大型連休のお出かけ・その1
天気が妙に不安定な日の続く、5月も中盤に差し掛かろうとしている頃。
絶賛5月病を拗らせて出社前からお家に帰りたい日々が続いてますが、どうにか生きています。
そんなこんなで、少々間が開いてしまいましたが、4月末から5月初めにかけての連休のこと。
ふと思うこともあって、久しぶりに鈍行列車を乗り継ぐ旅行に出てみました。
この季節は18きっぷが使えないので、代わりに周遊きっぷなる往復の乗車券と特定区間の乗り放題きっぷのセットを活用。
18きっぷほどの自由度はないですが、途中下車自由なのでこの季節なら必要十分でしょう。
その1・その2・その3・その4・その5・その6
連休前夜の4/27は可能な限り早く帰って、実家から車を転がし静岡へ。
つい先月開通した新東名を試しに使いながら親の実家に向かい、ここで一泊。
一夜明けた連休初日の28日。
朝は人並みに7時過ぎに起床して8時過ぎに駅へ行き、浜松方面の列車に乗り込んだらここからひたすら西を目指す旅の始まりです。
適度に日差しの差し込む休日の列車内で、うたた寝を繰り返しながら浜松・豊橋・大垣と乗り継ぎを続けて、いつの間にやらJR西日本との接続点、米原駅です。
ここから新快速に乗り換えれば次の終点は姫路なのですが、空を見れば抜けるような青空。
このまま、ただ電車に乗っているだけなのはもったいなく感じるところです。
そんな訳で降り立ったのは大阪駅。
大阪環状線に乗り換えて大阪城公園駅までぶらり旅。
お膝元の大阪城ホールでやっていたイベントを尻目に公園となっている城郭内へ。

天下に名高き太閤さんのお城を見物です。
広大なお堀から大きな石垣、天守閣内は有料の博物館だったので時間の都合からパスしましたが、よく整備された公園は思った以上に気持ちのよい空間でした。
天守閣のお膝元の広場でたこ焼きを食べながら一服したら、隣接の豊国神社を参拝。
祭神はもちろんのこと豊臣秀吉です。いつの創建なのか……境内に歴史的な説明がまるでなかったのは意外なところ。
巫女さんが居ないのがちょっと残念でしたが、静かな雰囲気は良かったです。

その後は、折角なので大阪環状線を一周して大阪駅へ。
大阪の下町を抜ける線路から眺める風景は、工場や時代を感じる建物の並ぶ少し煤けた様子や、鉄骨を多用した鉄道設備が陽の傾き始めた時間帯の雰囲気と相まって、まるでスチームパンクの世界のように映りました。
初めて乗った路線でしたが、何とも言えず落ち着くような、夕方にぐるぐる回っていたいような気分です。
そんな訳で夕方まで大阪に居座ったら再び山陽本線に乗り込み、針路を西へ。
姫路で乗り換えて岡山、広島と夜の闇の中を乗り継いで、日付の変わった頃に岩国駅で打ち止めです。
駅から少し離れた所にあるネットカフェに宿泊して夜を明かす事といたしました。
その2→
絶賛5月病を拗らせて出社前からお家に帰りたい日々が続いてますが、どうにか生きています。
そんなこんなで、少々間が開いてしまいましたが、4月末から5月初めにかけての連休のこと。
ふと思うこともあって、久しぶりに鈍行列車を乗り継ぐ旅行に出てみました。
この季節は18きっぷが使えないので、代わりに周遊きっぷなる往復の乗車券と特定区間の乗り放題きっぷのセットを活用。
18きっぷほどの自由度はないですが、途中下車自由なのでこの季節なら必要十分でしょう。
その1・その2・その3・その4・その5・その6
連休前夜の4/27は可能な限り早く帰って、実家から車を転がし静岡へ。
つい先月開通した新東名を試しに使いながら親の実家に向かい、ここで一泊。
一夜明けた連休初日の28日。
朝は人並みに7時過ぎに起床して8時過ぎに駅へ行き、浜松方面の列車に乗り込んだらここからひたすら西を目指す旅の始まりです。
適度に日差しの差し込む休日の列車内で、うたた寝を繰り返しながら浜松・豊橋・大垣と乗り継ぎを続けて、いつの間にやらJR西日本との接続点、米原駅です。
ここから新快速に乗り換えれば次の終点は姫路なのですが、空を見れば抜けるような青空。
このまま、ただ電車に乗っているだけなのはもったいなく感じるところです。
そんな訳で降り立ったのは大阪駅。
大阪環状線に乗り換えて大阪城公園駅までぶらり旅。
お膝元の大阪城ホールでやっていたイベントを尻目に公園となっている城郭内へ。

天下に名高き太閤さんのお城を見物です。
広大なお堀から大きな石垣、天守閣内は有料の博物館だったので時間の都合からパスしましたが、よく整備された公園は思った以上に気持ちのよい空間でした。
天守閣のお膝元の広場でたこ焼きを食べながら一服したら、隣接の豊国神社を参拝。
祭神はもちろんのこと豊臣秀吉です。いつの創建なのか……境内に歴史的な説明がまるでなかったのは意外なところ。
巫女さんが居ないのがちょっと残念でしたが、静かな雰囲気は良かったです。

