませんが……無事に荷物を回収し、両替も済ませることができたので、良しとしましょう。
ホテルに依頼していた車に乗り込んで、この日はもうホテルに直行といたしました。

この日のホテルはジョグジャカルタ中心部に近い外国人向けホテルの立ち並ぶ一角のもの。
奮発して、少しだけランクは高めにしてみたので、ロビーも回廊も草花で溢れるおしゃれな空間に迷い込むことができました。
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なかなか素敵なホテルの一角のレストランコーナーでこの日は夕飯。とりあえずナシゴレンとビールで乾杯です。
ちなみにジャワ島はイスラム圏なので、基本的にアルコールは推奨されていません。
旅行中も外国人向けの宿屋周辺以外では、ほぼアルコールを見かけることがありませんでした。


軽く飲んだら、旅の疲れもあってすっかり寝込んでしまい、旅行は2日目を迎えます。
宿のルールに「ドリアン持ち込み禁止」が含まれていることに気づいてしまい、困惑です。
現地でもドリアンはかなりパワーのあるもの扱いなんですね……。
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昨日に続いておしゃれレストランで朝食を摂ったら、この日はノープランの街歩き。
1日使い切る予定ですので、先も急がず気楽な限りです。天気も良好で一安心して、出発しました。

もちろん、ノープランと言っても、全く行くアテが無いわけではありません。
地図を頼りに目指したのは、今もスルタンが住まうという王宮“クラトン”です。
今も住んでいるとは言え、かなりの領域を一般公開に供しているそうで、ジョグジャカルタを代表する観光地でもあります。
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慣れない町の歩道を無理くりに歩き、ベトナムでの経験を生かした勘と度胸で横断歩道を渡って、歩くこと30分ほど。
広々とした公園に行き当たれば、その真正面が目指すべき王宮でありました。
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「ようやく」と言いたくなるほどの行程でしたが、本当の始まりは実はここからです。
この正面と思しき玄関は観光客向けの入り口ではありません。
仕方なしに地図を頼って王宮の周りを巡っていくものの、歩けど歩けど出会すのは出口ばかりで入口が見つかりません。
困ったものだと困惑しているうちに、親切な現地民に身振り手振りで道を指し示されて、ようやく殆ど真裏に位置する入り口を見つけて、中を見学することができました。

中では王宮に仕える方々が何やら詠唱か音楽かの実施中です。
読経のように聞こえるのですが、コーランの一説なのか、あるいは何か別の詩経なのか……残念ながら私にはわかりませんでした。
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入り口の音楽(?)をしばらく眺めたら、その後は王宮内見学です。
もっとも、王宮ないと言っても基本的には屋外を巡り歩く形となります。
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内部を見学できるのは一部の小屋に展示された宝物や、王宮に関する資料館くらいでしょう。
説明文もインドネシア語が主体ですので、何を意味するのか今ひとつ掴めなかったのが残念でした。
とは言え、常夏の国の建築物群、ふらふらと眺め歩いているだけでも、意外と退屈しないものです。
なんだかんだと数時間は内部を彷徨いて過ごしてしまいました。

ところで、こういう観光地でやってはいけないことの一つに、安易に客引きについていくというのがあります。
特に日本人に日本語で話しかけてくる類は、あまり歓迎すべきではない相手なので無視するか、逃げるのが上策とされています。
普段であれば、あまりこの手のミスは侵さないものなのですが……疲れていたのか、血迷ってしまったのか、やらかしてしまいました。
クラトンの出口でフレンドリーに声を掛けてきたおばちゃん、男2人連れと油断して受け答えしてしまったのが運の尽きです。
あれよあれよとなんとなく連れてこられたのは、王宮に仕える人々が住まうという区画です。
3000人近く住んでいるのだとか、料理人や警備員などの仕事があるのだと聞きながら、誘導されたのはコーヒーショップでした。
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路地裏の趣のあるコーヒーショップでは、ジャコウネコの糞から作るインドネシア特産の特殊なコーヒーを取り扱っていました。
いつの間にかバトンタッチした店のおばちゃんは、真剣に製法の説明をしてくれた後にお菓子までくれる大攻勢です。
絵に描いたようなカモられ方をしてしまったなと自覚しましたが、時すでに遅しでしょう。手ぶらで帰るわけには行かなそうです。
言い訳代わりにコーヒーを一杯だけ注文し、雑談がてらにお土産用のコーヒー粉を勧めてくるおばちゃんに苦笑しながら撤収することになりました。
幸いにボッタクリ価格の店で無かったので、案内無しでは入らないような路地に行けた分、楽しい経験と言い張れますが……油断大敵と肝に銘じる体験となりました。

コーヒーショップの後は王宮を回り込むように市街散策です。
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道中、どう見てもド派手な自動車のような外装をした自転車に遭遇したりしつつ……市街で方角を見失い、右往左往です。

後で気づいたのですが、迷子になったのはおおよそ昼頃のこと。春分の日近くに赤道直下で、お昼です。太陽が文字通り真上にあり、影は足元真下にしかできません。
普段、何気なく過ごしているようで、どれほど影の差す向きを基準に生きていたのかと、実感する機会となりました。
スマホがなければどうなっていたことか……怖いような、楽しみなような経験です。

それでも、どうにか王宮近くのレストランで昼食を摂れたら、次の目的地であるフレデブルグ要塞博物館へ到着することができました。
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要塞博物館は、インドネシアの独立の歴史をジオラマと当時の品々で紹介した博物館です。
もう少し要塞要素があるのかと期待していましたが、それはそれ。それでもジオラマで再現された重要な会議や戦闘に、英語の説明板がつき、興味深く見学することができました。
かつての蘭領東インド、WW2では日本とも浅からぬ因縁があるだけに、彼ら視線での経験を知ることができるのはとてもよいものでありました。

ただし、ジオラマ見学から建屋の外に出てみれば、空は怪しげな曇模様です。至近距離で雷も鳴り始めて、これはスコールというやつでは? などと期待していたら、あっという間に雨脚が強まり、迂闊に歩けぬ有様になってしまいました。
インドネシアの雨季は一般に11月~3月の間なのだとか。それでも午前中は晴れることが多く、午後になると強烈な夕立になるのが雨季の特徴だそうです。
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まさに教科書的な雨季のスコールを喰らわされたような状況ですね。
最初の1時間ほどは、処置なしとして博物館の軒先で雨宿りをしながら、ぼんやり過ごします。
こういう足止めも南国では一興。慌てる観光客や潔く諦める現地民を眺めながらぼんやり過ごせば、それはそれで旅情がありました。
もちろん、永久にここにいるわけにも行かないので、雨の小康状態を突いて、次は古い市場が残る地区へと移動です。
ベトナムや中国でも見たような、布製品を中心に様々な商品が所狭しと並べられた市場を、ぐるりと見物したら夕方も近くなってきたので撤退することにいたしました。

来た道を戻るように、再び歩いて30分ほど掛けてホテルのある界隈へ。
別段、散策した訳でも思い入れがある訳でも無いはずですが、外国人の多い界隈へ戻ってくると一息ついたような気分になってしまいました。
おそらくは似たような観光客が多くなり、なんとなく仲間がいる気分になるからなのでしょう、多分。

ホテルに戻って、街歩き装備を切り離し、一息入れたら夕飯――もとい、呑みの時間です。
ホテル外のバーに繰り出して、ベトナム以来の熱帯ビール体験を楽しみました。
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選んだ店は大通りに面した開放的なお店です。夕闇に映える看板がひときわ素敵でしょう。
加えて、料理を注文すると、何故か店員さんが近隣の店舗から注文の品を持ってくるのも興味深いところです。
料理によってやってくる店が違いますから、この一帯で結託しているのかもしれません。

またその店員さん方も、オフシーズンもあってか、他に客が居ないので非常に暇そうな雰囲気です。
好き放題、音楽を流したりご飯を食べたりするのは全然構わないのですが……謎のミーティングが白熱し始め、話しかける雰囲気でなくなってしまったときは、流石に辟易してしまいました。
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なんやかやで河岸を変えて2軒目でもビールを呑んだり、スコールで宿への帰路を妨げられてたりしつつ、22時頃に宿に戻り、就寝となりました。

生ぬるい空気の中で飲む冷えたビールは無限に飲めると思っていましたが、なかなかどうして、格別でした。
しこたま飲んだハズなのに、二日酔いにならなかったのも美味しく飲めた証左でしょう。