その後は、折角なので大阪環状線を一周して大阪駅へ。
大阪の下町を抜ける線路から眺める風景は、工場や時代を感じる建物の並ぶ少し煤けた様子や、鉄骨を多用した鉄道設備が陽の傾き始めた時間帯の雰囲気と相まって、まるでスチームパンクの世界のように映りました。
初めて乗った路線でしたが、何とも言えず落ち着くような、夕方にぐるぐる回っていたいような気分です。
そんな訳で夕方まで大阪に居座ったら再び山陽本線に乗り込み、針路を西へ。
姫路で乗り換えて岡山、広島と夜の闇の中を乗り継いで、日付の変わった頃に岩国駅で打ち止めです。
駅から少し離れた所にあるネットカフェに宿泊して夜を明かす事といたしました。
その2→
大型連休のお出かけ・その2
←その1・その3→
岩国で一泊した翌朝は払暁の頃合いにはしっかり起床。
当日は岩国の錦帯橋でも何かイベントがあったようなのですが、行くべき場所があったので涙をのんでスルーです。
出来るだけ早く九州入りしたいと考えていたのですが、山陽本線の始発が思いのほか遅い。
どうしたものかと時刻表とにらめっこしていたところ、天啓のように思いついたのが岩徳線を経由する方法です。
調べてみると始発の時間が1時間ほど早く、山陽本線よりも先に徳山から西へ迎う電車に乗れることに気付いたら選択肢はありません。

少し内陸側を抜けるローカル線の旅。
早朝の山間が醸し出す静かな雰囲気は、ホっと落ち着くべきはずなのに、良い風景に出会えた幸運で眠気が吹っ飛んでしまうほどでした。
徳山から再び山陽本線に戻って、下関から門司に抜けて鹿児島本線へ。
東郷駅で途中下車したら、駅から20分ほどバスに揺られて着いた先が、この日の最初の目的地です。
古墳時代以前の海洋民の祭祀から続く古社、宗像大社です。
朝鮮半島との航路を始めとした海上交通の守り神として、交通安全のご利益で名高い神社。
いろんな意味で道に迷い気味なので、心を込めて祈りましょう。

ちなみに訪れたのは宗像大社の辺津宮。九州島本土にある一番大きなお社です。
この他に海を渡った島に中くらいの中津宮、さらにその向こうの小島には島全体を禁足地とした沖津宮があります。
社が3社に分かれている構造は同じく海の神を祀る江ノ島神社なんかとも似たようなものを感じます。
同じ海洋神の住吉大社も3柱に分かれていますし、きっと何か共通のルーツがあるのでしょう。
本義的には宗像大社も沖まで全て参拝するべきなのですが、流石にそれは時間的に許されないこと。
昔の人も似た様な都合があったようで、この辺津宮に中津宮と沖津宮の分社がちゃんとあります。
第二宮、第三宮と呼び本殿の少し裏に回った鎮守の森の中。
折角なので行ってみると、まるで伊勢神宮の様なお社でありました。

その後は古代祭祀が行われていたという高宮にも参拝です。
ここは柵に囲まれただけの本殿も何も無い空間。神籬に神を降ろす形の古代祭祀の形を残す場所なので、考えようによっては平時は神様も何も無いただの空き地です。
もっとも森の中の開けた場所に、四角く石で囲まれ、しめ縄で示された箇所がぽつんとある様は、何とも言われぬ神聖な雰囲気があるものでした。
そんな次第で一通り回ったら、最後に宝物館を見学。
海の正倉院とも呼ばれる沖津宮周辺の出土品を始め古代祭祀に関わる色々が展示してあり、かなり興味深い内容でありました。
参拝を終えたら再び列車に乗り込んで、香椎駅で再び途中下車。

ここから香椎線に乗り込んで一駅行った香椎神宮駅に寄り道です。
駅から案内板の無いことに面食らいながら、勘を頼りに車道沿いを5分ほど。香椎宮なる神社に到着です。

鳥居があり巫女さんが居る普通の神社ですが、祭神は仲哀天皇と神功皇后の2柱。
別名を香椎廟と呼んだり、社の裏手に仲哀天皇急逝の地とされる一角があるなど、少し変わった由緒を持つ神社です。
境内自体はあまり広いとも言えないのですが、武内宿禰を祀った摂社など日本書紀や古事記に出てくる名前を随所で見かけるのが面白いところ。
列車の兼ね合いもあって1時間ほどの滞在でしたが、結婚式も見れてなかなかにいいところでありました。
余談ながら、神功皇后といえば朝鮮半島まで軍勢を率いて渡ったという伝説の残る皇后。その時に戦勝祈願したのが先に行った宗像大社だったのだとか。
そんな訳で折り返したら香椎から再び進路を西へ向け、鳥栖で長崎本線に乗り換えです。
長崎本線からは列車の本数がぐっと減ってしまいますが、タイミングを見計らって普通列車に乗り込み、またしても途中下車。
今度の下車駅は吉野ヶ里歴史公園の最寄り駅です。