斯様な次第で迎えた2日目は、ガイドをチャーターしての世界遺産巡りですが――続きは後日に書きます。

香港的週末放浪

とにかく忙しいので、細かいことはすっ飛ばして本題に行きましょう。

諸々ブチ切れてしまい、バニラエアで香港行きのチケットを確保したのが運の尽きですね。
2016年の11月、フォロワーのあんこう氏を訪ねて軽率に香港へ飛んでから、早1年半が経ってしまいました。
あの時、去り際に放った「新居が決まったらまた遊びに行くわ」という約束、回収できないまま月日が経ってしまいましたが、この度ようやく有言実行の日が到来です。


有給を取得し、金曜日の朝から飛び立てば、15時頃に香港国際空港に到着です。
この日の日中は単独行動なので、即座に地下鉄に乗り込んで行動開始します。

手始めに向かったのは香港島の東側、筲箕灣から少しだけ歩いた先にある香港海防博物館です。
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明代から現代に至るまでの海防の歴史を展示した博物館です。
建物自体が英国時代の堡塁を流用した構造で、丘の上に建つ少し天井の低い丸みを帯びた建屋が魅力的です。
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ちなみに展示内容は、立地が立地だけに主敵の殆どが日本です。
明清代には倭寇が最大の脅威、ポルトガルと英国が海辺を脅かす時代を挟んだと思ったら、再び英国と日本が睨み合う時代にひとっ飛びといった内容になっています。
それでも、往古の海防政策や英国の香港での苦労話も散見され、実に興味深い内容ではありました。

博物館の後は小腹も空いたので、適当な食堂で小腹を満たしておきましょう。
即席麺を戻して甘口カレーと和えたような“家庭的”な味の一品、美味しいのは間違いないのですが……エキゾチックさが足りないと言うべきか、ある種香港らしいと言うべきか……。
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小腹を満たしたら、一転して夕飯の時間。あんこう氏に加えて、香港人のフォロワーであるMOKさんとも合流して、夕食会の流れです。
少し高めの中華料理店でビールを挟みつつ、お腹いっぱいになるまで担々麺や炒飯を味わったら、夜もいい時間になってしまいました。

帰りがけに屋外でビールを飲めるパブで軽くいっぱい引っ掛けてから、この日の宿となるあんこう氏のお宅へ向かいます。
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香港郊外の高層マンションの一室、観光客的にはなかなか縁のないマニアックな場所に潜り込んだら、日本と変わらないような宅飲みをして、アニメを見て夜を更けさせていきました。


ゆるゆると起きる羽目になった土曜日は、あんこう氏の所用に付き従ってローカルな朝飯やから郵便局へと“土曜日らしい”雑務で幕開けです。
一揃いの雑務が済んだら、ローカルなミニバスに乗りこんで郊外からさらに町外れの西貢地区へと向かいました。
西貢地区は香港の町外れ、国際都市香港のイメージからは想像もつかない海と山に囲まれた自然豊かな地域です。
ビーチや海鮮を求めて、香港人が余暇を過ごしにやってくるような土地。なかなかどうして、現地民帯同ならではのチョイスです。
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西貢の浜からはあちこちへの渡し船が運行されており、香港島の向こうに浮かぶ島々を巡ることができます。
なかにはユネスコのジオパークにも指定されており、火山地形が点在しているような島もあるだとか。
お出かけ日和の晴れ間の下、適当に声をかけられた船に乗って、南の島へ漕ぎ出すのも面白いですよね。
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よくわからないまま、上陸した橋咀洲と呼ばれる島で、思いの外にキレイな海に感激したり、そのまま島を縦断するハイキングコースへうっかり踏み出したり……気ままに過ごしていれば良い時間になってしまいます。

渡し船で西貢へ戻ったら町並みをぐるりと巡りながら昼食探し。
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船がひしめく海を眺めながらフィッシュ・アンド・チップスを食べて、次の観光地へと移動することにしました。

2つ目の観光地は無難に香港文化博物館です。
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ブルース・リーを始めとした、香港ゆかりの文化人や、富豪の集めた文化財が展示されています。
ブルース・リーくらいしか見るものはないかと思っていたのですが、意外と見どころも多く、思いのほか長居してしまったのはよくある事象でしょう。

最後に、文化博物館から電車で一本の中国本土国境へも寄り道。特段の用事はないのですが、陸上国境に興味があった次第です。
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なんとなく本土側へ入国し、軽くぶらついてから夕飯を食べて再度、香港へ。
本当に何しに行ったのかと言う風情ですが、こういう気安さで国境を超えるのも香港らしい経験ということにしておきましょう。

この後はまたあんこう邸に戻り、前日に引き続いて宅飲みで夜を明かしていきました。


日曜日は香港最終日、帰国の必要がある日ですが飛行機は夕方の便なので、午前中は少しばかり遊びに出かける余裕があります。
そういう次第で向かったのは、空港があるのと同じランタオ島のゴンピン360というアジア屈指の頂戴ロープウェイです。
ランタオ島の南側、天壇大仏や伝統的漁村のある一帯へアクセスできる観光ロープウェイです。
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乗り場はいたって普通のロープウェイですが、驚くべきはその行先です。
海を渡って山を超え、もう一つ山を超えても、行き着く先は更に遥か彼方です。
片道20分強、アジア屈指は伊達ではない長丁場。空中散歩とはまさにこのことだと思わせる光景を眺めながら、ロープウェイの旅を味わいます。
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海の方に目をやれば、珠江の河口を挟んでマカオへ繋ぐ計画だという高速道路も望見できます。
海を渡る高速道路と海底トンネルの組み合わせ、実質アクアラインですね。

そんなこんなで終点のゴンピンに到着したら、天壇大仏を見物です。
本当は漁村のある大澳地区まで足を伸ばしたいのですが、時間の都合もあるので妥協せざるを得ません。
いずれ、行ってみても良いかもしれませんね。
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天壇大仏は世界最大の屋外大仏。建立開眼は1993年と比較的最近ですが、面白い観光スポットなことには間違いないでしょう。
造形が心なしか奈良や鎌倉の大仏と似ているのは、きっと文化が近いせいのハズです。
深いことは考えずにお参りして、周囲のお寺やお店も散策です。
最後に飲茶店で昼食を摂ったら、ロープウェイで引き返して空港へ向かう流れになりました。


無事に空港まで着いたら、あんこう氏と別れて、名残惜しくも出国の時間です。
残念ながら日本へ帰らなくてはいけません……。

重い足取りのまま飛行機に乗り込み、成田へと到って楽しかった週末は終りを迎えました。

そういう次第で諸々体力気力財力と、使い切ってしまった面もあり、当面は遠出の予定がない週末が続く予定です。
次の3連休は7月の海の日、無事に(精神が)生きていられるか……心配ですが、なんとかなるといいですね。

「賭博師は祈らない」を追って

久しぶりにGWが真っ当な連休となった2018年。異動して初めての好事と言えるかもしれません。
テンションが上ってしまい、うっかりと足元を見て高騰する国際線の航空券を掴んでしまいました。

当初の渡航候補はモロッコは世界遺産都市フェズ。初めてのアフリカ大陸か?! とワクワクしながら航空券を検索したのですが、残念ながら日程が噛み合わずに断念せざるを得ない結論に。
次に思い描いたのは東洋と西洋の交差点トルコはイスタンブール……でしたが、これもなかなかどうして手頃な航空券がありません。

なんとはなしにタイムリミットが迫る中で思い起こすのはとある格言です。
「第三善を戦場に送れ。次善は遅れる。最善はついに完成しない」とは、イギリスに防空レーダー網を気付いた技術者の言葉です。
予算内で飛べる興味深い都市は――と検索エンジンを叩けば、ヒットしたのが何の因果かイギリスはロンドンのヒースロー空港行きのチケットでした。

奇しくも去年から「賭博師は祈らない」が個人的大ヒット中。作中に描かれたロンドンにバースと、むしろなぜ思い付かなかったのかと不思議なほどです。
これは行くしかない流れでしょうと、即断即決して手配してしまいました。
航空券の手配は一大事ですね。


斯様な次第で迎えた連休初日の28日は秋葉原で大学の友人連中と昼酒をキメてから、その足で大阪へ。
そう、今回の便は久しぶりの関空発着便です……これが安かったんです、仕方なかったのです。
夕方から大学院時代の友人と合流して、夜が深まるまで積もる話を散らしながら飲み明かして、天王寺の宿で一泊。
翌朝は少しばかりお酒が残る頭で関空へと向かい、タイ国際航空のバンコク便に乗って外つ国へと飛び立ちました。