で、もちろん行くのは吉野ヶ里歴史公園。歴史の教科書にも出てくる弥生時代の典型的な環濠集落、吉野ヶ里遺跡の遺構が整備された公園です。
ここの目玉は環濠集落の復元施設群。弥生時代の家屋や倉庫、防御施設などが遺構の配置をもとに復元されています。
建物のスケール感や互いの建物同士の距離感など……遺跡見学だけではなかなか実感できない雰囲気が味わえるのがいいところ。
個人的には意外と広々と立っているのだなと思う印象でありました。
一部の建物には、人形などが置かれて中の様子まで再現してあったりです。
ちなみにこの祭祀中の巫女は卑弥呼のイメージなのだとか。邪馬台国九州説に基づいたものだそうですが、この九州説ですと卑弥呼と神功皇后を絡める考え方もあるとかないとか。この日は行く先々で神功皇后です……。

余談ながら公園は結構起伏のある丘の一帯なのですが、周囲を見渡せば平らな水田地帯。
なるほど、豊かな土地と逃げこむ集落の対比です。
結局、閉園時間まで公園内をうろうろとしていたら、時間も厳しくなってきたので最後は特急列車に乗り込み一気に終着の長崎駅まで。
この日は偶然にも帆船まつりをやっているとかで、港の辺りはかなりの賑わいです。
折角、船のライトアップと花火大会まであるというのですから、若干歩き疲れた足を励まして見物です。

港町の夜景は帆船のマストが映えて華やかな限り。
花火客らしい人がたむろっている場所に紛れ込んで待っていると、帆船越しの打ち上げ花火というちょっと変わった趣向の光景を味わう事ができました。
なお、この晩は帆船まつりの関係で宿は満杯。
お風呂に入りたいこともあったので、24時間営業のサウナの休憩室で一晩過ごすことと致しました。
←その1・その3→
岩国で一泊した翌朝は払暁の頃合いにはしっかり起床。
当日は岩国の錦帯橋でも何かイベントがあったようなのですが、行くべき場所があったので涙をのんでスルーです。
出来るだけ早く九州入りしたいと考えていたのですが、山陽本線の始発が思いのほか遅い。
どうしたものかと時刻表とにらめっこしていたところ、天啓のように思いついたのが岩徳線を経由する方法です。
調べてみると始発の時間が1時間ほど早く、山陽本線よりも先に徳山から西へ迎う電車に乗れることに気付いたら選択肢はありません。

少し内陸側を抜けるローカル線の旅。
早朝の山間が醸し出す静かな雰囲気は、ホっと落ち着くべきはずなのに、良い風景に出会えた幸運で眠気が吹っ飛んでしまうほどでした。
徳山から再び山陽本線に戻って、下関から門司に抜けて鹿児島本線へ。
東郷駅で途中下車したら、駅から20分ほどバスに揺られて着いた先が、この日の最初の目的地です。
古墳時代以前の海洋民の祭祀から続く古社、宗像大社です。
朝鮮半島との航路を始めとした海上交通の守り神として、交通安全のご利益で名高い神社。
いろんな意味で道に迷い気味なので、心を込めて祈りましょう。

ちなみに訪れたのは宗像大社の辺津宮。九州島本土にある一番大きなお社です。
この他に海を渡った島に中くらいの中津宮、さらにその向こうの小島には島全体を禁足地とした沖津宮があります。
社が3社に分かれている構造は同じく海の神を祀る江ノ島神社なんかとも似たようなものを感じます。
同じ海洋神の住吉大社も3柱に分かれていますし、きっと何か共通のルーツがあるのでしょう。
本義的には宗像大社も沖まで全て参拝するべきなのですが、流石にそれは時間的に許されないこと。
昔の人も似た様な都合があったようで、この辺津宮に中津宮と沖津宮の分社がちゃんとあります。
第二宮、第三宮と呼び本殿の少し裏に回った鎮守の森の中。
折角なので行ってみると、まるで伊勢神宮の様なお社でありました。

その後は古代祭祀が行われていたという高宮にも参拝です。
ここは柵に囲まれただけの本殿も何も無い空間。神籬に神を降ろす形の古代祭祀の形を残す場所なので、考えようによっては平時は神様も何も無いただの空き地です。
もっとも森の中の開けた場所に、四角く石で囲まれ、しめ縄で示された箇所がぽつんとある様は、何とも言われぬ神聖な雰囲気があるものでした。
そんな次第で一通り回ったら、最後に宝物館を見学。
海の正倉院とも呼ばれる沖津宮周辺の出土品を始め古代祭祀に関わる色々が展示してあり、かなり興味深い内容でありました。
参拝を終えたら再び列車に乗り込んで、香椎駅で再び途中下車。

ここから香椎線に乗り込んで一駅行った香椎神宮駅に寄り道です。
駅から案内板の無いことに面食らいながら、勘を頼りに車道沿いを5分ほど。香椎宮なる神社に到着です。

鳥居があり巫女さんが居る普通の神社ですが、祭神は仲哀天皇と神功皇后の2柱。
別名を香椎廟と呼んだり、社の裏手に仲哀天皇急逝の地とされる一角があるなど、少し変わった由緒を持つ神社です。
境内自体はあまり広いとも言えないのですが、武内宿禰を祀った摂社など日本書紀や古事記に出てくる名前を随所で見かけるのが面白いところ。
列車の兼ね合いもあって1時間ほどの滞在でしたが、結婚式も見れてなかなかにいいところでありました。
余談ながら、神功皇后といえば朝鮮半島まで軍勢を率いて渡ったという伝説の残る皇后。その時に戦勝祈願したのが先に行った宗像大社だったのだとか。
そんな訳で折り返したら香椎から再び進路を西へ向け、鳥栖で長崎本線に乗り換えです。
長崎本線からは列車の本数がぐっと減ってしまいますが、タイミングを見計らって普通列車に乗り込み、またしても途中下車。
今度の下車駅は吉野ヶ里歴史公園の最寄り駅です。

で、もちろん行くのは吉野ヶ里歴史公園。歴史の教科書にも出てくる弥生時代の典型的な環濠集落、吉野ヶ里遺跡の遺構が整備された公園です。
ここの目玉は環濠集落の復元施設群。弥生時代の家屋や倉庫、防御施設などが遺構の配置をもとに復元されています。
建物のスケール感や互いの建物同士の距離感など……遺跡見学だけではなかなか実感できない雰囲気が味わえるのがいいところ。
個人的には意外と広々と立っているのだなと思う印象でありました。
一部の建物には、人形などが置かれて中の様子まで再現してあったりです。
ちなみにこの祭祀中の巫女は卑弥呼のイメージなのだとか。邪馬台国九州説に基づいたものだそうですが、この九州説ですと卑弥呼と神功皇后を絡める考え方もあるとかないとか。この日は行く先々で神功皇后です……。

余談ながら公園は結構起伏のある丘の一帯なのですが、周囲を見渡せば平らな水田地帯。
なるほど、豊かな土地と逃げこむ集落の対比です。
結局、閉園時間まで公園内をうろうろとしていたら、時間も厳しくなってきたので最後は特急列車に乗り込み一気に終着の長崎駅まで。
この日は偶然にも帆船まつりをやっているとかで、港の辺りはかなりの賑わいです。
折角、船のライトアップと花火大会まであるというのですから、若干歩き疲れた足を励まして見物です。

港町の夜景は帆船のマストが映えて華やかな限り。
花火客らしい人がたむろっている場所に紛れ込んで待っていると、帆船越しの打ち上げ花火というちょっと変わった趣向の光景を味わう事ができました。
なお、この晩は帆船まつりの関係で宿は満杯。
お風呂に入りたいこともあったので、24時間営業のサウナの休憩室で一晩過ごすことと致しました。
←その1・その3→
大型連休のお出かけ・その4
←その3・その5→
長崎市街で一泊した翌5月1日は、起きたら長崎港に展開。代行とも再び合流です。

長崎港から高速船に乗って沖合の小島、伊王島まで束の間の船旅。
長崎市街の観光中に、往復の船賃込みの日帰り温泉があると路面電車内の広告で発見して、じゃあ行ってみようとなった次第です

長崎の湾口を望むこの島はかつて外国船の到来をいち早く見つけるための見張り台があったとか。
一時は鉱山で栄えたものの、今は静かな癒しの島となっています。
自転車で一周しても1時間足らずの小さな島。早々に温泉に浸かって一息入れたら、レンタサイクルでぐるっと島を散策です。

もっとも一周廻るといっても特に何があるというわけでもない島。
見るべき場所といえば灯台と由緒ある教会、今話題の平清盛によって流刑にされた俊寛の縁の地があるくらいです。
が、その分車が少なく自然もあって、海が見える道を軽くサイクリングするというには気持ちのよい場所と感じました。
次はもっとよく晴れた機会に来たいものです。
伊王島から長崎へ戻ったら、その足で長崎駅へ戻り佐世保方面行きの列車に乗車。
ゆらり揺られてうつらうつらとしているうちに、ハウステンボスも通過して終着駅。
旧海軍以来の軍港都市、海自も米軍も主力拠点の一つとする佐世保に到着です。

とはいえ、伊王島にいた頃はサイクリング出来る程度に回復した空も、佐世保に着く頃には再び下り坂。
あまり散策も出来なさそうだったので、ひとまず海上自衛隊の資料館を見学です。
海自の資料館とは言え展示のメインは旧日本海軍以来の軍艦や装備のミニチュアだったり、軍服や教練書のような軍人たちにまつわる資料だったりと戦前の物品が多め。
なかなかお目にかかる機会も多くないので、興味津々で眺め回してしまいました。
他にも軍港の街らしく、商店街の一角に戦艦の模型を展示した休憩室があったり。
米軍色が強い印象の横須賀と比べ、旧軍の色が濃い感じがして面白い街と感じました。
ちなみにここも坂が多いらしく、天気が良ければ坂の上から軍港を眺められると聞いていたのですが……資料館を出た頃には土砂降りとなっている有様。
街の散策は別の機会に見送り、佐世保バーガーを食べながら一服して次の目的地へ移ることと致しました。