飛び来るタイはバンコクのスワンナプーム国際空港。ここでロンドン・ヒースロー便まで約9時間の乗り継ぎです。
折角なので小1時間ほど入管に並んで入国し、お外を観光としましょう。
バンコク市街まではアクセス鉄道で30分ほど。本数もそれなりに走っているので、安心して遊びに行けます。
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空港アクセス鉄道の終点Phaya Thai駅近くに、在来線が見えるレストランを見つけたのでシンハーで一杯。
フライドライスは美味しかったのですが、本場のトムヤンクンは酸味と辛味とパクチーの強烈な味わいにアテられて完食できなかったのが心残りでしょうか。
程々に満喫したら、空港に戻って有料ラウンジに課金してシャワーを浴びてシャツでも汗ばむ真夏の如き熱気を流します。
一息着いたらいよいよロンドン便に乗り込む時間になりました。
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10余時間の空の旅は最初だけ映画を見たものの、その後はひたすら眠って体調を整え、目覚めた頃にはイングランド上空を飛んでいる具合になりました。


さて、ほぼ丸1日以上かけて辿り着いた憧れの英国、入国審査を抜けて地下鉄に揺られロンドン市街に到着したのは午前11時の少し前と行った頃合いでありました。
到着して最初の感想は「寒い!!」の一言でしょう。高緯度地域とは言え、暖流の加護の下、比較的温暖なはずと認識していた西欧一帯。
降り立ってみれば降りしきる雨に強い風、吐く息は白く凍える冬の有様です。
現地民と思しき方々も寒そうにしていたことから、季節外れの寒さと認識できたことだけが救いでしょうか。
春先装備の私にとっては、外に長居する心も折れて、まずは朝食の確保も兼ねてカフェに入るより他にありませんでした。
ローストビーフのサンドイッチとミルクティー。観光客然としたチョイスながら、最高に救いを感じるひとときとなりました。
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ティータイムで一息入れて正気と元気を取り戻したら、いざこの日の第一目的地にしてロンドンでの最優先目標、大英博物館へ向かいましょう。
路地を1ブロックほど専有する、中国の博物館もかくやと言わんばかりの大行列に並んで20分ほど待ったら、いよいよ世界最大級の博物館を見物です。
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英国紳士が数百年掛けて世界中から掠奪した世界の至宝の数々です。
かの名高きロゼッタ・ストーンもその収蔵品の一つです。
3つの言語で書かれた石碑と認識していたので、もう少し大きいものかと思っていたら、随分と可愛らしいサイズですから驚いてしまいます。
こういうのも現地に行って実物を見てこそ知れる面白さでしょうか。
アジアから中近東、アフリカに到るまで世界中の古代遺産が目白押し。「教科書に写真が載ってた」と言いたくなるようなものが沢山ありました。
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また18世紀“発展と好奇心の時代”をモチーフにした展示スペースもありました。ちょうど、「賭博師は(略)」の時代だなと関心しながら見物します。
この時代の博物学的な展示手法は、東京駅前にあるオシャレ博物館の展示手法にも通じるレトロ感を醸し出しています。
まさに博物館が博物学をしていた時代だったのでしょう。
なんやかやと17時近くまで4時間近く居着いてしまい、他の観光スポットに寄る暇もないまま夕飯時を迎えてしまいました。

仕方ないので、一旦は宿に荷物を置きに行ったものの、外は流石に高緯度地域だけあってまだまだ明るいです。
気付けば博物館でワクワクしている間に、外は天気も回復してきてキレイな夕日が期待できる空模様になっていますしね。
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ビールを飲むにはまだ気分が乗らないので、夕景・夜景巡りに繰り出そうとテムズ川沿いへ向かい、無為に時間を潰して日が沈むのを待つことに致しました。
呑気に過ごしすぎて日没を見送った頃には時刻は21時過ぎ。一周回って夕飯を食うには手遅れな頃合いと感じ、宿のバーコーナーでビールを舐めて、この日は就寝となりました。


イギリス2日目の朝は宿に近いロンドン・パディントン駅から、名物の遅延する長距離列車に乗って少しお出掛けです。
向かうは西へ特急で1時間半ほどに位置するバースの街です。
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バース行きの切符を手配したのは良いものの、電光掲示板を見ても今ひとつどれに乗れば良いのかわからなかったのはご愛嬌。
しばらく眺めてようやく、下段に停車駅が書かれていることに気付いたのですから、勘もだいぶ悪くなったものですね……。

この日は好転に恵まれ、車窓には長閑な郊外の光景が広がります。
さながら“世界の車窓から”のような風景を楽しみながら、あっという間の1時間半で下車駅、バース・スパ駅へ到着です。
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バースははるかケルトの時代から温泉が湧出する土地として知られたイギリス有数の観光地です。
ローマ時代の温泉の遺構や、温泉が再開発された18世紀の歴史的街並みが合わさって、街全体が世界遺産にも指定されているイギリス屈指の歴史都市でもあります。