余談ながら、佐世保駅はJR最西端なのだとか。
稚内や枕崎のような”行き着くとこまで来た”と言った雰囲気がなくて気付きませんでしたが、ちゃんと西へ西へと進んだ終着を確認で来たような気がして少し嬉しくなりました。
なお、東西南北残る端っこは東の果て。確か、根室の方だったので……ちょっと頑張らないと行けなさそうですよね。
後付けとは言え、西のどんつきまで来たことを確かめたらあとは戻るだけ。
翌日にちょっとした予定が入ったので、この日のうちに一気に本州まで戻ろうと思いたち、博多行きの特急に乗車です。
切符の都合から途中の鳥栖で特急を降りて鈍行列車に切り替え、日付が変わるかどうかの頃合いで本州に帰還。
電車が打ち止めとなったので下関で下車したはいいものの、何としたことか、ノリと勢いと思い付きで来てしまったらなんと飛び込める寝床が無い誤算です。
仕方ないので繁華街まで向かい、適当に夜を明かす羽目になったのは偶にはいい経験とご愛嬌でしょう。
←その3・その5→
長崎市街で一泊した翌5月1日は、起きたら長崎港に展開。代行とも再び合流です。

長崎港から高速船に乗って沖合の小島、伊王島まで束の間の船旅。
長崎市街の観光中に、往復の船賃込みの日帰り温泉があると路面電車内の広告で発見して、じゃあ行ってみようとなった次第です

長崎の湾口を望むこの島はかつて外国船の到来をいち早く見つけるための見張り台があったとか。
一時は鉱山で栄えたものの、今は静かな癒しの島となっています。
自転車で一周しても1時間足らずの小さな島。早々に温泉に浸かって一息入れたら、レンタサイクルでぐるっと島を散策です。

もっとも一周廻るといっても特に何があるというわけでもない島。
見るべき場所といえば灯台と由緒ある教会、今話題の平清盛によって流刑にされた俊寛の縁の地があるくらいです。
が、その分車が少なく自然もあって、海が見える道を軽くサイクリングするというには気持ちのよい場所と感じました。
次はもっとよく晴れた機会に来たいものです。
伊王島から長崎へ戻ったら、その足で長崎駅へ戻り佐世保方面行きの列車に乗車。
ゆらり揺られてうつらうつらとしているうちに、ハウステンボスも通過して終着駅。
旧海軍以来の軍港都市、海自も米軍も主力拠点の一つとする佐世保に到着です。

とはいえ、伊王島にいた頃はサイクリング出来る程度に回復した空も、佐世保に着く頃には再び下り坂。
あまり散策も出来なさそうだったので、ひとまず海上自衛隊の資料館を見学です。
海自の資料館とは言え展示のメインは旧日本海軍以来の軍艦や装備のミニチュアだったり、軍服や教練書のような軍人たちにまつわる資料だったりと戦前の物品が多め。
なかなかお目にかかる機会も多くないので、興味津々で眺め回してしまいました。
他にも軍港の街らしく、商店街の一角に戦艦の模型を展示した休憩室があったり。
米軍色が強い印象の横須賀と比べ、旧軍の色が濃い感じがして面白い街と感じました。
ちなみにここも坂が多いらしく、天気が良ければ坂の上から軍港を眺められると聞いていたのですが……資料館を出た頃には土砂降りとなっている有様。
街の散策は別の機会に見送り、佐世保バーガーを食べながら一服して次の目的地へ移ることと致しました。

余談ながら、佐世保駅はJR最西端なのだとか。
稚内や枕崎のような”行き着くとこまで来た”と言った雰囲気がなくて気付きませんでしたが、ちゃんと西へ西へと進んだ終着を確認で来たような気がして少し嬉しくなりました。
なお、東西南北残る端っこは東の果て。確か、根室の方だったので……ちょっと頑張らないと行けなさそうですよね。
後付けとは言え、西のどんつきまで来たことを確かめたらあとは戻るだけ。
翌日にちょっとした予定が入ったので、この日のうちに一気に本州まで戻ろうと思いたち、博多行きの特急に乗車です。
切符の都合から途中の鳥栖で特急を降りて鈍行列車に切り替え、日付が変わるかどうかの頃合いで本州に帰還。
電車が打ち止めとなったので下関で下車したはいいものの、何としたことか、ノリと勢いと思い付きで来てしまったらなんと飛び込める寝床が無い誤算です。
仕方ないので繁華街まで向かい、適当に夜を明かす羽目になったのは偶にはいい経験とご愛嬌でしょう。
←その3・その5→
大型連休のお出かけ・その3
←その2・その4→
サウナで一晩明かした次の日は、ちょっと空模様が怪しいところ。
少し気がかりですが、駅のロッカーに荷物を預けて、朝から丸一日かけての長崎観光に向かいました。
市内の足、路面電車の一日乗車券を購入してまずは山の手へ。

隠れキリシタンの発見で名を残す大浦天主堂を見物です。
前日に神社で、この日は教会とか節操のなさを地で行くような感じですが、観光客ですのでごめんなさい。
続いてすぐ裏手のグラバー園へ。
園内には外国人居留地時代に建っていた数々の洋館が移築再現されており、かつての家主の説明や縁の品まであって見応え充分。
横浜の山の手で見学した洋館以上にオシャレで大規模、数時間の予定のはずが午前一杯を園内で過ごしてしまうほどでした。

特にかつて長崎造船所に建ってたという建物は、目の前に造船所を見下ろす見晴らしの良い立地。何となく長居したくなってしまいます。
なので、長居しながらぼーっと港を眺めていると沖合に進む黒い帆船を発見。