もっとも、ここを行き先に選定したのは「賭博師は祈らない」の影響の方。作中では3巻の舞台となり、18世紀のこの街を舞台に陰謀と賭博が横行します。
作中に登場した建造物や地形がそのままと言っていい状態で現存するのですから、これはもう立派な聖地巡礼ですね。

最初に向かったのは観光の目玉であり、地名の由来ともなったローマ時代の温泉。そのままズバリの世界遺産ローマン・スパです。
現在の大浴場を囲うデッキは近代にローマ風を意識して建設されたもの。ローマ時代には遥かに高いドームで覆われていたのだそうです。
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ローマ時代の温泉施設はローマの衰退に伴って地中に埋もれてしまい、発掘されたのは17世紀頃のこと。
開放的に見える現代の大浴場も、往年には地上にあったそうですが現代では半地下と言った方が適切な水準にあります。
そんな地の下にはローマ時代の浴場遺構が今も埋もれており、一部は博物館として整備され見学することができます。
精緻なレンガ積みや排水路、壮麗な石工の神殿跡や故人が忍ばれる墓碑に呪いのタブレットまで。ローマ時代の息遣いを感じられる展示が多数並び、見応え充分な展示です。
流暢な日本語の音声ガイダンスも無料で貸与されるので、その気になればいつまでも古代ローマのロマンに思いを馳せることができてしまいます。
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閑話休題。ローマ文明の偉大さに本題を見落としそうになってしまいますが、一応の目的は聖地巡礼です。
18世紀頃には再興され開発された温泉のいくつかが現役の入浴施設として再利用されていました。
作中でも度々登場し物語の転換点となる展開が繰り広げられたキングスバスは、本来は源泉が湧く場所でありローマの時代には聖なる泉でもあったとかなんとか。
解説や情報が混乱しているため、この遺構がまさしくキングスバスなのか、今ひとつ自身が持てませんが……英国貴族はここで湯浴みをしてた……そう観るだけでもロマンというものです。

ローマンスパから市中へ戻れば、昼食を挟んで街並み散策へ。
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舞踏会や賭場の舞台となり町の再開発の象徴とされた“アッセンブリールーム”は、今も同名のままファッション博物館として現役です。
往年の栄華を見学できるそうですが、少々時間の都合もあってパスしたのは惜しいことでしょうか。

貴族のための集合住宅、ロイヤルクレセントも観光地の一つ。半円状に街路を囲った長大で壮麗な住宅はちょっと何を思って設計したのか謎ですね。
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今でも現役だそうで、1号室以外は住人がいるのだとか。この辺の建物の耐久性の高さは冷涼で地震の少ない土地柄ならではといったとこでしょうか。

ちなみに1号室は18世紀貴族の生活を垣間見ることのできる博物館として整備されています。
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優雅な生活を再現した調度品の数々から、往時を忍ばせる風俗画まで数多く展示されていて、これも興味深いです。
半地下の部分には最上級に裕福な家庭に置かれるという家政婦長の職位の部屋や、女中の寝所も兼ねた台所まで往時を再現して展示されています。
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解説に曰く、当時の貴族のなかには本来の領地の屋敷とは別に、都市部においては集合住宅を保有して居住していた者もいたのだとかなんとか。
あまり想像できない概念ですが、文化が違えばそういうものなのでしょう。
集合住宅と言えど、広く快適そうな空間には驚くばかりです。

他にもバースの街は往年の街並みが随所に遺り、散策するには魅力は十分でしょう。
写真は取り忘れてしまいましたが、作中に登場した地名もしっかりと抑えて聖地巡礼もバッチリです。
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エイボン川の水面でしばらく一息入れたら、夕飯時も近いので撤収することにします。

ロンドン近郊列車をぼんやりと眺めながら復路の特急列車でロンドンに帰着。
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フィッシュ・アンド・チップスで一杯キメてから、宿に戻ってもうしばらくビールを舐めて、夜が更けるのを眺めていきました。


イギリス3日目はロンドンらしい観光をする日にすることに。
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名前くらいは聞いたことのあるウェストミンスター寺院に、現在修復工事中のビッグベンとガイドブックでとりあえず観る光景を消化します。