黒い方は遊覧船として港内を行ったり来たりしているようなので、何となく目で追っていると今度はさらに大きな純白の船が出現です。
ちょうど帆船まつりの終わりに母港、横浜へ向けて出港した日本丸なのだとか。
日本丸といえば、みなとみらいで見たような気がしなくもない……程度でしたが、こんなところでしっかりと航行している姿を拝めることになるとは思いもよりませんでした。
斯様な次第で帆船を見送ったら、市街観光へ再始動。

本当に……話には聞いていましたが、坂の町ですね。
坂と海の町といえば先日に行った尾道もそうでしたが、尾道が昭和のような和風な感じに対して、こちらは洋館の多いお洒落な雰囲気。
洋館もお寺も区別なくなる遠目には良く似ている光景な気がしました、坂と路地の雰囲気はどちらも甲乙つけ難い魅力です。
そして開港地と言えば、横浜も神戸も洋館と中華街。長崎もやっぱり中華街がありますが、先に少し離れた孔子廟の見学。

同じ孔子廟でも湯島聖堂の地味な感じとは違った派手さが異国情緒あって好みです。
奥には故宮博物館の物品を展示した博物館があったので、一緒に見学。中華系の文物もなかなか興味深いです。
博物館を見終えたらお洒落な道路をふらりと中華街方面へ。

しかし、石畳の道と洋館のある坂道って本当に凄いですね……決して好天ではなかったのですが、湿った光景もまた絵になるという……住むには大変かもしれませんが。
お待ちかねの中華街は、どこも似たような雰囲気なのだと再確認した感。
甘栗の売り子をほとんど見かけなかったことだけが違いでしょうか。中華料理と妙な雑貨屋が並ぶ光景は既視感がありますが、ゴミゴミした空間は嫌いではないです。

ここで昼食なのですが、めにゅーはもちろん長崎ちゃんぽん。ついでに角煮まんなる肉まんの仲間みたいなものも立ち食いしてお腹は満足です。
締めに唐人屋敷と呼ばれた江戸時代の中国人居留区の跡地を散策。

もはや遺構らしい遺構はないのですが、中国の祠だけは当時と同じ配置であるというのでその辺を見物して、再び路面電車に乗り込みました。
次に降りたのは山の手から繁華街を挟んだ東側の一帯。湾口に対して港の奥のさらに内陸部です。
こちらは洋館や中華街の異国情緒から一転、氏神の諏訪神社が鎮座するちょっと和な領域です。

苛烈な石段の上に鎮座する諏訪神社ですが鎮西大社を称する結構、格式高い一座。
一時はキリスト教に押されて云々だったそうですが、逆立ちした独特の狛犬などもあって十分に立派です。
他にも近隣には妙見社や天満宮も。長崎にも意外と神社があるんだと思ったのが素直な感想です。

どこもかしこも坂の中腹にあるのが曲者ですが……その分、ちょっと奥まった雰囲気があり見て回って楽しいものでした。
神社巡りを軽くこなしたら、近所の長崎歴史博物館を見学してから、同じようにぶらり旅に来ていた友人の”相当代行”と合流。
博物館を出る頃にはすっかり日が暮れていたことを逆手に取って、夜景を拝みに路面電車とロープウェイを駆使して伊佐山まで移動です。

伊佐山は長崎市街から湾を挟んで反対側に位置する標高300mちょっとの山。
港越しの街並みや夜景が綺麗だと聞き及んでいたので、たまには夜景もいいかもと思った次第です。
せっかくの一眼レフカメラを駆使して、夜景の撮影に及んだりして一頻り満喫。
湾口にかかる大橋や、造船所のライトアップされたガントリークレーンが素晴らしい光景でありました。
そんなこんなで、丸一日あっちこっちと歩きまわったら、この日はそのまま長崎市街でもう一泊。
ちゃんとしたホテルを確保していた代行と別れ、一人で夜を明かしました。
←その2・その4→
サウナで一晩明かした次の日は、ちょっと空模様が怪しいところ。
少し気がかりですが、駅のロッカーに荷物を預けて、朝から丸一日かけての長崎観光に向かいました。
市内の足、路面電車の一日乗車券を購入してまずは山の手へ。

隠れキリシタンの発見で名を残す大浦天主堂を見物です。
前日に神社で、この日は教会とか節操のなさを地で行くような感じですが、観光客ですのでごめんなさい。
続いてすぐ裏手のグラバー園へ。
園内には外国人居留地時代に建っていた数々の洋館が移築再現されており、かつての家主の説明や縁の品まであって見応え充分。
横浜の山の手で見学した洋館以上にオシャレで大規模、数時間の予定のはずが午前一杯を園内で過ごしてしまうほどでした。

特にかつて長崎造船所に建ってたという建物は、目の前に造船所を見下ろす見晴らしの良い立地。何となく長居したくなってしまいます。
なので、長居しながらぼーっと港を眺めていると沖合に進む黒い帆船を発見。

黒い方は遊覧船として港内を行ったり来たりしているようなので、何となく目で追っていると今度はさらに大きな純白の船が出現です。
ちょうど帆船まつりの終わりに母港、横浜へ向けて出港した日本丸なのだとか。
日本丸といえば、みなとみらいで見たような気がしなくもない……程度でしたが、こんなところでしっかりと航行している姿を拝めることになるとは思いもよりませんでした。
斯様な次第で帆船を見送ったら、市街観光へ再始動。