また、イギリスと言えば大英帝国。19世紀末には七つの海に覇を唱えた海洋世界帝国です。
そんな訳で帝国戦争博物館も見学します。
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WW1前夜の世界情勢から、現代にかけての軍事に関する展示が所狭しと並べられ、ミリオタなら一度は見学したい展示揃いです。
個人的な趣味としては特にWW1の展示が非常に興味深い限りです。
沢山写真は撮りましたが、あまり好き好んで公開すべき類のものではないかなと、思うところもあるので割愛します。

帝国戦争博物館の後は30分ほど街を練り歩いて、その分館に位置づけられる軽巡洋艦ベルファストを見学します。
テムズ川に停泊するWW2時代の武勲艦。アズールレーンで最強メイドさんとして一躍人気ものになってしまいましたし、いいタイミングですね。
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WW2におけるイギリスの主要な作戦に参加した後、朝鮮戦争でも艦砲射撃を実施。その後も訓練艦として任務を全うして、今もテムズ川で英国海軍の栄光を伝える偉大なる艦艇です。
そもそも外洋航行用の船が川を航行できるというのが、日本では考えにくい概念ですが……テムズ川は可航河川、流石ですね。
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艦内も比較的自由に見学でき、弾薬庫のハンモックや機関室、挙げ句は砲塔内部まで見学できてしまいます。
英国式海軍食堂があまり美味しそうに見えない色使いなのは、何とも流石だなと言った印象ですが……そんな日もありましょう。

戦争博物館とベルファスト、想定よりも興味深い展示が多く長居してしまい、気付いたときには16時を回っていたのは驚きです。
最後の本命、ロンドン塔も見学したかったのですが閉館はなんと17時半とのこと。受付でチケットを買おうとしたところ「あと1時間で閉まる、2~3時間はかかるからやめておけ」との何とも親切で大きなお世話な忠告を受けてしまいました。
押し切っても良かったのですが、入館料も29ポンドとなかなかいい額だったので、素直に従って外観からだけ見学することにしました。
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「賭博師は(略)」の作中では、まだ博物館ではなく動物園として一般に開放されていた時代。19世紀に動物類はロンドン動物園に移されてしまったそうですが、当時を偲ぶ遺構は収蔵されているそうなので、やはり行くべきだったかも知れませんね。

代わりに余った時間でタワーブリッチの内部を見学です。
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19世紀末の偉大なる建造物にして、巨大なる現役の跳ね橋です。
今では跳ね橋の機構そのものは電動化されているのですが、その建造当時の蒸気機関は現在でも稼働状態にあって見学することができます。
見るものを圧する鋼鉄の力、有無を言わせぬ蒸気機関の魅力を堪能することができるので、この見学も悪くないかもしれません。

タワー・ブリッジ見学を済ませたら、最後の夜は「賭博師は(略)」の1巻の舞台となったイーストエンド方面へと足を伸ばします。
ロンドン旧市街とも言うべきシティ地区の東の外れ、言うなれば下町といった風情の地区ですが昨今は再開発が進んですっかり新進の町並みになってしまい、ガイドブックでもイチオシの観光スポットになっているこの一帯。
それでもふらりと歩いてまわれば……なぜかどこでもドアがあったのは、未だに理解が追いつきません。
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ちょっと薄汚い石畳の路地と酒場、暗い時代の面影を感じるようですが、いたって陽気に酒が酌み交わされていたので現代は本当に治安がいいですね。

帰りは少し回り道をしてキングス・クロス駅やパディントン駅の裏手の運河を巡りながら宿に戻りました。
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欧州は運河の文化の地域。大陸だけでなくイギリスでも内陸に運河が張り巡らされているとは物の本で知っていましたが、実際に目の当たりにすると、やはり物珍しい感じがします。
船でできた本屋や飲み屋、船上居留民の実在も確認して、世界の広さを思い知らされます。


そんなこんなで4日目最終日はイングリッシュ・ブレックファーストを食べたら、そのまま後ろ髪を引かれながらもヒースロー空港へ。
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来た道を戻るように、バンコク経由で関空へと帰りました。

関空から少し寄り道して、大阪城公園にてフォロワーのAliceさんと餃子フェスでちょい飲み。
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新幹線に乗って静岡の親の実家で残りの連休を過ごして、過酷な連休明けを迎えることになりました。


連休明けからフル稼働で元気にお仕事……信じ難い社畜根性にやはり馴染めないものを感じて今に至ります。

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