本当に……話には聞いていましたが、坂の町ですね。
坂と海の町といえば先日に行った尾道もそうでしたが、尾道が昭和のような和風な感じに対して、こちらは洋館の多いお洒落な雰囲気。
洋館もお寺も区別なくなる遠目には良く似ている光景な気がしました、坂と路地の雰囲気はどちらも甲乙つけ難い魅力です。
そして開港地と言えば、横浜も神戸も洋館と中華街。長崎もやっぱり中華街がありますが、先に少し離れた孔子廟の見学。

同じ孔子廟でも湯島聖堂の地味な感じとは違った派手さが異国情緒あって好みです。
奥には故宮博物館の物品を展示した博物館があったので、一緒に見学。中華系の文物もなかなか興味深いです。
博物館を見終えたらお洒落な道路をふらりと中華街方面へ。

しかし、石畳の道と洋館のある坂道って本当に凄いですね……決して好天ではなかったのですが、湿った光景もまた絵になるという……住むには大変かもしれませんが。
お待ちかねの中華街は、どこも似たような雰囲気なのだと再確認した感。
甘栗の売り子をほとんど見かけなかったことだけが違いでしょうか。中華料理と妙な雑貨屋が並ぶ光景は既視感がありますが、ゴミゴミした空間は嫌いではないです。

ここで昼食なのですが、めにゅーはもちろん長崎ちゃんぽん。ついでに角煮まんなる肉まんの仲間みたいなものも立ち食いしてお腹は満足です。
締めに唐人屋敷と呼ばれた江戸時代の中国人居留区の跡地を散策。

もはや遺構らしい遺構はないのですが、中国の祠だけは当時と同じ配置であるというのでその辺を見物して、再び路面電車に乗り込みました。
次に降りたのは山の手から繁華街を挟んだ東側の一帯。湾口に対して港の奥のさらに内陸部です。
こちらは洋館や中華街の異国情緒から一転、氏神の諏訪神社が鎮座するちょっと和な領域です。

苛烈な石段の上に鎮座する諏訪神社ですが鎮西大社を称する結構、格式高い一座。
一時はキリスト教に押されて云々だったそうですが、逆立ちした独特の狛犬などもあって十分に立派です。
他にも近隣には妙見社や天満宮も。長崎にも意外と神社があるんだと思ったのが素直な感想です。

どこもかしこも坂の中腹にあるのが曲者ですが……その分、ちょっと奥まった雰囲気があり見て回って楽しいものでした。
神社巡りを軽くこなしたら、近所の長崎歴史博物館を見学してから、同じようにぶらり旅に来ていた友人の”相当代行”と合流。
博物館を出る頃にはすっかり日が暮れていたことを逆手に取って、夜景を拝みに路面電車とロープウェイを駆使して伊佐山まで移動です。

伊佐山は長崎市街から湾を挟んで反対側に位置する標高300mちょっとの山。
港越しの街並みや夜景が綺麗だと聞き及んでいたので、たまには夜景もいいかもと思った次第です。
せっかくの一眼レフカメラを駆使して、夜景の撮影に及んだりして一頻り満喫。
湾口にかかる大橋や、造船所のライトアップされたガントリークレーンが素晴らしい光景でありました。
そんなこんなで、丸一日あっちこっちと歩きまわったら、この日はそのまま長崎市街でもう一泊。
ちゃんとしたホテルを確保していた代行と別れ、一人で夜を明かしました。
←その2・その4→
大型連休のお出かけ・その5
←その4・その6→
下関でどうにかこうにか夜を明かして迎えた5月2日。
始発列車のアナウンスがまるで福音かのごとく聞こえました……。
そんな上り始発列車を乗り継いで、この日に下車したのは広島駅。
ここでフォロワーのしろかえるさんと合流です。しろかえるさんとは初めての対面でしたが、まさかのイケメン好青年。いつもツイッターで「ひゅんひゅん」鳴いて真宵可愛いと言ってるのにびっくりデス。あと出雲お土産まで頂いちゃって感謝感激。
そんな彼と合流したら、路面電車に乗り込ん来た道を戻るかのごとく宮島口へ。
ここから宮島航路のフェリーに乗って、参道を進めば世界遺産でお馴染みの厳島神社です。
彼は何度か来ているそうですが、私は何年か前に旅行で行ったきり2回目の上陸です。
その前回行ったときには全く知らなかったのですが、厳島神社の象徴とも言える大鳥居は干潮時に間近まで歩いて行けるのだとか。
今回はタイミングよく干潮だったので、もちろん下に降りて見物です。
もっとも肝心の先の大風で海上の大鳥居が破損したとかで、生憎の修理中。

しかし海上側正面から本殿が見れただけでも、なかなかに満足。やっぱり建物は本来想定された方向から見るのが一番、格好いいですよね。
遠目から建築美を堪能したら、いざ拝観料払って参拝です。

流石にGWとあって観光客でごった返してはいましたが、適度な賑わいもお祭りみたいで悪くないもの。
朱塗りの柱が映える拝殿が美しいです。

鳥居を見れたのはありがたかったのですが、やっぱり本殿に登ってしまうと下に水を湛えている方が見た目良さそうですよね。
そのうち、満潮時に行きたいものです。
参拝経路を抜けたら、裏手のお土産物街を通って最奥の大元神社まで参拝。

朱塗りの厳島神社とは打って変わってこちらの境内は落ち着いた雰囲気。
奥の本殿だけはちゃんと綺麗に彩色されていましたが、手前の拝殿に隠れていてあまり目立たないので誤差の範囲でしょう。
余談ながら、このあたりには鹿がうろついていたり。なかなかイケメンです。

おそらく神の使いか何かなのでしょう。
最奥まで行ったらあとは引き返すだけ。
昼食探索を兼ねつつ、土産物街をウロウロし適当なお店で名物だというあなご丼を頂きました。
その後は少しだけ高台にある千畳閣に昇殿。

立派な太い柱と、分厚い床板の重厚な木造建築です。
靴を脱いで中に入り、一度腰を降ろしたらいつまででもマッタリ出来てしまいそうな風情と風格がありました。
しかも高台にあるので景色が良い。

紅葉が有名ではありますが、新緑もなかなかどうして素晴らしいものです。
千畳閣でついつい長居をしてしまったら、時間は16時頃と電車の都合も気になる頃合いに。
最後の仕上げに表参道で軽くお土産を物色し、揚げもみじなるもみじ饅頭を揚げたものを食して島を後にしました。

宮島口からは再び路面電車に乗り、広島駅にてしろかえるさんと別れて私は一路上り方面へ。
この日は一直線に大阪駅まで向かい、駅近くの繁華街にて一泊。
大阪に居るはずの下宿生を呼び出そうかとも考えましたが、夜も遅かったので自粛して翌朝に備えることといたしました。
←その4・その6→
下関でどうにかこうにか夜を明かして迎えた5月2日。
始発列車のアナウンスがまるで福音かのごとく聞こえました……。
そんな上り始発列車を乗り継いで、この日に下車したのは広島駅。
ここでフォロワーのしろかえるさんと合流です。しろかえるさんとは初めての対面でしたが、まさかのイケメン好青年。いつもツイッターで「ひゅんひゅん」鳴いて真宵可愛いと言ってるのにびっくりデス。あと出雲お土産まで頂いちゃって感謝感激。
そんな彼と合流したら、路面電車に乗り込ん来た道を戻るかのごとく宮島口へ。
ここから宮島航路のフェリーに乗って、参道を進めば世界遺産でお馴染みの厳島神社です。
彼は何度か来ているそうですが、私は何年か前に旅行で行ったきり2回目の上陸です。
その前回行ったときには全く知らなかったのですが、厳島神社の象徴とも言える大鳥居は干潮時に間近まで歩いて行けるのだとか。
今回はタイミングよく干潮だったので、もちろん下に降りて見物です。
もっとも肝心の先の大風で海上の大鳥居が破損したとかで、生憎の修理中。

しかし海上側正面から本殿が見れただけでも、なかなかに満足。やっぱり建物は本来想定された方向から見るのが一番、格好いいですよね。
遠目から建築美を堪能したら、いざ拝観料払って参拝です。

流石にGWとあって観光客でごった返してはいましたが、適度な賑わいもお祭りみたいで悪くないもの。
朱塗りの柱が映える拝殿が美しいです。

鳥居を見れたのはありがたかったのですが、やっぱり本殿に登ってしまうと下に水を湛えている方が見た目良さそうですよね。
そのうち、満潮時に行きたいものです。
参拝経路を抜けたら、裏手のお土産物街を通って最奥の大元神社まで参拝。

朱塗りの厳島神社とは打って変わってこちらの境内は落ち着いた雰囲気。
奥の本殿だけはちゃんと綺麗に彩色されていましたが、手前の拝殿に隠れていてあまり目立たないので誤差の範囲でしょう。
余談ながら、このあたりには鹿がうろついていたり。なかなかイケメンです。

おそらく神の使いか何かなのでしょう。
最奥まで行ったらあとは引き返すだけ。
昼食探索を兼ねつつ、土産物街をウロウロし適当なお店で名物だというあなご丼を頂きました。
その後は少しだけ高台にある千畳閣に昇殿。

立派な太い柱と、分厚い床板の重厚な木造建築です。
靴を脱いで中に入り、一度腰を降ろしたらいつまででもマッタリ出来てしまいそうな風情と風格がありました。
しかも高台にあるので景色が良い。

紅葉が有名ではありますが、新緑もなかなかどうして素晴らしいものです。
千畳閣でついつい長居をしてしまったら、時間は16時頃と電車の都合も気になる頃合いに。
最後の仕上げに表参道で軽くお土産を物色し、揚げもみじなるもみじ饅頭を揚げたものを食して島を後にしました。

宮島口からは再び路面電車に乗り、広島駅にてしろかえるさんと別れて私は一路上り方面へ。
この日は一直線に大阪駅まで向かい、駅近くの繁華街にて一泊。
大阪に居るはずの下宿生を呼び出そうかとも考えましたが、夜も遅かったので自粛して翌朝に備えることといたしました。
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